情動、塞き止められないモノ
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まだ始まったばかりだと言うのに、身体中に汗が吹き出して止まらない。Tシャツの生地が湿っているのが感じられてあまり良い気分にはなれないが、これは俺だけでなくここにいる奴ら全員が感じていることだ。いや、ライブで上がりすぎて自分の身体のことを考える暇なんてないよな。きっとこんなこと気にしてるのは俺だけだろう。
にしても、さっきから俺が昔から練習してた曲ばっかりしてんじゃねえかよ...。3曲続けて一通り全ての譜面を捌ける曲やりやがって...、昔の事思い出しちまったよ...。
12年前、何気なく見ていたこいつらの演奏が今この瞬間まで繋がってるなんて、誰が想像できたって話だ。あの頃から自分の生き方に違和感を覚えていて、周りと異なる価値観を持っていたことに気づいていた。
『何が正しくて、何が間違いなのか』
『自分の考えが他の人と違ったらダメなのか』
『自分なんて、生きていて意味があるのか』
この段階で疑問を抱いていたのは俺が優秀だったからだろう。もし遅かったらもう後戻りできないところまで言っていたかもしれない。
音楽だって、小学校の授業以外で関わったことなんてなかったくらいだし、当時七歳ながら無知だったものに興味を持つなんて、って話だが、こんなこともあるもんだと今になって思う。
バンドの中で一番後ろについて他のメンバーを支える役割を果たしている彼の姿が、目に焼き付いて離れなかったのだ。
Land of Mystery、通称LoM。Vo.&Gt.YUU Gt.SHIN Ba.KOU Dr.AKIの4人組で、顔出しはしているが、どこの出身だったのかというのはおろか、具体的なプロフィールは生年月日以外公開されておらず、その名に相応しいくらいに謎に包まれたバンドだったりする。流石にデビューから長い年月が経っているから大体の考察はされているのだが、核心までは至ってないのが現状である。
まああれだろ、あまり公表したくない事情だとか、敢えて謎に包まれたバンドにすることで注目を浴びたかったとかだろう。ネトウヨ共は掲示板やブログで色々説を出しているのだが、これだけ時間経っても何の情報出さない当たり、事務所の方も言わない方針なのだろうな。
と言っても、俺はそこに惹かれたのではない。彼らの演奏ただ一つに惹かれた以外の何物もなかった。軽快に飛びはね、メンバー同士顔を合わせて力強い音を出し合うその姿。何の迷いも無い音楽に対する真っ直ぐな姿勢。そしてリズムを引っ張り、全ての音を繋げていくドラム音。
あの時の俺はどんな表情をしていただろうか、そんなの今の俺には分からない。分かりたくもない。そんな過去のことなんて...。あの時の俺はとっくの昔に死んだと思っていたから...。
「笑えてくるな...」
口ではそう言ったが、全く笑えなかった。だが、俺は今、柵から何とか身を乗り出そうとしながら、奴らを見ていた。瞬きすら許されないし、目を逸らすなんて以ての外。
いつの間にか12年前と同じ気持ちになっていたのだ。
そして、俺は叫んでいた。もう、これまでにないくらいに、だ。周りの声に負けじと、音琶に負けじと、自分の出せる力を最大限にして、叫び続けていた。
音楽を楽しむこと。
それは何か?
昔感じたことを思い返し、少しでも見つけられたらいいとは思っていた。
自分が生まれた意味とか、見失いかけて、路頭に彷徨う子供のように呆然となっていたのはいつの話だったか。それを救い出したのは何だったのか。
今この瞬間、何が俺をそうさせたのかなんてどうでもよくなっていた。
この感情が何なのかもわからない。だがこれもまた、初めて心に植え付けられた『何か』ではあった。
そうか、俺は12年前以上の『感動』というものを憶えているのだろう。
・・・・・・・・・
「な、夏音!?」
最初のMCに入り、メンバーそれぞれが今日というライブへの意気込みや過去の思い出話をしている。それなのに、俺は...、
「.........っ!!」
どうしてなのだろう、何が悲しくて、何が辛くて、涙を流し続けているのだろう。止めようとしても、止まる気配は全くない。止めようとすればするほど、故障したダムのように流れ続けて止まらない。
涙なんて、とっくの昔に枯れて、もう二度と流れないものだと思っていたのにな。まだ俺の中に残っていたってことなのか、しかもこんなに大量に。
「ねえ夏音...、具合悪いの!?大丈夫!?」
音琶が本気で心配していた。そうだよな、今までこいつにこんな情けない姿見せたこと無かったもんな。別に格好付けてたわけじゃないし、ださいことだとは思ってない。
「...ああ、具合悪いわけじゃ、ねえよ...」
「そしたらどうして...」
「少し、昔の事、思い出してた、だけだ...」
「......」
俺も音琶もMCの内容を気にしている余裕なんてなく、ただ俺は音琶に話を聞いてもらうことを求めるだけだった。音琶は背中に手を置いてくれて、奴の暖かさが全身に伝わった。
「もう、ほんとに仕方のないこなんだから。まだライブは終わってないんだよ」
そして音琶の手は、俺の頭の上に移動する。いつもなら、俺がやってることなのに、今は立場が逆転している。
「わかってる...」
「だったらさ、最後まで楽しもうよ。私だって、楽しくて泣いちゃいそうなんだもん」
「......」
「終わったら、一緒に泣けたらいいね。だから、今は我慢しよ?」
優しさに満ち溢れた表情で、音琶は声を掠れさせながら言う。音琶もまた、目元に涙を浮かべていて、それでも溢れさせまいと寸前で止めていた。
無理すんなよ、それだと俺だけ格好付かないじゃねえかよ...。俺を一人にするんじゃねえよ...。
「仕方、ねえな...」
声にならない声で、俺はいつも通りの言葉を音琶に投げかけた。




