ライブハウス、雰囲気は大事
湯川がギターをケースから取り出す。
ケースから顔を出したギターはかなり使い込んでいる様に見えた。
見たことないメーカーのやつだ、音琶のギターより確実に高いだろうな。
「これ手に入れるまで凄い苦労したよ、高校生の時学校に内緒でバイトしたの懐かしいなあ」
俺に向かって言ってるみたいだけど正直そんなのどうでもいい、早く弾いてくれ。
「ちょっと、今無視した?」
「......」
いちいち返事しないと駄目なのかよ、めんどくせえ。
「お前の無駄話に付き合ってる暇なんて無えんだよ、いいから早く弾け」
「うわー、怖い怖い」
やっと弾く気になったらしく、湯川は立ち上がり弦に手を掛けた。
こいつピック持たないんだな。
「いくぞ」
そう言って手を上げたときだった。
「お前ら行くんだろ? 車正門にあるから早く乗れ」
部長だった。
お前らということは湯川も今日のライブ行くんだな。
「あ、すみませーん」
湯川が軽い返事をして、ギターを片付けてしまった。
結局こいつのギターを見るのはお預けになってしまい、いずれ見ることになるとは言え、どれほどの腕前なのか気になってはいたから少し残念ではあった。
部室を出て正門に向かったが、ここから正門って結構遠いんだよな。
部長の後を追ってる間、湯川が何かしら話しかけてきたけど、全て一つ返事で済ませた。あんなこと聞かれるまでは。
車に音琶は乗っていなかった。
とても部員がいる所で聞き出せるような話ではないのはわかってるけど、時間が経ちすぎているから我慢するのも限界に達そうとしていた。
運転している部長の助手席に座るのにも抵抗あるし、後ろでは湯川がしつこく話しかけてくるしで会場につくまででかなりの労力を消費した。
・・・・・・・・・
XYLO BOXと呼ばれるライブハウスは大学から7kmほど離れた所に位置していた。
1階建てで外装を見る限り中はかなり広そうだ。
「お前ら中入ったらスタッフに挨拶しろよ、うちのサークル結構お世話になってるからな」
部長にそう言われ、後についていく。
長年音楽に触れている人間からしたら、そんな当たり前のこと言われなくてもわかってるんだけどな。
基本ライブハウスを借りるときは演者問わずスタッフに挨拶をするのがマナーとなっている。部活やサークルで使うのなら尚更だ、勿論一般の人も同じだ。
それにしてもこんな広いライブハウスを借りるなんてかなり金がかかってるだろうな。
こんな所でライブするということはそれなりの演奏をしなければならない、というプレッシャーまで感じられそうだが。
受付で支払いを済ませ、中に入ると既に多くの人が群がっていた。
サークルの部員も勿論いるが、中には明らかに30歳を超えている様な人もいるし、俺と同じくらいの年齢の人もいた。
それ以上に惹かれたのはライブハウスの内装だ、高校時代に借りてたライブハウスよりもずっと広く、そもそも一つの建物を使ってるんだから無理もない。
明らかに照明の数もアンプの数も多い、Marshallのロゴを見るだけでこの前壊したアンプが脳裏を掠め、後ろめたい気分にもさせられたけどな。
うちのサークルでさえそれなりに機材が揃っているのに、それに圧勝している。
ライブハウスだから当たり前と思う奴もいるかもしれないけど、これに関しては次元が違う。
「夏音、何してる。オーナーに挨拶するぞ」
思わず立ち止まってたら部長に促され、再び後をついていく。
その先にはドリンクカウンターがあり、スタッフの女性が立っている。
長い髪を一つに結んでいて、人当たりが良さそうな人だ。見た感じ三十代前半といったところだろうか、実際は知らんけど。
「この人がここのオーナーの洋美さん」
「おはようございます」
「おはようございます!」
俺に続いて湯川も挨拶をする。
時間的にもう夜になるけど、ライブハウスで最初の挨拶をするときは『おはようございます』が基本なのである。
初めて知ったときは驚いたが、今となっては違和感がない。
「このこ達も軽音部の新参? 今年は何人入ったの?」
洋美さんが部長に何やら問いかけていた。
「18人入りましたよ、早々1人辞めましたけどね」
「へえ、今年は何人残るのかしらね。このままどうにかしないとあの人達に抜かれちゃうんじゃない?」
「その話、新入生の前で言わないでくれませんか?」
「いっそのこと方針変えちゃえばいいのに」
物騒な話をしているように感じたけど、あの人達って誰のことなんだろうか、気になったけど部長にとってNGワードらしいから聞けるわけない。
部長と洋美さんの様子からして2人は長い付き合いのようだったが、仲があまり良くないようにも見えた。
話し方からして胡散臭そうな所あるし、部長は苦手意識を持っているのかもしれないな。
「あ、そういえばお前らまだ自己紹介してなかったな。夏音から、名前とパート言いな」
スタッフとの顔合わせで大事なのが挨拶だけでないってことはバンドマンなら頭に入れておかなければならなくて、まず自分の名前を知られてなければ何も始まらない。
もし上手くいけば企画に誘われることだってあるし、ライブハウスは最初が肝心なのだ。
「滝上夏音です、ドラム担当です。これからよろしくお願いします」
必ずしもここをライブで使うとは限らないけど、名乗る上ではこれからお世話になることも視野に入れておかなければならない。
「湯川武流です、ギター担当ですけど、ドラムとベースもできます。よろしくお願いします」
湯川も俺に続く。
てかこいつギターだけじゃないのかよ、部会の自己紹介の時はそんなこと言ってなかった気がするけど。
「へえ、なんか二人とも手慣れてる感じあるね。経験者?」
流石オーナーと言ったところか、話し方や雰囲気で経験者か初心者かわかってしまうんだな。
いかにも初心者って感じの奴はライブハウスのただならぬ空気に圧倒されて緊張してしまうんだろうけど。
「そんなところです」
「それじゃあ来月の新入生ライブ、楽しみにしてるよ」
「あんま期待されても困ります」
新入生ライブは大学の体育館でするみたいだけど、わざわざここから来てくれるってことなんだろうか。
「期待してるよ、頑張ってね」
「......」
まだバンドメンバーが確定しているわけでもないのに、来月の話をされてもどう返したらいいのか困るんだが。
「夏音だけじゃなくて、俺の話も聞いて下さいよ~」
横から湯川が割り込んできて強制的に会話を終わらされ、俺は人混みに紛れて部員が集まっている場所まで向かうことにした。
誰かいないか視線を動かしていると音琶を見つけた。
隣の奴と話しているようだが、表情はいつも通りであの時のことが信じられない位だった。
取り込み中であるにも関わらず話しかけることにした。
「久しぶりだな、音琶」
1週間以上会ってなかったから、自然と久しぶりなんて言葉が出てしまった。
それまで毎日のように会ってたから仕方ない。
「あ、久しぶり!」
俺に気づいて音琶が振り返った。
話し方も何もかもいつもの音琶で、あの時の音琶は俺の勝手な思い過ごしだったんじゃないかと思うくらいだ。
でもあれは紛れもなく現実なのだ、俺の記憶がそう物語ってるんだから間違いない。
「俺より早く来てたんだな」
「まあそんなところ。夏音と湯川が最後だったみたいだから、私は二人の一つ前に部長に送ってもらったよ」
「そうなのか、部長なんか言ってたか?」
「特に何も、ただスタッフに挨拶しろってことくらい......」
そう言うと、また音琶が思い詰めたような表情をした。
今の場面で何故こうなるのか、と言いたいところだけど、他の部員もいるしやめておこう。
「まあお前が何抱えてるのかわからないけどさ、黙っていて辛くなるんだったら誰かに相談しな。それにもうライブ始まんぞ、今は忘れろよ」
「うん、そうだよね......」
気のせいだろうか、音琶の顔が少し赤くなっているように見えた。
次の瞬間、ライブハウス内に響いていたBGMが徐々に小さくなっていき、完全に音が無くなったと同時に照明が消えて辺り一面が真っ暗になった。




