答え、正解なんていくつもある
食器を洗っていると音琶が隣に寄って手伝ってくれた。
そんな何気ない日常のようにも見えるけど、俺にとっては今までだと当たり前ではなかった。
さっきまでの音琶の言葉が引っかかってはいたものの、こいつと一緒にいることがいつの間にか当たり前になりつつあるような、そんな感じだった。
途中で音琶が何か話しかけてきたように感じたけど、水道水の音で声がかき消されていて何を言っていたのかわからなかった。
まあいい、洗い終わったらまとめて聞けばいいんだし、取りあえず先に日高からもらったプリント片付けとかないとな。
「......」
「......」
教科書を通してプリントの穴埋めを解いているわけだが、飯を食い終わった後でも音琶はまだ帰らず、ペンを進める俺の正面で何か言いたげな表情をしていた。
どうせいつもの下らない話だろうから何か言ってきても適当に流しておくとでもするか。
「......ねえ、夏音」
ようやく音琶が口を開いたから俺も手を止める。
「......」
「あの......さ、本当に私達ってどう思われてるんだろうね」
またその話かよ、さっきの適当な返事は特に意味なかったのだろうか。
第一音琶が何を言いたいのかよくわからない。
「どうって言われてもな」
「その......、これ、見てくれる?」
「は?」
音琶は恥ずかしそうに言って、スマホを見せてきた。画面はLINEのやり取りだけど、見覚えのあるものだった。
確認すると日高とのやりとりで、日高本人からも見せてもらったものと同じだ。
でも音琶までなぜそれを俺に見せるのだろうか、きっとそれなりの理由があるからなんだろうけど。
初見の振りをして音琶からスマホを受け取り、画面をスクロールさせる、やり取りからして俺に関することなのは間違いない、正直日高は何を伝えたくて俺の話題を出したのかが理解できないし、音琶も音琶で返事の文に違和感がある。
日高の奴、ここ最近やたらと俺に音琶の話持ち出してくるけど、全く何が言いたいんだか。
「夏音......、全部読んだ?」
「ああ、読んだけど」
「そう......」
すると音琶は顔を赤らめて黙り込んでしまった。
また思い詰めてるけど今回は何に対してなんだろうか、別に俺と音琶なんてバンドメンバーという関係でしかないはずなんだけどな。
......いや、それだけだとどうも納得いかない、それだけじゃないってことは前々から感じてはいるけど、核心には至ってない。
「また聞くけどさ、夏音は私のこと嫌いじゃないよね?」
「嫌いじゃねえって言っただろ何回も言わせんな、嫌いだったら飯だって作ってやんねえし」
「うん、そうだよね......」
「何が言いたいんだよ」
俺が問いかけると音琶は今までにないくらい顔を真っ赤に染め上げて、必死に口を開こうと頑張っている。
そして俺は気づく、LINEの文章といい、日高の最近の言動といい、今の音琶の状態といい、自意識過剰だったとしても、音琶が何を言おうとしてるのかが予想できてしまった。
今まで何で気づかなかったんだろうというくらいだ、いくら俺がそういった類の経験が皆無で、ずっと孤独だったとは言え、これくらいは即座に気づくべきだったと思う。
そのせいで俺はずっと音琶に苦しい思いをさせていたのかもしれないんだからな。
音琶を信じたいし、音琶とならいいバンドが組めるんじゃないか、なんて思ったことは何回もある。
でも今回はまた別の、場合によっては音琶との関係が崩れてしまってもおかしくない次元の話だ。
音琶の願望を受け入れなかったら、この先のバンド活動だったり、2ヶ月半とはいえ音琶と過ごした時間が全て無かったことのようになってしまうのではないかと思うと恐ろしかった。
音琶が口を完全に開くのにもう十秒もないだろう、その短い間に俺は答えを用意しないといけない、折角俺のことを信じてくれている人を傷つけたくないし、今まで冷たい態度を取ってきたけど、これに関しても真面目に向き合うべきだ。
きっとその答えに正解も不正解もないだろう、なら俺はどっちを選ぶべきなのだろうか。
そしてとうとう、音琶は口を開いてこう言った。
「私がこうして夏音と一緒にいたいって思うのはね、夏音のことが大好きだからなんだよ」
.........。
音琶が口を開こうとして、今の言葉を発するまでの数秒間で俺は全てを察し、大体予想していた通りの言葉が俺を襲った。
「音琶......」
「夏音とバンドメンバーだけじゃなくて、もっと特別な関係になりたいって、前から思ってた......。本当は、もうちょっと後に言おうと思ってたんだけど、もう我慢できなかった。ライブ近いっていうのに私何言ってるんだろうね、これで振られちゃったらもう元には戻れないかもしれないのにね」
言いたかったことを吐き出して少し楽になったのだろうか、音琶の表情はさっきよりも明るくなっていて顔色もいつも通りだ。
「その、別に今すぐ返事ほしいってわけじゃないから! 時間置いてから、いつでもいいし!」
ヤケクソになりやがって、俺だってどう答えようか凄い悩んでんだぞ。
そりゃあ今まで誰かに好かれた事なんてなかったし、正直音琶みたいな決して可愛くないわけではない奴から告白されるなんて、嬉しくないわけがない。
でも、もしここで音琶の願いを受け入れたとして、俺は何ができるだろうか。
そもそも音琶と出会ってから共に多くの時間を過ごしてきた、付き合うことでより一層深い関係に沈むのは絶対だろうけど、些細なことで擦れ違ってしまったら、もう二度と元の関係には戻れないのではないか。
いや、受け入れなかったら受け入れなかったで、今後音琶とはサークルで顔を合わせることになるんだし、それはそれで気まずいよな。
そもそも俺は音琶のことが好きなのだろうか、まずはそこが一番の問題なのでは。
嫌いじゃないのは嘘じゃないし、実を言うと音琶には感謝していることが山ほどある。口には出せてないけど。
嫌いじゃないとは言え特別な意味での好きか好きじゃないかについては答えが見つかっていない、なら俺は何て答えるべきなのかますます分からなくなっていく。
「夏音......?」
ずっと黙り込んでいる俺を不審に思ったのか、音琶が不思議そうな表情で見つめてきた。
そして俺はとうとう正解だと思う方を選んでしまった。
「......付き合っても、いいぞ。でも、正式に付き合うのは、もう少し待って欲しい」
これが俺の精一杯の返答だった。
俺はまだ、音琶とは満足の行くバンドが組めているわけではない。
本当の意味で音琶と付き合うなら、最高のバンドを創り上げてからじゃないと意味がない気がしたのだ。
「本当に......、いいの?」
音琶は大きな目を丸くして、そう言った。
「別にいい、でも今すぐって訳じゃない、いつになるかもわからないんだからな」
「......ありがとう、凄い嬉しい! いつでも待つよ! 何年でも何世紀でも待つよ!!」
そう言って俺に抱きつく音琶。正式に付き合ったわけじゃないってのに、ほんとこいつはぶれないよな。
まあそこが音琶らしくていいんだけどよ、てか何世紀って言ってたけど俺も音琶もその頃には死んでるからな。
抱きついてきた反動で音琶の柔らかくて大きな胸が思いっきり当たってるんだが、今はそれを気にする余裕なんて俺にはなかった。
音琶の告白に対する俺の答えは、正解でも不正解でもあったのかもしれない。
これから起こることによってはどっちとも判断できるから、人間関係ってのは面倒なんだよな。




