俺の大切な人
自分の部屋に戻る前に向かった場所、それは音琶が本来住むべき場所......。
何気に今年になって音琶に会うのは今日が初めてだ。事前に連絡は取ってなかったが、音琶だってきっと俺が現れるのを待っているはずだ。わざわざ戻ってこなかったのも、俺が手を差し伸べてくれると思っているから......。
「......っ!」
意を決してチャイムを鳴らすが、応答は無い。中に人が居るかどうかは感じ取れないが、他に行く当てもないはずだし、元々はここが音琶の居場所なのだ。
何度か続けて鳴らしても応答が無いため、仕方無くドアノブに手を掛けた。するとどうだろうか、やや古めの木の板が何の抵抗もなく開き、部屋の中身が露わになった。
「......無防備すぎんだろ」
思わず溜息がこぼれそうになったが、こうなったら強行突破するしかないだろう。助けを呼ぶことも出来ないくらいに具合が悪くなっているかもしれないし、音琶も勝手に俺の部屋に入ってきたことあったしな。
「......入るぞ」
靴は置いてある。この中に音琶が居るのは間違い無さそうだ。後はどういう状況なのか......。
2週間ぶりに入る部屋だが、埃が溜っていて掃除はされてないように見える。俺が側に居ないと何も出来ないのはあいつらしいけどな。
ふと、ベッドの上で体育座りしながら俯いている音琶が居た。見た感じでは体調を崩しているようには見えないが、この様子だと学校には行ってないのだろう。
「久しぶりだな」
「夏音......」
その場から動く気配は無いが、話す時はしっかり俺の目を見ていた。そういった細かい仕草が俺を安心させていく。
「こんな所で何してんだよ」
「こんな所って......、ここ私の家だよ?」
「そうだが、お前には帰るべき場所があるだろ」
「......」
すっかりふて腐れてしまったか......。まあ、あれだけ自分の辛い過去と現状をぶちまければ、心境の変化が表に出てしまうよな。
「このままずっとここに居る気か?」
「そのつもりはないけど......、心の準備が出来てないから」
「俺にはただの言い訳にしか聞こえないけどな」
「言い訳じゃないもん......」
頬を膨らませ、拗ねた表情で答える音琶。人間涙枯らすまで泣き疲れたらこうまでもなってしまうのか。
「言いたいことが言えてすっきりしたんじゃないのか?」
「してないわけじゃないけど......、これからどうしたらいいかわかんなくなってきたんだよ。約束は守りたいし、願いも叶えたい。でもね、私がやったことが正しいことだったのかな、私の今までって結局何だったのかなって思うと身体が上手く動かないんだ」
いつか必ず話すと言ったことが現実になり、俺は真実を知った。
だけど、真実を知った所で願いを諦めるわけじゃないし、音琶を見放すなんてことは絶対にしない。
兄の真相を知ることしか考えていなかった音琶が、俺と出会ったことで本当にやりたかったことを見つけ出した。
だから、その願いが叶うまで......そして叶ってからも、俺は音琶の隣に居たい。
「何言ってんだお前は」
「......」
音琶も、口には出していないが今の言葉が間違いだと分かっているのだろう。だから反論出来ない。
「俺は音琶をもっと知ることが出来て良かったと思っている。確かに明るい話ではなかったが、音琶が辛いことを乗り越えてきたからこそ今があるわけだし、俺と出会ったことで叶えたい夢が出来たのなら、何も自信を無くす必要はないんじゃないのか?」
「......」
未だに口を開こうとしない。言い訳する言葉を必死に考えているようにも見えるが、俺の話が的を射すぎているから何も言えなくなっているのだろう。
「そもそもお前、あと1年くらいとか言ってたけど、実際はもっと短いんじゃないのか?」
「それは......」
「誕生日、7月だし、もうそんな余裕は無いはずだろ」
「......」
「今からでもどうにかしないと、本当に願いが叶わないまま終わってしまうよな、お前の人生」
信じたくない、音琶が居なくなるなんて信じたくない。いくら現実で起こっているからとは言え、そんな未来受け止めたくない。
そもそも明確な根拠なんて存在しない話だ。癌で余命が3ヶ月と診断された後に5年も生きれた人だって居る世の中なのだし、音琶だってまだまだ生きられるはずだ。少なくとも希望を抱いている限りは死んでも死にきれないだろう。
だから、まずは今までの音琶を取り戻すことから始めないといけない。本当に何もしないままだと、残酷な運命は現実のものになってしまう。
何もしないまま最後の時を待つよりは、やりたいことをやって辛い現実を忘れることこそが正しい生き方なのではないだろうか。
「もう......、本当に長くないと思ってる......。ここまで生きれたことが奇跡だって、夏休みに入院した時に言われてるもん......」
「......そうか、なら大丈夫だ」
「えっ......?」
未だに言葉の意味が分かっていないようだなこの女は。いつもの強気はどこに行ったんだか。
「音琶、お前は15の時に退院したって言ってたよな。長い間病院生活で、完治すらしていないというのに」
「うん......。その時に本当は死んじゃってたのかなって、今でも思ってる。そもそも、私の身体は治らないから......」
「......だよな」
どのタイミングで『二十歳まで』なんて言葉が出てきたのかは分からないが、一番最初の診断では『15歳まで』だったのではないだろうか。いや、仮に生まれた時に診断されていたのなら、15よりももっと早くに......。
「そもそもいつ頃聞いた話なんだよ。入院してた頃とは言ってたが、明確な時間は聞いてない」
「......15の時の、退院の直前だよ。『生きてる間はやりたいことをやれ』って、ね」
全く、そういう言葉は余命1ヶ月も無いような人に言う台詞だと思うがね。
その時の医者に直接聞かないと分からないが、本当に音琶はこの時に死んでたのだろう。本当のことを伝えたら、完全に心を閉じてしまうと踏んだに違いない。そもそもこういう話は当時15歳の少女に伝えるべき話ではないと俺は思うけどな。
それに、残された少ない時間だけでも幸せな思い出を作って欲しい、そう願っての言葉のはずだ。薬もその時にもらったのだろう、切羽詰まったら精神が保てるようにな。
「お前は......上川音琶は、その言葉の通りに動いている。やりたいことをやれているから、今もこうして生きていられる」
「夏音......」
無茶苦茶なことを言っている自覚はある。ただの我儘と言われても反論出来ない。
確かに今のうちは生き方次第で二十歳を超える可能性は秘めているはずだ。長生きは出来ないかもしれないが、気持ちの問題だって含まれているに決まっている。
最初から諦めてしまっては、手に入るものは何も無いのだから。
「お前は俺に出会ってから......いや、それよりも前から、病気に怯えるより自分のやりたいことや叶えたいことを優先していた。ここまで生きれてるのが奇跡なら、その奇跡をもっと先まで起こそうとは思わないのか?」
この問いに音琶が頷かなかったら、もう願いが叶うことはないだろう。
そう考えながら、俺は手を差し伸べた。
・・・・・・・・・
3月2日
まだ、音同には入っていない。今まであれだけ身体も精神も虐めてきたのだから、少しはサークルという概念から離れ、勉強とバイトをする時間を設けた方が吉だろう。
そんなこんなで試験も無事に終わり、春休みに入った。結果は言わずもがな、全て合格だ。
これから1ヶ月程度は自由な時間がある。2年生になる前に今後の予定くらいは立てておくとするか。
滝上夏音:試験結果見てきた。今から音同の部室に行こうと思っているが、行くか?
今日集まるという話を結羽歌から聞きつけ、今から部室に向かう所だ。
足を進めているとスマホが鳴り、返信が表示される。
「ふっ......」
画面に記された文字を見るだけで思わず声が漏れる。嬉しいという気持ちもあったが、想像通りの答えが返ってきたことに思わず苦笑してしまう自分がいた。
数分ほど歩き、部室棟に辿り着く。確かにこの環境だと大きな音は出せそうにもないし、広い部屋が確保されているとは思えない。
だが、ここが新たな居場所となるのなら、俺は迷わない。
滝上夏音:ドアの前で待ってる
集合する場所を伝え、壁により掛かりながら奴を待つ。その間に過去の写真を開き、出会ってからの時間を思い出しながら画面をスライドさせていた。
「色々なことが、あったよな......」
たった1年で数え切れないくらいの思い出が出来た。辛いことの方が多かった記憶があるが、それでも共に乗り越えられる人が居てくれたからこそ、今もこうして希望を持てている。
そんな希望の光は、今も輝きを失おうとしていない。
だから、奴は俺の隣にやってくる。
「夏音、お待たせ!」
元気な声が降り注がれ、声の元へと視線を向ける。
無垢で大きな瞳、綺麗な黒髪をツインテールに結び、元気で可愛らしい声を持つ美少女がそこに居た。
「待ってたぞ」
一言返し、2人並んで部室棟の中へと進んでいく。
「私達の願い、今度こそ叶えようね!」
「当然だ」
少女の名は上川音琶。俺の大切な人だ。




