ドラム、そして謎の少女再び
4月8日
一昨日から昨日までの経緯を振り返れば無理もない、今日もガイダンスで日高に話しかけられ、終わったら部室に連行されるのだろう。
これからずっとそんな日々が続くと思うと複雑だ。
冷静になって考えると学生生活を謳歌している奴らはみんなそんな感じなのかもしれない。
勉強に部活、友人、その他諸々、今まで俺が手に出来なかったものが大学生になってようやく身に付いている。決して嫌なことではなかった。
だが油断できないのは今までと変わらない。
別に俺は何かを間違えた訳でもないが、それでも無条件に、特に理由も無く拒絶、裏切り、決裂が生まれてしまう。
そう、人は変われる可能性があっても、それが実現できる保証なんて無いのだ。
過去ばかり見てると現実が見えなくなる。それに気づくのはもう少しかかりそうだ。
結局、今日も今日とて部室に来ていた。もちろん日高もいる。
昨日の状況からして断れるような都合の良い展開が用意されてるわけもなく、日高に言われるがままにされる俺がそこにいた。
「昨日はドラマー居なくてごめんね、今日はちゃんといるから」
昨日居たギターの先輩がそう言いながらドラムの先輩を紹介してきた。
ドラムの先輩は男で、身長は大体俺と同じくらい、腕が細く、あまり強そうな印象を受けない人だった。
「他にもドラマーはいるんだが、俺しか来れなかった。えっと、滝上君だっけか、経験者みたいだから取りあえず適当に叩いてくれないか」
ドラムを辞めたと宣言した人間がこれから一ヶ月ぶりにドラムを触ろうとしている。俺の決心はその程度のものだったのか。
でも断れるようなタイミングはないし、この場に俺の過去を知ってる奴はいない。仕方ないがここは折れるとしよう。
「そんなに上手くないんであんま期待しないで下さいね」
そう伝えてスローンに座り、シンバルやタムの位置や高さを調節する。
この作業は何度となくやったことだから一ヶ月の間ドラムに触ってなくても体が自然に動いてた。
「流石経験者ってとこだな、手つきが慣れてる」
ドラムの先輩が呟いた。なんでそんな上からなんだよ。
「準備できたんで叩きますね」
借りたスティックを持ち、右腕をハイハット、左腕をスネアタムの位置に向けた。両腕をクラッシュシンバルの高さまで上げ、俺は叩き始めた。
やっぱり体は前より思い通りにはなってない。
ドラムと出会ってからは毎日のように練習していたから、一ヶ月のブランクは大きく響いていた。別に今までの俺はドラムが凄く上手くて、才能があった訳ではないけどな。
きっとあの頃はドラムを叩くことが生きがいだったのだろう、そうして自尊心を保っていたのかもしれない。
ドラムの基本である8ビートを主流に、時々クラッシュやハイタム、フロアタムを混ぜながら昔のことを考えていた。
日高とギターの先輩、ドラムの先輩は俺のドラムを見てどう思うだろうか。
全くの初心者の日高はともかく、2人の先輩は何か思うものがあるかもしれない。
あまりにも真剣な顔で見られるとどうも安定しなかった。
一通り叩いたところで演奏を止める。するとドラムの先輩は聞いてきた。
「経験者って言ってたけどさ、何年やってた?」
「もうかれこれ12年やってました」
「なるほどね......」
そう呟き、ドラムの先輩は黙り込んだ。
「いやー、滝上のドラム初めて見たけど上手いな。どれくらいなのかはわからないけど上手いよお前」
日高がそう言ってきたが、いかにも感想が初心者のテンプレそのものだぞ。
「滝上君、うちに入ってくれ」
「え?」
「うちはドラマーが足りない。だから君みたいな逸材が欲しい、是非とも入って欲しい」
黙っていたドラムの先輩が言い寄ってきた。
意外な反応だ、もっと厳しいことを言ってくるもんだと。
「いやでも俺は......」
言葉に詰まっていたその時......、
「夏音! 今のドラムは何? 全然ダメじゃん!!」
部室の玄関の方向から大きな声が聞こえてきた。
「私は夏音の見てる人を心の底から楽しませてくれるようなドラムが聴きたいの! でも今のはそんなんじゃない、なんか辛そうだよ......」
音琶だった。
「え、誰? 知り合い?」
ギターの先輩が音琶に聞く。
「そう、私は夏音の知り合い。そしてこれからバンド組むの!」
なんてこと言いやがる、余計話が面倒になってきただろうが。
しかも先輩に向かってタメとか大した度胸だな。大きな胸だけに。
「あのなお前、話をややこしくしないで......、あ......!」
俺はいつの間にか音琶に引っ張られながら部室の外に出されていた。
・・・・・・・・・
誰も追ってこなかった。
俺はキャンパス内のあらゆる所に設置されているベンチに座らされていた。目の前では音琶が口をへの字に曲げ、仁王立ちをしている。
なんだこの状況、周りの人が俺らに視線を向けているから早く解放してくれ。
「どういうことか説明して!」
説明してほしいのはこっちの方だ。
「あれは何? 夏音のドラムはあんなんじゃないはずだよ?」
どうやら俺のドラム演奏が一ヶ月前よりも劣化していることにお立腹のようだが、普通ブランクがあれば劣化するわな。
こっちもずっと黙ってるわけにはいかないので言い返す。
「お前には関係ない。別にドラムなんて上手かろうが下手だろうができてればそれでいいだろ」
「そうだね、別に私は夏音が上手くても下手でもどうでもいい。でもあの演奏じゃ何も感じられない、あの時と全然違う」
こいつの言いたいことは大体理解した。
別に劣化していることに怒っているのではない、これはやる気の問題だ。
確かにさっきの俺は全くと言っていいほどやる気がなかったし、流されるがままドラムを叩くだけの演奏をしていた。
そんなものが誰かの心を動かすことなんてできるわけないよな。
「夏音に何があったかなんて私は知らない。でもそれをいつまでも引きずっていたってしょうがないよ......。私は夏音のあんなドラムなんて見たくない、この前のかっこよかった夏音がもう一度見たい」
本当に不思議な奴だ。
こいつが隠していることと俺のドラムが何か関係しているのが確かなのはわかっている。
『俺のドラムをもう一度見たい』か、こいつを信じるにはもう俺が何か起こすべきなのかもしれない。
音琶は俺を信じているが、俺はまだ踏み込むことが出来ないままでいた。
「なあ、俺はお前を信じてもいいのか?」
この時はほぼ無意識で、気づいたときは音琶にそう問いかける自分がいた。
今の言葉を取り消すことができればなんて思ったがもう無理だ。
音琶の返答が怖い。でもそれは俺が思っていたのとは違うものだった。
「当たり前でしょ! だって私は夏音を信じてるもん。あの時の夏音のままで私とバンド組んでくれることをね」
今まで悩みに悩み、誰かを信じることに抵抗があった俺だが、こればかりは否定できなかった。
「そうだな......、俺もお前のことを信じてみようかな......」
ついに俺は決めてしまった。もう後には戻れない。
「本当!? やった......! 嬉しいな......! 約束だからね!!」
本気で喜んでいるように見え、この表情に嘘偽りは感じられなかった。
「それじゃあ、部室、戻ろ?」
音琶はそう言い、部室の方向へと足を向けていった。
かくして、とうとう俺は軽音部に入り、上川音琶という少女とバンドを組むことを決心した。
とりあえずドラムを辞めるなんて言葉は撤回、今思えば本当はドラムをしたかったのかもしれない、なんて都合の良いことを考えてみる。
何が原因なのかと言えばやはり音琶の言葉だった。
他の誰かでは動かせなかった感情がたった一人の少女によって動かされた。
あいつが俺のドラムで動かされたのと同じように。
音琶がギターやるとして、後はベースとボーカルか、そんなことを考えながら音琶のうしろを歩いた。
「約束、ね......」
今日のことは何も後悔していない。俺と音琶の間には絶対的な絆が結ばれていたのだから。
これからどんな絶望が待ち受けていようとも、二人なら何も恐れるものなんてない。
俺は決して一人じゃないから。