懸念、信じるか信じないか
4月7日
全国でも5本の指に入る、鳴成大学。
敷地面積は200haを誇り、学業だけでなく活動的なサークルも多々ある名門校に入学した俺、滝上夏音だが、サークルに入る気はさらさらない。
学業だけに励み、友人も作らずただ一人でキャンパスライフを送るつもり......、という目標はたった1日で悲しくも打ち砕かれ、それはもう思い描いていたのとは真逆の未来が顔を覗かせていた。
この大学の授業は入学式の翌週から始まる。それまでの間にガイダンスなり健康診断なり、履修登録の説明会があるのだが、大学の時間割はなかなか自由なものである。
木曜日は午前中だけだったり、金曜日は全コマ入っていたり等、今までの学業スタイルとは大きく異なる。
ガイダンスは9時から始まるので、俺は7時に起きて朝食を作っていた。一人暮らしをするには自炊くらいは覚えておいた方がいい、なんて引っ越す前から考えていて現在に至る。
とは言っても今作っているのは卵焼き、コツさえつかめば猿でも作れる簡単なメニューである。
それ以外は予め買っておいたパックご飯と納豆という、いかにも日本の朝の食卓に相応しいものがミニテーブルに並べられていた。
我ながら健康バランスの良さに感心するレベルだ。
一つ気がかりなのは、朝食を食べれる生活がいつまで続くだろうか、ということだ。
大学生になれば一人暮らしを始める学生も多く、最初は規則正しい生活を心掛けるが、時間が経つにつれ授業のギリギリに起床して朝食は抜き、夜遅くまで勉強に追われたり、はたまたゲームやSNSにどっぷり漬かって気づけば日の出の時間になってる、なんてことになり兼ねない。
ゲームでなら俺もそうなる危険性があるから充分に気をつけねば。課金はしてないけどな。
早くも自分の将来を危惧している内に卵焼きは完成し、全ての朝食が並んだところで箸を動かす。
卵焼きを一口入れた所で、昨日のことを思い出した。
「俺じゃないと嫌、か......」
俺という人間が誰かに必要とされることなんて、18年と9ヶ月生きてきて初めてだった。自分の年齢のことを考えてると、あと3ヶ月後には19歳になるという事実が脳裏を掠む。
その数字が多いのか少ないのかは別として、あそこまで執着されたことに対しては内心嬉しかったのかもしれない、だけどあの言葉が本気でなかったらと考えると怖かった。
今まで沢山の人に裏切られた身としてはそう簡単に誰かを信じることはできない。だから冷たくあしらう以外の方法がなかったのだ。
バンドは勿論、ドラムを辞めると決めた以上、ここで自分の意思を曲げるわけにはいかないしな。
朝食を食べ終え、皿を洗い終わったタイミングでインターホンが鳴り、衝動的にモニターを確認せず玄関を開けていた。
「昨日の話、まだ終わってないんだけど」
このアパートに住み始めて数日、俺の住居を知っている奴のことを考えると、大家とこいつしかいない。
なのになぜ容易く開けてしまったのか、この軽はずみの何気ない行動が、後々俺の未来を大きく変えていくことになってしまったのである。
「何の用だ」
「昨日の続き、あれだけじゃ足りないから......」
昨日の話なら俺がバンドの勧誘を断って終わったはずだが。
それにしてもなんかやけに元気ないな、そんなに応えたのだろうか。
「ちょっと強引すぎたかなって思って......。その、ごめん......」
「......」
少し驚いた。まさか謝ってくるなんて思ってもいなかったし、むしろ再交渉とでも言ってまたしつこく寄ってくるものかと。
「......それで? お前はそれを言うためだけにここに来たのか?」
少し強めに聞いてみる。
「いや......」
「わかったよ、お前の言いたいことはわからんけど許してやろう、だから......」
これ以上関わってくるな、そう言おうとした時、
「でもバンドは組んで!」
「あのなあ......」
結局こうなるのかよ......。想定はしてたけどさ。
「昨日の言い方だとわかってもらえなかったってことはわかった、あんなんじゃダメだよね」
「ああそうだな、振り回されてこっちは大迷惑だ」
「うぅ......、じゃあもう一度だけ私の話聞いてくれる?」
注文が多くてうんざりだが、聞いてみるのも悪くないか。わからないままは俺も納得いかないし。
「......わかった、お前の話は聞こう」
「本当!? じゃあ話すね」
さっきの落ち込んだ表情が一気に明るくなった、感情の起伏が激しい奴だ。
「私が夏音とバンド組みたいってのは本気。断ってるのはきっとまだ私のこと信じ切れてないからってのはなんとなくわかる。でも本気だから、信じてほしい」
「それは一ヶ月前のライブが原因なんだな」
「うん、すごいかっこよかった。言葉では言い表せないくらいにかっこよくて、夏音のドラム見て一緒にしたいって思ったんだ、鳴成行くって言ったとき嬉しくて思わずLINE出してたし、それに......」
「それに、何だよ」
「あっ! えっと......」
「それは言えないんだっけか?」
音楽は人の心を動かす、なんて聞くけど本当にそんなことが起こるなんてな。
まさか俺が目の前の少女の心を動かしていたとは露知らず、理由は他にもあるようだが言えないらしい。
「今は言えない、でもいつか必ず言うから」
「......話はこれで終わりか?」
「うん、これで終わり」
こいつに何があったのかはわからないし、バンドと何の関係があるのかも読めない。
いつか必ず言う、その言葉の裏に何があるのか、なぜか俺は気になっていた。
「少し考えさせてくれ」
これしか言えなかった。
人を憎み、好きだったバンドまで辞め、どうしようもなくなったところで俺の前に再び現れた少女、上川音琶。
誰かに必要とされる感触は悪くなかった。いつだってそうだった、勝手に信じて最後には裏切られる、そんなことを繰り返していた。
でもこいつは、今までと何か違う気がする。裏切られるのは怖い、だけどまだ誰かを信じるチャンスは与えられてるってことかもしれない。
正と負の感情が頭の中でぐるぐる廻って、本当の答えは見つからない。こいつを拒絶すれば楽になるかもしれないし、肯定しても最後に裏切られるかもしれない。様々な感情が葛藤してる。
「お前を信じることはできるかもしれない、でもまだ答えが見つかってない、だからもう少し待ってくれ」
するとこいつは安心したのか、微笑みながらこう言った。
「わかったよ、いつでも待ってるね」
「わかったならもう帰れ」
「うん。あと、私のことは『お前』じゃなくて『音琶』って呼んでくれると嬉しいな」
「はあ......」
「それじゃ、またね」
音琶はそう言い残して部屋を後にした。
下の名前で呼ぶ以前に、まともに異性と話した事なんてあっただろうか、と思いながら俺はリビングに戻った。