六〇一年 狩人の娘アラナの一生の終わり 神霊イオウェズの始まり
アラナの、生涯初めてにして最後の旅は4日で終わった。
終の住処と思っていた生家を離れ、白絹を纏った己が眷属らに誘われ神殿へと辿りつくまでに、子供の足で四日。
足を擦りむくこともなく、息を切らすこともなく少女は山を2つ、4つの村を渡る行程を終えた。
人とは違う寿命を送る彼女の体は、かつての頃より強い。
「アラナ、ここがアマランスの神殿よ」
手を引いて案内してくれた娘が示したのは、岩山の中腹にある洞窟である。
とても神域とは思えぬその武骨さに少し呆れながらも、中に入る。
それほど長くかからずに闇は終わり、洞穴の奥に空洞が現れた。
壁に灯りをつける台が並んでおり、そこに付人達が火をつけてまわる。
空洞の中が照らされて見えてきた物に、何があっても驚かないつもりだったが、圧倒された。
空洞の中に、山村の生活では見ることなどないであろう、石造りの巨大な建物が現れたのだ。
形は各家庭に飾ってある精霊を迎える社と似ている。
あれを、もっと大きく、もっと意匠をこったものだ。
「すごい……」
少し人よりも賢ぶった少女が、年齢に見合う感想を呟くと、付人たる娘は少し笑って、さらに手を引く。
「ふふふ、驚いた? でもね、これだってあくまで『表向き』の神殿なの。あなたが主となる本当の神殿は、この向こうにあるのよ。さあ、足を進めて」
手を引かれ、少女はさらに足を進める。
神殿の入口に足を踏み入れようとした時、体が揺れた。
何に押されるわけでもなく、何かがずれた。
その感覚に気を取られ、意識を建物に向けた時。
世界は変わっていた。
「……」
アラナはそれを見ても、何も言わない。余りの光景に、絶句していた。それでもなんとか一言。
「きれい……」
眼の前にあったはずの石造りの建物も、洞窟も、すべてが消えていた。
青い、蒼い、雲一つない空。
大地が一つ浮いている。
その中心に、神殿がある。
赤い、紅い、不思議な光沢を放つ壁と柱。
室内も、赤を基調とした調度品で飾られた、この世のものとは思えぬ空間。
その前に、自分達がいる。
「これが私達が住む本当の神殿。表のあれは、人と神霊が会する用事がある時に降りて行く客間みたいなものよ。ここは神霊とその眷属、そして一部のワノトギだけが入ることを許された、神域よ」
娘に手を引かれたアラナがその建物に足を踏み入れた瞬間、全ての燭台に火が灯る。誰が触ったわけでもないのに、油が敷いてあるわけでもないのに、勝手に炎が、少女を迎えるように揺れた。
ただ、ただ圧倒されていると、ふと惹かれていた手が放された。
何かと思う間もなく、少女を引率する五人の男女がアラナ前に並び、平伏す。
両手両足を地面に付け、頭を深く深く下げる。
八歳の娘に、先ほどまで姉のように世話を焼いてくれていた娘が、述べた。
「お帰りなさいませ。霊器娘様。これより、この宮があなた様の終の住まいとなります。我らがあなた様の眷属として、その手足として全てを御意のままに致します。どうか、御心を安んじてくださいませ」
それなりに、頭のいい少女アラナは、その台詞を突然聞かれても、うろたえはしなかった。
むしろ、いつ言われるのだろうかと、びくびくしていた。
だからこそ、確認のため、言う。気持ちに区切りをつけるための儀式をこなす。
「お姉さん、今まで通りでいいよ。私は、ただの村娘のアラナなんだから」
「この炎の神殿の主となられた時、あなた様の魂は火神と一体となったのです。もう、アラナ様ではございません。あなたこそがアマランスの守護神霊イオウェズなのです」
想像していた通りの答えが、返ってきた。
イオウェズは、ひれ伏す眷属達に聞こえぬように嘆息し、空を見上げる。
神界の空が、この世のそれとつながっているのかはわからない。
けれど、青かった。いつかデンタナと共に走った青空の下を思い出すほどに。