当たり前、救いたいこと
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9月15日
部内でのライブ本番まであと5日。それぞれの準備は出来ている所だろう。
中には複雑な人間関係によって思い通りに行かない日々を送っている奴もいるかもしれない。
そんな過酷な状況の中、前の練習よりも遥かに良い音を奏でている少女の姿があった。
「まったくもう~。最初からこれくらい出来てれば良かったんだよ~?」
「......」
「どしたの?褒められてるのにあんまり嬉しくないのかな~?」
「別に、そういうわけではないです」
「そっか~、自分の中ではまだまだなのかもしれないね~」
確かに短時間で一つの曲を完成させてしまう音琶の技術は高い。だが、それはあくまで自分の本当にやりたかった音楽ではない。
誰かにやらされて、それを言われた通りにこなすだけの練習。相手だって悪いかもしれないが、結局バンドってものはメンバー全員の一致が無いと成り立たない。
音琶には申し訳ないが、この音楽だと鈴乃先輩が居た頃の方が良かったと思っているくらいだ。別に音琶が悪いわけではないし、否定するつもりもない。
「そしたら、2サビからラストまでが課題だから、一気に行っちゃうよ~!」
「はい...」
「......」
このバンドの練習風景をまともに見るのは2回目だが、鈴乃先輩がいた頃のも見ておいた方が良かったと俺は深く後悔した。
鈴乃先輩から聞いた話だと、結成当初はまだ茉弓先輩との仲は拗れてなかったとのことだった。なら、やっている曲は少なくとも二人の間で決まったのだろう。その後メンバーを集めて正式にバンドとなって、サークルだけでなくライブハウスが企画したライブにまで呼ばれて...、
普通、企画に呼ばれるバンドはそれなりの技術があるから呼ばれるのだろう。だが、俺が初めて見た時は技術なんて感じてなかった。
つまりその時には、このバンドはもう終わっていたってことなんだよな。
きっと他の二人は薄々気づいているのだろう。もっと違う曲をやりたいってことを。
だが、今までのライブ経験や勝手な思い出に浸っていて、なかなか辞められないのだ。
だって、このバンドは、茉弓先輩以外、誰一人、楽しそうにやっていないんだからな。
・・・・・・・・・
音琶の表情は無だった。
俺と話している時と比にならないほどの無の感情が黙ってても伝わってきて、機材を片付けている音琶を見るだけで心配になってしまう。だが、メンバーでもない奴が割り込んできたら何かを言われるのは明確だから、見ることしか出来ない。
帰ったら目一杯可愛がってやろう。また好きな飯作ってあげて、YouTubeでも開いて好きなバンドのPVとか見て、少しでも落ち着かせてやろう。
片付けが終わるまで、ソファに座りながらスマホを眺めていると、茉弓先輩が近づいてきているのがわかった。
画面を見ていても周りの会話がはっきり聞こえていたり、誰が何をしているのかが雰囲気でわかってしまう当たり、俺も過去に引きずられたままなのだと感じてしまった。
まあ今は休み時間は誰かと居ることの方が多い、机に突っ伏していた時と比べたらな。大学の休み時間なんて高校以前の時よりも遥かに長いけども。
「ね~え、夏音~。ちょっといい~?」
猫撫で声で俺に話しかけ、その表情は笑顔だった。まるで不吉な、人を騙し続けている悪女の如き笑顔でだ。
「今スマホに忙しいんで無理です」
「そんなのお家に帰ってからでも出来ることでしょ~?」
「限定イベントなので俺が部屋に戻る頃には終わってるんですよ」
「あと何分?」
「13分後には別のイベント始まってしまうんですよ」
「へえ~。ゲーマーは大変だね~」
「ソシャゲは4個入れてるんで。だから茉弓先輩と中身の無い話する時間なんてないです」
敢えて目を合わせず、画面上に流れる文字の方に集中しながら俺は答える。
俺の言葉に茉弓先輩はどう思ったか。どうせまたしょうもないことを企んでいるのだろう。結羽歌、音琶の順に部員事情を突き止め、俺にターンが廻ってきたってわけか。
「安心してよ~、夏音には中身が溢れるくらい詰まりに詰まった話が用意されてるんだからさ~」
「俺にとっては中身がないんですよ。時間が勿体ないし、音琶も待ってるんで帰りますね。今日はお疲れ様でした」
「イベントの方はいいの?」
「もう最後の報酬手に入れたのでいいです。ギリギリでしたけど出来たのは茉弓先輩が応援してくれたおかげです、本当にありがとうございました」
最後まで俺は素っ気なく、1秒たりとも茉弓先輩を視界に入れずに話していた。これくらいの言い訳や誘いを断る言分なんて朝飯前だし、相手が女だろうがそんなの関係無い。
俺にとっての都合を邪魔されるくらいなら、手段を選ばずにどんな言葉でもぶつけてやるって俺は決めている。
それに茉弓先輩が俺に何を持ちかけようとしていたかなんて聞かなくても分かる。だったら、それを聞き出さないようにどうにかしなくてはいけない。
「応援しているよ、君達がこのサークルに馴染んでくれることをね」
「何言ってるんですか、俺も音琶も、とっくの昔に馴染んでますよ」
「へえ...」
最後の返事だけ、声が低かった。だが、そんなことも気にしてない素振りで俺は外に出て、音琶も続く。その間茉弓先輩がどんな顔していた確認はしなかったが、声のトーンで俺には分かっていた。
「夏音...」
「どうしたんだよ」
「いつも、ありがとね」
茉弓先輩と会った直後の音琶はいつもこうだ。どこまでも不安定なのは出逢った頃から何も変わってないな。だから守らなくてはいけない使命を感じてしまう。
「別に、大したことはしてねえよ」
「側に居てくれたじゃん」
「当たり前のことだろ」
「見守ってもくれた」
「それも当たり前のことだ」
「......」
それから音琶は黙ったまま俺の腕にしがみついてきて、離れようとしなかった。もうこれ、俺が見てなかったら、こいつは壊れていたのかもしれない。
どこまでも脆くて、強がっているだけの弱い少女。そんな少女を守り抜くのは、この世界で俺ただ一人だけだ。
誰かが決めた事ではなくても、俺自身が決めたことならその法則はねじ曲げてはいけない。
「俺はお前を救わなきゃいけないからな」
救ってくれた少女を救いたい。だが、今の言葉に、音琶は返事をしなかった。
俺はまだまだ未熟だった。
この時、それから暫く、俺が音琶を救っていたことに何一つ気づけていなかったのだから...。




