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月下のラビリンス  作者: わたしです
デッドエンドのその向こう
6/22

世界はかくも美しく

 どれだけの時間ぶっ通しで歩き続けたのか、この空を見る事が敵わない霧が漂う湿地帯では知る術はない。


 漂う霧の層は確かに化け物の姿を隠し恐怖を煽ったが、実際に霧が薄まり闊歩する化け物の姿を目にした新月は、実は霧に守られていたのだという事を考えずには居られなかった。


 悪夢を体現したかのような化け物たちを実際に目にし、精神は瞬く間に磨耗していく。

 姿が見えない化け物と、姿が見える化け物は、どちらの方がより怖いのか。


 危険度で言えば前者のほうが高いかもしれないが、少なくとも新月は嘗ての朱色の厚い層が恋しくてたまらなかった。


 精神的にも苦しいものがあるが、何より新月を追い詰めるのは肉体的疲労感だ。

 体力は枯渇気味で空腹と合わさりわき腹にズキズキとした痛みが絶え間なく走る。

 渇いて張り付いた喉は水を求めて悲鳴を上げている。

 足が棒のようになるという言葉が身にしみて実感できた。


 出口は近いといってもまだ終わりは見えない。

 疲労が色濃く浮ぶ青白い顔で、それでも新月は歯を食い縛って歩き続けた。


 間違いなく満身創痍でありながら、前を行くアディアナが心配そうに何度も振り向くのに対して気丈に笑ってみせ目の奥で希望の炎を絶やさず燃やす。


「――見えた」


 前を見据えたアディアナが、隠し切れない喜びを滲ませて呟いた。

 終わりを予感させる言葉に、新月は俯きがちだった顔を勢い良く振り上げて前方を睨むように見据える。


 それは初め巨大な壁に見えた。

 随分と薄まった霧が漂う中、高い壁のような影がぼんやりと確認でき、次第に近付くにつれて壁ではなく城である事に気付く。


 昔は白く美しかったであろう事を思わせる巨大な城。

 だが今は見る影もない。

 あちこちが壊れ、崩れ、血が乾いた後の黒ずみを作っている。

 おどろおどろしい雰囲気にまるで幽霊城みたいだと彼はのんきにぼやいた。


「アナ、ここは……」

「ええそう、この城の中を抜ければ出口です」


 脳みそが鉛か泥にでもなってしまったのかと思う程長い時間を掛けて、じわじわと彼女の言葉を反復した新月は胸の内から溢れる喜びに大きく両手を握り締めた。


 漸く見えた地獄の終わりに、束の間疲労も忘れて電流のように全身を走る強い歓喜に浸る。

 とはいえ、決してまだ終わった訳ではない。


 言われるまでも無く危険は理解している。

 湧き上がる喜びに待ったを掛けて身体全体で呼吸をするように大きく胸を膨らませた。


 直後に大量の刺激臭を吸い込んでしまった新月は内臓が捩れるような気持ち悪さに顔を蒼白にさせてしまい、己の不注意を恨む事になり喉を震わせて咳を吐く。


「げぇっほ、えっほ。はぁ、よ、よっしゃ、行くぞ!」

「ええ、終わらせましょう」


 疲れを吹き飛ばすように宣言し、幽霊城目指して進む。

 勿論周囲の警戒を怠る事無はない。


 少しの綻びも見逃すまいと注意深く新月は観察する。

 周囲に化け物の姿は見えず、音すらもない不気味な静寂。

 唇を舌で湿らせて目的である幽霊城へと視線を移した新月の脳裏にある考えが浮ぶ。


「なあ、あの城の中絶対化け物いんだろ」

「居ますね、うようよ」

「だったら城の外側歩いて回り込もうぜ、態々中通らなくてもいいだろ」


 確かに巨大な城ではあるが、断崖絶壁などの要因で道がふさがれていたりする訳ではない。回り込もうと思えば、時間は掛かるであろうが可能だろう。


「いえ、それでは意味がありません」


 新月の意見を両断するように彼女は首を振った。


「ここを常識で考えてはいけませんよ。確かに回り込む事は出来ます、けれどそれで出口に到達できるかといわれれば違う。出口は、あの城の中を通らないと辿り着けない。そういう造りになっている」

「ああ、くっそ。流石は異世界、面倒くさいな」


 どこかへ吹き飛んだと思っていた疲れが舞い戻りがくりと肩を落とす。

 二人は僅かな緊張に身体を強張らせながらゆっくりと巨大な門を潜った。


 初めて見る城内は豪華なシャンデリアやらで装飾が施され、見るからに金が掛かってそうな内装。

 もしかすると感嘆の息の一つや二つ、吐いたっていいかもしれない。


 ただ非常に残念な事に、その全てが血と肉片で飾り付けられており、新月は口から喉を駆け上る熱いものを吐き出さないように手を添えた。


 城内は完全に霧が消えているが、明かりがないために隅々まで観察とは行かなない。

 臭いも外の涙が出るような刺激臭に比べれば随分と控えめに感じたが、既に嗅覚が麻痺しきって居る事を自覚する新月には実際にどうなのかは分からない。


 アディアナの後を追うように入り組んだ城内を歩いていく。

 今のところ、化け物の姿は見えていなかった。


 時折立ち止まり柱の影に身を隠したり、元来た道を戻ったりしている所を見ると化け物が居るには居るが、上手い具合にアディアナが避けているらしい。


 外とは違い、声が良く通る城内で口を開く気にもなれず無言で後を追う新月は、前を行くアディアナが立ち止まったのに合わせて足を止めた。


「この広間を抜けます」


 指さしたのは扉が半分壊れた広間で、手招きをする彼女に従って隙間から中を除いた新月は零れそうになった悲鳴を噛み締める。


 中の広間には多くの人の屍がうぞうぞと昆虫のように床を張っていた。

 全てが腰から下をなくし、血と臓物の尾ひれを引きながら爪の剥げた両腕で床を押して移動する。

 口からは意味の無い空気のような音が零れ、目玉はないものが大半、あったとしても解けたようにぐずぐずだった。


 千切れた腰の断面からは絶え間なく血液が溢れ、ちらりと見える真っ白な背骨がカリカリと床を傷つける音がそこかしこから聞こえる。

 本来ならばもの言わぬ骸となる筈の人型の化け物たちは、どういった目的があるのか只管に這いずっていた。


「ここを通るのか……」

「大丈夫。触れなければ、彼らが襲ってくる事はないです」

「……合体しようぜ」

「勿論ですよ」


 膝に手をあて尻込みしそうになる自分を叱咤する。

 怖い、だがここを行かねばこの地獄は終わらない。


 だったら取るべき選択肢は一つに絞られる。

 全身を暖かさに抱きしめられる。自らの手を包む黒い靄を確認して短く息を吐き出した。


「行くぞッ」


 彼はなけなしの勇気を振り絞り扉を潜った。

 屍が絶えず動き回るといっても、昔のゾンビ映画のように動きは遅く足の踏み場も十分な広さがある。


 今すぐにこの不気味な空間から逃げ出したいと叫ぶ逸る気持ちを抑え、屍の動きをナビゲートしてくれるアディアナの声に耳を傾けながら慎重に進んでいく。


 床をじっと見つめて足場を探していると、時折屍のぽっかりあいた眼孔と目が合うことがある。

 本来目玉が収まっている場所は空っぽで、蛆虫のような昆虫が出入りしているのを目にして新月は背筋が凍えていくのを感じた。


 どうしてこうも人の形を残した化け物ばかりが居るのかとぼんやり疑問に思う。


(もしかしてこいつらマジで昔は普通の人間で、死体を元に化け物に作り替えられたのかな……)


 吐き気を催す悪趣味な想像にムカムカとした物を感じて思考を中断させる。

 自分もそうなっていたかもしれないと思うと膝が笑った。


 何よりもしかするとこの這いずる屍の中に見知った顔があるかもしれないと考えてしまい、新月の全身に震えが走った。


(馬鹿な事、考えんな。あと少しで――――、あ)


 それは一瞬の空白だった。これまで溜まりきった疲労もあり、出口が目前という事で焦りもあった。


 張り詰めていた意識を一旦解き、呼吸をしてもう一度張りなおす。

 その僅かな意識の遮断が命取りとなる。


 ぐにゃり、と足裏から確かに感じる今までとはまるで違う感触に、新月の思考が吹き飛び心臓が凍りつく。


 踏ん張ろうとした足は合体時の重さゆえか、今までの疲労ゆえか覚束ず、対処に遅れを来たした。

 決定的となったミス、奮闘空しく身体はバランスを崩し宙で揺らいだ。


「――ふッ」


 新月のピンチを救ったのは、黒い靄となって全身を包むアディアナだった。

 前のめりに倒れこむ新月の胸から漆黒の腕が伸び、床を力強く押して新月を支える。


 彼女の迅速なサポートにより何とかバランスを取り戻し、倒れこむのを回避する事が出来た。

 だが、安堵する訳には行かない。


 礼を言う時間も惜しいと新月は慌てて視線を床へと向ける。

 先ほど自らが踏んだ場所、あのぐにゃりとした感触の正体を確かめる為に。


 見つけた場所に転がっていたのは、小さな物体だった。

 光がなく暗い広間で新月は見落とし、怪物そのものではないためにアディアナも気付く事が出来なかった物体の正体は、臓物。


 絶えず断面から血を零れさせ、そして同時に屍の化け物が撒き散らした臓物の、その小さな破片。


 息が止まり震える視線で辺りを見渡せば、じっと新月に顔を向ける幾多もの暗い眼孔を見た。


 這いずり回っていた音はもう聞こえず、動きを止めた屍たちは自らの領域に侵入した不届き者に漸く気付いたとばかりに顔を上げて、じわりと開けた口から舌を零した。


「ふざけんなッ!」

「走って‼」

【ぁぁぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛―――――――ッ‼】


 新月が悪態を吐き、アディアナが叫ぶのと、広間を揺るがす大合唱が響くのはほぼ同時だった。

 弾かれた様に駆け出す新月を離れて、再び黒い人型となったアディアナは襲い掛かる屍たちを殴り飛ばす。


 がりがりと床を引っかき、今までとは一線をなす速度で地を這う屍が、床を打ち身体を波打たせるようにして宙へ跳ねる。


 我武者羅に走る新月へと手を伸ばし、大口を開けて喰らい付こうとする屍たちは、直後に守るように立ちふさがるアディアナの拳によって地面を転がった。


 だがきっと彼らに痛みを感じる機能などはありはしない。

 殴られ、蹴られ、降り注ぐ暴力を前にお構いなしに突撃を敢行する。

 空中を滑るようにして移動するアディアナでも、その全てに対応する事は不可能だった。


「がァッ!?」


 激痛が太もも辺りから走り、次にぶちりと肉を引きちぎる音が耳に届いた。

 嘗てない激痛に思考に空白が生じ、溢れた涙で頬を濡らす。


(食われたッ⁉)


 くちゃぐちゃと租借する音を聞いて直ぐに理解した。

 痛みで泣き喚きそうになり、弱音を吐きそうになる口を歯を食い縛って縫いとめる。


(傷の深さは分かんねぇ、見たくもない、足が動けばそれでいいッ!)


 鮮血が伝い真っ赤に足を濡らしながら、それでも動けと鞭打って疾駆する。

 「逃げるのにも力がいる」と言ったアディアナの言葉が脳裏を掠めた。


 新月は自らを鼓舞するように獰猛に笑う。

 黒い人型の護衛の隙間を縫って飛び掛る屍の大口開いた顔面へ向けて、扉を蹴破るように靴底を叩き付けた。


「どけッ! 俺は生きてここを出るんだッ、絶対死んでやらねえぞ!」

「その意気です、頑張って!」


 背後から伝わる地獄の底から響くような怨念篭った叫び声に決して視線を送らない。

 新月は脇目も振らず飛ぶように広間を駆け抜けた。


 床の上を滑るように移動するアディアナの指示に従い、速度を落とす事無く通路を抜け、扉を潜り、転がるように階段を駆け下る。


 閉ざされた壊れかけの城門の隙間に身体をねじ込んで漸く城を抜け出した。

 荒い息を吐き出しながら見た光景は、巨大な湖。


 城が建つ陸地からぐるりと上も横も、周囲を全て覆うようにして幾つもの大樹が伸び空も見えない。

 だが、そんな暗闇だからこそ、対岸にある大樹の隙間から零れた光は天の恵みのように輝いて見えた。


 新月は背後の轟く化け物たちの奇声に焦りを感じながら、しかし目前の救いへ向かう為に我武者羅に湖へ飛び込む事はしない。いや、出来なかった。


 麻痺していると思っていた鼻腔を貫く、生臭い異臭と暗くても分かる湖の淀み。

 巨大な湖は全て、血液で出来ていた。

 船や橋なんて優しいものはなく、対岸へ渡る方法は泳ぐ以外にはありえない。


「これ、大丈夫なのか⁉」

「大丈夫、行って! 今更汚れるのが嫌だなんて言わないでしょう?」

「たりまえだくそったれッ!」


 アディアナの言葉に背を押され、新月は勢い良く血の湖へ飛び込んだ。

 淀み底が見えない湖は深く、足はとてもではないが付きそうではない。


 上着を脱ぎ捨て身軽になり、血を搔き分けて新月は泳ぐ。

 舞い上がる飛沫も、鼻に来る異臭も気にならなかった。

 ただ只管にこの場所から逃げたいと、彼は全力で腕を動かした。


 怨嗟の大合唱も次第に遠く、聞こえなくなり、代わりに光が大きく強く輝きを増す。

 何度も溺れそうになり、その度にアディアナに救われ、声援を受けた。

 一心に光溢れる場所を目指して、根性のラストスパート。

 到着した対岸へ這う這うの体で這い上がり、転がるように光の中へと飛び込んだ。


「――――」


 目の前が真っ白に染まる。

 今まで随分と長い間暗い場所に居た双眸は、久方ぶりの光を受け止めるのに少しばかり時間がかかった。


「……ぁあ」


 零れた声は震えていた。

 聞こえてきたのは砂浜に寄せては帰る波の音、心地のいい潮風が吹き込み髪を揺らす。


 雲ひとつない晴れ渡る晴天に、大地へ恵みの光を降り注ぎ肌を焼く灼熱の太陽。

 その全てが新月にとって感動的で。


「おおおおおおおお―――――ッ!!!」


 自らの生を、生き残った事を証明するように、腹の底から咆哮を挙げる。

 海は。風は。太陽は。世界は。

 こんなにも美しいものだったのか。

 新月の心に暖かな炎が灯り、目尻から涙が零れ落ちた。

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