経験年数、数が合わない
***
10月13日
授業が2限から始まるからと言って起床時間を遅くしていいとかいう甘い考えは捨てている。一人ならともかく、飯を作ってあげる相手を満足させるために毎日毎日頑張って早起きしようという努力くらいしている。
訂正、毎日は無理だ。忙しい日々には時に休息が必要だしな。
「うるせえ......」
大きな音を鳴らし続ける目覚ましに文句を言いつつも重い身体を起こし、立ち上がったらカーテンを開け、適当にテレビを付けて気を紛らわす。
「......」
昨日の音琶の目を思い出す。俺に言ったこと、その全てが事実ではないのはわかっている。
常識的な問題とかではなく、明らかに音琶が嘘を付いていた、ということが奴の目の動きや言い回しの僅かな変化で見抜けてしまった。
音琶は今まで俺に嘘を付いたりなんてしなかった。なのに、何気ない質問に嘘を付いている。音琶にとってそんなに重大なことではないはずだし、何を隠す必要があるのだろうか。
別に、バイトしていた過去なんて......?
いや待て、音琶は確かギターの経験年数は3年だって言っていたよな。以前部室で茉弓先輩と話している時に言ってたな。
洋美さんと話していた感じだと、まさにギターを始めて間もない時期に入ったってことになるよな? でも経験者はすぐに雇うって聞いたから、結羽歌のようなパターンじゃないと辻褄が合わない。
一度辞めたとも言っていたから年明け前には入っている可能性が高いし、高校生になって間もない頃に同時に新しいことに挑戦しようとしたに違いない。
高校の軽音部に入部してギターを始めたタイミングと、バイトを始めたタイミングがほとんど同じだというのに、俺みたいに簡単に採用してもらえるのか? そんなわけないよな?
音琶にどんな背景があって今に至るのかはわからなくても、俺や洋美さん以外に、また新たな誰かが関わっているのではないだろうか。
その人がどんな人なのかは検討も付かないが、音琶が本来住んでいるはずの場所に居るのかもしれないし、今はもう遠くに住んでいて中々会うことができてないのかもしれない。
何はともあれ、その人は音琶の過去に繋がる人で間違いはないはずだ。遅くても2ヶ月後には直接会って音琶のことを教えてもらえないか交渉したい所だな。
テレビを付けたのに、番組の内容に一切注意を向けず、音琶のことで夢中になっていた、まずいな。
てか音琶起こさないと飯以前の問題に成り兼ねないのだが。
「おい、起きろ」
時間も時間だから無理矢理布団を引きはがし、朝が弱い奴の目を開かせようとする。
薄めの水色の寝間着は大きく捲れ、ノーブラのせいで胸の形がくっきりと見えてしまっている。右手を柔らかな腹の上に置き、大きく口を開けながら寝息を立てる音琶の姿は滑稽だな。
てかこいつ、前より痩せたよな......? ふっくらしていた下腹部の膨らみが小さくなったように見えるのだが。
彼女が痩せたことには喜ぶべきなのかもしれないが、前の方が良かったってのが俺の本音だ。だってあんなにふくよかで、ずっと触れていたいって思っていたんだし。
「起きろっての」
右手で音琶の頬を痛くない程度に軽く叩き、それでも起きないから柔らかい頬を横に拡げたり押し込んだり色々試し、そうしていく間に奴の瞳は目覚めを告げる。
「ん......、もう朝.....,?」
「もう朝だ、このまま寝たら遅刻するぞ」
「んん~」
相変わらず可愛い声出すよな、てか前から思ってたけど音琶の声って世間で言うアニメ声ってやつだよな。
「聞こえなかったのか? 遅刻するだろ」
「聞こえてたよ、早く朝ご飯食べないとね」
「だったら起きろよ。あといつまでも腹出してたら風邪引くぞ」
「はっ......!」
丸出しの腹を隠し、恥ずかしそうに俯きながら慌てる音琶。顔が赤くなっているけど、今まで散々触られたり見られたりしてたんだからどうして今更気にする必要あるんだよ。
「飯食うぞ」
「うん......!」
音琶の様子がおかしい。
俺も音琶に聞きたいことがまだまだ山ほどあるというのに、言葉が出ないくらい胸騒ぎがして、聞いてしまったら今までの音琶との生活が出来なくなるのではないかという感覚に陥っていた。
悪い予感は当たる、そんな気がしていたからいつまでも聞き出せなくて、ただ過ぎていく時間を見送ることに嫌悪感さえ抱いていた。
・・・・・・・・・
「バイトの面接......?」
「ああ、結羽歌はどんなこと聞かれたのか気になってだな」
「えっと......」
昨日結羽歌も居たとは言え、まともに面接に関する話をすることは無かったし、音琶の話していたことが全部本当ではない以上、結羽歌からも何かしらの話を聞いておかないと俺の気が済まなかった。
教室に着くや否や結羽歌と顔を合わせたら最初にバイトの話を持ちかける俺だったが、そこまでして音琶のことが心配なんだよな。
「私、結構色々聞かれたよ......。どうしてここにしたのかとか、長所とか......。バイトなんて初めてだったし、面接は凄い緊張したし、頭の中真っ白になっちゃって、自信なんて全然無かったし......」
「そうだったのかよ、何かすまんな」
「えっ......? 夏音君、どうして謝るの......?」
「あ、いや。何か俺、即採用になってだな、まともな面接時間なんて設けられなくて、簡単な話だけで済ませされたから......」
「それはきっと......、夏音君がライブのことよくわかってるから、オーナーも心配要らないって思ったんじゃない、かな?」
「そんなんでいいのかよ......」
ダメだ、結羽歌に聞いてもこれと言って大きな進展にはならなかった。こいつも音琶の過去なんて知らないはずだし、俺ほど気にしていないのかもしれない。
世界ってのは、こんなに甘いものじゃないはずなんだけどな、俺の今までの努力が報われたってことになるのだろうか。
そんなわけない。俺はまだまだ人として足りない部分が多すぎるし、誰かに素直な気持ちをぶつけられてない時点で成長なんてしていないのだ。
この先起こる未来すら危惧出来てない時点で、俺に救われる未来は与えられていないのだ。




