当惑、バイトどうする
「えっと、これ......」
結羽歌が見せてきた1枚のチラシ、私の元にも届いていたXYLO BOXのバイト勧誘のものだった。
「今朝、来てたんだ。そろそろ、バイトしなきゃだし......」
少し嬉しそうにしながら結羽歌はチラシを見つめている。
まだバイト決めてなかったんだ。
「バイト、ここにするの?」
気になるし聞いてみる、もし結羽歌がここにすると言うなら、充分に考える余地はありそうだ。
でも、一度辞めたバイトをまた始めたとして、先輩達やスタッフはどう思うだろう。
「ここにしようかな、って思ってるよ。ライブのこととか、色々知ること、できそうだし......」
「そうなんだ......」
結羽歌はそういう所がすごく立派だと思う。
何かをするための大きな目標や計画があって、それを叶えようとしている。
私の考えてることとは比べものにならないよ......。
一度辞めたことを理由にしてくよくよしてる自分が情けなくて仕方がない。
別にあの場所が嫌だから辞めたわけじゃない、上手く溶け込めなかった自分自身が嫌だったんだ。
「でも、いざ決めるとなると、緊張しちゃうよね......」
「結羽歌」
「ん、何?」
「実は、このライブハウスでバイトしたことあったんだ」
本当のことを言ってしまった。
すると結羽歌の表情がみるみる明るくなっていき、
「じゃあ音琶ちゃんも一緒にしようよ!」
「えっ?」
今までにないくらいの大きな声で私を誘ってきた。
こんな私のことを誘ってくれるなんて、結羽歌は本当に優しいな......。
「いやでも、一回辞めたバイトだし、2年以上前のことだし......、今更戻ってもな......」
実際私はあの場所に戻りたいのか、戻りたくないのかもはっきりしてない。
でも結羽歌がここまで嬉しそうにしてるんだし、断るのも申し訳ない。
「そんなことないよ、きっとライブハウスの人達も、音琶ちゃん戻ってきたら、喜ぶんじゃ、ないかな......」
説得していく内に自信がなくなったのか、大きな声がみるみる小さくなっていった。
表情もさっきまで明るかったのに、すっかり不安げになってしまっている。
「そうだったら、いいんだけどね」
「音琶ちゃん......」
「私もバイト、色々考えてるから、気が向いたら今度結羽歌に直接言うから。だから、ごめんね」
今の返答じゃ、断っているのかどうなのかもわからないじゃん、何言ってるんだろう私。
「そっか。でも、私いつでも待ってるからね」
少し残念そうな顔をしながらも、微笑みながら結羽歌はそう言った。
いつでも待ってる、か。結局はっきりとした答えを出せないまま誤魔化し、話を適当に切り上げてしまった。
嘘をつかれることは嫌なのに、同じようなことをしてるじゃん。
夏音に強気でいるのはそれだけ叶えたいことがあるからで、本当の自分を押し殺しているだけだ、ボロが出るとこの前みたいに何も見えなくなってしまう。
嘘で自分のことを塗り固めただけの、最低な人間だってことくらい、気づいてる。
でも、自分のためにしていることだと思うと、どうしてもやめられないんだ。
「音琶ちゃん、このあとどうする?」
結羽歌に聞かれ、我に返る。
まただ、これで何回目だろう。
「このあとね、ご飯食べに行こっか」
スマホの時計を見ると、11時半を廻っていた。
そろそろお昼ご飯食べる時間かな。
「うん!」
気のせいだろうか、最近の結羽歌は初めて会ったときよりも明るくなってるように感じた。
バイトのこと言っちゃったけど、このこは私の経歴怪しいと思わなかったのかな?
***
「......」
これで何度目かわからないけど、またやってしまった。
目が覚め、時計を見て絶望する。昨日も同じような光景があったが、同じ日が二回やってきたというわけではない。
二日連続の夜勤を乗り越え、ベッドに転がるとすぐに深い眠りにつき、目覚ましの音すら聞こえなくなって現在に至る。
もう夜勤辞めてしまいたい、まあいくら後悔しても時間は戻ってこないから......(以下略)、俺はキッチンに向かった。
冷蔵庫から適当に食材を取り出し、ふと昨日のことを思い出す。
「成績、ね」
サークルの裏側に触れたり、音琶の様子がおかしくなったり、鈴乃先輩からは音琶の水着姿の写真が送られてきたりで夜勤に集中できなかった。
先輩達や店長に本気で心配されたくらいだし、相当考え込んでることが自分でもわかる。
それに、音琶が何を考えてるのかはわからないけど、悩み事があるってことくらいはわかる。
今までないくらいの深刻な顔をしていた癖に誤魔化せるわけないし。
声かけたのに何も教えてくれないまま逃げるように帰られたし、結羽歌は結羽歌で何考えてるかわかんないし......。
まあ辞めたいとは思ってないだろうけどさ、鈴乃先輩の警告はなかなか凄まじいものだったし、これからサークルでバンド組むんだったら、それなりに上手くやっていかなきゃいけないし。
「どうすりゃいいってんだよ畜生」
愚痴をこぼしながら箸を動かし、完成した昼食を口に運んだ。
今日は誰からもLINEが来てなかった、そこは昨日と違うな。
昼食を食べ終えると昨日できなかった授業の復習をしようとミニテーブルの前に座り、教材を取り出す。
ゴールデンウィーク期間だからといって気を抜いてはいけない、だいたいここは日本有数の大学なんだし、それなりに勉強する必要があるっていうのに、サークルの先輩達はほとんど留年してるなんて、何を考えてるんだろう。
物理の公式だとか化学の元素や記号なんて、何回も復習すれば自然と身につくというのに。
ここに入学できたってことはそれなりに頭がいいはずだよな、だとしたらサークルに縛られて勉強してないとしか言えない、なんて愚かなことなのか。
なんて思ってる俺だけど、結局昨日の音琶のことが気になって勉強に集中できていない、本当に何やってるんだろう。
一旦シャーペンをテーブルの上に置き、スマホを手に取りLINEを起動させる。
一番上に昨日の鈴乃先輩とのトークがあり、開けば例の写真が真っ先に映し出されることになるけど気にしないでおく。
ちょうどその下にある音琶とのトークを開き、手が止まる。
何から話せばいいのか、そもそも何を聞けばいいのかがわからない、どうしよう。
仮に昨日のことを聞いたとして音琶は何て言うだろう、何かを隠してるあいつのことだから適当に誤魔化して話題を逸らしてきそうだ。
でもそれだと勉強に身が入らないし......。
むしゃくしゃして落ち着かない、もうこの際一か八か部室に行って、音琶がいたら直接聞き出そう。
そうと決めると俺は教科書とノートを閉じ、外に出る準備をした。
一応ドラムスティック持って行こ。
・・・・・・・・・
わかってはいたけどそこに音琶はいなかった。
その代わりに浩矢先輩と、ベースを弾いているポニーテールの少女がいた。
ベース弾いてる奴、名前なんだっけ、最初の部会で自己紹介してたから同学年なのは確かだ。
「あれ、あんたあの女とよく一緒にいる奴じゃない、あの子達なら2時間くらい前に出てったわよ」
一番最初に交わす言葉がそれかよ、このサークルの女は本当に変なのしか居ないな。
だが音琶がさっきまでここにいたという有力な情報が得られたので、目的を果たすために部室を出ることにした。
多分電話すればすぐ出てくれるだろうし。
「そりゃどうも、それじゃ俺はここで」
音琶以上に面倒くさそうな奴だし思わず拒絶反応も出ていた。
すると今度は浩矢先輩に止められる。
「待て、こいつの話聞いてやれ」
腹は立つが鈴乃先輩の話を思いだし、仕方なく従うことにする。
「何ですか」
「私は高島琴実、あんたに言わなきゃいけないことがあるのよ」
もう何が何だか、少なくとも2時間前には音琶はここにいたらしいし、その間に何かがあったのは確実なんだろうけどさ。
てかこいつ2時間以上もここで練習してるのか、よく飽きないな。
「同じ初心者同士として、池田結羽歌さんと新入生ライブの時、ベースで勝負します。あなた池田さんと付き合ってるんでしょう? だから言っておこうと思って」
バカかこいつ、俺は誰とも付き合ってねえよ。
勝負するのは勝手だけど無関係な俺まで巻き込まないでくれ、あと誤解するな、確かによく一緒にいるのは認めるけどそれとはまた違う。
年頃の馬鹿共は仲の良い男女=付き合っている、と勝手に決めつけるから面倒なんだよ。
「あら、どうしたのかしら。黙ったままでいても何も伝わらないんだけど?」
ぐいぐい来るなこの女、音琶とはまた違ったタイプの面倒さにうんざりする。
何か返してほしいみたいだから''何か''言うことにするか。
「お前の言いたいことはそれだけか? それと俺は結羽歌と付き合ってない」
「へえ、ますます怪しい。まあいいわ、どっちみち私は勝つんだし」
「随分と自信があるんだな」
「そうよ、浩矢先輩だって、勝つのは私だって言ってるんだし」
「はあ!?」
何を言ってるのか、さっき初心者って言ってたけど、あの浩矢先輩がそんなことを言ったのか?
にわかには信じられないんだが。
「夏音、信じられないようだが琴実は初心者の中でも飛び抜けてできてるからな、このままだと結羽歌に勝ち目はない」
別にこの人は結羽歌を侮辱しているわけではないが、やっぱり上手くできていない人は眼中に無いらしい。
ここまで言うのなら、高島琴実という女はそれなりに弾けてるんだろう。
それならこの目で確かめるしかない。
「そうですか、じゃあ見せて下さいよ。その自信に満ち溢れたベース」
俺は高島に視線を移しながら言う。
「いいわ、見せてあげる」
あっさり承諾し、彼女は徐に立ち上がりベースを弾き始めた。




