本番、それはまだ始まりに過ぎない
どんな楽器よりもボーカルが一番目立つ場面。一応ギターは弾いているけど今はそんなに大きい音は出ていない。とにかく最初の数秒は歌い尽くして次のメロに繋げていかないと!
そう思いながら声を出す。目の前に見える沢山の人の中には、友達だって、何も無かった私を変えてくれた人だっている。みんな、私の歌声に注目している。だからこそ、ここは絶対に失敗したくない。
上手くギターと合わせながら声を出し、イントロにギリギリ差し掛かる手前まで行くと、私は結羽歌と視線を合わせ、イントロに突入した。
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このバンド名、見極めの時に初めて決まったわけだが、俺としては別に悪いとは思わない。音琶にしては考えがしっかりしていたしな。他の奴が決めてたらどう思ったかもわからんけど。
てかさっきのMC、盛り上がってたな。特に音琶と結羽歌が喋ってるとき。別にどうこう言うつもりはねえけど、二人には人の目を惹く魅力って言うのか?そういった物があるとは思うけど、音琶に対する歓声に関しては複雑な気持ちにされたのはなぜなのだろうか。
まあそんなことはどうでもいい、今は2曲目のタイミングが大事だ。音琶が最初に歌い終わったらすぐにイントロに入るから遅れてしまっては元も子もない。
さて、さっきの感覚が何だったのかも気にしないように、曲に集中しないとな。2曲目も簡単ではあるが、1曲目と比べて物量が多い。単純な譜面でも物量が多いことには体力面に気を遣わないといけない。ギターとベースだって、さっきよりは難易度は上がっているわけだしな。
曲によってどの部分をどの楽器と合わせるのか、と考えるのは演者それぞれの自由だ。だから俺は、2曲目ばかりは音琶のボーカルをしっかり聴いてこうと思った。それが正しいのか間違ってるのか、そんなのは誰にもわからないのだし、俺のやりやすいやり方で曲を進めてしまうとするか。
とは言ったものの、イントロや間奏部分はボーカルが入らないからベースの音も聴くけどな。丁度今はイントロだからベース聴いてるわけだし。どっちみち独断で演奏するわけにはいかない。
てか俺から見てベースは右側だから、結羽歌の左手の動きがよく見えるのだが、あることを思ってしまった。それは何なのかと言うと、譜面は全て指弾きで少なくとも右手の方は忙しくないのに対し、左手の動きは思ったより、というよりかなり忙しいのだ。
練習の時は特に意識していなかったから気づかなかったが、今こうして見ているとどれほどの難易度なのかがわかる。以前琴実が結羽歌の演奏に魅了されていた理由も何となく分かった気がする。
もしかしたら、バンドの実力云々にそこまで詳しくない人から見たら、結羽歌はかなり上手い部類に入るのではないかと思ってしまった。
実際、最初は初心者のベースの音に合わせるのは簡単なものではないと思ったが、いつの間にか合わせるのが当たり前になっていたから、俺も気づかないうちに感覚が掴めていたのかもしれない。
そうやって上手く合わせていく内に曲は進んでいき、サビに入る。さっきとはまた違ったリズムだが、1曲目と同じバンドのコピーだから、ベースはともかくギターのバッキングは似たようなフレーズが多い。完全にとは言わなくとも、さっきのとほぼ同じ感覚でやっていけば何とかやれるだろう。
目の前には盛り上がっている観客と、音琶の後ろ姿が映り込んでいるが、音琶を見ていると気持ちが楽になっていた。ドラムを叩く腕や、バスドラムを踏む足も、いつも以上に軽い。
入学して間もない頃、日高や先輩達の前で叩いたときは憂鬱で仕方なくて、取りあえず叩いて見せただけの演奏とはまるで違う。それと比べたら、随分と音楽に対する感覚も変わったものだ。勿論俺自身が音楽を本気で楽しんでいるとは言い切れない。でも、音琶が居てくれるだけで少しは自分の心情に変化があったのは嘘ではない、それだけは絶対に言い切れる。
あの時、音琶は変わってしまった俺の演奏を見て、本気で怒ってくれたんだよな。この後も、あいつは俺の演奏が酷いって怒ってくるのだろうか。それとも少しは良くなったって言って、喜んでくれたりするのだろうか。
もうどこまで曲が進んだのかわからなくなっていた。それでも、曲は止まることなく進み続けている。今どこを演奏していて、誰の音に合わせるべきなのか、そんなことをいちいち頭の中で考えてもいなかった。ただ、その時の感覚で身体に言い聞かせていて、ひたすらに全身が動いていた。
今までに無いくらい汗が滲み、他のメンバーを見てもただひたすら楽器を演奏する姿が浮かぶ以外、何も見えていなかった。
もうすぐ終わるのか?でもこのフレーズはまだな気がする。身体が譜面を覚えているから、間違えることはないだろう、でもこのままだと終わりのタイミングを見失いそうだ。
いや、大丈夫だ。何度も練習した曲だ。今更そんなミスするわけない、それに身体が覚えてるってことは
終わりのタイミングだって忘れているわけがない。まあ最後は大事だから曲を終わらせるときは音をバラバラにするわけにはいかないし、ギターベース共に意識していかないといけない。
流石に感覚だけに頼るのはまずいから、周りの演奏に意識を集中させる。今曲はラスサビの後半まで行っていて、もうすぐアウトロといった所だ。最後の締めの前に、まずはラスサビからアウトロの変わり目部分で遅れを取らないようにするのが第一だった。
きっと音琶は俺の演奏に変化が生じたこと位お見通しだろうから、後で色々言ってくるのは絶対だし、せめて最後の部分くらいはしっかり合わせていかないといつだったかの言い合いだかに成り兼ねない。てか音琶とはこの短い期間で何度も言い合っていたから、いつのだとかそういう次元じゃなくなってる気がする。
とにかく、音琶が不機嫌にならないよう、腕と足の動きをしっかり考えて...、
クラッシュが入る前にラスサビに相応しいタム回しをこなし、後はシンバルを叩けばアウトロになる。そのシンバルと同時のタイミングでアウトロのギターが入るから、タム回しが急いでしまったら終わりだ。
適度な速さでタムを叩いていき、後はシンバルだけの所で、一瞬音琶に視線を送った。あいつがそれに気づいたかどうかは分からないが、耳で聞く限り丁度良い入り目が見つかったから、そこでシンバルを叩いた。
・・・・・・・・・
「ありがとうございました!!!」
ついに曲が終わり、音琶がマイク越しに挨拶をして俺らの出番も完全に終わりを告げた。沸き上がる歓声を聞いて、俺は、自分という人間が、誰かにここまでの感情にさせたのか、ということを考えると、今までに感じたことのないものが這い上がってくる感覚を憶えた。
少し身体が震えていたが気にしない素振りを見せ、徐に立ち上がった俺の目の前には音琶が立っていた。
「夏音!私すっごい楽しかったよ!」
満面の笑顔を俺に向け、音琶はそう言った。まさかこいつ、俺の演奏に満足したのか?まさかそんなわけないよな?
「それなら良かったよ」
俺はそれだけ言って、次のバンドの転換に移った。




