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猫ブロガー・桐谷音子  作者: たま ささみ
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第3章 新しいストーリー

今年もメトロポリタン映画祭=レッドカーペットの季節が巡ってきた。

 日本からエントリーされた映画、『彩雲の果てに』

 一体、海外ではどのような評価を受けたのだろうか。


 ズバリ。

 作品賞は逃したが、西脇や本城の熱意、渾身の演技を通り越した魂が伝わったのかもしれない。西脇と本城は、主演男優賞と助演男優賞のダブル受賞という、日本映画界における初の快挙を成し遂げたのだ。

 国内がこの壮挙に湧いたことは、言うまでもない。

 テレビでは、授賞式の様子や現地インタビューなど、様々な番組を特集していた。


「やったじゃないか。やればできんじゃん」

 また独り言がその口から飛び出す音子。

 音子自身、作品賞に届かない原作なのは百も承知だった。動物保護先進国において、あの原作はあるまじき行為であり、作品賞に選定すれば、図らずも、それを認めてしまうことになるからである。


 インタビューで、西脇が口にした言葉が印象的だった。

「動物たちは、自然の摂理に従って生きる権利がある。人間側の理由で、それを断ち切ることは許されない。少なくとも、僕はそう思っています。それを痛感しながら、ずっとお世話していましたから、演技とかそういう顔ではなかったかもしれませんね」


 成程、自然の摂理か。善いこというなあ、俺様俳優殿。

 驚くべき言葉も飛び出した。

「これを機会に、動物保護への理解をもっと深めて、僕に出来る応援の仕方を模索していければと考えています」


 上出来だ。

 これで、海外での酷い評価も払拭できたことだろう。

 音子は、逆ハードルなど半分忘れかけていた。西脇が汚名を雪いだことで満足してしまったのかもしれない。ブログ騒動の腹いせは、もう頭から消え去っていた。

 そのつもりだった。


 しかし、世の中、そう上手く循環しないものである。

 映画祭の結果が発表されてからひと月余りの、ある日のことだった。

 編集部から電話が来た。

「神谷先生。お客さまが来るので、〇〇駅裏のホテルウェルスの1601号室に直接向かってください。時間は午後1時です。30分前に迎えのハイヤーをやりますから。遅れないでくださいよ」

「お客?誰ですか」

「会えばわかりますよ。絶対に行ってくださいね」

 勢いよく電話は切れた。


 はて、客・・・。誰だろう。


 面倒だなあ。相手によって服変えないといけないだろうに。

 でもまあ、何着ろとかの指示も無かったから、メディアの人間ではないだろうし、畏まるような大それた方々でもないだろう。そんな知り合いは、いない。

 それでも、ホテルでの会合とあっては、ジーンズにライダースジャケットでは失礼か。

 シルクのシャツにグレーのノーカラージャケットを羽織り、髪を束ねて黒いアンクル丈のパンツを穿く。モノトーンなら失礼にあたるまい。

 パンプスは苦手この上ないが、礼儀を考えれば、こればかりは仕方がない。

 30分前、予定通りハイヤーに乗り込む。指定のホテルまでは20分くらいだから、遅れることは無いだろう。

 あ、パンプスきつい・・・。


 靴を履いたり脱いだりしているうちに、ホテル前に着いた。

 中に入って、編集部から言われた通り、直接部屋に向かう。さて、誰が呼んでいるのだろう。今までこんな経験は無い。

 不思議に思いつつ、脳みそを活性化させることもなく、部屋の前に着いた音子。

 ドアのインターホンを・・・ない。

 ドアをノックして、待つ。

 パンプスがきつくて、足をぐにゃりと曲げていると、ドアが開いた。


 ドアの向こうに居たのは、俺様俳優、西脇博之殿だった。

 

「おう、久しぶり、入れ」

 手で向かい入れる仕草をする西脇。音子はそれに従って中に入った。中には応接室があり、ベッドルームは別部屋に有るようだった。音子が通された応接室には、テーブルと椅子が斜向かいに二つ、並んでいた。

 久しぶりの西脇の顔に、音子はなんだか懐かしいものを感じたような気がした。

「あ。おめでと」

「阿呆。何が『あ、おめでと』だ。お前、姿消してどっか行ったって専らの噂じゃねえか。探すの大変だったんだぞ」

「あー、ごめーん。ちょっとやんごとなき事情があってねえ」

「まあ、あのドア蹴りで騒ぎになったから仕方ないとして、居場所くらい教えていけ」

「なんで?」


 西脇の顔が、俳優の顔から、またもや鬼の顔に変わる。それまで座っていた椅子から立ち上がり、音子を睨む。

「お前、約束忘れたのか?アホか?たった3カ月しか経ってないだろうが」

「あんたとあたし。何か約束した?」

「ああもう、ホントにふざけた女だよ。俺が賞獲ったら、俺の指定したジャンルで小説書くって約束したろう」

「あ、逆ハードル」

「そうだよ、そっちは英語がまだ上達してないから無理だけど」

「英語なら得意だよ。先生になってあげる」

「お前、馬鹿にしてんのか。最初に、俺向けに小説書きやがれっ!」

「並行すれば問題ないさ。書きながら、英語で話をするんだよ。そうすりゃ日常会話くらいできるようになる」

 にっこり笑う音子。

 それに対し、鬼の西脇は、未だ笑顔を見せない。

「場所はどうすんだ。またドア蹴りするのか。そしてまた姿晦ますのか」

「そうだねえ。それがネックか」

「つか、何で書きながら英語で喋れる」

「右脳と左脳の使い分け」

「どうやって使い分ける。普通、日本語で考えて英語に変換するだろ?」

「違うよ、英語で考えて日本語に変換してるの」

「お前、学校何処よ?アメリカンスクールか?」

「ご名答」

「なんで日本人がアメリカンスクール行くんだよ。マジ日本人じゃねえだろ」

「居たよ、日本の子。何人か」

「って、今はスクールの話じゃない。交換条件だ」

「はいはい。英語はあとね。で、何書くのさ」


 西脇が、徐にメモを取り出した。

 音子の前にドーンとばかりにメモを置く。

【ストーリー:恋愛ネタの展開。俺たち2人が重要なキャストに入る】


 目を疑う、音子。

「ナンデスカ、コレ。ワタシ、ガイコクジン。ニホンゴ、ワカラナイネー」

「ふざけんなっ!」

「なんでわざわざ恋愛もの選ぶわけ?あ、もしかして対談で会った時の・・・」

「そう、お前、恋愛経験ないみたいだし」

「くそ意地の悪いオヤジだな」

 音子の暴言にも耳を貸さず、目の前で爛々と目を光らせる西脇。

「俺はまだ35だ」

「一昔も違えばオヤジだ。他のジャンルにしてよ、嫌だよ、恋愛ものだけは」

「それじゃ一皮剥けないだろう。お前が俺に言った言葉だ。俺はクリアしたぞ」

「うう。そうだね。そんな過去もあったね。でもさあ」

「デモもクソもない。展開書いただろうが。俺達がキャストに入ればいいって」

「恋愛ものにならないじゃないか。壮絶バトルものになる」


 椅子に戻り、先日のように煙草を吸いながら、西脇が笑う。

「確かにな。そこを恋愛ものに変換させるのが、お前の役目よ」

「こんなリアルな設定じゃ、余計に書きづらいよ」

「そこを何とかするのが作家の仕事だろ。フィクションとノンフィクションって分野もあるくらいだし」

「うへえ・・・。締切と枚数は?」

「締切?さすがプロだな。そうだな、英語習得に半年はかかるだろうから、半年。枚数か。長編だと何枚くらいなんだ?」

「ものによりけりだよ。1000枚超すなんて、ざらにあるし。新人の登竜門で400~500枚程度かな」

「じゃあ、恋愛新人ってことで、400枚程度。10枚でお仕舞ってのは無しだぞ」


 ふらつく音子。パンプスを履いている窮屈さが、ふらつきに輪を掛ける。

「何かあったら、このホテルのこの部屋で。恋愛相談くらいならのれるからな」

「はいはい、今をときめく俳優殿は、さぞや浮名も流してきたことだろうしね」

「それも演技を磨くためさ。って、俺をジゴロ扱いするなっ」

「ホントのことでしょうが」

「五月蝿い、お子様が。兎に角、約束だからな」

「うへーい」

「しっかりしろよ。そんなにヘビーな注文か?」

「超ヘビー級だよ。あたしはウルトラライト級なの」

「まったく。大事にされて育ったお姫様みてえだな」

「そうだよ、皇女だもん」

「嘘だろ」

「うん、嘘」

「あ、あと、俺のアドレス教えるから。お前のスマホ貸せ。俺の番号とアドレス、入れてやる」

「消す」

「どこまでもふざけた女だな。ほら、貸せ。俺のスマホにお前の番号を入れれば、消えないだろ、いや、お前には絶対に消せない」


 運悪く、その日はプライベート用の携帯電話しか持っていなかった音子。これが仕事用だったとしても、メールアドレスを変えたり電話番号を変更すれば、編集部からの怒りメールがパソコンに届くだけだった。

 いや、プライベート用だったからまだ良かったのかもしれない、仕事用だったら、西脇との会話内容が編集部にバレる。大目玉は必至の究極展開だ。


 音子の思考回路が、さらさらと砂を流すように静かな音を立てて止まっていく。

 砂時計同様に、流れ落ちた砂は記憶として蓄積されていくはずが、その砂時計そのものがパリーンという音とともに割れ、砂が四方に飛び散る。飛び散った砂は、記憶の素を成し得ない。

 音子は、気が付くと自宅マンションの猫部屋にいた。

 どうやって部屋に辿り着いたか覚えていない。ホテルで西脇の顔を見たことだけは記憶にある。

 あれ、どうしてあのホテルに行ったんだろう。西脇に、何を言われたんだっけ。いつ、どこで別れたんだっけ。

 完全に、今日の出来事を記憶から抹殺しようとしている音子。


 そんなとき、プライベート用電話のコールが鳴り響いた。

 家の中を這い蹲って電話に近づく。見ると、「西條哲也」とある。誰だろう、登録した覚えがない。

 一応、出てみることにした。

「はい、キャ・・・」

「早く電話に出ろ!死んでるかと冷や冷やしたぞ!」

 相手は、西脇だった。ああ、良かった。プライベート用だから、危うく本名を名乗るところだった。

「なんすか」

「お前がちゃんと家に帰れたか確認したんだよ。スマホにGPS付けたからな。逃げようとしたら、わかってんだろうな・・・」

「やの字のオジサンみたーい」

「可愛い子ぶってんじゃねえ。お前の素顔なんぞ解りきってんだ」

「で、何で西條哲也になってんすか」

「俺の本名。西脇じゃ書きにくいだろ。本名貸してやるよ」

「本名借りて、何するんだっけ」

「お前、ホテルでの会話、頭から消去しようとしてるだろう」

「何かあった?」

「お前が思い出すか、俺がそっちに行くか。さあ、どっちがいい?」

「此処に来られるのは困る。用件を簡潔にどうぞ」

「俺達を題材に、恋愛ストーリーの小説を書く約束をした。締切は半年、枚数は400枚。どうだ、思い出したか」


 シーン。

 沈黙が続く。


「やっぱり、俺、そっち行くわ。編集部に住所聞いたし」

 音子は必死に、思い留まるよう西脇への説得を試みる。

「いや、その、あの・・はい、思い出しました、たぶん、きっと」

「じゃあ、進行状況管理するぞ」

「は?」

「何処まで書けたか、ファイル添付して俺にメールすること」

「何だ、それ」

「お前のことだ、半年後に『ごめんね、やっぱり書けなかったの、てへぺろ』なんてやりかねないからな」

「いやいや、女に二言はないよ。あるのは二枚舌だけだから」

「その二枚舌だよ。ああ、そうだ。もう一つ。お前、あの猫ブログのライターだろ。確か、桐谷、桐谷音子だ。お前、桐谷音子だよな?約束破ったら、バラすぞ」


 音子は、心臓が飛び出るくらいの衝撃を受けた。頭の中で、整理が付かない。返答しようにも、言葉が浮かばない。

 それくらい、音子の脳内衝撃は大きく、ノックアウトされ脳内がこの世から消え去りそうな自分を感じていた。


「ナンデスカー?ワタシ、ニホンゴ、シラナイヨ」

「やっぱりな。ドア蹴りされた時に気付いたんだ。猫のことすげえ大事に思ってるなって。ブログ事件のあとだもんな、お前の態度が横柄になって挑発的になったの」

「気のせいだと思うよ。うちに男いるからさあ、来られると困るんだよ」

「猫の男だろ。恋愛経験ねえやつの家に男がいるわけねえよ」

「ううう」

「お?認めたな。俺も、あのときのコメントは謝る。済まなかった」

「まだ認めてないけど、謝ったのは許してやる」

「お前、ショック状態みたいだな。もしかして、誰も知らない秘密なのか」

「いや、その前に、気のせいだから」

「わかったよ、そういうことにしといてやる。素直じゃないね、お前さんは」

「いえいえ、とっても素直ないい子ですのよ。私は」

「じゃあ、とっとと恋愛小説書きやがれっての。いいか、てへぺろしたらバラすからな」

「わかった。半年だろ?なんとかする」

「わかればよろしい。楽しみにしてるからな」


 音子は、電話を置くと猫たちと遊びだした。考えが纏まらないとき、決まってこういう行動パターンになる。そう、日常から逃げるタイプだ。


 ☆☆  ☆☆

 恋愛小説ねえ、どんなプロットで、世界観はどんなものなんだろう。展開に、あたしとあいつが出てくるといった。あいつのハードル蹴り飛ばして逃げる女じゃ話がすぐ終わる。多分3枚もかからない。400枚には程遠い。

 かといって、思い直してあのハードルに挑むヒロインじゃ、全然つまらない。外国人たるあたしの血が、それを許せるわけがない。

 登場人物も複数必要だし、キャラ設定もあるし。ま、主人公の男性は、まんま俺様キャラで済むけど。

 一番に、自分が何を伝えたいか。

 小説って、キモは其処だと思うわけよ。

 あたしの小説は、緻密で繊細な描写など無いに等しい。まあ。元が外国人だから、ボキャブラリなんて限られたもんだし。一部の作家さん方からは、毎度キツーイお言葉もいただきますしね。仕方ないじゃないか、優美な日本語なんぞ、そんなに知らんわ。

 それでも読みたいと思ってもらえるのは、あたしが伝えたい一言に同調してくれるファンの人たちがいるから。


 恋愛ものは、伝えたいことが無いから余計に書けない。

 プロット以前の問題なんだよねえ。みんな、恋愛に何を求めるんだろう。家族に求めたいことならあるけど、恋人に一体どんなことを求めるんだろう。恋愛をしたがる人は、何を求めるんだろう。心、身体、癒し、金。ああ、寝盗ることへの歪な心理もあるな。

 って、普通の恋愛小説ならそんなシチュエーションもあろうが、主演が西脇とあたしだぞ。やっぱり、壮絶バトルしか思いつかない。

 はてさて、どうしたものか・・・。

 ☆☆ ☆☆


 西脇は今、国内でドラマ撮影を行っているらしい。テレビで撮影風景を映し出していた。彼の持ち味である、肉体派のカリスマ刑事だとか。


(カリスマねえ。俺様の間違いだろうに)


 一方、神谷琴音は大きな連載が舞い込むこともなく、エッセイなどの日常感溢れる世界にいた。『彩雲の果てに』が映画化されたこともあり、動物愛護への意見などを求めるメディアもあったが、編集部では慎重に仕事をチョイスしていたようだ。

 そんな事情も相俟って、音子は比較的自由な時間が多かった。


 さて。そろそろ、重い腰を上げなければ・・・。約束の日は、3か月後に迫っていたのである。

 プロットを考える方策は、皆無といっていい。こうなれば、先日放映した恋愛ドラマのパクリでも書こうかとさえ思っていた。カミナリが落ちるのは分かりきったことなのだが。


 【プロット】

 カリスマとヒロインとの突然の出会い。一触即発の第一印象。バトルを繰り広げながらも、互いの足りない点をカバーし合っていく二人。そこに現れるカリスマ好みの女性。ヒロインは、カリスマに好意を抱きつつも言えない。カリスマもそれは同じだった。女性の秘策により、カリスマは女性に引き寄せられるが、勇気を振り絞ったヒロインの一言で、カリスマは自分の本当の気持ちに気付く。そして、ハッピーエンド。

 こんなところだ。

 これ以上は、マジ無理だ。でも、カリスマとヒロインをあたしたちにするのは無理があるというか・・・したくない。さて、二人を何処でどうやって出現させたものか。

 

 書き上げたところに、突然編集部から電話が来た。

「神谷先生。先日のホテルウェルス1601号にお客様です。今迎えのハイヤーを手配します。ラフな格好で、とのことでした。よろしくお願いします」

 きた。

 進行具合のチェックに違いない。


 あははは・・・一枚も書いてないなんて言ったら、ドヤされるだろうなと思いつつ、プロットのワンペーパーだけを手に、ジーンズにシャツとジャケットを羽織りホテルへ向かう音子。

「こんにちはー。神谷でーす」

「久しぶり」

「今回も視聴率良かったみたいだね」

「俺の演技は後回し。原稿は?」

「今はパソコンで書く時代だよ。今は手元に、これしかないんだ」

 プロットを見せる。

「お前、マジ恋愛小説の才能ないわ」

「なめてんのか、こら」

「だってよ、これ、編集部に出せるか?」

「間違っても出せない」

「だろ?このプロットは俺達の本来の姿、そして本来の二人の恋愛そのものに見えるよな。だけど恋愛仄々日記書くわけじゃなくてさ、れっきとした小説だろう。俺たちは重要なキャストに徹するのみ、なんだよ」

「というと?」

「俺とお前を、恋愛に発展させるのが目的じゃないなら、別の角度から見るしかないだろ?」

「はい、仰るとおりで」

「カリスマと人気作家が同時にいたら、どっちにより重きを置くか、だよ。お前、男心書きたいの?女心書きたいの?」

「どっちも書いちゃ駄目なのか?」

「どっちかにズーム当てた方が、書きやすいように思うけどね」


 反省しきりのプロ作家。

 俳優殿に指南されるとは思っても見なかった。

「ねえ、あんたさ。一体にして、恋愛とはなんぞや?」

「恋愛ねえ。若い時は、胸のときめきだったり、見つめられただけで舞い上がったり」

「ほうほう」

「年とるとな、二つに大別される。お前は俺に何をしてくれるのかと、俺はお前に何をしてあげられるのか」

「へええ」

「へええじゃない。お前の年から言って、胸キュンの時代は終わりだ」

「じゃあ、すこしダークになるねえ」

「さっきの大別は極端な例さ。でも、好きな人に何かをしてあげたい、役に立ちたいって気持ちは、いつでも同じだと思うけどな。これは世界共通だろう」

「ますます、プロットが崩壊していく・・・」

「俺、しばらくオフになるんだ。外国にでも行って、指南してやろうか?」

「どこ」

「渡米くらいなら。観光できる島があるだろ、日本人多いけどな」

「だ・・・だめだ。渡米だけはダメだ。あんたがハチの巣になる」

「何言ってんだ、この腐れ頭」

「兎に角、渡米だけは勘弁して。プロット練り直して、また送るから」

「まったく、石頭だな。年長者の意見は素直に聞いとけ」

「欧州なら。阿弗利加でもいいけど」

「其処までは無理だ。日程取れないんだよ」

「じゃあ、今日はこの辺で。プロット、何処に送ればいい?」

「俺の自宅に」

「住所知らない」

「スマホに入れてる、確認しとけ」


 編集さん以外からの駄目だしをもらうなど、作家以下の音子である。作家の価値無し、とでもいうところか。

 致し方ない。必死になって考える。

 音子の場合、他の作品を読むと引きずられる傾向があるので、読まないことにしていた。読めばもっと簡単にヒントが得られるかもしれないのに。音子は相当、意固地な性格と見える。


【プロット】

 カリスマが脇役で出演しているときから、応援していたヒロイン。

 ヒロインは駆け出しの編集者だが、カリスマが名を馳せるにつれ、自分との距離の開きを感じていた。

 そんな折、カリスマとヒロインは、物損事故というアクシデントで初めて顔を合わせる。

 必死にあやまるヒロインだったが、カリスマはケガをし、それが元で映画のオファーを断る羽目に。看病しようとするヒロインを、カリスマは怒鳴り病室から追い出してしまう。泣きながら家に戻るヒロイン。悪いことをしたと反省するカリスマ。

 半年後、再び二人は出逢うことになる。編集部が企画したカリスマと女性作家の対談だった。

 カリスマも女性作家も個性的な性格で、一触即発の二人の間で悩みながらも、カリスマの元気な姿を見て喜ぶヒロイン。

 女性作家は、ヒロインをみて、恋愛小説のプロットを練る。一方で、カリスマに近づきバトルを繰り広げながらも、女性としてカリスマの眼中に入ることに成功した女性作家。

 女性作家の目的はただ一つ、人間観察。作品のためなら、際どい行為も厭わない。

 編集者のヒロインは、そんな女性作家の意図を知り、カリスマを助けてあげたいと願う。カリスマは、編集者のヒロインを見て何処かで会っていると感じたが、カリスマを狙う女性達が周囲をうろつくため、思い出せないでいた。

 そんな中、編集者を伴った女性作家が、カリスマに二度目の対談を申し込む。その際に、女性作家に翻弄される編集者をみて事故の娘だと気付くカリスマ。作家の我儘にも明るく応対するヒロインを見て、好意を抱くカリスマ。

 女性作家は、それを遠くから見つつ、狡猾な笑みを浮かべる。

 何度か女性作家に押しかけられ、食事を共にするカリスマと編集。

 ところがある日、写真週刊誌に、明け方カリスマの家から出る女性作家の姿が。実はこの時、自宅に編集も居たのだが、女性作家は自ら写真を撮られる目的で外に出たことがわかる。

「愛しているから」という女性作家。

 実は作品のためなのだが、引きずられそうになるカリスマ。

 一方「カリスマには女性作家がお似合いかもしれない」引き下がろうとする編集。

 カリスマは、一つの問いを女性達に投げかける。

「本当の愛とは何か」という、カリスマの問い。

 女性作家は、即座に答えられない。

 編集は、女性作家との関係上、仕事を辞めると公言したうえで、「癒すこと」と答える。

 半年後、カリスマの傍らには旧編集が居た。


 そこに女性作家が訪ね、お祝いをいう。

「あたしが結んだ縁だから。何回か会っていれば、人の気持ちなんて見抜けるのよ」

「仕事より彼への愛をチョイスしたからには、徹底的に彼を支えなさい。それがあなたの役目だから」

 カリスマは訝るが、「あたしは人間観察が好きなだけ」と、女性作家は姿を消す。

 世に出る前の、女性作家の新作原稿を見て、二人は驚く。まるで今回のことが書かれているかのようなストーリー。本当に人間観察をしていたのか、悔し紛れの腹いせか。


(ああ、最後のシーンが、最後のシーンが決められない。書き方知らんわ)


 プロットも何もかも放り出し、カリスマへの癒しを主題にした作品。もう、これ以上は、書けない・・・。


 約束の半年が迫ろうとしていた。原稿も、最後のシーンを書くのみである。

 そんなある日、西脇から電話が来た。

「おう、俺んちでホームパーティーやるんだ。芸能界じゃなく、大学の同級生とかの集まりだから、顔出さないか」

「ちょうどいい機会だから、原稿紙ベースに落として持っていくよ」

「できたのか」

「出来は最低だけど、書くことは書いた」

「そっか。じゃあ、今週の金曜日。夜8時から。ドアは開けとくから、蹴るなよ」


 どうして自分が西脇邸のホームパーティーに呼ばれたか、音子はわからなかった。

 初対面の人は苦手だ。

 俗にいう、人見知りという性格である。

 ましてや、最初から職業が知れているなら、それ用の顔を用意できるが、職業も知らない人では、どうも乗り気になれない。

 面倒だ。早めに顔を出し原稿だけ渡して、戻って来よう。

 他人には見せない約束を取り付ければいいだろう。

 金曜日までに、最後のシーンを書いた。

 

 【ラスト】

 作家の本は、果たして世に出たのか。

 悔し紛れの作家が書いた原稿が世に出ることはなかった。カリスマの言い放った「お前の生きる世界は別にあるだろう。自分を貶めるな」その一言が女性作家を押し留めたのだった。

 そして、カリスマと旧編集の結婚パーティーが始まる。


(もう、これしか書けないよー)

                                       

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇


 金曜日、早めの時間に行って原稿だけ置いてこようと、音子は部屋を出た。

 一応、黒髪かつらとカラーコンタクトでペタンコの靴を履き、ジーンズとブラックの薄手ニットに、デニム地の白いシャツを羽織り、薄いゴールドの靴を履く。

 マンションから大通りに出て、タクシーを拾う。いつもなら3分と掛からずに掴まるのだが、今日は5分待っても一台も来なかった。仕方なく反対車線に渡り、そこでも5分待って、やっと掴まえることができた。

 タクシーで30分。西脇の部屋に着いた。

 インターホンを押す。

 すると中から出てきたのは、淡いピンク色のブラウスに花模様のエプロンをつけた女性だった。茶系のゆるふわカールが綺麗に整えられている。

 そして、部屋の中からは、何とも良い匂いがする。これは・・・イタリア系のパエリアか何か。西脇の部屋から食欲をそそる香りがするとは。部屋を間違えたかと思ったくらいだ。

「あ、西脇さんのお宅?です、よね」

「ええ、彼、今、手が離せないの。ご用件があるなら、私がお聞きするわ」

「すみません、ご本人に会って手渡したいものがあるんですが」

「何、貴女もハードル狙いなの?無駄よ、彼、私のこと認めてるし。本命になるのは私」

「はい~?」

 ハードルの女が、どうしてあたしの真ん前に立っている?

 ああ、ハードルにあったな、ホームパーティーのホスト。この匂いは、紛れもなく、丹精込めた料理に違いない。


 音子は猛烈に腹が立ってきた。どうしてこんな本命女のいるパーティーに、自分が呼ばれなくてはならないのか。

 ただでさえ、人前は苦手だというのに。

 そして、女の下品な態度。

 ライバルに見せつけるかのような仕草。

 腹の底から怒りが込み上げてくるのが分かる。

 

 それでも、腹が立ったのは別の理由があったのかもしれない。


 音子自身、料理や気遣いが出来ないという客観的な事実。

 そう、勝負にならない。

 音子は、そういう世界で生きていける人間ではない。


(猫たちだから、こんなあたしを受け入れてくれるんだ。汚い部屋でご飯を食べながら、猫と遊んで細々生きるのがお似合いのあたし)


 濃い色のデニムのシャツに白いパンツを穿いた西脇が、奥から姿を現す。

「おう、来たか。早かったな。紹介するわ、こちら絵画のギャラリーで働いてる、高野美咲さんだ。先日紹介されてな、今日も手伝ってくれてる」

 音子は、俯いたまま、低い声で話す。

「原稿をお届けに伺ったんですが、書き直すことにしましたので、出直します」

「なんだよ、今から友達も来るからさ。今日は無礼講だから大丈夫だよ」

「いえ、あたしには似つかわしくない場ですし」

「それより、出来た分だけでも見せろ」


 暫く、音子は無言で突っ立ったままだった。

 何も耳に入っていないかのように。


 そして、徐に封筒から原稿を取り出し、ビリビリと破き出した。

「お前、何やってんだ!」

「ゴミの袋ちょうだい。原稿は期限まであと1週間あるから書いて送る。約束だからね。でも、海外は帳消しだ。諦めて、日本で幸せに暮らせ」

「なんだよ、何で怒ってんだよ。俺、何もしてねえぞ」

「あんたは、自分のハードルが大切なんだろう?」

「ハードル?」

「もういいよ。あたしの逆ハードル気にしたら、幸せ遠のくからな」

「よくねえ。俺は、お前の言いたいことがわかんねえ。ちゃんと説明しろ」

「雰囲気悪くなるから、いい」


 そのまま、小走りで外に出た。タクシーを拾うため、音子は、大通りに向かって大股で歩き出した。

 あとから走って追ってきた西脇が音子の肩を掴む。

「なんだよ、何を言いたいかわかんねえって言っただろう?何が不満なんだ」

「あんた、自分のハードルは着々と進めてるじゃないか。それとも、あたしを、神谷琴音の名を出して、あの女と競わせるつもりだったのか」

「お前を競いの中に入れるわけねえだろ。お前は特別だから」

「特別か。昔からそうだった。キャシーは特別、貴女は特別・・・」

「おい、何言ってんだ。高野さんは、たまたま友人に紹介されただけだ」

「相手は果たしてどうなのかね。あんたの本命になるんだとさ。いいじゃないか。あそこまで立居振舞もきちんとしてて、料理も上手で、人のあしらいも長けててさあ」

「だからって、お前が口挟むことじゃねえだろ」

「ああ、そうだよ、あたしは関係ない。だからあたしをお前の世界に、二度と巻き込むな。面倒は御免被る」

「そもそも、海外と俺自身のハードルは関係ないはずだろうが」

「関係無いかもしれない。そうだね、無いって断言もした。でも、紹介する気が失せた。あの女みたら、がっかりしたよ。こんなんで満足してんのかよって」

「そりゃ失礼だろう。相手に」

「あたしは何言っても許されるんだよ。皇女さまだから」

「マジ、意味わかんねえ」

「キャサリンでーす」

「ああ、どっかの皇女さまだな。同じ名前出して、許しを請うな。ふざけんな」

「許し?何であたしが謝んなくちゃいけないのさ」

「大人になれ。お前25になるだろう」

「もう、あたしの世界に踏み込むな」

「呆れた奴だな。踏み込むなっていうなら仕方ねえけど、理由は説明しろ」

「嫌だ。もう何もかも嫌だ」


 タクシーが来たので手を挙げ、停まったタクシーの中に音子は乗り込んだ。外で西脇が何か言っていたが、音子の耳にはその声は届かなかった。音子は自宅を告げ、そのまま、タクシーはスピードを上げて西脇のマンションを離れた。


 自分のマンションに戻った音子。

 猫部屋に入り、猫たちのご飯やトイレ掃除などをひととおり済ませてからパソコン部屋に戻ると、ブログを更新した。近頃楽しげだったブログ内容だったが、今日は、写真一枚のみを載せる。

 まるで、猫が泣いているかのようにみえるポーズだった。

 いつものように、一行ポエムを添えた。

「泣きたい日もあるさ。我慢しないで、思い切り泣けばいいんだよ」


 更新ボタンを押した音子の目から、大粒の涙が零れた。ぼろぼろと、涙は頬を伝い、机に、そして床に落ちた。


 音子は、携帯電話2台だけを持ち、再び猫部屋に移動した。廊下では必死に堪えていたが、猫部屋に入ると、また涙が溢れた。

 猫たちが、音子を見て寄ってきた。

 しゃがんだ音子の膝に乗る子もいれば、頭を撫でてくれという猫もいた。膝に乗った子は、音子の頬を舐めて涙を拭くかのような仕草を見せた。他の子も同様に、順番に膝に乗っては涙を拭いてくれた。

 音子が大粒の涙など、流したことが無いからかもしれない。猫たちにとっても、一大事だったと見える。

 普段は声に出して泣くことのない音子が、嗚咽を洩らしながら、泣いた。


 悔しさ、哀しみ、怒り、挫折。

 今の感情を、何と言えば的を射る表現になるのか、分からなかった。

 単純でありつつ複雑な要素が総て入り混じった、極めて記しにくい感情だったのかもしれない。どの感情が一番強いかと聞かれても、今の音子に答えを求めるのは無理に近い。音子自身、頭が混乱していたのは確かだったのだ。


 そう。

 西脇に本命の女性がいたからショックだったのか。

 何も出来ない自分が呼ばれ、ハードルクリアした女性がこれみよがしの態度を取ったのがショックだったのか。

 外の世界を垣間見て、自分の粗末な生活が惨めに感じられたのがショックだったのか。

 よもや、西脇が自分をハードルに引きずり込み、誰かと競わせることでアドバンテージを相手に与えていると感じたのがショックだったのか。 


 なぜ、音子自身から言い出したことを覆してまで小説を破き、海外の話も立ち消えにすると啖呵を切ったのかも、わからない。

 音子自身、自分の心情が解らないのだから、西脇に理解できるわけも無かろう。

 もう、西脇に連絡は取るまい。

 音子は、自分の生活を乱されたくなかった。

 その代り、西脇と約束していた小説は、あと1週間で書き上げる、何としてでも。

 勿論、海外の話も、西脇にトライできそうなものがあれば人を介してでも紹介するつもりだ。

 そう、西脇との約束はビジネスなのだ。一方的な契約破棄など、ビジネスパートナーとして、あるまじき行為になる。

 ビジネスパートナーとの連携は不可欠な物でもあるのだから。

 でも、西脇とのビジネスは、今回だけ。

 一度きりにする。次の機会は、もうない。


 音子は、今まで半分逃げてきた道、かねてより父母たちから嘱望されていた道に、舵を切る決心をした。

 そして、兄弟たちに電話をするのだった。

「ごめん、猫たちの面倒を見にきてくれないかな。それから、部屋を片付けて欲しいの」


 作業部屋に戻ると、音子は恋愛小説プロットを総て消し、西脇と自分に起こった実話をパソコンに入力しだした。


【梗概】

 あたしたち二人が初めて会ったのは、映画俳優と作家という、異次元の空間がいつしか交わった場所。それは、テレビのスタジオという異次元空間だった。

 俳優との出会いは、決して夢現の中で進んだものではない。

 あたし自身は着るものから全てサイズを間違われ、私服で出る羽目になった。最初から知っていれば黒髪で変装して行ったのに。金髪がばれちゃったよ。

 俳優殿は、上から下まで計算され尽くした、そう、抜けまでをも計算され尽くした服装で入ってくる。

 あたしは男性の身長や顔に興味が無い。あたしが何を思ったのかといえば。あたしと同じ程度の身長だなということと、顔には興味がない、ということ。

 そのあと、収録の番組とはいえ、台本を大幅無視した「ハードル9か条」を見て、あたしは、腹の底から大笑いした。


 どうしてかと言えば、あたしは米国人で、自分の家族は総て映画関連の仕事をしているけれど、あたしの父は、娘の結婚に『フェミニスト』を最大のハードルとしているくらいだから。

 だからあたしは賛成しないし、ハードルにも参加しない。

 日本人なんて、こんな小さなことで波を立てているから、大波を乗り切れないんだな、そう思った。

 ま、こんなスケールの小さいハードルだって、国内の女性にして見れば、目の色が変わる。

 ひとつのゲームになる。

 それを脇で見ているのは楽しい。

 高みの見物は面白いんだが、あまりに報道され過ぎて、ちょっとウザかった部分もある。


 そんな中で、たまたまなのかわざとなのか、その映画俳優から、誰にも話してないブログのほうに、悪口コメントが2度も書き込まれた。

 たぶん、やったのは本人。

 コメントは荒れ放題になるわ、murmurには書き込まれるわ。

 考え方に驚いたのは確かだけど、後始末に紛れてそれどころじゃなかった。

 ブログよりmurmurの後始末の方がどんなに大変だったか。

 みなが「人として尊敬できない」なんていうもんだから、相手の失言とはいえ、さすがに気の毒になった。


 でも、あたしは家のパパですら説得できなかった。

「人の前に立って演技する者が、そういった考えではいけない」

 そりゃそうだよね。

 実は、それとは別に復讐作戦もあったんだ。

 そう、ブログを馬鹿にされ、コメント欄を荒らしに荒らされ、あげくmurmurまで波及した。

 murmurは向こうの思いどおりには行かなかったけど、猫たちを馬鹿にされた瞬間、あたし、復讐を誓ったの。


 でもね、なんでかなあ。

 murmurでバッシングされたのを見てたら、あたしが英語をスラスラ読めちゃうのも手伝って、バッシングの嵐が気の毒になってさ。

 もう、その時点で映画祭の主演男優賞無理だったし。


 だから。

 彩雲の果てにの話が舞い込んだとき、キャラじゃないのは知ってたけど、此処で再起して欲しいって、心の底から思った。

 それでメディアでのオファーもしたんだ。

 返事が無いから、直接押しかけて行って、ドア蹴りしてオファー掛けたりもした。

 結局は、あのドア蹴りと目の前にぶら下げた海外へのトライのチャンスっていう人参が、火を付けたのかな。

 すごい渾身の演技してくれて、彩雲の果てに、主演・助演男優賞という形で盛り立ててくれて。

 本当にありがとう。


 あれが作品賞に入るような作品じゃないのは、あたし自身が一番知ってたから。

 ただ、ドア蹴りオファーに、マスコミがくること気付かなかったのがあたしのミスだったね。

 記事になって、ブログがまた荒れて。

 謹慎言い渡されてさ、変装するから大丈夫だと思ったら、表も裏も張ってるっていうじゃない。

 兄弟たちにヘルプしてマンションを引っ越したよ。

 そうだよね、話もしないで逃げたのは不味かったよね。悪い。


 俳優殿が海外で主演男優賞を獲って、あたしも本当に嬉しかった。

 役者として、前に進めたなって。

 でもさあ、ホテルに呼び出されて、恋愛ものを執筆しろと言われた時は、正直悩んだ。ホントはね、あんたの意見が参考になって、レベルは低いけど恋愛小説が書けたんだ。

 今まで書いたことが無いから、子供だましのストーリーだったけど。

 悩んだのは、ラストシーン。


 ハッピーエンドか。

 バッドエンドでいくか。


 でも、あたしには、バッドエンドこそがあたしの恋愛小説なんだ、としか思えなかった。


 あんたの家で開かれるホームパーティーに呼ばれて出かけたら、敵意丸出しの女性がでてきてさ。『自分は本命になってみせる』って、自信たっぷりに。

 これでなくちゃ、並み居る女性たちの中から抜きんでるのは無理なんだね。彼女は、西脇の9か条のハードルを完全にクリアしているんだよなあって。

 それに引き替え、あたしに出来ることは9か条には無かった。ただの一つも。

 ああ、ラーメン屋でのディナーだけなら、できるな。

 あとは、無理なんだよ。外国人だから。パパがフェミニストしか許すはずがない。

 家事も一切できないし。パーティーするなら、100%キーパーさん頼みだし。

 あたしは人見知りでライトの下も苦手で、汚い部屋がお似合い。


 流石に、自分が惨めで情けなくて、逆切れしてさ。

 あんたに暴言吐いて帰ったこと、詫びるよ。ごめんなさい。

 その時、あらためて感じたんだ。やっぱりな、って。

 あたしに恋愛小説なんて書けるわけがないし、恋愛は自分とは異世界の出来事なんだって。

 違うな、恋愛を、結婚を再認識した、っていうところかな。

 あたしにとっての恋愛や結婚は、常にバッドエンドしかない。


 そうなんだよ。

 人魚姫だって、昔のおとぎ話だっておんなじ。

 ヒロインはね、泡になったりするのが、お約束なの。


 だからあたしも・・・姿を消します。さようなら。

                   

 了

                                    

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇


 驚異的なスピードで300枚近くの原稿を1週間で書き上げた音子。

 校正を入れて、すぐ西脇あてに宅配便で郵送した。

 読むか読まないかは向こうの勝手だし、もう、半分以上どうでもいいという気持ちが強いのが本音でもある。

 駄目だしされようが何だろうが、書いたことには変わりないのだ。一つのビジネスを終えたという、単なる義務感しかない。


 音子が原稿を書いている間、兄弟たちは日本に入れ替わり立ち代わり入国し、猫の世話や部屋の片付けなどを行ってくれた。音子の苦手分野でもある片付けを兄弟や姉妹に気兼ねなくお願いできるのは心強い。

 勿論、西脇からのメールやコールは何度もあった。全て無視した。


 西脇への原稿を送り終えた音子は、その日のうちにマンションを引き払い、編集社の上層部に出向いた。

 出国する旨を伝えるためである。

 上層部からは慰留されたが、今後は神谷琴音として、日本での大きな活動を休止すると告げた。出版社では非常に残念そうだったが、音子の意思が変わらないこと、エッセイなどの連載は続けてくれることなどから、出国に関して異を唱えなかったのだ。

 編集部には、今後誰から連絡があっても、一切出国の事実を伝えないよう要請した。


 編集社へ向かったその足で、音子たち兄弟は一緒に出国の手続きを取った。今回は、再入国なしの片道切符だった。

「キャシー、いいの?本当に」

「うん。今まで猫たちのためにと思ってやってきたけど、転機なんだと思う」

「日本の猫たちはどうするの」

「何か方法を考えるよ」

 男兄弟にはわからない複雑な感情を、姉と妹は感じ取ったようだった。

「あなたが良いならいいけど」

「活動が活動だし、猫はボランティアだから、戻ってきてもすぐに在留許可は下りると思うわ。でもキャシー、心残りがあるんじゃないの」

「ないよ。もう、日本のような国は懲り懲りだから。やれ、大和撫子だの、女は三歩下がってだの、女のくせに、母親にくせに。もう、嫌になった」

「何かあったの?」

「ううん。ビジネス先で、そういう話があっただけ。あたしには関係ないけどさ」

 姉が思い出したように音子の正面に立った。

「あ、そういえば、日本の言葉だっけ、凄いのがあるって」

「何?」

「釣った魚に餌はやらない、だって!魚が死んじゃうよね!」

 音子が呟く。

「男が釣竿で釣られた魚が女だよ。馬鹿馬鹿しい。死なせるなら釣らなきゃいいんだ」


 日本で諺を勉強していれば、そこまでの意味でないことは一目瞭然だ。

 さりとて、外国人には通用しない。

 本当の意味など解るはずもなく、よしんば解ったとしても、『結婚後に態度を変えるとは何事か。フェミニストにあるまじき行動だ』となる。

 実際には、日本でも米国でも、DVなどの事例は多い。米国が紳士的な国、というのはある意味間違った解釈であるかもしれない。それでも、セレブと呼ばれる米国人たちは、フェミニズムを大切にしているのである。

 少なくとも、リーディンス家では。


◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇


 本国に戻り、家族と暮らし始めた音子。

 取り敢えずニューヨークの家で、暫く何もしないで、ただ、部屋で猫と戯れながら過ごした。まるで、魂の抜け殻であるかのように見えたと兄弟たちは口を揃え、皆が心配した。

 猫と戯れながら、相変わらずブログだけは更新していた。

 ブログの背景に、いち早く異変を察知したファンがいた。

「音子さん!また背景変わってます!お引越しされました?」

「ほんとだ。都内でないのは確かかも」

「沖縄方面とか」

「憧れの沖縄生活開始??」

「沖縄じゃなくて、欧米っぽいかも。フランスではないわね」

 週刊誌のレポーターに近いファンもいる。音子は真偽に触れることなく、煙に巻きながらポエムやネタでブログを続ける。


 いつまでこんな雲隠れが通用するだろうか。

 日本からのエッセイのような細やかな仕事をするだけで、このまま猫たちを助けられないのなら、自分が小説家である意味すら感じられない。執筆を再開しなければと焦る気持ちもあったが、いざパソコンの前に座ると、文字たちはシャボン玉がふわふわと空中を彷徨いながら消えていくように、何処かへ消えていく。プロットすら決められずに。

 こんなに頭が空っぽになったのは、初めてだった。


 そんなある日。

 兄弟が、ある知らせを持ってきた。

 世界的映画製作で通用するような、大規模な作品の原作小説を募集するというものだった。

 題材は、SF的世界観に基づいた作品である。

 音子は目覚めたかのように、原作小説の執筆を始めた。元々SF的世界観には興味があるし、得意分野でもあった。少しばかりだが、日本での実績もある。

 まるで何かに憑りつかれたかのように、食べることも拒否して昼夜も厭わず書き続ける音子だった。まるで、何かを振り切るかのように。

 父母や兄弟姉妹は心配するが、止めるわけにも行かず、周囲は見守るしか方法が無かった。

 そして、音子はひとつの作品を書き上げた。


【梗概】

 宇宙に浮かぶ、無数の銀河。

 2060年、地球人は未だ、太陽系銀河からの脱出を図れずにいた。


 一方、10億光年先に、生命体の存在する惑星があった。その名はリード。恒星ジュンスを周回し、リードの他にも生命体の存在する惑星がひしめく。地球から見つけることが出来なかったのは、電磁波を遮断する強力な遮断壁。オーラと呼ばれるその壁の中、恒星ジュンスを中心としたジュンス銀河が形成されていた。

 リード人たちジュンス銀河の科学力は地球のそれを遥かに凌駕していた。

 といっても、物体が光速で飛行するような技ではない。意識体のみを光速で瞬間移動させるのである。当然、意識体だけでは他の星人が認識するわけもない。

 ジュンス銀河の生命体は、意識体でしかなく、交配も無い。生命の源、聖凛と呼ばれる泉から湧き出す命が生命体として成長する。

 見えない意識体を補うために何度となく太陽系銀河や地球を訪れ、物体投影システムを構築していた。建物、人類、動物、自然の姿など、あらゆるものがシステムに編入されていたのである。

 と同時に、調査を行っていた。いうなれば、地球人の素行調査である。地球という素晴らしい星を、荒らし、食いつくし、環境破壊を続ける地球人。リード星府では、地球の没落やむなしという見解で一致していた。


 そんな時、1年後、太陽系にブラックホールが出現するという情報を掴むリード星府。同じ情報はジュンス銀河内全体にリークされていた。

 惑星エベルでは、ブラックホールに飲み込まれる瞬間、地球という星のみを瞬間移動させエネルギー強奪を企てる計画が立てられた。

 片やリード星府では、ブラックホールでの地球消滅は避けられない事実と考え、一度は見捨てた。地球ごと瞬間移動させても、人類や動植物は生き残れないからである。


 しかし、リード星府の中で「命」こそが尊いものだと訴え、方策を練る者たちがいた。彼らは、地球人を意識体としてジュンス銀河内の生命体のいない惑星に瞬間移動させることを提案する。実際の緑を手にすることは叶わないが、エネルギー枯渇の心配も無く、人口調節が可能になるため幼い子が犠牲になることもない。武器を与えたところで、自分達のようなIQを持たない限り、無用の長物である。オーラを厳重にすれば問題ない。星内での争いは絶えぬだろうが、それは地球人としての性なのだろうと。


 リード星府は、地球のあらゆる国に入り込み、書簡を届ける。

 最初は、ブラックホールの出現を信じない国々。

 実際に兆候が表れると、戦争どころではなくなった。身体を捨て命を取るか、そのままブラックホールに飲み込まれるかの、二者択一である。

 地球全体が纏まることは、難しかった。食糧難に喘ぐ地域は、最初に同意した。

 次々と同意する国が出る中、宗教上の違いから最後の聖戦を語る団体が現れる。次々と命を刈り取る彼等に、リード人の鉄槌が下される。

『生まれることに価値が必要なのか。生まれてきたことが罪なのか。何をするかで、人間の価値は決まるはずだ』


 最後には、殆どの国が意識体となることを選択するが、エネルギーや宝飾品を持ち逃げしようとした国や人々がいた。全世界で一斉に瞬間移動が決行されたが、結局、物体移動できずに、持ち逃げしようとした人間たちは消滅する。

 一方のエベル。地球人がいようがいまいが、関係なく地球の瞬間移動システムを作動させる予定だったが、リード星府との関係上、それは好ましくない。そこに、地球環境汚染とエネルギー枯渇情報が齎され、エベルの計画は頓挫した。

 瞬間移動した先は、ジュンス銀河の惑星。地球と名付けられた。今までの太陽とは違っていたが、物体投影システムにより見た目の遜色はない。実体でないことを嘆き悲しむ人間もいたが、食糧難に喘ぎ子供に申し訳ないと悲しんでいた母親たちが、リード人に頭を下げる。『この子を生かしてくれて、ありがとうございます』

                                                             了


 世界の巨匠、映画界の名誉監督とも謳われる父の名を伏せ、公募に応募した原作小説の選考は、3次選考まであった。ネット上で、1次、2次、と通過作品を見ながら、家族全員で大騒ぎする。

「キャシー!あった、キミの作品だよ!」

 3次を通過し、見事採用された時には、一大イベントが巻き起こったリーディンス一家であった。

「神様、キャシーの思いが報われたことに感謝します」


 勿論、欧米の有名映画会社を意識した作品であることが重要事項であり、会社の名だたる連中を説き伏せるだけのストーリーや世界観を持つことが、最も重要なラインだった。

 映像化できるような世界観の小説が世界的に少なかったこと、また、世界観の根底が、それまでの宇宙を一から覆す新たな展開であったことなどが、評価に結び付いたのではないか、という父の選評だった。


 父が音子の偉業を褒め称える。

「キャシー、よく前に進んだね。パパは本当に誇らしく思うよ。お前を一人日本に置いてきたときは、正直後悔したけれど、お前が羽ばたける土台をつくってくれたのかも知れない。おめでとう、愛するキャシー」

 母も同じだった。

「アメリカンスクールに行きたいって泣かれたときは本当に困ったのよ」

「あれ、そうだっけ」

「そうよ。『日本には可哀想な動物がいるから帰れないの』あの時からずっと同じ。おめでとう、愛するキャシー」

 兄と弟は、主に荷物係として日本入りしてくれた。

「キャシーから電話が鳴ると、『また引越か』それが第一印象だったけれど、色々な思いをしながら引っ越しをしたんだね。お蔭で、今があるじゃないか。おめでとう、キャシー」

 姉と妹は、常に猫たちのお世話をしてくれた。

「キャシーの猫の命への拘りが、今回の作品に生きたような気がするの。ほら、地球人が『生まれることに価値が必要なのか。生まれてきたことが罪なのか。何をするかで、人間の価値は決まるはずだ』って言うセリフ。キャシーならではじゃない?本当におめでとう」

「そうよ、色々な経験があなたの周囲で起きて、貴女はそれを乗り越えたわ。おめでとう、キャシー」


 父が思い出したように付け足した。

「こちらはイベントが多いから適当なドレスとか一式、見繕っておきなさい。今度の授賞式もあるだろう」

 音子は、耳を疑う。

「あたしも出るの?」

 家族全員がハモる。

「当たり前じゃない」

 家族中が喜んだ。音子だけが、項垂れる。また、ライトの下が待っている。

 とはいえ、音子が、たった一人でもぎ取った、またとないチャンスである。

 父も家族も、協力は惜しまないと申し出てくれた。

 それは神谷琴音、いや、キャサリン=リーディンスとして、世界的に華々しいデビューを飾ることを意味していた。


 ただし、映画の話や、日本からオーディションを受ける俳優陣の話題は世間を賑わせたようだが、中心となる原作の話は、日本では殆ど話題に上らなかったらしい。

 日本で付き合いのあった編集社からも祝電等、届いてはいない。

 キャサリン=リーディンスとして紹介されたのかもしれないが、格上の公募にも関わらず自分の名前すらでない。

 もはや、日本では過去の人なのかもしれない。当然か。何も言わず、姿を消したのだ。もう、日本での活動は猫たちの保護だけに限定しよう。


 神谷琴音を封印しようと、本気で考え始めた音子だった。

 そういえば、日本では神谷琴音の海外移住が今頃になって放送されているらしかった。ブログでも巷に出回る、桐谷音子=神谷琴音説。

 音子自身、自分が身動きできない分、誰か手助けしてくれるボランティアさんに居て欲しかったのは確かだ。野生児を施設から救い出し預かり主さんをお願いすることだ。

 ペットショップの方は、時間的に余裕がないため、購入し動物病院にて検査を受けた後、すぐに飛行機で本国に連れ帰る。避妊オペなども本国で行えばいい。

 しかし、野生児はどんな環境にいたかわからないから、おいそれと飛行機に乗せてもらえない。そろそろ、日本での動物保護活動を考える時期に差し掛かっている。音子は、ある決断を実行に移す時がきたと、猫たちに水をあげながら考えていた。


 1ケ月間、悩みに悩みながら音子は、決めた。

 カミングアウトである。ブログ内で、全てを明かすことにしたのである。

 パソコンの前に座り、慣れた手つきでキーボードをカタカタと打ち始めた。


「ブログをご覧のみなさまへ


 色々とお騒がせしております。桐谷音子です。別の名を、神谷琴音と申します。

 私は余り人前に立つことなどが好きではなく、ペンネームと同一のハンドルネームを使って猫たちの妨げになることがあってはならないと思い、神谷として活動しながらも、桐谷の名を通してまいりました。


 ただ、今回、諸事情があり、皆様お察しのとおり海外に移住いたしました。再入国し、日本にて執筆活動することは今のところ予定しておりません。ブログだけは続けますので、お越しいただければ幸いに存じます。

 なお、日本に居住当時から、愛護センターにて猫を引き取り育ててきました。また、ペットショップで大きくなった子を引き取り一時預かりなども行ってきました。

 もし、お手伝いいただけるなら、動物センターから殺処分前の猫たちを引き取り、一時預かりをお願いできないでしょうか。健康診断と予防接種が終われば、猫たちは世界に旅立つことが可能になります。それまでの預かり費用などはわたくしが負担いたしますので、ぜひ、ご協力いただければ幸いです。


 また、ペットショップにて大きくなって売れ残ってしまった猫ちゃんの救出活動も行っておりますが、こちらは無償で譲ってくれるショップが殆どないため、情報だけでもいただければ、大変助かります。


 在留資格をとっての活動は予定しておりませんが、短期滞在にて日本を訪れることは可能です。日本全国どこまでも、猫たちを引き取りに伺いたいと思っています。

 ご協力いただける方は、ブログのアドレスからご一報くださいませ。

 それではみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

                                 

                                                桐谷音子こと、神谷琴音こと、キャサリン=リーディンス」


 ブログへの反響は様々だった。

「なんだ、やっぱり神谷琴音か、がっかりした。拍子抜け」

「今までどうして黙っていたのかな」

「ブログ本だって、出してほしかったのに」

「でも、これからも活動続けるんですよね、海外が主なのかな?」

「キャサリン=リーディンスって、まさか、今度西脇が出る映画の原作者さん?」

「え!推薦状とか出さないとオーディション受けられないって聞いたけど」

「音子さんは推薦状出してないよね。西脇だもん」

「西脇が猫の保護活動始めたのは、神谷映画に出たからって、専らの噂だよ」

「神谷作品が見られないのは残念です。日本に戻る予定、ないんですか?」

「音子だろうが琴音だろうが、ブログの猫たちに変わりはないんです。海外でも頑張ってくださいね」

「友達に預かりさん、頼んでみます。その時は連絡しますね」

「音子さん、外国の人だったの?」

「金髪だったもんね、かつらとか染めてるんじゃなかったんだね」

「今からでも、ブログ本出してください」

「そうだよ!日本編、外国編とか」


 いやいや、ここはSNSじゃないぞ。噂話は止めたまえ。

 ましてや、俺様西脇たちのオーディション、まだだから。

 出演、決まってないから。

 音子は、一瞬、西脇からのコメントを期待したが、確か出禁にしたはずだ。こちらに届くわけもない。メールもコールも、西脇から来ることは一切無かった。

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