5.私立熊風高校
世間話をしながらしばらく通学路を歩いていると、やがてタダクニ達の通う私立熊風高校が見えてきた。
熊風高校は同じ敷地内に虎雷高校という別の高校がある珍しい学校だ。なので、朝の通学路には熊風と虎雷の二種類の制服を着た生徒達が多く見られる。
この二つの学校は昔から何かと争っており、非常に仲が悪いことで有名だった。元々は一つの学校だったのだが、数十年前に色々と騒動があって分裂し、それから二校の長い長い因縁の対決は始まった。
こちらが授業料を下げれば携帯キャリア会社並みの早さであちらも下げ、あちらが学力向上に精を出せばこちらはスポーツに力を入れる。ならばとパンフレットの内容をねつ造すれば、なにくそと卒業生に有名人の名前を勝手に書く。といった具合で、切磋琢磨と言えば聞こえはいいが、毎日のように醜い争いを水面上で惜しげもなく繰り広げている。
とはいえ、そのおかげで授業料は公立並みに安く、勉強もスポーツも両校とも県内では上位に食い込んでいる。
そんな熊風高校と虎雷高校だが、巷では『双子校』と呼ばれている。その理由は同じ敷地内に建っていることもあるが、中央のグラウンドを挟むように左右対称に同じ形の校舎が向かい合っているからだ。
上から見るとコの字の形をした校舎は、AからCの三つの棟に分かれており、タダクニとサヤカのクラスである二年E組の教室はB棟の四階、ユウキ達一年生の教室は二階にある。
「どうしたんだ、こいつ?」
教室へ着くなり、死んだように机に突っ伏している幼馴染の森川マサヒコの姿がタダクニの目に入った。ただモテそうだからというだけの理由で染めた茶髪に、全身から負け犬オーラが滝のように溢れ出ている男である。
「うむ、それがなんでも熱を入れていたアイドルに交際相手がいたらしくてな。見ての通りへこんでいる」
隣に立っているもう一人の幼馴染、本望ウガチに訊いてみると、実にくだらない理由だった。
ブサメンという言葉を体現したようなマサヒコとは対照的に、こちらは実家が古武術の道場を開いている影響なのか、やや古風な口調と精悍な顔立ちから武士を思わせるイケメンだ。
「世の中何もかも腐ってやがる! もう俺は何も信じねえぞ!」
がばっと軽そうな頭を起こすと、マサヒコは両手を天井に掲げて声高に叫んだ。
「あ、裸の美女があそこに」
「なにっ!? どこだどこだっ!」
タダクニの指差す方をマサヒコは電撃の如き速度で振り向いた。が、そこはガラス窓で、四階の教室から見渡せる外の景色以外には何もなかった。
「ちくしょう!」
マサヒコは掲げた両手を机に打ち下ろして悔しがり、再び突っ伏してしまう。
「朝から騒がしいわねえ」
そこへ自分の机にスクールバッグを置いてきたサヤカがやってきた。
彼ら四人は幼稚園からの付き合いで、奇妙な事に小中高とほとんど同じクラスだった。
「まあ、気持ちはわからんでもない。私も好きな俳優が結婚した時は己の未熟さ故に心がかき乱れたことがあったものだ」
「『野郎』が結婚しようがどうだっていいんだよ! 『ガチホモ』、お前にゃ俺のこの張り裂けそうな胸の痛みは分かんねえよ!」
本望ウガチは周囲からは『ガチホモ』と呼ばれている。
平凡な男児ならばブタゴリラだのガチホモだのあだ名をつけられようものなら、登校拒否になり一生引き籠っているだろう。ただし、この蔑称ともいえるあだ名は別に彼の名前をからかってつけられたわけではなく、むしろ彼自らそう呼ばせていた。
そう、彼は正真正銘の同性愛者なのである。
今は茶髪が市民権を得ているのと同様に、同性愛者も認められつつあるが、未だに偏見や差別も多い。彼はそんな時代を憂いており、同性愛はなんらおかしいことではないということを身を以て証明して社会に広めるため、そして『ガチホモ』という言葉を胸を張って言えるようにしたい。
そんな思いを込めて自ら『ガチホモ』を名乗っているのだ。が、初対面の人間がその崇高な意図を汲み取れたことは今までに皆無である。
「ピュアなハートが傷ついた俺には癒しが必要だ。っつーわけで、明日の写真は買いまくるからよろしく頼むぜ、タダクニ!」
「写真?」
サヤカが訊ねると、タダクニは慌ててマサヒコの口を両手で塞いだ。
「な、なんでもねえよ、あはははは」
そうやって誤魔化すように笑うと、小声でマサヒコをたしなめる。
(バカ野郎! 本人の前で言うなってあれほど注意しただろ)
(わ、悪い。ついうっかり口が滑っちまった)
「?」
そんな二人をサヤカは怪訝そうに見ていると、助け舟とばかりにタイミング良く朝のホームルームを告げる予鈴が鳴った。
「おっとチャイムだ。早く席に着かないとな!」
「おお、そのとーりだ! さー今日も張り切って勉強するぞー!」
わざとらしく声をあげてタダクニは逃げるように自分の席へと向かい、マサヒコも後ろの棚から授業中に読む教科書という名のマンガ(クラスの男子の共有品)を見繕い始める。
「なにあれ?」
「わからんが、まあタダクニ達も色々あるのだろう。さて、我々も席に着くとしよう」
どうも腑に落ちなかったが、サヤカも自席へと戻ってバッグから教科書を机の中に移し始めた。