温もり、少女の手の中
音琶にとっても俺にとっても貴重な時間はどんどん過ぎていく。
来年も再来年も、今年出来なかったことをしていきたいと思っているが、一旦終わることを受け止めながら今日という日を過ごしていかないといけない。
終わりは終わりだし、また新しい日々が始まるのなら、今というこの瞬間を目に焼き付け、二度と忘れないようにしなくてはいけない。
「ね!ここのラーメン食べて良いよね?ね!」
「......」
音琶が立ち止まった先は、噂にも聞く脂と野菜に埋もれたラーメンの店だった。このモール、いくら大都市の大きな店だからといって、身体に負担がかかるものまで揃えてやがる......。
「ここはダメだって、前言わなかったか?」
「む、夏音は夏休み最後の日をこんな形で終わらせちゃいたいのかな?」
「デブの隣を歩こうとは思わない」
「だから!私太ってないってば!」
腹を押さえながら音琶が強がる。それと同時に大きな音が音琶の腹から聞こえてくる。全く、どこまで食欲旺盛なのだか、そしてこいつはどこまで可愛いのか。
「ほら!私のお腹もここのラーメン食べたいって鳴いてるんだよ!このままだと可哀相だよ!」
「お前が食いたいだけだろ」
「そうだけど!私と一心同体なんだから、早く入らないとダメなんだよ!」
この場合、一身同体と言う方が正しいと思うが、そんな言葉存在しないから仕方なく折れることにした。これ以上反対してもうるさいだけだし、可愛い彼女を笑顔に出来るなら、少しくらい許してやってもいいと思う。
「わかったよ、好きにしろよ」
「やったー!!!」
両手を拡げながら音琶は喜びを露わにしていた。俺が見たかった音琶の笑顔が今目の前に映っているだけで、俺の心も満たされていた。
全く、仕方ねえな。そこまで言うなら、お前の食いたいもの好きなだけ食わせてやるよ。
にしても、このラーメンのレシピくらいは食いながら考えておきたいところだ。
・・・・・・・・・
「腹きついな......」
何とか食べ終え、脂に塗れた口の中を洗浄すべく水を何杯も飲み干す。にしてもこんなの食い切れる音琶もなかなかの胃袋だな。俺も食えたけど、音琶が頼んだ奴よりも少ない量だったし......。
だとしてもカロリー高すぎるだろ、これよりも多い量なんて俺には無理だからな。
「ぷは~っ!ごちそうさま!」
スープまで飲み干した音琶は満足そうに丼を平らげ、至福の表情を浮かべていた。
「水飲めよ」
「うん!美味しかった!」
「全く、何をどうしたらここまで食えるのか」
「そんなの、気合いがあるから食べれるんだよ!」
「......」
気合いと根性が何とやら、って話を聞いたことがある。だが、これはあくまで巨大なラーメンを完食完飲するためであって、野球に大事なものとはわけが違う。
「何だかんだ夏音だって完食してるじゃん!スープは全部飲まなくても怒られないから、限界だったらこれで終わりにしてもいいんだよ?」
「申し訳ないが、これ以上食える気がしねえ」
「そしたら、お会計済ませて次のとこ行くよ!」
まだ行くのかよ、と思ったが、昼飯を食うだけで終わるなんて思ってもいないから、これも想定内。だが次はどこに行かされるのだろうか。俺も俺で行くべき場所があるというのに。出来れば音琶に気づかれないうちに買っておきたいモノがあるのだが。
脂に浸食された胃袋を何とか調整して歩き出し、音琶の後を付いていく。
「見て欲しいもの、沢山あるんだ!」
フリスクを噛みながら音琶は笑顔でそう言う。見て欲しいもの、ね。音琶が俺に見て欲しいものなら、何だって見てやりたい。
今日くらいは、音琶の全てを見てしまってもいいって思っているからな。
「まずはね......」
今度は音琶から俺の手を取り、前に進むように促してくる。その前に......、
「音琶、そのフリスク俺にもくれ」
「えっ?うん」
「済まんな、まさかここに来るとは思ってもなかったから」
「ううん、いいんだよ。身体の管理は大切にしないとね」
音琶が抱えたポーチから取り出された清涼食品が一粒、俺の掌の上に落とされる。
口の中に入れ、固い塊を噛み砕くと爽やかな感触が広がっていき、身体の一部だけが低体温になっていった。
口の中は冷たくても、取られた手はどこまでも暖かかった。この温もりが、どこまでも続けばいいと、ずっと思っていた。




