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魔女の靴

 真央は職人の魔女の一人――サパタリアと、靴工房の奥へと歩を進めていた。

 少しばかり作業場に置いてきた巧の様子が気になる。まさかスータリにつっかかるとは思ってもみなかった。期待していたのは靴への執着で、工房に夢中になっている間に用事を済まそうと企んでいたのだ。それが、あんな形で爆発するとは。

 真央はため息を殺しきれなかった。先を歩くサパタリアがくすりと笑う。


「スータリなら大丈夫。あのバカ、あれでテメェのやる気ねぇのよく分かってるし」

「いや、あれはボクのミスだよ。森村くんが怒り出すとは思わなかった」


 真央は苦笑しつつ、かぽかぽと間抜けな音を立てる靴を見つめた。

 範子に破壊されかけたチャッカブーツは、起源靴から模った模造靴でしかない。

 しかし、いくら範子が禁制靴を履いたとしても、負けるとは思わなかった。

 

 まだ範子が魔女の家にいた頃の模擬戦では負けたことなどない。それが巧の作った禁制靴――起源靴と同等の魔女の靴を相手取れば、逃げるのが精いっぱいだ。

 真央は歯噛みした。腹立たしくても傍に魔女がいては、床を蹴ることもできない。


「まったく。上手くいかないもんだね」

「まったくだよ。アタシらも頑張っちゃいるんだけど、やっぱり生まれついての才能の差ってがデカすぎる。あの、森村だっけ? 靴自体の出来もいいけど、見りゃ分かるよ。革の使い方、切り口、縫い目。どれをとっても何か違う。本物だね」


 サパタリアの悔しそうな口ぶりに、真央は頷き返した。

 魔女としての起源が違えば、個々人の特質も変わる。扱える靴も、魔法もそうだ。

 真央の起源は母系にあり、破壊に特化している。靴職人のような創造に類する魔術も、人心を掌握する誘惑に類する術も不得手だ。それゆえに、他の魔女が見ている世界が羨ましい。せめて自分の道具について正しい目をもてればいいのにと思う。


「仕事が違うし、起源も血統も違う。チャッカが気にすることじゃないよ」


 サパタリアは真央の心中を見透かすようにそう言い、五芒星の刻まれた扉の前で足を止めた。起源靴の保管庫へ直接つながる扉だ。見た目は木製、内側は鉛の合金製となっている。追放された魔女が扉を使って入れなくするための処置だ。


 扉を開く魔術は、もちろん術者の能力次第ではあるが、手間と時間さえかければほぼ全てのドアとつなげることができるとされる。しかし一定量の鉛を混ぜて封印を施したドアは別で、決してつなげられない。

 サパタリアは嫌そうに扉に触れ、振り向いた。


「ところで、ケガの方は大丈夫?」

「――大丈夫に決まってる。ちょっとビックリさせられただけさ」

「だといいんだけどね。チャッカは無理ばっかりするから」

「ボクだっていつまでも子供じゃないよ」


 真央は口から漏れ出そうになった弱音を飲み込み、サパタリアに言った。


「いまだにボクのことを信用しないのは、サパタリアくらいのものじゃないかな?」

「……ちょっとそれ、アタシは納得できない言い方なんだけど」


 サパタリアが、せっかく扉にかけた手を、離してしまった。

 ずっと昔は教育係で、いまは真央の部下にあたるサパタリアからすれば、信用を疑われるのが最も腹立たしいのだ。そんなことは分かっていたはずなのに、弱いところを見せたくなくて、つい言いすぎてしまった。


 謝るべきか、いや、謝るよりも流してしまう方が、『チャッカ』らしいか。


 真央は僅かに肩を竦めて、サパタリアに微笑みかけた。できるだけ、困ったように。


「言い方が悪かったのかもね。言い換えるよ。ボクを心配してくれるのは、サパタリアだけかもしれない。嬉しいよ」

「……どうだかね。言っとくけど、アタシらはみんな、チャッカを心配してるよ」


 サパタリアは非難するかのような目を真央に向け、体重をかけて扉を引き開けた。

 保管庫は銀色の光に包まれていた。中央に一脚の机が置かれ、壁一面に大小様々な金属製の封印棺が安置されている。受け継がれてきた魔女の靴の保管容器だ。

 真央は咳払いを入れ、部屋に足を踏み入れた。


「心配と信用は違う? まぁ、なんでもいいけど、他の魔女には黙っておくよ」

「前も言ったかもしれないけど、好きに言っていいよ。アタシは気にしないから」

「出た。やけっぱちのサパタリア。可愛いとこ、あるよね」

「――そういうの誰にでも言うとこ、そういうのも好きじゃない。やめな」


 サパタリアはそう言い残し、奥から封印棺のひとつを持ってきた。

 箱の天面に、掌サイズの金属板プレートがついている。金属板には封印棺ごとに異なる幾何学的な文様が刻まれており、それぞれ起源の血脈に連なる魔女しか開けられないとされている。


 サパタリアは口を噤み、短剣を差しだした。

 梟の頭を模した黄銅色の柄尻と、赤く、薄く、そして細長い諸刃をもつ短剣である。開錠の儀式を行うためのダガーだ。


 真央はダガーで右手の薬指を傷つけ、親指でしごいた。点、点、と滴った血が金属板の細かい文様に浸透し、紅く浮きたたせていく。


「我、血脈の魔女なり。我、血盟に従う魔女なり。我、魔女に鉄槌を与える者なり」


 真央の唱えた解呪の言葉に従い、刻まれた文様が光を放つ。鮮やかな黒だ。溝に流れ込んだ血が腐敗したのである。饐えた臭いが辺りに漂い、金属板からそびえるように立体が形成されていく。三眼の毒蛇。真央の魔女としての起源を示す獣だ。


 りぃぃぃぃん。と、鈴のような音が鳴り、黒い毒蛇が結晶と化し、やがて崩れて消えた。


 真央は箱から一足のブーツを取りだした。稀代の魔女であった祖母より受継いだ魔女の靴だ。管理下で作られている模造靴ではなく、起源靴である。

 模造靴と起源靴では、魔道具として、大きな性能差がある。戦闘を含む道具としての耐久性や、扱える術の大きさなど、模造靴は起源靴の劣化コピーでしかない。


「……起源靴も生産できればいいんだけどね」

「私らで作れるならやってるし、作れても使える奴がいないんじゃ、意味ないよ」


 真央の無遠慮な愚痴に、サパタリアはため息で答えた。

 起源靴を作ることができる魔女も、扱える魔女も、極端に数が少ない。真央にしても魔女としての高い素養があったからこそ、祖母から靴を継げたのだ。


「そうだね。ごめん――」


 真央は指先で靴のつま先に触れる。


「久しぶりだね」


 何十年と昔から継がれてきた靴だが、封印棺のおかげで革は柔らかいままだ。祖母も自らの母から受け継いだらしく、当時の流行に合わせて作られたらしい。


 魔女が魔道具を靴に変えたのは十五世紀の半ばとされる。正確にはそれ以前よりあったのだろうが、現存している最も古い記録は、一四四七年に制作された長靴だ。それ以前に魔法を扱うために用いられた魔道具は、杖やローブ、またはアミュレットなどだったという。往年の魔女狩りは本物の魔女を狩っていなかったからだ。


 しかし加熱する魔女狩りが本物に及ぶことを恐れ、魔女たちは膨大な欺瞞情報を流布し、魔道具の形を変えた。より目立たず、より集団に埋没できるように。それでいて、ふいの事態に備えて常に持ち歩ける物――それが、靴だったのだ。


「まさかドラ子相手にこいつを持ち出す日が来るなんてね」

「……気を付けなよ? アタシらは魔女である前に、人なんだからね」

「良く分かってる。ボクは人で、魔女だ」


 真央は靴を手にぶら下げて、片笑みを浮かべた。

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