良いこと、結羽歌が考えていること
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11月7日
「辞めた途端、金曜日に私と飲みに行こうなんて、琴実ちゃんも隅に置けないね」
「何言ってるのよ。一足先に自由を手に入れた自分に乾杯するためよ」
琴実ちゃんのバイト先、CasualBar Gothic。琴実ちゃんは今日、出勤日じゃなくてお客さんとして店に訪れている。当の私も授業が五限まであったからバイトは休みだった。
部屋でベースの練習でもしようと思っていたんだけど、戻る前に琴実ちゃんから電話が掛かってきて一緒に飲むことになった。
「無責任なのはわかっているけど、自分を守る為に仕方なくやったことよ。後のことはこれから考えていけばいいのよ」
「い、一応、私は考えているんだけどな......」
「そうなの? だったら全部吐き出してしまいなさいよ」
「そ、それは、もうちょっと飲んでからで......」
無茶なことを考えているかもしれないし、何しろ音琶ちゃんと夏音君はまだ辞めていない。2人がこれからのことをどう考えているかはわからないし、自分から聞き出すのも抵抗があった。
琴実ちゃんが辞めたことで2人はショックを受けているに違いないし、今はそっとしておくのが一番いいかなって思っている。
「吐き出すのは言葉だけにしときなさいよ」
「も、もう......! 言われなくても分かってるよぅ......」
物理的に吐き出すのは、気持ち悪いからもうしたくないかな。
・・・・・・・・・
サークルを辞めることは一般常識ではあまり良く見られないことなのかもしれない。だけど、辞めたことで『良いこと』が待ち受けている場合もある。
これも人生の選択の一つ、サークルを選ぶか、大切な人を選ぶかの二択......、琴実ちゃんにとっての『良いこと』が、私と時間を共にすることなら、それはとても嬉しいことだし、後悔なんかしなくたって、堂々と胸を張って毎日を過ごすことが出来るはず......。
「調子良いのね、あんたの歌声、また一段と綺麗になってるわよ」
「そ、そんなこと、あるのかな......」
「もうずっと聴いてたいくらいよ」
「うぅ~......」
琴実ちゃんの言葉にマスターも頷いているし、他のお客さんからも拍手が飛んでくる。ちょっと恥ずかしいけど、楽しいかな......。
もしかしたら、これが本来送るべき大学生活なのかもしれないかな、変な縛りに囚われないで、自分のやりたいことをありのままに出来る日常こそが、私の求めていた景色......。
「あんたも私も、1人じゃないってことよ。きっとあいつらだってまた、私達の元に泣きついて帰ってくるはずよ」
夏音君はともかく、音琶ちゃんならぐしゃぐしゃの泣き顔で私の胸に飛び込んできそうかな......。その時が来たら、私の考えていることを伝えようかな。まだ実羽歌との約束も果たせてないし......。
「うん。それで、琴実ちゃん、音琶ちゃん達には辞めたこと言ったの? 音琶ちゃんとはバンド組んでたし......」
「夏音には言ったわよ」
「そ、そうなんだ......」
「別に誰に言ったところで今日の部会でわかることじゃない。夏音だったら色々と理解してくれると思ったのよ、あいつ変なところで鋭いし」
「琴実ちゃんは夏音君のこと、信用しているんだね」
「そ、そんなことないわよ! なんであんな何考えているかわかんないキモい奴のこと信用するのよ!」
「琴実ちゃん、そこは素直になろう?」
異性のことになると動揺しちゃうのは昔と変わってないかな。それでも夏音君のことも大事な仲間だって思っているところ、私はちゃんと分かっているんだよ。
「......わかっているわよ。夏音があんな奴と違うってことくらい、わかってるわよ.....」
学祭の事件も、琴実ちゃんは少しずつ克服しようと頑張っている。私達が過ごしたサークルの時間は辛いことが多かったけど、次からは辛くならないようにしていこうって決意まで出来た。
まだまだバンドを組んでいきたい。誰も居ない部屋で1人寂しく練習するくらいなら、誰かと一緒にバンドを組んで、音楽を奏でることの楽しさを分かち合っていきたい。
こんな中途半端な所で終わりたくない。本来戻るべき所に戻ることは出来なくても、もっと別の世界に足を踏み入れればいいんだから......。
大丈夫、今が辛くても、頑張った分だけ『良いこと』が待っているって信じている。焦らなくてもいい、私が送りたかった日常は、そんな遠くないはずだから......。




