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月下のラビリンス  作者: わたしです
デッドエンドのその向こう
4/22

なけなしの勇気を握り締めて

「起きろっ、みっちゃん!」


 喧しい親友の呼び声に眠気眼を擦って欠伸を一つ。

 ぼんやりと霧掛かった頭で見慣れた自室の天井を見つめて、暫くベッドの上で意識が完全に覚醒するのを待つ。


「みっちゃん! はよう、はよう起きて! 外寒い、むっちゃ寒い!」


 意識の覚醒までの僅かな時間すら待てないと、どこぞのセールスマンのようにチャイムを連打。

 先に根をあげたのは、何時も通り新月の方だった。


 のろのろとした動きでベッドから下りて流しで軽く顔を洗う。

 名残惜しそうに大きな欠伸をしたら頬叩いて夢の世界へと別れを告げ、気怠そうに鍵を開けた。


「おうおはよう。何時も通り煩いな」

「おはようみっちゃん、何時も通りぶさいくな寝起き面だね」


 玄関前に立っていた親友、菊池健次と恒例の軽口を叩き合いながら自宅へと招き入れる。

 おじゃまー、と慣れた様子で靴を脱いで、まるで自分の部屋だと言わんばかりに堂々と開いていた椅子に座り込む。


 その様子に苦笑しながら、新月は歯ブラシを手に取った。


「んで、今日は何しに来たんだよ。朝っぱらから」

「んー、なんだろうね。こう胸騒ぎがしたって言うかさ」

「はぁ? なんじゃそりゃ」


 つまりは何となくという事か。

 そんな事で起こされたのであればたまらない。

 皺の寄った眉間に手を当てて菊池を強く睨みつける。


「そんないい加減な理由で俺の快眠を邪魔したのかよ?」

「いい加減っちゃいい加減だけどさ……。みっちゃん、何かあった?」

「――――」


 帰ってきたのは想像以上に真剣な表情だった。

 何時ものおふざけは影を潜め、何かを探るようにじっと見つめてくる。

 親友の表情を見て、新月は声も無く手に持った歯ブラシを流しに置いた。


「別に、何も……」


 ふいにざわりと気持ちに漣が立った。

 嫌な気分だった。何か分からないが泣き出しそうになる。

 新月の傍まで歩み寄った彼は、いつの間にか震えていた肩に軽く手を置いて、静かに促した。


「話してみ」


 ほんの少しの空白。乾いた唇を湿らせて、ぽつぽつとつっかえながら、胸のうちに浮んだ言葉を紡ぐ。


「何かさ、夢を……見たんだ」

「どんな?」

「――――お前が死ぬ夢、俺が一人になって逃げる夢」

「そっか」

「俺、何も出来なくて、逃げたよ。お前を置いて、他にも一杯友達いたのに、全部見捨てて」

「うん」

「俺、俺さ……最悪だ」

「そうかな?」

「そうさ」

「そうでもないよ。きっと皆そうする、オレも変わらんよ」

「だけどッ!」

「罰を望むなよみっちゃん。誰も悪くない、仕方が無かったんだ」


 項垂れていた顔を勢い良く上げる。

 目の前に居る親友の見慣れた顔は、どこか雰囲気が違っていた。

 息が乱れる。焦燥感が胸を焦がし、慌てて伸ばした手は空を切った。


「まっ、こんな事言ったけど、オレだって聖人君子じゃない。今じゃなくていい、何時かでいいからさ、『仇』とってくれよな」

「待て、待てよ。何言ってんだ。お前はここにいるじゃんかっ、何言ってんだよ……ッ!」


 追いすがろうとする足は地に根が生えたように一歩も動かない。

 そうこうしている間にも二人の距離は離れていく。どこまでも、無限に遠のいていく。

 気付けば周囲には何も無い。

 ただ白一色に世界が広がる中で、涙で歪む視界に菊池の笑顔が最後に見えた。


「頑張れみっちゃん! 精一杯生きろ、オレたちの分まで。約束だ!」


 消える。消えていく。全てが白に塗り変わる。

 嫌だと叫んだ。行くなと嘆いた。

 しかしその全てが空気を震わす事は無く、溢れた白光が全てを飲み込んでいく。

 そして――――。








 ――――起きて。



◆ ◆ ◆



「――きて、起きて。早く起きてください」

「いてぇっ!」


 パチン、と額を打たれる感覚に意識は一息に覚醒へと導かれた。

 慌てて身を起こそうと上半身を持ち上げた新月は、続けざまに額を強かに天井に打ち付ける。


 どうやら随分と狭いところにいるらしい。ひりひりと痛みを発する額に手をあてる。

 状況を探ろうと視線を彷徨わせる新月の目の前に、突然それは現れた。


 真っ黒な霧の集合体のような人型の物体。目や口と言った顔を作るパーツは皆無で、まさしく人の影がそのまま立体となって動き出したような姿。

 新月は一言で感想を弾き出した。すなわち、『化け物』。


「ばけッ――――むぐぅ!」

「静かに。興奮するのは分かるけれど、今叫んだら死にますよ?」


 叫ぼうと大きく開けた口は影の手で強引に塞がれ、ピンと立てた人差し指を自分の顔の口があるべき場所に当てて囁くように注意を促す。


 目の前の影が紡いだ聞き覚えの在る声に、新月の両目はこれ以上ないほど見開かれる。

 塞がれた手を払いのけ、怒鳴ろうと口を息を吸う。

 

 しかし直ぐに言葉を思い出し落ち着かせようとそのまま深呼吸。数度繰り返し、彼は強い口調と共に目の前の黒い人型をにらみつけた。 


「お前、あの詐欺女神か?」

「詐欺とは酷い言い方ですね。嘘は言ってませんよ? そう言いたい気持ちは、まあ、分かるけれど」


 目も無いのに分かりやすく顔ごと動かし、目を逸らすという芸当をやってのけた黒い人型兼女神に新月は怒りのままに掴みかかる。


「ありゃなんだこらっ、俺の手引き千切ろうとしやがってっ!」

「仕方が無かったんです、時間も僅かでしたし! 申し訳ないとは思っているけれど、傷も無く成功したのだから許してくださいっ」

「ああ? ――ってそうだ手!」


 女神の言葉に視線を落とせば、確かにズタボロになっていてもおかしく無い筈の左手に傷は無い。

 変わりに見覚えのない刺青のような模様が皮膚の上を走っていた。


 満月を思わせる金の真円と星形に、絡みつくようにして走る黒い蔦の模様。


「なんだこりゃ」

「契約の証です」

「まあ、成功したってのは何となく分かるよ」


 じっと目を凝らせば目の前の黒い人型も、自分の体から出ているというのが靄という形で良く分かった。


「何か不具合はありませんか?」

「特に無いけど」

「良かった。()の力と魂を受け入れるなんて普通の人間には無理ですから、少々身体を弄らせてもらったけれど、大丈夫そうですね」

「おい、詳しく説明しろ」


 身体を弄ったと、軽くいうが新月にとっては絶対に聞き逃せない言葉だ。

 詰め寄る彼と目を合わせようとせずに、早口で。


「貴方はもう人ではありません」

「てーと、神様に成ったって事?」

「そうでもありません」


 首を傾げる新月に説明する為に息を吸って言葉を続けた。


「まず、本来契約とは神の力を少しだけ分け与えるというものだけれど、今回、貴方には残った力全てと私の魂を注ぎ込みました。勿論人が受け入れ可能な要領を大きく超えていたので、その際にきちんと収まるように拡張しました」

「拡張って……」

「故に人ではなく、けれど神でもありません。神とは作れるような存在ではないので。それに私自身、永きに渡る怪物どもとの接触で純粋な神とはいえない存在になっていましたし……」


 あのギョロリとした血走った目を思い出して、なるほどと新月は頷く。

 彼女も同調気味にこくこくと頷きながら。


「人をベースとし神もどきの力と魂を受け入れ可能な要領を持った新生命体の誕生ですね。おめでとう」

「ふざけてんのか」

「ひゃめてっ、ほっぺひゃひっぱらなひへっ」


 黒い人型はその見た目と反して、本物の人間のような感触がした。両頬を思う存分引っ張った新月は、結局何も分からないという身も蓋も無い結論を出す。


「今はその模様だけだけれど、次第に他の部分にも影響は出てくるかと」

「俺、女に何の?」

「残念だけれど、それはないです」

「残念じゃないから!」


 コロコロと鈴の音のような声で笑う女神は、随分と雰囲気が柔らかくなっていた。鎖に繋がれている状態に比べれば、今は随分と良い環境だからだろうか。

 そんな事をつらつら考えている彼に、女神は探るような雰囲気で首を傾げる。


「どうかしましたか?」

「あー、別になんでもないよ」


 結局あれは夢であって現実ではない。ただの妄想でしかなく、何も無かったというのは正しいかもしれない。しかし新月の心は間違いなく軽くなっていた。


「そうですか? 本当にぃ?」

「めんどくさいなアンタ」


 頭を左右に振りながら黒い人形は迫ってくる。 

 それを煩わしそうに押しのけて、新月は周囲へと視線をやった。


「で、ここはどこだよ。さっきの様子じゃ、気分のいい場所じゃなさそうだけど」


 問いかけに対して、彼女の纏う雰囲気はがらりと変化した。


「ええそう。ここは怪物どもの巣窟真っ只中。言ったでしょう、貴方には力がいる、私には足がいる。脱出するための、力と足が」

「てっきり直ぐに襲われると思ってたよ」

「狭く脆いですが、ここは貴方と出会った場所の残骸です。外へ行けば、どうなるかは分かりません」

「時間は?」

「静かにしていれば幾らでも隠れる事は出来るでしょう、永遠には無理だけれど。生きる為に必要なものが、ここにはない」


 食糧、水。それらは生きる為に最低限必要なものだ。

 今までは一杯一杯で気付かなかったが、意識すれば喉の渇きと空腹が子供の癇癪のように激しく訴えかけてくる。

 かといってすぐさま飛び出すわけにも行かない。不安要素は幾らでも在る。


「力っつったって、神々は負けたんだろ。んでお前はその神の中でも未熟者。そんな力が通用するのか?」


 それは本来、契約を結ぶ前に聞くべきだった事かもしれない。

 しかし結局の所、結ばなければ通用するも何も無いとあの時は聞かなかったのだ。


 『いざ脱出だ』と意気揚々と外に出て何もできませんでしたでは話にならないために、今更ながら新月は問いかける。


「恐らく、大丈夫かと。彼らはいわば神々の天敵、ただそこにあるだけで毒のようにじわじわと私たちは衰えました。まともに力を振るう事すら敵わず、当時、人々は力で、私たちは毒で敗北しました」

「その毒が効かないと?」

「ええそう、少なくとも人間には効かないのは間違いありません」

「だけど俺は人間じゃない。だろ?」

「けれど神でもありません。故に、『恐らく』、『少なくとも』、ですよ。あの毒が今の貴方に効くか効かないかは分からないんです」


 モルモットになった気分だと愚痴を垂れる。

 命に関わる実験を、自分でやりたくは無い。


「俺は別に武術を習ってたわけじゃない、ド素人だ。ただの不良相手に一対一でも厳しいし、二対一になったら勝ち目ゼロだ」

「大丈夫。戦えと、そう言う訳ではありません。逃げるのにも力は要る、そうでしょう?」


 ぽつぽつと、言葉を吐き出す。

 逃げ道を塞ぐように、確実に。


「どこにどう行けば外に出られるか分からない」

「大丈夫。私が知っています。外から奥へいくのは難しいけれど、中から外へいくのは簡単なはずです。そういう造りになっている」


 新月の問いに対して、女神はじっと辛抱強く答えていった。

 決して急かさず、一つ一つ丁寧に。


「――死にたくない」

「私もですよ」


 大きく息を吸って肺一杯に空気を満たす。

 早まる心臓の鼓動を落ち着かせるように時間を掛けて吐き出していく。


 食料も、水も無い。手の傷は治ったけれど、足はまだ痛々しく傷だらけで爪も剥げている。

 身体の節々に鈍い痛みが残っており、圧し掛かる疲労が鉛のようだ。

 だが幾ら待てども、回復に向かう事はないだろう。

 今が最高で、これからどんどんと坂道を転がるように悪い方へと向かっていく。

 きっと何れ動く事すらままならなくなる。だったら――。


「行こう」


 力強く、覚悟を決めた。

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