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月下のラビリンス  作者: わたしです
デッドエンドのその向こう
3/22

『契約』

 煌々と満月が照らす大樹の根元で、傷だらけの二人は視線を交わす。

 じっと汚れた白髪越しにこちらを除く真っ赤な目に、新月は気圧されたように唾を飲み込む。


 僅かな恐怖を隠し切る事が出来ない。小さく震える脚は、彼女と距離を置いた所で止まってしまう。


 その事に目の前の女性は一瞬悲しげな表情を浮かべた。

 眉を寄せて眦を落とした、幼い子供が泣くのを堪えるかのような表情。

 きゅっと唇を横に結んで、彼女は自らの胸中に浮かんだ感情を隠しきろうと薄く微笑んだ。


【ありがとう】


 彼女は言った。


【話を聞いてくれるんですね】

「アンタが、質問に答えてくれるなら」

【勿論、どんな質問でも答えます】


 彼女は深く頷いて口を噤む。どうやら先に質問に答えてくれるらしい。

 少しだけ首を傾けて質問を促してきた。


 聞きたい事は山ほどある。ありすぎて、まず何から聞けばいいか分からない程だ。


(何から聞こうか……?)


 思考をまとめていた新月の視線が、彼女の縛られた両腕を見て止まった。


「それ……痛くないのか?」


 無意識に零した質問は、当初聞こうと思っていた事とは違う。

 だが気になっていたのも事実だ。


 彼女の腕には鎖が食い込み肉を抉っていた。

 手当てのつもりなのか包帯が鎖の下に巻かれているが全く持って意味がない。


 指先から肘の辺りまで巻かれた包帯は破け、五指全ての先端が真っ赤な血で滲んでいる。

 きっとあの包帯の下に、爪はないのだろうと確信させる程の出血。

 ぼんやりと細部まで目を走らせた新月の顔は、見る見るうちに蒼白なものへと代わっていった。


【優しいのですね。けれど大丈夫です、痛みはありません。心配してくれてありがとう】

「そ、そっか。なら良いんだけど……」


 いや全然よくねーよと胸中で激しく突っ込みを入れる。

 どこをどう見たら良いように見えるのか。

 謝罪が頭を過ぎったが、彼女の目を見て出かけた言葉を飲み込んだ。


 ギョロリとした血走った眼球は今でも恐怖を覚えるが、その目は謝罪を望んでいる風には見えない。

 何よりどこか急いでいるようだった。


「じゃあその、質問だけど――」


 言葉を続けようとして開いた口からは、思いに反して掠れた息しか出てこない。

 質問するのが怖かった。質問の答えを聞くのが怖かった。

 恐怖に喉が詰まって言葉が出てこない。

 本当にこの質問をするべきかどうか、僅かに目を伏せ自分に問う。


「……」


 答えは直ぐに出た。答えを聞くのは怖かったが、それでも聞くべきだと思った。

 今度は詰まる事なく、言葉はするりと口から吐き出された。


「ここは、日本か?」


 対して、彼女は口元から笑みを消して答える。


【いいえ】


 言い切って、続いた答えは。

 新月が考えた最悪の予想の上を行く。


【ここはニホンという場所ではない。どころか、貴方の知る『世界』ではありません】


 喉が凍りつく。

 何を馬鹿なと切り捨てられたらどれほど楽か。ふざけるなと怒鳴りつけて現実を見なければきっと心は軽くなる。


 同時に彼の脳裏にはあの怪物の姿が浮かんでいた。

 今こうして目の前にいる彼女を見る。


 どちらもかつての世界ではありえない存在だった。


 ここが別の世界だと言われて、嘘だと言う否定の言葉はどうしても出てこなかった。


【混乱しているでしょう。少しだけ、話を聞いてください】



 ◆ ◆ ◆



 遠い遠い昔の事。この世界は平和でした。大きな争いも無く、子供たちが野原を駆け回る。

 日々の恵みに感謝して、暖かな希望に包まれていた。


 そんな平和な日々は、ある日を境に跡形もなく崩れ去ってしまった。


 余りにも突然に、なんの脈絡もなく、この世界は侵略を受けました。

 空間が砕け、そこから多種多様の怪物が襲い来て、平和を享受していた人々へ牙を剥いた。


 奴らは強かった。容赦なく人々の命を奪っていく。

 勿論全力で抗いましたが、私たちは奴らの力に及ばず、最後の手段を持って一矢を報いようとしました。


 最後の手段とは『封印』です。


 私を含む、『力ある者たち(神々)』が各地に散らばり、『別の世界の怪物』を封印しました。

 自らの全てを、犠牲にして。


 それでも、命を懸けてなお、封印は完璧ではなかった。

 封印場所は怪物の巣窟となり、とても人の住める場所ではなくなってしまった。

 

 あれから長い、長い年月が経ちました。

 私たちは最終手段として封印を選びましたが、結局それは問題の先送りにしか成らなかった。


 怪物よりもはやく、私たちの方が限界を迎え始めたのです。

 封印が破られれば怪物が再び解き放たれる。

 そうならない様、全力を尽くしました。魂を振り絞り、封印を何とか維持しようとした。


 私たちの目的はこの世界を守る事。封印が弱まったのは確かです。

 そして怪物には別の世界へ行く力があった。


 怪物はこの世界への進行は一先ず諦め、別の世界で力を蓄える事にした。

 それが、貴方の身に起きた惨劇に繋がる。



 ◆ ◆ ◆



 語られた物語は、まるで出来の悪い小説で。

 思わず失笑が零れるような、そんなお話。


「は……」


 しかし笑って流すには新月はあまりにも体験しすぎた。

 身をもって思い知らされすぎた。

 【ごめんなさい】、と彼女は謝罪を口にする。彼女を責める事は出来なかった。


「……アンタ、神様なの?」

【ええ、一応は月の女神です。貴方の考える神とはまた違うかもしれないけれど】

「ああそうだろうな、俺の知ってる神様は、全知全能だからな」


 茶化すように言ったけど、笑える気分には慣れない。

 新月は疲れたように座り込んで、顔を両手で覆う。


「俺が、生きてるのは何でだ? 俺は……生きてるよな?」

【ええそう、貴方は生きてる。怪物が通った道を使って、私が力で貴方をここへ導いた】


 奇跡は正真正銘神様が起こしてくれたものだったのだ。

 記憶に焼きついた満月が頭を過ぎる。

 月の女神というらしいから、あれが関係しているのだろう。

 新月は皮肉気に口をゆがめながらも、何とか感謝の言葉を搾り出す。


「あ――――」


 搾り出そうとしたが、出来なかった。

 浮んでくるのはあの夜の惨劇。目の前に転がった親友の死体。

 責める事は出来ないと頭で分かっていても、気持ちはどうしようもなく高ぶった


「どうして俺だったんだ。あの場には、沢山居たぞ。どうして俺だったんだ! ここには誰も居ない、この後来るのか? 違うだろ、俺だけだろ!? どうして俺だけなんだよッ、どうしてアイツラは助けてくれない⁉ 菊池を……助けてくれなかったんだよぉ」


 涙が零れ落ち醜い言葉を彼女へとぶつける。

 彼女を責める資格なんてないと分かっていた。友人を見捨てたのは他ならぬ新月自身なのだから。

 分かっていても言葉を止める事は出来ない。


 彼女は黙って全てを聞いて、掠れた声で残酷な真実を新月へと告げる。


【ごめんなさい。私が遅れてしまったから、あの場で生きているのは貴方だけだった】


 ひくっ、と喉が不気味に戦慄いた。

 分かっていた事だ。だけどどこかで自分がこうして生きているのだからもしかしたら、と期待していた事でもあった。


 もしかしたら自分以外の生存者が居るかもしれない。


 そんな希望は今、完全に潰えてしまった。

 彼らは、友人たちは皆死んだのだ。新月が見捨てて、化け物に嬲られて、死んだのだ。


 【ごめんなさい】、と彼女は言う。返事は暫く返せそうに無かった。



◆ ◆ ◆



 恥を捨てて目一杯泣いたお陰か、気持ちは随分と落ち着いた。

 見っとも無く泣いた後を乱暴に擦って鼻を啜る。


「それで」


 彼は言う。声は掠れていた。


「俺は一体どうすればいいんだ」


 話を聞いて、新月もいろいろな事を考えた。

 全てが嘘でこれはただの悪夢だというのが、一番楽で一番ありえない考えなのだろう。

 そんな事が直ぐに分かってしまっても、何度も何度も思い浮かべるのは心が弱いせいなのか。


「どうしようもないじゃないか……」


 生きたいという気持ちは今も変わらないが、一体どうすれば生き残る事が出来るのか分からない。

 ここは日本でも、地球ですらないという。

 話を聞く限り、今いる場所はあの怪物たちの巣窟でもあるという。

 そんな場所で一体どうすれば生き残る事が出来るのか。


【落ち着いて。助かる方法を教えます、貴方をここへ導いたのは理由がある】

「なにを俺に期待してんだよ、俺は普通の学生だ」

【正直に言いますが、誰でも良かったのです。私の力が届いたのは貴方だけでした】


 申し訳なさそうに、真正面から君でなくてよかったといわれて、新月はショックを受けるどころか安心してしまった。


 もしここで「実は貴方は選ばれし勇者なのです」などと言われても真顔で相手の正気を疑うだろう。

 ここが異世界だと信じるのと、それとは話が別だ。


「俺は死にたくない、生きる為なら何だってやる」

【ええ、分かっています。私もきっと、同じ気持ちです】


 どうすればいい、と新月はもう一度同じ質問を繰り返す。

 彼女は短く簡潔に答えた。


【私と契約を】


 何となく嫌な響きを感じるのは、ただの新月の一方的なイメージだろうか。

 契約という言葉に、思わず眉を潜めた。


「契約?」

【ええそう。ここを生きて出るのに私には足がいる、貴方には力がいる。それらを得る為の契約です。私の身体は最早使い物になりませんから……】

「そりゃ、俺の身体を乗っ取るって事かよ?」

【いいえ。体の主導権は貴方のもの。私がその体の中に住まわせてもらう、と考えてください】


 分かりやすく考えるとすると、取り憑くが一番近いだろう。

 話を聞いた新月が口を噤んで胸中で、自分に問うように考えを巡らせたのは一つの事柄。


 果たして彼女は信用できるのか、否か。

 考える時間など必要なかった。答えは直ぐに出た。あまりに今更な話だ。

 結局の所、この提案を突っぱねて、たった一人で生き残る事など出来そうもないのだから。


(それに、何でだろう? きっと彼女は信用できる、と思うんだよなぁ)


 不確定で不透明なその気持ちの出所に心当たりはない。

 もしかするとこれが直感と言う奴なのかもしれない。


「わかった、その契約とやら受けるよ」

【即断即決、ありがとう。もう時間は残されていませんから】


 疲労が色濃く残る息を吐いて、そこはかとなく嬉しそうな表情を浮かべた彼女の言葉の直後だった。

 まるで示し合わすかのように突然新月の目の前で漆黒の大樹に亀裂が走る。


 続け様に響き渡る地鳴りのような音に目を剥いて上を向けば、まるで冗談のように空の所々が砕け、破片が雨のように降り注ぐ。


 そういえば、と今更ながらに新月は思う。


(ここって確かあの化け物を封印した場所なんだよな? 人が住めない危険地帯の筈なのに、何でここは安全なんだ?)


 視線を戻せば、新月の言いたい事が読めていたのか顎を引いて、彼女は早口で語りだす。


【私は未熟な神でした。とても怪物どもを封印できないほどに。けれど、私に力を貸してくれた神がいた。神々の中でも巨大な力を持つ夜の神です。彼は私とともに封印に挑み、さらにあろう事かこの空間を造り私を守った。ここは怪物の巣窟の中に隠された場所。私自身も封印に協力した為、動く事もまま成らないけれど、まだ私がこうして生きていられるのは彼が守ってくれたお陰です】

「ソイツがここを作って、今壊れそうなのはもしかして……」

【限界を迎えてしまった神々の多くは、既にこの世を去りました。命を掛けて、最後の時間稼ぎをして。彼は神々の中でも特別力ある神でしたが、私を守ろうとしたせいで余計な負担がかかり既に限界を迎えそうなのです。……じきに彼も他の多くの神々同様、現状維持に命を注ぎ、この世を去るでしょう】

「急いでいた理由はこれか」

【その通りです。彼が守ってくれている今ですらこの様、ここが崩れれば私は抵抗する事も出来ずに飲み込まれる】


 話している間にも加速的に世界は崩壊を続け、迫り来る終わりをまざまざと突きつける。

 時間がないという事をこれ以上なく思い知らされた新月は鼓動が早く、毒のように侵食する恐怖と共に刻まれ始めたのを感じた。


 ここが崩れ去れば、化け物に囲まれる中で彼女の話が本当だったと確信を得る事になるかもしれない。

 そんな事はごめんだと、ちらちらと世界に走る亀裂に目をやりながら覚悟を決めて立ち上がる。


「どうすれば契約は結ばれる?」

【片手を私の額の前に】

「えと、こうか?」


 もう怖いなどと言っている場合ではない。

 急いで彼女の目の前まで駆け寄り、左手を額の前に突き出した。


【では、行きます】


 血で汚れた白髪越しに月の女神は突き出された手を確認する。

 切り傷を負った、血と泥で汚れた手を見て、彼女の瞳に僅かに罪悪感が浮かぶ。

 

 この傷は新月が無様に逃げた後悔の証であり、彼女が罪悪感を感じる理由などどこにもない。

 だから一言「気にするな」とでも伝えようと口を開いて、直後に彼は盛大に勘違いしていたことを思い知る。


「え? ぐガッ⁉」


 ぶわりと彼女の背後にある大樹から、漆黒の茨が広がった。

 鋭い棘を持った黒一色の茨は、突き出された新月の左手目掛けて殺到する。

 棘が肉に食い込み、引き裂かれる感触に喉の奥から絶叫を迸らせた。


「がああああッ! はなっ、離ぜェッ!!」


 メリメリと肉に食い込み、骨と棘が接触して響く感覚に白目を剥いて膝を付いた。

 じっと視線を逸らさない彼女の前で、茨の隙間からは止め処なく鮮血が滝のように零れ落ていく。


 真っ白なワンピースに新たな赤が刻まれる様子を彼女は無感情に、無表情に、見つめていた。

 あまりの痛さに意識が明滅を繰り返す。


 薄っすらと回る思考で新月は考えられうる罵詈雑言を吐き捨てた。

 騙されたと。こんな怪しい女を信じて一体自分は何をしていたんだと。

 このままこの茨で絞殺されるのかもしれない。痛みと恐怖で歯の根がカチカチと音を発した。


(騙された騙されたッ! いてぇいてえ痛――――あれ?)


 手が引き千切られんばかりの激痛が、唐突に消え去った。

 確かに今も茨が肉に食い込み骨と接触している感覚はあるのに、不気味な事に痛みは露ほども感じない。


 大粒の涙を零しながらきょとん、と理解できていない表情を浮かべる。

 依然彼の手に茨に肉を割かれ大量の血を流しているにも関わらず、やはり痛みは一切感じなかった。


「なんだ、これ?」


 目で見ている情報と、実際に感じる情報との食い違い。

 それはなんとも気持ち悪いものでだった。

 痛みという正常な感覚が消え去った事による不快感に新月は眉を潜める。


(……気持ちわりぃ)


 覚えた不快感にいっそう拍車をかけるのは、痛みが消え去った後に気付いた、何かが流れ込むような感覚。

 噴出した血の代わりに別の液体を注ぎ込まれているような感触は、理解できない新月の不安を煽る。


「幾ら時間ないっつっても説明不足にも程があるぞ! ほいほい契約受けるとか安請け合いした俺も悪いけど、まず説明をだな」


 今も尚世界は崩壊し続け、刻一刻とタイムリミットが迫っているのは分かっている。

 とはいえこのまま茨に手を咲かれ続ける訳にはいかない。

 痛みは無いが血は流れ続けている。このままでは失血死は免れないだろう。


 新月は何とか手を抜こうと必死に抵抗を繰り返す。

 だが既に言葉は彼女に届いてはいなかった。


 恐怖を覚えた血走った両目は閉ざされ、何度となく呼びかけていた新月は暫くして彼女に意識が存在しない事に気付く。


 手はピクリとも動かない。そもそも手どころか指は当然、腕全体を動かす事も出来ない。

 やはり血を流し過ぎたのか、次第に足から力が抜けていき、同時に意識もまた薄れていく。


(マジかよ……)


 身体を支える事が出来なくなり、膝から完全に力が抜け落ちる。

 茨にがっちりと手が固定されているお陰で倒れこむ事は無かったが、ぶらりと手を吊り上げられているような格好で全身から生気薄れていった。


「……ふざけんな」


 せめてもの抵抗に、力なく悪態を吐き捨てたのを最後に意識は次第に薄れていき、全てが闇に包まれた。


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