再会、少女は何者
4月5日
この日から晴れて大学生となるわけだが、特に何がしたいというわけでもない。
それでも進学を選んだのは、高校時代の成績を顧みると高卒で就職するには勿体ないくらいだったし、周りにも反対されてそれなりに偏差値の高い大学に入れるという優越感に浸りたかったのが原因である。
我ながら呆れるが、これも自分を売り込むのに大事なポイントだ。
しかし、今まで入学式というものを何度か体験しているが、正直退屈だ。
体育館のなんともいえない空気は苦手だし、学長やその他諸々の話は頭に入らないしで眠い、今すぐにでもアパートに戻って仮眠をとりたい。
意識が遠くなる。思考はもう夢の中だろうか、誰かが俺を見ている。見ている? 嘲笑っているの間違いだろうが。
親しい人間も、友人も、何一つ得たことのない俺だ。その誰かだって、俺を陥れようとするのに必死なんだろ? だったら、勝手にすればいいだろうが。
これは夢なのか現実なのか、そんなことを考えている内に入学式は終わろうとしていた。
くだらないことのせいで起立のタイミングが遅れてしまい、後ろの奴に小さく笑われた。
体育館を出て、アパートに帰ろうとしたときに声をかけられた。
「お前さっき寝てただろ、見てたぞ」
振り返ると髪を明るい茶色に染めた俺と同じ新入生が立っていた。
「そうかもな」
敢えて素っ気ない返事をし、その場を立ち去ろうとした。多分こいつは後ろに座ってた奴だろう。
入学式が終わったばかりで疲れているし、人通りの多い時間帯は誰とも話したくないのだ、特に奴に見つかったら元も子もない。
「待てよ」
「?」
「お前名前なんて言うの?」
めんどくせぇ......、どうせこいつもあいつらと同じ人種なんだろ。
「滝上夏音、俺の名前」
「そっか、俺は日高奏、よろしく」
「はあ」
ある程度は構ってあげたはずだからもういいだろ、解放してくれこの陽キャ野郎。
「このあと16時からサークル紹介やるみたいだけど良かったら一緒に行かないか?」
まだ行くか日高奏......、お前は人の表情とか少しは気にしたらどうだ。
「すまんな、俺はこれから寝るんだよ、俺以外に絡む奴なんてたくさん居るだろ、そいつらと行きな」
「お前以外まだ誰とも話してないんで頼む!」
正直断りたかったが、これ以上拒絶するのもなんか申し訳ない、サークルに入る気はさらさらないけどついてくぐらいなら問題ないか。
「わかったよ」
俺はそれだけ言って部屋に戻った。
久しぶりに誰かとまともな会話をしたかもしれない。そう思いながら部屋の玄関を開け、中に入った。
スーツから私服に着替え、ベッドで横になろうとしたその時、スマホが振動した。
「あいつか......」
差出人を見て俺はうんざりした。
・・・・・・・・・
15時47分、サークル紹介が行われている部室棟に向かうために日高と待ち合わせの場所に向かう。
体育館の玄関前に行くと日高はもうすでに着いていた。
「待たせたな」
「ああ」
軽く言葉を交わし、部室棟へと足を運ぶ。
「日高はどこのサークル入るんだよ」
とりあえずそれっぽいことを言ってみる。確かにこいつは俺の苦手なタイプではあるけど人を見た目で判断してはいけない、当たり前のことだけどな。
「高校まで体育系だったから大学からは文化系に入ろうと思っててさ、例えば軽音部とか」
「......」
まさかこいつから軽音部なんて言葉が出てくるとは思わなかったから少し驚いた。
「なんかギターとか弾いてみたいんだよね、今までやってこなかったことやってみたいって言うかさ」
「まあ、一応俺もドラムやってたけど」
「マジで!?」
「あ......」
話を合わせるのに必死で思わず言ってしまった。軽音部だったことは隠すつもりだったんだけどな。
「じゃさ、見学行くか」
まあいい、このまま見学だけして入部断れば問題ないし。
部室は体育館から150mほど離れた所にあり、軽音部だけで一階建ての建物を所有している形となっていた。
窓から見る限り室内は広く、様々なスピーカーやドラムセット、マイクスタンド等がちらりと見える。
お世辞抜きで高校の時と比べものにならないクオリティだ。これは絶対部費高いやつだし断る理由がまた一つ増えたな、喜ばしいことだ。
「お邪魔しまーす」
先に日高が部室に入り、俺も後ろに続く。
中で4人組のバンドが練習をしていたが、俺と日高の存在に気づき、演奏を止める。
そこで俺は気づいた、既に先客がいることに。
「やっと見つけた!」
絨毯の掛けられた床に体育座りしていた少女は、俺の姿を見た瞬間立ち上がり、近づいてくる。
「なんで連絡返さないの!? ずっと待ってたんだから!」
相変わらずやかましい奴である。顔を合わせるのは今回が2回目だが。
「黙ってないでなんか言ってよ!」
日高を含めた部室内の人間の視線が俺に釘付けになっていたが、こいつは気にしない。そのメンタル、俺にも少し分けてくれないか?
とは思ったものの、流石に我慢できなくなったので言い返す。
「......言っとくけどお前とバンド組む気はねえからな」
それだけ言って部室を後にした。
こんなやりとりをしてしまってはもうこの部室に行けるわけがない。入学初日から変人のお友達扱いされる訳には行かないのでこうするしかないのだ。
それ以前にあの女とは関わり合いになりたくない。日高には後で事情を説明して、今後一切関わってこないように説得しよう。
・・・・・・・・・
話は一ヶ月前に遡る。
高校卒業式の2日前、俺が所属していた軽音部は近所のライブハウスで卒業ライブを行った。とっくに引退した後の話だったが顧問が卒業祝いに、ということでライブハウスの予約を取っていたらしい。
そのライブで俺はあいつと出会った。各バンドの演奏順から俺の出番は最後から2番目、あいつがいつからいたかはわからない。
だが俺のバンドを見ていたのは確実で、途中から一番前の真ん中で演奏に釘付けになっている姿が捉えられた。
演奏中でもはっきりわかるくらいの美少女で、長い黒髪をツインテールに結んでいた。
きっとあんな奴のことをクラスの馬鹿共は落とそうとするのだろう、と少し皮肉めいたことを思ったが、演奏に集中しないといけなかったからこの時点では気にする余裕はなかった。第一俺には関係ないことだしな。
だが、事態は演奏終了後に急変する。何とあの少女が俺に声を掛けてきたのだ。
「さっきのドラム凄かったね! 大学はどこ行くの?」
突然のことに戸惑ったが俺は答えた。
「鳴成だけど」
「鳴成!? 私もだよ! これで一緒にバンド組めるね!」
「はあ?」
「取りあえずさ、LINE交換しよ!」
「はあ......」
意味がわからなかった。なぜ見ず知らずの人間にバンドだのLINEだの......。
目の前の少女に言われるがままスマホを取り出してLINEを交換したわけだが、それまではどこのクラスのやつかもわからない。同じ高校という保証もない。
ほとんど初対面なのにここまでできる人間なんて、いくらコミュ力が高くても居ないだろう。
「大学行ったら私とバンド組んでくれるよね? 絶対だよ! 約束だからね!」
「ちょっと......」
こっちの発言権も行使されないまま奴は行ってしまった。まだトリのバンド残ってるんですけど。
「なんだアレ」
ただでさえ少ないLINEの連絡先に『上川音琶』という文字が新しく刻まれていた。
・・・・・・・・・
さっきの奴とはこう言った経緯で知り合ったのだが、俺には理解ができなかった。一ヶ月前の摩訶不思議な出来事を思い出し、家路に向かう。
俺のアパートは大学から歩いて10分もかからない場所に位置している。
広さは1Kで部屋に入るとまず左側にキッチンがあり、右側は浴室でトイレとセットになっている。仕切りの扉を開けると左側にはベッド、右側にはテレビと本棚がある。窓は西側を向いているから夕陽がよく見えるのが特徴だ。
比較的日当たりがいいから寒さにはあまり影響がなさそうだが、今俺は寒さとは別の大きな問題に直面していた。
「なんでお前がここにいる」
気配を感じ、後ろを見るとそこには上川音琶の姿があった。
「ずっとつけてて、鍵開けるタイミング見計らって入ったよ」
「入ったよじゃねえ、何勝手に人の家に上がり込んでるんだって聞いてんだ」
不法侵入で訴えてやろうか? そこまでしてバンド組みたいのかよこの女、執念深い。
「そんなことよりなんでLINE返さないの? ずっと待ってたのに」
「バンドの話だがな、俺はもうドラムは辞めたんだよ、お前とはバンドは組まない」
「何で? あんなに凄かったのに、私夏音とバンド組みたいからギター新しく買ってずっと練習してたんだよ」
異性なのはともかく、まだ会って2回目の人間をいきなり下の名前で呼ぶ奴を俺は見たことがない。
それにしてもこいつは俺のドラムのどこに惹かれたのだろうか、ギターを買うまでとはどう考えても尋常じゃない、こいつには何かあるのとしか思えない。
「それじゃあ一つ聞くけど、なんで俺と組みたいんだよ、ドラムなら軽音部に入ればたくさん居るはずだろ。それに俺はお前とこうやってまともに話すのはまだ2回目な訳だ。友人でもあるまいしなんでここまで執着する」
「それは言えないけど......、とにかく夏音じゃないと嫌なの! それだけはわかって!」
「わからんな、さっきも言ったけど俺はドラムを辞めた、それにお前がバンド組みたい理由がわかんないまま組むなんてできないしな」
この女の考えてることはよくわからない、これ以上付纏わられても迷惑なので、ここで突き放すのが良さそうだ。
「お前がバンドやりたきゃやればいいさ、ただしその時は俺以外の奴とやりな、ほら帰った帰った」
「え、ちょっと!? 待って!」
「勝手に人の家に入ってはいけませんって教わらなかったのかよお前は」
無理矢理奴の身体を玄関まで押し込み、突き倒すような体勢となったがなんとか外に出すことができた。
これで諦めてくれれば楽になるだろう。リビングに戻り、余計に疲れた体を癒やすためそのままベッドにダイブした。
......今まで出逢った人間の中でここまで俺を必要とする奴なんていなかったから、本音を言えば少し新鮮だった。
悪いことしたかもな、と考えたりしたが、これから先のことを思うと正しい判断だったのかもしれない。今の俺はまだそれに気づけていなかった。
それにしてもあいつ、胸大きかったな。