考察、音琶について
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昨日振りの会場に着き、辺りを見回す。相変わらずの人の数、延々と並ぶ屋台、遠くから見える巨大なステージ。それが見れるのも今日が最後だ。それに、隣に居る奴のことを今までのように感じられるのも今日が最後なのだ。
今日までの俺は、音琶のことを何も知らない俺だ。今日が終われば音琶のことを知っている俺になる。そんなことも知らずに俺は会場の奥の方へと進んでいった。
「暑い~~!」
「みんな同じだ、我慢しろ」
「だってー、あそこの温度計見てよ~。昨日より暑いんだよ~!」
隣を歩く音琶は会場内に設置されている温度計のモニターを指さした。そこには32.4℃と赤いデジタル文字で表示されていた。確かに暑いのは分かるが、ここまで大声で愚痴ってるのはお前くらいだぞ。
「愚痴ったところで気温は下がらねえぞ、ジュース買えよ」
「うん、買う~」
熱で溶けそうな顔をしている音琶だが、食べ物飲み物の話題になると表情が明るくなるのはいつも通りだった。適当に見つけた屋台の列に並び、水分の補給を求めることにした。
一列で並ばないといけないから音琶を前に立たせ、俺は後ろに廻った。どうせ音琶のことだから俺が先に並んだら不服に思うだろうし、何しろ少しでも早く喉を潤したいだろう。だったらこの配置が最適だと思っていたのだが...。
「......」
この暑さだ、俺だって全身の至る所から汗が噴き出ている。いくら薄着でも暑いという感情は変わらない。別に多汗症というわけではないが、音琶も俺と同じ状態であることはわかっていた。
音琶の着ている白のTシャツだが、既に汗で大部分が滲んでいた。そのせいで中の下着が透けていて、今更ながら後ろに並んだことを後悔した。いや、後悔と言うには語弊があるな、別に見たくないというわけではないし、仮に立ち位置を交換したところで音琶の後ろに立つのは見ず知らずの誰かだ。そいつが下心満載の男だったとしたら、俺は絶対にそいつを許さないし、最悪警察沙汰になる可能性だってある。
...指摘しようにもこんな人の沢山居る所で下着の話にするのには抵抗あるし、音琶には申し訳ないが黙っておくとしよう。他のことを考えて気を紛らわしとくか。
・・・・・・・・・
上川音琶とは何なのか。初めて出会ったときからずっと疑問に思っていた。奴の正体を知る前に、というかこの時の俺はこんなことになるとは思っていなかったから正体を知る以前の問題かもしれないが、今この時点で音琶についてわかっている事を考えてみようと思う。まだ並んでいる最中だし。
・最初の出会い、何故音琶はあの場所に居たのか
全ての始まり、俺の再スタートの原因だが、実はこれについては俺なりに考えたいくつかの仮説があったりする。
一つ、俺と音琶は実は同じ高校で、クラスは違えどどこかで擦れ違っていた。そして卒業ライブでは別の奴を目当てで見に行ったが、そこで演奏する俺の姿を見てしまった。
だが、この説は間違いであることが確定している。そもそも音琶は経験者だし、軽音部に入ってない方が不思議だ。それに、ライブの途中で帰ったのも不自然だ。俺が目当てで見に行ったわけではないのは確実だし、トリのバンドが目当てではなかったとしても同じクラスだった奴が居たとしたらそいつらと喋っていてもおかしくない。恐らくだが、音琶は俺以外の奴とは話していないのだ。
二つ、高校は違うが緑宴市のどこかに通っていた。田舎町だった緑宴市だが、高校の数は決して少ないわけではない。その中のどこかに通っていて、軽音部でギターをしていた。さっきよりは有力な説かもしれないが、これも没だ。
知り合いが居てライブを見に行ったのならわかるが、前述の通り俺以外の人と話している様子は見られなかった。知り合いが居たのなら俺じゃなくてそいつと話しているはずだ。
三つ、音琶は鳴成市の高校に通っていた。一度XYLOのバイトを辞めていたという話を聞いた時からこの説が浮上している。
バイトの話は嘘ではなさそうだし、オーナーとの絡みを見る限り長い付き合いであることが窺える。緑宴市から鳴成市の距離を考えると、緑宴市からわざわざ遠い所までバイトするのはどう考えても不自然だ。
だが、だとしたら何故あの時は緑宴市にいたのか、という疑問が生まれる。音琶の出身地がわかってもあの場に居た理由の説明が出来ないのだ。
・何故俺に執着するのか
これも未だに謎だ。確かに俺は12年間もドラムに触れていて、技術なら並大抵の奴らより遥か上を行っている自信はある。
俺の演奏に惹かれて共にバンド組みたくなって声を掛けたのだろう、とは思ってたが、いきなり下の名前で呼んできたり、勝手に部屋の中に入ってきたのはどう考えても尋常では無い。上手さとはまた別に事情があったのだろうとは思っていたが、その事情が何なのか全く検討がつかないのだ。
・今どこに住んでいるのか
音琶が鳴成市の高校に通っていたのはほぼ確実だから、きっと今も昔も住んでいる場所は同じだろう。だが、それが一軒家なのかマンションなのかアパートなのか、家族と住んでいるのか一人暮らしなのかすら不明だ。
とは言え、夏休みの間は同居することになっているし、家族と暮らしているなら連絡くらいはするだろう。それに音琶から俺の部屋にまで来るという連絡が来たときの話だが、LINEが来て10分も掛からないうちに奴は現れる。
音琶の住居は一人暮らしのアパートで、俺の部屋の近く。恐らく高校入学と共に家族とは離れて暮らしているのだろう。
だが、それだと新たな疑問も生まれるのだ。
・なぜ部屋に入れてくれないのか
彼氏彼女の関係になったらお互いの部屋に行ったっていいだろう。だが、音琶は俺を部屋に入れようとしない。話題に出しても話を逸らされ、今となっては禁句みたいなものになりつつある。
入れない理由、それが何なのかさえ不明、謎は深まるばかりである。
・家族関係
俺自身家族とかいうものにコンプレックスを抱いているから普段から話題にすることはないものの、一度だけ音琶から兄と思しき人の話を聞いたことがある。
聞いたというのは間違いだったな、聞こえたという方が妥当だろう。以前音琶が酔いつぶれた時に出した寝言の中に、その人物の名前が出てきたのだ。
その時、音琶は「どこにも行かないで」と言っていた。そいつと何があったのかはわからないが、音琶にとって大切な人であることが窺えたし、あの言葉としては長い間会えていないのかもしれない。幾つ歳が離れているかはわからないが、離れて暮らしていて、且つ兄と思しき人物も一人暮らしをしているとならばかなりの間会えていないのだろう。
家族というものがわからない俺からしたら音琶がどのような想いを抱いているのかはわからないが、大切な人と会えない時間が続くのは辛いことなのだろうな。
ざっとこんな所だろう。あくまで仮説だからどこまで合っているかはわからないが、少しでも音琶のことを理解したいというのは紛れもない真実だ。
勝手なことしたとは思っていない。音琶だっていつか話すと言ってくれたからな。
だが、音琶から放たれた本当のこと。それは、俺が考えた以上に残酷なものであったのだ。
・・・・・・・・・
「生き返る~!」
ペットボトルの炭酸ジュースを飲み干した音琶はそう言う。並んでいる間に考えたことも忘れてしまうくらい音琶の笑顔は魅力的で、まるで今まで誰一人恨んだことのないような、そんな想像さえさせてしまう笑顔だった。
馬鹿みたいな考察しやがって、てめえの過去よりも目の前の奴の方がずっと辛い想いしてんじゃねえかよ。ふざけんな。
これから俺はそう思いながら生きていくことになるのである。




