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六〇一年 火神の器となる娘 神殿へと旅立つ


 人には見えぬが、この世界には精霊が満ちている。

 ナトギと呼ばれる不可視のそれは、神と人の仲立ちをするものとして、各家庭にはナトギを迎える小さな社のようなものを置くのが習わしとなっていた。

 実際にナトギというものが存在するのかどうかは問題ではなく、そうして見えぬものを通して自然を敬う心を見に付けるのだ。8歳になったばかりのアラナは、そういう風に捉えていた。

 人より少しだけ聡明で賢ぶった少女の眼には、今や世界中に満ちるナトギが視える。


「本当にいたんだ……」


 神霊をその身に降ろす役割、『器』。

 その役目についたことを示す、火のように赤い髪を風になびかせて、彼女は村はずれに立つ。

 あの夜、突然自分の髪が赤く染まった時、狼狽する父と母を尻目に、なってしまったものは仕方がないと受け入れたアラナ。

 どうせこの狭い村ではすぐにばれるだろうと、赤髪を隠すこともしなかった。

 大人達は畏れ、子供達は怖れ。

 彼女をそれまでと変わらずに接してくれるのは、両親とあの少年だけである。


「アラナ、何をしてるんだ?」


 幼馴染の二歳年上の男の子。狩人の息子、デンタナ。

 かつて、自分がそうであった、茶色い癖っ毛の少年は、おずおずと一日中村の外れに立って過ごすようになった少女に、訊く。


「うん。お迎えを待っているの」


「お迎えって……お父さんを?」


 アラナは首を振る。


「ナトギ達が、どこかにいる誰かに、知らせにいったの。私がここにいるって。きっと、誰かが私を連れていくためにやってくるはずだから」


 デンタナの顔がこわばる。


「連れていくって、どういうことさ。アラナが、どうしてどこかに行かなきゃいけないのさ」


「私の髪を見て。私は、選ばれたってことだと思う」


「なんで……」


 アラナにもその答えなどわからない。

 その間にも、日が西の稜線に沈む。

 今日も、誰も来なかった。

 本当は、こうしてずっと待ちぼうけをくらっていたい。

 少年が手を伸ばす。


「帰ろう、アラナ」


 その手を、取る。

 少年の熱を掌に感じ、不安が紛れる。


「ねえ、デンタナ。私ね」


 言いたいことはたくさんあった。

 もっとたくさん話したかった。話さなければならないことがたくさんあった。

 でも。

 村の向こう。

 日が落ちて、陰が深くなる。

 その陰の向こうから、白絹で顔まで覆った、数人の人影が見えた。


「来た」


 アラナは、それからデンタナと一度も口を利かなかった。



 ※※



 神殿から来たという、五名の男女は、アラナの家で父と母にアラナが次の神を降ろす神霊器であることを厳かに告げた。

 わかっていたことであるが、父は震えながら、わかりましたと、娘を頼みますと、口にするので精いっぱいで。母はただ泣いていた。

 次に、アラナと向かい合い、これからすべきことを伝えた。

 神殿へと移り住むこと。神を呼ぶ儀式を行い、その魂と同化し、神そのものとなること。神殿から出ることはできないが、家族と会えなくなるわけではないこと。その命を奪うような真似は、絶対にしないこと。アラナが神としての務めを果たすことで、このアマランスに住む全ての命が救われ、神としての尊敬を集めること。

 アラナに恐怖を与えない様に、怯えない様に、優しく諭すように説明する神殿の者達。

 大体、父と母の会話を盗み聞きして得た知識とおなじことを説明されただけだった。

 いや、念を押されたのだ。

 アラナは、どうしても訊かねばならないことを口にした。


「あの、私がその器になったら。私はもうアラナと名乗ることはできなくなるんですよね。もう、父と母の娘では、なくなるということですよね」


 ―デンタナと一緒にいることは、許されないんですよね―


 必死に取り繕う白絹の者達の言葉など、耳には入らなかった。

 次の日、アラナは神殿へと旅立つ。

 白絹の者達が、アラナのためにと用意した白絹の服。こんな上等な服は触れたことも見たこともない。

 それだけは役得かなと思いながら、何故自分のサイズを知っていたのだろうか? とも思うが、神様ならそれくらいどうにでもできるのかもしれない、とあまり考えないことにした。

 神に仕える者達に傅かれ、アラナは家を一歩出た。

 父と母は、ひれ伏して娘を見ることはない。

 そういうものなのだと頭ではわかっても、辛かった。

 村の人々は総出で見送ってくれる。

 みな、一様に頭を垂れていた。

 神を見送るのだ。

 そういうものだ。昨日の夜、アラナは死んだのだ。

 もし、死んでいないとすれば。そう、彼の心の中だけ。


「アラナ!」


 行列の前に立ちはだかった少年がいた。

 デンタナは、泣きそうな顔をして、アラナを見据える。

 どう言葉をかければいいのかわからない。どう行動すればいいのかわからない。

 けれど、飛びださずにはいられなかったのだろう。

 嬉しくて。

 けれど、彼の行動が色々な者にとって都合が悪いこともわかった。


「アラナ!」


 デンタナは二度、赤神に声をかけ、そして父親に取り押さえられた。

 神の行列に声をかけるなど、不敬でしかない。この家に、この村に災いの種となりかねない。

 だから、アラナは、無視をした。歯牙にもかけず、村を出た。

 

「アラナ!」


 懲りずに、少年は声を荒げた。

 村が見えなくなるまで歩いて、そうして、自分の隣を歩いていた白絹の者の一人が、言った。

 自分の手を取り、歩いていた、年若い娘である。


「そんな、物分かりよくなくたっていいのに」


「だって、私はもうアラナじゃないもの」


 そこで初めて、少女は声を上げた。


「アマランスのかみさま、イオウェズ。それが私の名前、私の全部なんだから」



 ※※



 神殿までの道のりは、五日かかった。

 立ち寄った村では必ず一泊し、村長をはじめとした村人たちに跪かれて、どうにも背中の痒い思いをした。

 人々は彼女に話しかけることはしなかったが、一様に感謝するように手を合わせていた。

 神としての力が芽生え始めたのか。

 人々が本心から彼女を崇めていることが、なんとなくわかった。


「神霊器様は、人々の信仰を肌で把握することができるのですよ。その人の敬いの気持ちが真なるか、理解できる」


 手を引いて歩いてくれたあのお付きの娘がそう教えてくれた。

 旅の道中、彼女が中心になってアラナの、いや、イオウェズの話相手を勤めてくれた。

 彼らお付きの物の正体にまず驚いた。

 宿泊の際、頭巾を降ろした皆が一様に髪が赤かったため、「もしかしてイオウェズって何人もいるの?」と眼を丸くして訊いてしまった。

 笑いながら教えてくれたのは、彼女達お付きの者は、八年前器候補選定の際に、器として選ばれなかった者たちだということ。神候補となった者達は、神の力を一部その身に宿す。宿し、なじめば体に変化が起きる。アマランスの神で言えば、火のように赤い髪を得ることだ。しかし、7人いた器候補は一人として完全な赤髪を得られなかった。

 確かに皆、真赤というには少し薄味の色である。


「その冬の夕暮れのような、血を溶かしこんだような赤い髪。あなたこそ、真の器に違いないわ」


 その比喩表現、なんとかならなかったのだろうか。

 そして、候補から外れた者達もまた、一生神殿で暮らすことを教えられる。

 神の力を一度宿した者は、もう人の世で過ごすことができないということである。

 数人の候補の中から一人の神が生まれ、そのものの眷属として残りの生を使う。それが与えられる宿命。

 それを聞いた時、少女は考えた。

 果たして、自分は歓迎してもらえるのだろうか。今まで何も知らずにのうのうと過ごしていたのに。

 そういう顔をしていたのか、お付きの娘は慌てて答える。


「あなたが悪いわけじゃないでしょ? 選定の儀があった時、あなた赤ん坊だったんだし、髪の毛生えてなかったんだからわかるわけないもの。あの時髪が少し赤みがかった連中は全員神殿に集められて、儀式を受けたわ。でも、一人も器になれるものがいなくて、もしかして、私達が神様に見放されたんじゃないかって怯えて、先代のイオウェズ様が亡くなられた時、私達は生きる目的を完全に見失った。だから、あなたがいてくれたことを知った時、私達救われたのよ。本当に、感謝しているわ」


 背中が痒くなる。


「アラナ。あなたの名前は私達が忘れない。あなたが、役割を担ってくれたこと、決して忘れないからね。ずっと、一緒だから」


 そう言って、眠るまで手を握ってくれたことを、少女はずっと忘れなかった。




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