チューニング、時間との勝負
「お前ってやつは......」
例のドラム譜面を全て書かれている通りに叩き終えた俺にその場の全員の視線が釘付けになっていた。
暫く言葉が出なかったみたいだけど、こいつら何でこんなになってんの?
「夏音、一つ聞いてもいいか?」
兼斗先輩が俺に質問してきた。
「何ですか」
「プロでも目指してんの?」
「はい?」
一瞬何を言われたか理解できなかったけど、この人今プロとか言ったよな?
当然そんなの目指してない、目指してるわけがない、軽音部に入るまではもう二度とドラムは叩かないって決めてたわけだし、一瞬たりとも考えたことがない。
「初めて夏音のドラム見たとき確かに上手いと思ったし、これだけの技術があればこのサークルの顔になれるって踏んだんだよ。そしたらまさかそれ以上だったなんてな」
「俺のドラムってそんなに上手いんでしょうかね」
「ああ、上手いよ。12年やってただけある」
「一応それは言葉として受け入れときますよ」
プロだとか何だとかで上手いって言われたけど、全く嬉しくなかった。
俺が喜びの感情を失くしてしまったからというわけではなくて、兼斗先輩が本当は俺のドラムなんて何も見ていないんだな、と思ったからだ。
叩いてて何かが足りない気がしたし、それが何なのか、音琶が言ってたことと関係があるのか、頭の中で色々考えてしまうけど、完璧な答えは見つからなかった。
暫く兼斗先輩に質問攻めされたけど、兼斗先輩も我に返ったのかこの後のメニューを伝えてきた。
「これからお前らにはドラムのチューニングをしてもらう、掟は読んでる前提で進めるから3人はどのタムをするのか話し合って決めろ」
チューニングもするのか......、まあいいけど。どうせそんなのすぐに終わるし。
話し合いの結果、俺はフロアタムをチューニングすることになった。一応掟には書かれてたから読んだけど高校の時とやり方が少し違ってた。
対角線を描くようにキーでボルトを回していき、そうするとドラムのヘッドが緩み、型が取れる。表と裏の型とヘッドも全て取り外し、もう一度取り付ける。
そしてそれぞれのボルトの位置を確認して、完全にヘッドが張った状態になったら音を出し始める。全ての位置で同じ音が出ないといけないからおかしいところがあったらボルトをきつくしたり緩める等して調整する。
表と裏で同じ事をしたら次は普段通りの大きさで叩いてみる。音に違和感があったら再びボルトを同じ程度で緩くするなりきつくするなりして、それを繰り返す。
調整していく内に本来の音に近づいていき、今まで聴いてきた音になったら完成。まあチューニングは人によって音の出し方が違うからこれと言った正解はないけど、サスティンに明らかに変な音が混ざってたら変えなければいけない。
「できました」
僅か20分足らずでチューニングを終え、念のため兼斗先輩に確認を取る。
「見せてみろ」
兼斗先輩がスティックでタムを叩くと、納得したような表情をしてこう言った。
「お前俺よりも早いよ、それに完璧な音になってる。後で色々聞かせろ」
「はあ......」
「とりあえず他の奴らも手伝ってやれ」
「わかりました」
ハイタムとバスドラム、どっちを見ようか。
バスドラムは流石に一人でやるのはきついだろうから2年の先輩がサポートに入ってるし、ハイタムの方見ることにするか。
ハイタムのチューニングをしているのは桂木だった。何とか掟通りに組み立てまではできたみたいだけど、ネジを調整しながら音の出し方に苦戦しているみたいだ。
「お前まず真ん中の部分指でおさえろ」
「え? うん」
すると桂木は言われた通りにし、俺の顔をまじまじと見てくる。
「どうしたんだよ、取りあえずボルトの部分一つずつ小さめに叩いてけ」
それで伝わるかはわからないけど、少なくとも長い間やっていたことだ。誰かに教えることくらい朝飯前だ。
「ここの部分、音が違う」
桂木が違和感に気づき、ボルトを回す。人差し指でヘッドの中央をおさえ、他の部分でも同じ事を繰り返していく。
すると次第に一定の音が出来上がっていく、初心者にしては理解が早いなこいつ。俺が初めてやったときはこの時点で音が上手く合わなくて苦戦したというのに。
「裏も同じ事やってみろ」
桂木は頷き、表のやり方を思い出すように人差し指でヘッドの中央をおさえながら音の僅かな違いを聴き分けていく。
やがて完成し、安堵の表情を浮かべる桂木。こいつ結構無口だな、集中していると無口になるタイプの奴か。
桂木は一度ハイタムをスタンドに掛け、普段とほぼ変わらない大きさで叩いた。するとサスティンの最後の方でモヤモヤしたような音が入り込んでいた。
「......」
困ったような表情をする桂木に俺は指示を出す。
「サスティンが長すぎる、裏のヘッド緩めてみろ」
再び桂木は無言で頷き、ハイタムを外して裏返す。
僅かなボルトの強さで音なんて変わってしまうもので、ここからはもうほとんど直感と言ってもいい。
とは言ったものの、どうも必要以上に緩めたりしたせいで今度はヘッドが波打ってしまっている。これじゃあ演奏以前の問題だ。
「もっときつく締めろ」
そう言うとこいつ、何を思ったのかさっき以上にきつく締めていやがる。
これじゃあただの間抜けな音になるぞ。
「お前はよく頑張った、後は俺に任せろ」
「あ......!」
桂木が何か言い掛けたけど見ていられなくなったし、バスドラムの方も終わったらしいからこれ以上時間は掛けられない。
どうせ後は裏のヘッドを調整すればいいわけだし、そんなの5分もかからないで終わらせられる。
きつく締めすぎたボルトを一回りしないくらいまで全て緩め、裏のヘッドの音を調整する。
恐らくこれで大丈夫だろう、今度こそハイタムをセットし、スティックで強く叩いた。すると、真っ直ぐな音が響いた。個人差はあるかもしれないけど、少なくともこれは俺が求めていた音だった。
「桂木、お前がどんな音を出したかったかは知らないけど、これ位はできるようにしとけ」
「うん......」
今度は声を出して頷いたか、まあいいや。
「夏音、部員同士は名前で呼び合うんだからな」
兼斗先輩が割り込むように言い出した。別にどうでもいいとは思うけど、これってやっぱりライブハウス意識してるよな。
「わかりましたよ、兼斗先輩」
わざと嫌味を言うように返したが、兼斗先輩はこれ以上何も言ってこなかった。
「夏音」
背後から呼ばれ、振り返ると桂木が少し申し訳なさそうにしながら言い出した。
「チューニング、ありがとう」
「......」
別に礼を言われるためにやってあげたことではない。ただ時間が勿体なかっただけだ。
「次は一人でできるようにしな」
「わかった......」
桂木の表情が一瞬暗くなったように見えたけど、俺にはどうだって良いことだ。
「お疲れ様、この後飲み会するからな。まあなんだ、今日の良かったとことか悪かったとことか、先輩からアドバイスもらえる機会だから全員参加して欲しい。これから買い出しするからついてこい。あ、あと俺の部屋でするから」
全ての片付けが終わった後、兼斗先輩がこう言った。これで終わりだと思ったんだけど、そうは行かないか。
まあ部会の後自由参加とは言えど、先輩達は飲み会してるしそうなってもおかしくはないか。
それに、兼斗先輩は部長や浩矢先輩と比べたらまだ接しやすいというか、少なくともそこまで悪印象ではない。
......そう感じてた俺を数時間後の俺はどう思うんだろう。できればあまり考えたくない。




