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六〇二年 神霊イオウェズ、死霊憑きに試練を与える。


 火神イオウェズの朝は早い。

 早起きしたところで何の意味もないのだが、彼女が人間だった頃、毎朝は朝日の出と共に起きて顔を洗い、髪を結び、朝餉の支度を手伝っていた。

 その頃の習慣が、この神殿に来て一年たった今も抜けることはない。

 意識して、抜けない様にしている。

 何しろ、彼女の住処となった神殿と言えば、本当にすることなく、共に住まう付人達は何かと彼女の世話を焼こうとする。

 自分で動かなければ服の袖通しから髪結いどころでなく、顔を洗って拭くところまでされかねない。

 自分でやると言っても、彼女達からしてみればそういうことをするためにここにいるのだから、仕事をとらないでほしいというところだろう。

 身支度をある程度整えたところで、彼女の居室に付人の一人が入ってきた。少女の深紅の髪と比べれば、若干薄い。それでも見事な赤毛の娘。二人が並ぶと姉妹のごとくみえるが、その正体は神と、神になりそこねたその眷属である。

 娘は扉の前で一礼する。


「おはようございます。イオ様。本日も早いお目覚めですね」


「そういうイルも、特にすることないのに早いよね」


 神殿に移り住んでから、五人の従者の名を聞き、世話係としていつも一緒にいてくれた娘の名がイルであることを聞いた時。


「なら、私もイオウェズなんて片っ苦しい名前は止めて、イオって呼んでよ。別にイオ様でもなんでもいいから」


 イルと、イオ。それなら、まるで家族のように繋がれる気がしたなどと言うにはイオの羞恥心大き過ぎたし、イルもそんなことを訊くほどに野暮ではない。


「はい、わかりました。イオ様」


 そう言って、二人の関係はそういうことになった。

 イルはいつも通りの挨拶を終えると、イオの部屋にある木製の衣装棚を開く。


「さあ、今日はどの服にしましょうか」


 そうして、自らの主を着せ替え人形にするのが、この人よりも長い寿命を与えられた神属の娘の数少ない楽しみの一つである。基本的に神であるイオには白絹の服しかない。襟袖の形、腰布など、わずかな意匠の違いを楽しむくらいしかないが、イルはそういう物を楽しむ人情の持ち主であるらしい。そう言った感性を育む前に神域となったイオウェズには、まだわからない。

 基本的にいつもうんざりしたイオに押し着せるところで終わるのが二人の朝の日課だったが、イオは今日は珍しく自分の意思を伝える。


「神装を、用意して」


 この一年で、この言葉を紡ぐのは五度目になるだろうか。この事態そのものは六度目である。

 その一言で、イルの顔付き、佇まいまでが神域のものに変わる。


「畏まりました、イオウェズ様」


 そうして、一切の装飾のない、純白の布服が差し出された。

 生家を離れ、この神殿へと辿りついた時にきていた物と、同じ装いである。

 自ら袖を通しながら、この神殿の主として従者に

「今朝から、ナトギ達の様子が忙しい。おそらく神殿の外も騒がしくなっているはずだわ。今日の太陽が天頂に来るよりも前に、『疵』を持った来客がある。スフ達にもお迎えをする用意を」


 一礼して部屋を出るイルを見送り、一人になってから。

 イオウェズは大きくため息をつく。


「ああ、来ちゃったなあ。どうしよう。大丈夫かなあ。がんばれ、がんばれアラナ」


 なんとか不安を解消しようと自らを鼓舞するが、きっと直前まで自分は緊張しているのだろうことはわかっていた。



 ※※



 ルネルという小さな集落がある。

 神殿へと続く一番手前にある集落ゆえか、旅人が訪れることも多い。

 しかし、神霊器イオウェズ様が亡くなられ、神霊の加護が失われてからは誰もよりつかず、集落は絶えるかとも思われていた。

 一年前。

 しばらく消息が不明になっていた神霊の器となる者が見つかり、神殿に神が顕現なされたという噂が流れてその動きが戻る。

 未だ新しい神の姿は確認できないが、山の緑が生い茂るようになり、狩りの獲物も豊富となった。流行病も抑えられるようになったし、いくつか枯渇していた水源まで潤いを取り戻し始めた現実を見れば、確かに、アマランス地方の守護聖霊は、民を見放さなかったのだと、納得できた。

 他の集落も活気を取り戻し、去年は行えなかった神の祭を行うかという話が出ていた矢先に、それは起こった。

 不作、不猟の時代に、積もり積もった鬱憤が、今になっても遺恨と残る。

 よくある話である。それが刃傷沙汰になるということもあり得なくもない。

 しかし、死人が出れば別である。

 殺してしまった側が自分のしでかしたことを恐れて逃げてしまう。そうなっては決着がつかない。

 何より、殺されてしまった者を弔おうとした時に、恐れている事態も起きる。

 亡骸を葬ろうとした近付いた男が、突然苦しみ出したからだ。

 まわりのものが駆けよろうとした時に、年寄り連中がそれを見て必死の形相で近付くなと叫ぶ。

 

 苦しみ出した男の腕に、赤い蚯蚓腫れが浮かびだしたからである。


 獣に掻かれた傷ではない。毒草に当たってこのような物は浮かび上がらない。

 そもそも、つい今さっきまであんなに元気だったのに。

 今その男は苦しみのたうちまわり、血走った眼で虚空をにらむ。

 何か、この世のものでない何かに襲われて受けた疵。

 

「死霊が出おった」


「近くにワノトギはおらぬのか」


「おらぬ。クマゴロウ様は三日も前に出てしもうた」


「わしらで神殿まで運ぶしかないか……おい、清め砂を急いで持ってこい。それと湯を沸かせ、絹布はあるか? 誰も肌を通したことのない服か布で覆ってやれ」


「親爺、これは一体」


「死霊憑きを知らんでも無理はないか、この集落で出るのは二十年ぶりか。恨みや執着を残して死んだ者の魂が、神霊様の元に帰ろうとせず、生きとる人間の体に入りこもうとするんじゃ」


「ああ早く、神殿に連れていかねば」


「あそこにはあのお方がおる」


「ああ、新しい器に入られたと聞く」


「神霊様が」


「イオウェズ様が!」


「神霊様の元へ急いで運べ」


 そうして、村の若衆達が担架に乗せられた男を八人がかりで運ぶ。

 今まで踏み入れたことのない、岩山の中腹。そこに大きく開いた大穴。

 その洞窟の奥に、神霊の座す宮があると言う。



 ※※



「イオウェズ様」

 

 早急に浮かぶ大地の中。紅に染まった神殿の自室にて深呼吸をしていたイオに、イルが声をかけた。


「イオウェズ様の仰られた通り、神殿から一番近くの集落ルネルに死霊憑きが出現したそうです。今、村の若者たちが憑かれた者を表の神殿に連れて参りました」


「わかった。今行くね」


 ここまで来たら、やるだけやるしかない。そう腹を括って、イオウェズは眼をつむり、一歩前に足を踏み出す。

 第一歩を踏みしめた瞬間、世界が揺れる。

 そうして彼女が眼を再び開けた時。

 視界に広がったのは、松明に彩られた洞窟の中の石造りの神殿と、懇願する眼でこちらを見る人界の人間達だった。

 付人の一人、スフがいた。おそらく村人達の対応をしていたのだろう。

 スフは彼女の姿を認めると告げた。


「皆さま、神霊イオウェズ様が御成りあそばしました」


 その声に、反射的に平伏しながらも、自分をちらちらと見ようとする視線もわかっていた。


「……あれが、神霊様……?」


「子供ではないのか?」


「本当に、トダラを助けれくれるのか」


 小声だがその内緒話は洞窟に響く。

 心の中で一度苦笑して、顔だけは真面目に前へ進む。

 床に寝かせられた男。苦しそうに歯をくいしばり、おかしな息を吐いている。

 その腕には、赤い蚯蚓腫れ。化物に腕を掻かれたような、紋様にも見える奇妙な疵。

 厳かに、少女の声が洞窟に響く。


「イオウェズです」


 憑かれ寝ころんでいる以外のすべての人間が、一様に頭を地面にこすりつけた。


「そのように畏まる必要はありません。時間が惜しい、『試練』をはじめましょう。この者の縁者は?」


 神の問いに、最後尾に身をひそめていた老爺が飛び出るように馳せてきた。


「ワシでごぜえます。クダラでごぜえます。このトダラはワシの息子です」


「わかりました、ではクダラ。今よりこのクラダの息子トダラに試練を与えます。私の神の力の一部を、この者に分け与えます。トダラがその力を受け入れる器であるならば、死霊は浄化され神域へと還り、トダラには生が許されます。しかし、試練に打ち勝てない場合は死霊ごと、トダラの魂は滅びることとなるでしょう。それでも、試練を受けますか」


「悩むまでもねえ、このままじゃ息子は死んじまうんだ。なら、試練を受けさせてやって下せえ。喧嘩の末に死んじまった馬鹿の亡骸を葬ってやろうと、最初に駆けよってやった、心根の優しい奴なんです。どうか、助けてやってくだせえ」


 だから、助けるのではなく試練を受けさせるのだと、訂正することに意味を感じず、少女は頷き、クダラの息子、トダラに近寄よる。洞窟の中の熱気が、増した。

 しゃがむ。大気が、熱を帯びてゆく。

 苦しむ男の右手を左手で掴むと、自らの右手と重ね合わせる。

 大人の手と子供の手。まるで大きさが合わないけれど、その生気は小さい方が満ちに満ちている。

 少女が所作を成す都度に洞窟の中の熱気が増してゆく。

 いやがおうにも、眼の前にいる少女の持つ異能を感じずにはいられない。

 陽炎が、二人を包むのを、面を上げた村人達は見た。


「我が名は、イオウェズ。第二神霊。神房の島マスカダインの守護なり。人の子よ、命を望むならばこの欠片を受け取り目覚めよ」


 少女は、持てる限りの握力で、男の手を握り締めた。



 ※※



「ねえ、イル。これは何?」


 全てが終わり、異界にある裏の神殿に戻ったイオは、自室の机に盛られた奇妙な果実を見つめ従者に訊く。

 神が脱いだ衣装を片づけながら、従者は答えた。


「マスカダインでございます。先ほどの集落の者達が、供物として届けてきました。イオ様は、召し上がったことありませんか?」


「見るのも初めて」


 一つ一つは小ぶりの果実が、一つの房に数十に群がっている。こんな色の果実も、初めて見る。


「イオ様に捧げられた物です。どうぞ、お召し上がりください」


「私って神様になった時に餓えなくなったから、食事なんてできないよ」


「いえ、それがそのマスカダインだけは神霊が口に入れることのできる唯一の果実なのです」


「……え?! そんなものあったの? この一年ここに住んでて初めて聞いたけれど!」


「そうなのですか?」


 ここ一年、食事どころか水も口にしていなかったイオは、おそるおそる果実の匂いを嗅いでみる。

 食欲を感じることなんて、もうないと思っていたのに、妙にかじりつきたくなる匂いをさせていたそれを、房から一つもいで、ほおばる。


「おいしい」


 強い感情を帯びると、言葉はとても単調になる。


「ようございましたね」


「村に住んでた時も、こんな美味しいもの食べたことないかも、いや、あるかなあ。木の実を潰して粉にしてね……」


「あの男の人、無事に浄化ができて、本当にようございました」


 イルは、静かに微笑んでいた。

 イオが神霊となってから、死霊に憑かれた人間が神殿に運びこまれるのはこれで六度目であった。

 神霊となり、特にすることもなく、神として何かしなくてもいいのかと尋ねても、「ただこの神殿に神霊がいるということが重要なのです」と従者に説き伏せられ、本当にすることがなく寝転がったり庭の小石を拾い集めたり、無意味に体を捻ってみたりして過ごしていた。

 どうやら自分がこの神殿に来てから、アマランスの大地は回復し、人々の生活に安心を与え始めていることは、大地の生命力そのものであるナトギを見ることで理解はできていた。それでも退屈と不満を押し殺して過ごす日々は続いた。

 二カ月程経った、ある日、妙な違和感を感じて相談すると、眷属達は思い当たるところがあるのか、準備を始めた。

 自分も神装と呼ばれる華美の無い服を着せられていると、その者は運ばれてきた。

 中年の女性。その体の全身に赤い蚯蚓腫れが浮かびあがっており、喘ぎ呻き、命の糸が切れかかっていた。

 何より、その女を纏う、厭な気配。世界に満ちる精霊ナトギとはまったく異質な、殺意と害意の集合体。


「死霊」


 誰に教えられるわけでもなく、イオはそれの仕組みを理解していた。

 その女性を運んできた紫色の髪の女は周りからはワノトギと呼ばれていた。

 ワノトギが言う。


「新しいイオウェズ様。この女に試練を」


 この神殿に足を踏み入れてから知る筈のない知識を覚えているという経験が多々あった彼女は、その試練が何かをすぐに理解して、女の手を握った。

 そうして、女の体に入った火神の力の欠片は死霊を浄化し、女は、神殿を出て自らの故郷へと帰って行った。

 連れて帰ると言って、女に同道したワノトギは、イオウェズに礼を述べ、どこかへ行った。

 もし、再び死霊憑きを連れてくることがあれば、頼むと言い残し。

 理解できた。

 神霊と呼ばれる力をその身に宿し、神殿に閉じ込められるようにして生きる人は、このためにいるのだと。

 それから、四度、同じように体に赤い疵を負った人間が、助けを求めてこの洞窟をくぐった。

 この前のワノトギとは、また別のワノトギを名乗る者が連れてきたり、村の者に運ばれたり、一人でここまで来たりしていた。


 神霊の御力を分け与えられ、試練に打ち克ち故郷に戻ることができたのは二人で。

 試練に破れ、死霊もろともこの世から魂が滅びてしまったものも、二名だった。


 結局のところ、試練は受ける側の資質を試すものである。イオの力量がどうであろうと関係はまったくないのが事実である。

 しかしそんな事実と、見殺しにしてしまった夜、夜通し泣きわめいたことは、何の関係もなかった。

 試練を与える者となって一年。

 自らの手で救えた者は、四人になった。


「ところで、死霊を生み出した原因になった、人を殺してしまった男の人って、どうなるのだろう」


「イオ様、それは人の領分でございます。彼らが自らの法と良心でもって、決着をつけるべきこと。私達は、そこにまで足を踏み入れることは許されません」


「……」


「イオ様、あなた様がそんなことまで背負う必要はありません。あなたは神霊様で、私達はみんなあなた様に守られている。けれど、人の責任は、人が取らなくてはならない。取らせてあげて下さい」 


「……おいしーよ、マスカダイン。イルも食べて」


 実を一つもぎ、イルの方に差し出す。

 従者は恭しく受け取ろうとして、いつまで経っても渡してくれないことにいぶかしむ。


「イル、あーん」


 やれやれと言った風に、イルは小ぶりな口を開けて、神の手ずからに果実をほおばった。 


 

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