4.有馬タダクニという男
朝食を食べ終え、タダクニはユウキとシズカと揃って家を出た。
時折、朝っぱらからガチの殴り合いを繰り広げている住民やプロペラの破片が屋根に突き刺さったままの住宅などが見受けられるいつもの通学路を歩いて行くと、少し先の曲がり角から柔らかな長髪をポニーテールにまとめた少女がひょっこりと出てきた。
「あ、サヤカちゃんだ! おっはよー!」
ユウキが声を弾ませながら駆け寄ると、少女は朗らかに笑って足を止める。
橘サヤカ。タダクニのクラスメイトで、彼の三人いる幼馴染の一人だ。見てくれはそこらのアイドル顔負けに整っており、スタイルもスラッとしているが出るところはしっかり出ている。一〇〇人の男がいれば九九人は目を止め発情するであろう。残りの一人は生粋のゲイか、あるいは『変人』のどちらかに違いあるまい。
「おはよう」
「よーす」
「おはよう、サヤカちゃん」
適当に挨拶を交わすと、四人は一緒に歩き始める。
「ねえ、サヤカちゃん。今日の部活終わったらパフェ食べに行こうよ。近くに新しい店が出来たんだって!」
「あー、ごめんね。今日はちょっと用事があるから、部活終わったらすぐに帰らないといけないの。また今度ね?」
「そっかー、残念」
サヤカとユウキは女子バスケ部に所属している。一応は先輩と後輩の関係ではあるが、昔からの付き合いで姉妹のように接してきたので、部活動以外の場ではいつもこんな感じだった。
ちなみにタダクニも男子バスケ部に所属していたのだが、『ある』理由から既に退部している。
「だからお前は金使いが荒過ぎんだよ。ちったあ節約しろ、節約」
言いながら、タダクニは自然な動作で路上の飲料自販機の返却口に手を滑り込ませる。既に億万長者となったタダクニだが、常日頃の行動が既に条件反射となっているのだ。
「ほんとせこいわねえ。やめなさいよ、恥ずかしい」
「しょうがねえだろ、体が勝手に動くんだよ――ん?」
タダクニは急に足を止め、注意深く周囲を見回し始める。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「いや、どっからか金の気配が……そこだ!」
言うや否や、目にも止まらぬ速さでタダクニは手近な建物を駆け上ると、そこから壁を蹴ってさらに跳躍し、高さ八メートルはある街灯のてっぺんに向かって手を伸ばす。
「はっ!」
そのまま華麗に三点着地を決めた彼の左手には、一枚の紙切れががっしりと握られていた。
「おお、漱石さんではあーりませんか! お懐かしゅうございます!」
満面の笑みを浮かべてタダクニは手にした旧千円札に頬ずりする。どうやら風にでも飛ばされたのか街灯に引っかかっていたらしい。
「相変わらず金が絡むとすごいわねえ、あんた……」
街灯を見上げながらサヤカは驚きと呆れが入り混じった表情で呟く。
普段街灯などには気も留めないだろうし、ましてお札が引っかかってるなどタダクニ以外の誰も気が付かなかったわけだが、驚くべきは彼の観察力ではなく高さ八メートルまで瞬時に到達できる身体能力の方であろう。
「これも日頃の行いがいいからだな。きっと天からのご褒美に違いない」
「どこがだよ! ちゃんと交番に届けろよ!」
何の躊躇いもなくポケットに千円札をねじこむタダクニに、ユウキが突っ込む。
「アホ言うな。ここの警察に届けたってあいつらがネコババするだけだ。見てみろ、あれを」
そう言ってタダクニがあごをしゃくって差した方向には、朝っぱらから缶ビールを呑みながら交番内で花札賭博に興じている警官達の姿があった。
「うっ、確かに……」
堕落しきった国家権力を見せられ、ユウキは何も言い返せず黙ってしまう。
「だろ? あんなポリ公どもなんかより俺の輝かしいぐうたら生活のための資金にしてあげた方が漱石さんだって喜ぶってもんだ」
「何言ってんのよ、あんただって大して変わりゃしないじゃない。ほんと、昔からお金と楽する事しか頭にないんだから」
「うるせえな! ほっとけってんだ!」
サヤカにタダクニは怒鳴り声を上げるも、強く否定もできなかった。
生まれてこのかた一六年、事実タダクニは如何に楽して稼ぎ働かず生きるかということしか考えたことがなく、そこに恋の悩みだの思春期だの中二病だのといったものが入り込む余地は一切なかった。
その証拠に、いくら妹や幼馴染とはいえ美少女三人に囲まれながら登校するというシチュエーションは健康的な男子高校生なら常時発情状態なのだろうが、タダクニにとっては全く関心がなく、むしろ札束に囲まれている方がよほど興奮するのだ。
以前、理想の女性のタイプを聞かれたら「余命いくばくもない金持ちの婆さん」と真顔で答えて周囲をドン引きさせたほどである。もし赤貧の美少女と裕福なブサイクのどちらかと結婚しなければならないのなら即答で後者を選ぶ、有馬タダクニはそういう男だった。