やりたいこと、音琶を救う第一歩
その日の夜、俺と音琶は珍しく外食に出かけていた。
たまには気分転換として濃い味の飯を食うのも悪くないだろう。俺が作った飯以外にも美味いものは沢山あるのだし、音琶には満足行くまで好きなものを食べて欲しい。
「なあ、本当にラーメンで良かったのか? もっとこう、普段食えないようなものとかじゃなくてだな......」
「ううん、私は夏音と一緒にラーメン食べたかったから、高いも安いも関係無いよ?」
「......まあ、お前が良いならそれで」
病院から部屋に戻り、少し話した後の出来事だ。どうせもうすぐ好きなものも食えなくなるのなら、今のうちに食いたいものを好きなだけ食えば良い。金なんてもうどうでもいい、音琶のために何度でも稼げばいいのだから。
結局二十歳まで生きられないかどうかは不明、ということでいいのだろうか。医者の言っていたことが嘘なら、もう少し長く生きられる可能性はあるが、明日死ぬ可能性の方が高いのかもしれない。
音琶に明確な日数や年月を教えていない辺り、期限が迫るにつれて精神的な問題が発生しないための黙秘、ということになるのだな。
病院に訪れたのは音琶唯1人だし、父親も居れば状況は変わっていたかもしれない。患者本人だけでは、伝達できる情報も限られている、ということか。
だけど、音琶には夢があるのだし、命が掛かっているとは言え諦めているわけではない。本当のことを知った状態で目標に向かうのは野暮な話だ。医者は音琶の話を聞いた上で嘘を吐いた、と考えればしっくり来なくもないな。
そう考えている内に、注文していた料理がテーブルに運ばれていた。
「な......!」
目の前に映っているのは、大量の糵が山のように重なり合い、強烈な大蒜と脂の臭いを放つ、ラーメンのようなものだった。いや、これはラーメンの一種か。本物を見るにしては衝撃的過ぎる。
「......」
この世のものとは思えない刺激物の奥深くを箸で覗いてみると、鮮やかな黄色の麺とスープの上で浮遊している大量の背脂が蠢いていた。
音琶の奴、俺の知らない所でこんなもの食ってたのか? 不健康にも程があると思うが......。
「ん~、美味しい~!」
器用に野菜と麺を絡ませながら、カロリーの塊を幸せそうに頬張っていた。こいつ、さっきまで自分の身体がどうとか言ってた癖に、こんなもの食って罪悪感は感じないのだろうか。
まあ、生きている内に好きなものを鱈腹食べて欲しい、という気持ちに嘘はないし、何より幸せそうな音琶の顔を見ていると、注意する気力も失せていた。
話を聞いた限り、食事を制限されているわけではなさそうだ。なら、音琶の好きなように、やりたいことをさせればいい。
気にしていたら、思い出も薄れてしまうからな。
「ほら! 夏音もはやく食べなよ!」
「あ、ああ......」
音琶に言われて我に返り、麺を一口啜る。
「......!?」
いやマジで何これ、本当にこの世の食べ物かよ、濃いとかいう次元を遥かに超えてやがるぞ?
食い切れる自信ないのだが、せめて半分くらい食ってあとは音琶に任せるか......?
「あ、言い忘れてたけど、ちゃんと完食しなかったら罰金だからね? このお店のルールだよ!」
「......」
ふざけんな。
・・・・・・・・・
何とか罰金は免れたが、店を出て部屋に戻るまでが地獄だった。いや、今も充分地獄だが。
「夏音、大丈夫?」
「あ、ああ......。今にも吐きそうだけどな......」
部屋の中に入ってすぐベッドに横になり、楽な体勢で身体のバランスを整える俺。それを見て軽く心配してくれる音琶。何だこれ。
「そっか......。やっぱ夏音にはまだ早かったかな?」
「いや、早いも何もないのだが......」
「なんかごめんね、今度は結羽歌と行くことにするから」
「はあ......」
結羽歌も行くのかよ。あいつ、あの小さな身体でよくあんなもの食えるな?
「でも、ありがとね。夏音と一緒に行けて嬉しかったよ」
「......」
まあ、俺も、音琶と外食が出来て、嬉しくなかったわけではない。さっきのような何気ない日常が、いつ崩れ去るかもわからないのだから......。
できる限り長く続いて欲しいし、明日明後日に終わりを告げるなんて、考えたくない。
俺と音琶は未知の領域を彷徨っている。夢が叶うまで、そして叶った後も、決して立ち止まってはいけないのだ。
だから俺は......、
「なあ音琶、これから先、やりたいことってあるか?」
「えっ......?」
死ぬ前にやりたいこと、ではなく、これから先やりたいこと、と俺は言った。
死ぬ前に、なんて言葉を使ったら、音琶との約束を諦めているみたいで、嫌だったから。
「何だって良い、俺に本音をぶつけてくれよ」
「......!」
自分で思うのも何だが、音琶に対しては棘の無い言葉で話すことが出来ている気がした。共に苦難を乗り越え、愛を確かめ合った2人なのだ。簡単に絆は壊れない。
「そうだね......」
少し困ったような表情をしながら、音琶は考え込み、悩む。小さい声で独り言を呟きながら、やりたいことを思考していき、答えを導き出そうとして、また悩む。
そんな細かい動作がまた可愛くて、退屈を忘れさせてくれる。
そして一つの決断に至ったようで......、
「私、今度こそ和兄のこと、はっきりさせたいな」
最初に発した言葉はこうだった。
「......」
今までの俺なら、音琶はまだ過去に囚われていると認識していただろう。だけど、12月25日の音琶と、今の音琶では表情が全然違う。
兄の真相を知るために軽音部に入ったことが間違いだった。では、その間違いをどう正せばいいのか、音琶は答えを見つけたのだろう。
「音同には、元々軽音部員だった先輩がいる。その人達は、和兄のことを知っている。なら、あの日何があったのか、ちょっとでも知ってるかもしれない......」
「......そうだな」
「未練があるからこんなこと言ってるのかもしれないけど、私の大切な家族だから......、何も知らないまま死んじゃうのは......嫌だ」
「......」
鉄は熱いうちに打て、という諺がある。限られた時間の中で、自分のやりたいこと、知りたいことをはっきりさせるために、好機を逃すわけにはいかない。
音琶の大切だった人に何があったのか、それを確かめないと、後悔したまま音琶は一生を終えることになってしまう。
迅速に行動しないと、音琶は救われない。兄の真実を知ることこそが、音琶を救う第一歩となるのだ。




