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月下のラビリンス  作者: わたしです
血染めの死門
21/22

『約束』

「あれっ」


 気づけば新月こよみは立っていた。


「どこだここ」


 だだっ広い、何一つオブジェクトの影も形も見えない場所に一人ぽつんと立っていた。

 ぐるりと辺りを見渡せど、目に移るのはただ只管に続く一色の黒。僅かな乱れすらない漆黒の筈なのに、暗いと感じないのは何故だろう。一面に広がる黒色の世界は、何故か不気味さを感じさせない不思議な温もりをもっていた


「皆はどこ行ったんだ?」


 クラウスがいない。アラムが、リーベが、ゴウトもフィトーも。人っ子一人見当たらない。あれだけ巨大で見失いようもない『主』の姿すらない。 

 アディアナもいなかった。声をかけてみても返事がなく、ただ漠然と今自分は一人なんだと理解できた。


 どこに行ったのだろうかと首を傾げる。たった一人、見知らぬ場所に、それも全く気付かぬうちに居たというのに、何故だか不安な気持ちにはならなかった。熱に中てられたように意識がはっきりしない。暖かい空気の中を漂うような、ふわふわとした感覚でぼんやりと辺りを見渡す。


「……歩くか」


 脳裏に浮かべた言葉を脚色することなく素直に口に出して、少年は音もなく静かな一歩を踏み出した。

 どの方向を見ても何一つ目印となりそうなものはない。上を見上げても下を見下ろしても、黒という景色の一切に変化はないまるで鏡写しの世界。


 てくてくと世界を歩く。何となく、目的もないまま、ただ歩いた。


 歩く――――――――――――。

 ――――――――。

 ――――。

 ――。


 ふと、立ち止まった。何か特別な物を見つけた訳では無い、景色は相変わらずの黒一色でほんの些細な起伏すらも見当たらない。

 ただ時間が流れた。どれ程の間歩き続けたのか、さっぱり見当もつかない。この太陽も月も存在しない黒い世界ではまともに時間を観測する事など不可能だ。

 例えば空腹や、疲労などがあれば漠然と何時間経過したかが分かったかもしれない。だがそんな肉体の基本的な反応すらこの世界では存在しないようだ。いや、もしかすると何時間も飽きる程歩いたというのはただの錯覚で、実際は空腹や疲労を感じない程度しか歩いていないのかもしれない。


 ともかく、新月は歩くのを止めた。

 そこに理由はない。何となく、だ。

 何となく歩き始めて、何となく止めた。


 不思議な世界だ。こんな場所が現実にある筈がないと言う事は分かる。だからと言って夢という感じもしない。

 となれば、どうなるのだろう。

 現実でも、夢でもない。だったらもう、答えは一つなのではないだろうか?

 少なくとも新月はそう思った。思った事を口に出す。


「俺、死んだのかな」


 不思議と気持ちは穏やかだった。あれだけ死にたくないと願っていた筈なのに。


 これが死ぬという事なのか。生きていたから死にたくないと願っていただけで、いざ死んでしまえば別にもうどうだっていい事なのかもしれない。それとも心のどこかでは実は死にたいと思っていたとでも言うのか。友人も恐らく家族も死に、生まれ故郷にも二度と帰れず、協力的な隣人はいる物の、たどり着いたのは人喰いの獣が闊歩する危険な世界。


 成程、死にたいと思うには十分すぎる理由が幾つも上がる。むしろ今となっては、何故あれほどまでに生きたいと思っていたのかすらどこか曖昧だ。少なくとも、この熱を持った頭では思いつきそうもない。

 二度目は、声に出していた。


「死んだのかな……」


 そんな事をつらつら考える。声に出したのは返事を期待していたからではない。


 だが意外にも返答があった。辺りに誰も居なかったのは確認していた、遮蔽物や溝等の身を隠せそうなものなど一つもない平らな世界。

 それでも幻聴などではなく、確かに声が新月のすぐ傍から投げかけれる。


「違う」


 短く吐き出された言葉の方へと向き直る。

 そこに『誰か』が居た。直ぐ目の前だ。五メートルもない場所に、一人の男が立っている。だがどういった人間なのか、判断する事はできなかった。直ぐ目の前にいるのに、まるでぼやけた薄いベールの向こう側に立っているように、姿かたちがはっきりとしない。


 男だといったのも声の調子からそう判断しただけで、もしかすると声の低い女かもしれない。それぐらいあやふやな存在が、いつの間にか傍に立っていて、こちらに向かって話しかける。


「君は死んでなどいない」


 もう一度、否定の言葉が紡がれた。

 短い初めの言葉では気付かなかったが、その声にはノイズが走っていた。


「……久しいな、少年」


 まるで壊れたテレビから流れる言葉のように、聞き取りずらいノイズ交じりの声で『誰か』はそう言った。


「えっと、誰……ですか?」


 思わず敬語で答える。頭に浮かぶのは疑問ばかり。少なくとも新月にこんな個性的な見た目をした知り合いはいない筈だ。


「ああ、そうか。いや、覚えていないのも仕方が無い。あの時の君は会話をできるような状態ではなかったからな」

「?」

「さて、どこから話したものか。そうだな、取り敢えずは、君の質問に答えよう」


 顎に手を当てて悩まし気に息を吸う。

 そして言った。名乗る、新月も知っている、しかし決してありえる筈がない名を。


「神さ」

「――――」

「私は奴らを封印し、地獄を生んだ『夜の神』だ」


 一拍間を置くために口を閉じて、それでも何と応じるべきか妙案は浮かばない。この熱に犯された様に湯だった頭では良い言葉が思いつかず、結局新月はありのまま浮かんだ言葉を口に出す。


「確か夜の神様は死んだって聞いたんですけど?」

「それは間違いではない。夜の神は死に、既に魂は還っている。私はその際に千切れて残った、僅かな破片のようなものだ。大仰に神だと名乗ったが、最早まともな力も持ってはいない」


 自嘲するように小さく笑う神を名乗った目の前の男に対して、かける言葉はやはり見つからない。残念ながら例え脳が茹蛸状態ではなくとも、きっと気の利いた言葉は見つからないだろう。そうそうに諦める。


「えと、それで夜の神様が一体俺に何の用ですか?」

「礼を言いたい」


 礼と言われて新月は首を傾げた。そもそも何度も言うように、目の前の夜の神という人物もとい神物に出会った記憶がないのだ。一体何の礼だろうかと首を傾げて、はたと気づく。


「迷宮の事ですか? って事は『主』は死んだんですねっ」


 最後の記憶は『主』へと刃を振るった瞬間。

 つまりはあの一撃で『主』は息絶え、『迷宮』がクラウスの話通り消えた事への礼ではないだろうかと推理する。


「それもある」


 どうも違うらしい。


「礼を言いたいのは、約束を守ってくれた事に対してだ」

「約束?」

「勿論、迷宮を解放してくれた事についても感謝はしている」

「いや待って待って」


 両手を突き出し待てとジェスチャーで示しながら、早速崩れ始めた敬語で新月は言う。


「そもそも約束って? 俺が一体いつ、貴方と会ったっていうんですか?」

 

 新月は怪訝そうに眉を潜めた。話をしている最中も必死に記憶を探ってみたが、心当たりは全くない。


「人違いでは?」

「それはない。私が約束を交わしたのは間違いなく君だ、新月こよみ君」


 ここで別人の名前が出ればやっぱりねと安心できたのだが。

 しっかりと名指しで明言されて、新月の疑問は深まるばかりだ。


「何時であったのかと聞いたな、答えよう。『最初』だよ」

「最初……?」

「君がこの世界にやってきた初めに、この場所で、私たちは出会っている」


 "この場所"という言葉に、『はぁー』、と分かったような分からないような、どこか抜けた息を吐き出しながら新月はぐるりと辺りを見渡した。

 そして頷いた。彼は一つの確信を抱く。


(いや、こんな場所知らないし)


 こんな現実ではありえないような、天地を含む四方の全てが黒一色で広がる世界など、見た事がない。これを一目見て、忘れる事など不可能だろう。

 やっぱり人違いに違いない。ぼやけた頭で結論を出した新月は、どうにかしてその旨を伝えようと、目の前の神が納得するような文章を考えて――。


「――君をこの世界へ招いたのは、私だ」


 続けて言い放たれた言葉に、思考が停止した。

 今考えていた文章は欠片も残さず吹き飛んで、出来上がった空白に浮かんできたのは『なるほど』という納得の感情。

 新月は真剣な表情で湯だった額にかかる髪を払う。


 確かに、それであればこの嚙み合わない現状にも説明がつく。

 目の前の神と交わした約束の記憶も、この場所の記憶もないのも、出会ったのが新月がこの世界に訪れた直後であれば説明がつく。


 なにせ、あの時彼は狂っていた。


 新月こよみは、一度正気を失っているのだ。突如訪れた悲劇、親友の惨殺体にキャンプ場に広がる地獄絵図。そして我が身に降りかかる死の恐怖に、新月は正気を失った。

 今でも思い出せるのは、響き渡る悲鳴と化け物の嘲笑の中、無様に逃げ出した後悔。そこから場面は飛んで、気づけばあのアディアナと出会った場所に倒れていた。その間に何があったかは、最早思い出せない。


 だからあり得るのだ。この噛み合わない現状も。


「へえー……。でも、俺をこっちに連れて来たのはアディアナじゃあ……?」


 何とも間抜けな返答をしている自覚はあるが、どうも頭が回らない。この熱には気だるさも不快感もなく、病による高熱に侵されているというよりも、どちらかと言えば、湯船に頭までつかり切った時のような心地よさがある。

 ただ先程まで少しばかり無理して頭を働かそうとしたせいか、熱は段々酷くなっているらしく、心地よさを感じると言ってもこれではまともに考える事すら億劫だ。


「それは正しい。半分はな」

「半分?」

「ここに閉じ込められてから、どれ程の時が流れたと思う? 最早数える事すら叶わぬ程の、永劫に等しい時が流れた。本来不死である筈の我ら神々の命が尽きる程の時間だ。私が守っていたとはいえ、同じ時をあの娘も囚われていた。……人一人を別の世界から連れてくる力など、あの時のあの娘にはもう無かったんだよ」

「あー」

「簡単に言う、失敗だ。あの娘は君をこちらへ連れてこようとして、その途中で失敗した。『世界』と『世界』は隣同士で並んでいる訳ではない。特に君のいた世界は、距離的にこの世界とは大きく離れた位置に存在している世界だ。あの娘は途中で力尽き、それに気づいた私が、後を引き継いだ。だから、半分という訳だ」

「でもアディアナはそんな事言ってなかったけど」

「言ったろう、力尽きたと。気でも失って、その後君が現れたものだから、失敗した事に気付かなかったんだろう。あの娘は多少思い込みが激しい一面があった。それに君も知っているだろうが、あの時、あの娘も限界だったんだよ」

「はぁー……」


 神様がそう言うなら、そうなのだろうかと働かない頭を捻る新月を見て、僅かに苦笑を交えた声で神は続けた。


「君と私が過去に出会ったという証拠もある」

「証拠?」

「初めてあった時に、私は君と契約した。あの娘と交わした契約程強力なものではないが、それでも神との契約だ。少なからず君の助けになると思ってね。君の肌が夜色に染まっているのは、そのせいだよ」

「成程……」


 夜色と呼ばれた自らの褐色に染まった両手で額をなぞる。新月の額には、過去に事故で追った傷が刻まれていた筈だ。すっかり消えているそれは、きっと夜の神との契約の際に消えたのだろう。


(嘘は言ってないのかな?)


 勿論記憶がもどった訳では無いが、それでも夜の神の言葉に嘘はないのかもしれない。湯だった頭をこれ以上働かせるのが嫌で、早々に思考を打ち切ったという理由もあるにはあるが、少なくとも、新月は彼の言葉に嘘の匂いを見つける事が出来なかった。


 だから信じた。きっと嘘はない、本当の事を言っている。彼と自分は昔一度、あっているのだと結論を出し。

 それとは別に、会話の途中で気になった事を聞いてみた。


「あの、一ついいですか?」


 今更遅いかもしれないが、思い出したかのような敬語口調で。


「あの娘あの娘って、アディアナの事ですよね? 何か違和感が……」


 夜の神の言い方はまるで幼い子供に対する呼称のように聞こえて、アディアナの姿を思い浮かべながら新月は尋ねる。


「これも言ったろう、永劫に等しい時間が流れたと。成長するさ、精神はともかく、外見はね」

「えっーと?」

「封印を決行した時のあの娘は、ひどく幼かった。だから私が付いたのだしね。まあ分かりやすく言うと、君と共に迷宮を終わらせた者たちの中に一人居ただろう、小さな子が」

「もしかして、リーベ?」

「多分そうだ。アディアナは、その娘と同じくらいだった」

「マジかぁー」


 何だかアディアナに対する印象全てがひっくり返りそうな程、とんでもない秘密を暴露されたような気がするが、新月の反応は薄い。

 酷く熱かった。心地よい熱さに思考の全てが邪魔される。瞼が重い、うっかり気を抜けばまどろみの中に落ちていきそうな程に。

 少しだけ深呼吸をして、熱を逃がそうとぱたぱたと無造作に手で風を送る。


「懐かしい……。あの娘は――」

「?」

「幼い。本当に、……本当に。だから何も、知らないんだよ。知らない……。私たちが……教えて……、来なかった……」

「あの、大丈夫ですか? 声が、遠いんですけど」


 声をうまく聞き取れない。

 果たしてどちらだ。この熱がついには限界を超え、聴力にまで異常をきたし始めたのか、はたまた神の声に混じるノイズが途端に激しくなったのか。

 過去を懐かしむように遠い場所へと向けていた視線を真正面へと直し、神は小さく答えた。


「時間だな、時間が来たようだ」

 ――ええ?

「予想よりも早く限界が来たが、仕方が無い事か」

 ――いや、ちょっと

「無理やり連れて来てすまなかった」

 ――待って、待って!


 まだ話は何も終わっていない。慌てて静止の言葉をかけて、ふと気づいた。

 神が新月の言葉を無視している訳では無い、新月はもう言葉を発していなかった。

 倒れこむ。いつからだろうか? 分からない。気づけば新月の四肢から力は抜け落ち、べたりと黒い大地に横たわっていた。


「私ばかりが独占する訳にも行くまい。あまり話せなかったが、楽しかったよ」


 足音を聞いた。気だるげな頭を何とか動かし、かつりかつりと近づく足音の主を見上げた。

 揺らめく霧に似たベールに、ガラスが砕けるような不可解な亀裂が走り、剝がれていく様を見た。

 亀裂はベールだけに留まらなず、真黒な世界へと侵食していく。


 幻想的な光景だが、新月の視線が亀裂へと向かう事はない。双眸は真っすぐベールが剥がれた神の素顔へと吸い寄せられた。

 新月と同じ褐色の肌に、靡く黒髪。短く切り揃えられ、風もないのに靡く黒色には、まるで空に広がる幾多の星々のように輝きが瞬いている。

 そして優し気に細められた黄金の双眸に、新月は見覚えがあった。


(アディアナ……?)


 月の女神である彼女と瓜二つの顔立ちをした、煌びやかな青年が崩壊する世界の中で小さく告げる。


「ありがとう。あの娘をよろしく頼む」


 ――世界が弾けた。



◆ ◆ ◆



「あれっ」


 気づけば、新月こよみは立っていた。

 どことも知れない、真っ白な世界に立っていた。


「またかよ……」


 つい先ほども似たような、意味の分からない場所に立って居た訳で。

 慣れというのは怖いものだ。驚きは初回に比べれれば小さい。とはいえ現状やれる事と言えば、初回で行った事と大して変わりはない。大きく息を吐き出しつつ、慎重に辺りを見渡してみた。


「誰も居ない」


 結論から言えば、今回も誰一人として近くには居なさそうだ。

 アディアナ達は勿論、夜の神も居ない。


「頭ははっきりしてるな」


 まるで風呂上りに夜風に当たった時のような、爽やかな気持ちよさがある。

 死にたくない、生きたいという強い気持ちも今では確かめるまでもなく、しっかりと胸の内に秘めている。つい先程のあのどうでも良さは、正直自分でもそこはかとなく薄気味悪くなるものがあった。


「結局何だったんだ?」


 思い浮かべるのは先ほどの夜の神との会話。取り敢えず夜の神とかつて出会い契約を結んでいた事や、アディアナの年齢に関する衝撃の事実が明らかとなったが、結局あの場所がどこであるとか、一体どんな約束をしていたのかといった肝心な部分は分かっていない。


「おーい! 本当に誰も居ませんかーっ?」


 頭をどれだけ捻っても答えが出る筈もなく、誰か教えてくれと新月は真っ白な地平線へと向けて大声で叫んだ。

 声は木霊す事もなく、空虚な世界に吸い込まれるように消えていく。

 今回は、返事が返ってくる事もなかった。嫌になるぐらいに真っ白な、汚れ一つない世界が、お前は一人なんだと現実を痛い程に突き立ててくる。


 ――世界が崩壊し始めたのは、丁度そんな途方に暮れている時だった。


「おいおいおい……」


 崩壊の様子を目にするのは、これで三度目だ。つい先ほどの黒色の世界、そしてアディアナと契約を結んだ際にもあの不思議な空間は崩れ去った。

 空間に亀裂が入り、ダイヤモンドダストのように煌めきパラパラと崩れ去っていく。かつての世界ではまずお目にできないような光景に、衝撃は色あせる事なく息を飲んだ。

 降り注ぐ世界の破片の雨の中、砕けた天蓋の向こう側に何があるのかと目を凝らす。


 そんな時だ。漸く、この真っ白な世界に、自分以外の気配を感じた。

 ぽっと、脈絡なく不自然に、突然背後に現れた暖かな人の気配。

 もう時間ぎりぎりなのは明白で、今度も大した説明は受けれそうにないと肩を落として後ろを向く。


 そこに居た。


 小さな炎。時折弾ける火花を散らし、ふわふわと中空を浮遊する暖かさに、知らず新月の頬を涙が濡らした。


「えっ? ……え?」


 理解が出来なかった。吐息のような、掠れる様な声が喉を震わす。

 何故自分は泣いている? 呆然と声を上げながら、頬を流れる涙を拭った。

 溢れ出す感情を制御できない。心臓が高鳴り、胸の内で感情が爆発したせいで息苦しい。

 怖い訳ではない、怒っている訳でもない。

 言葉で言い表せない程に、悲しみが、喜びが、様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合う。


「――――」

「わっ」


 呆然と涙を拭う新月の方へと、炎がゆらりと揺らめいた。

 反射的に肩を揺らし一歩後ろへと後ずさったが、それ以上近づく事なく浮遊する炎を見て、恐る恐る手を伸ばした。

 ゆっくりと、慎重に、まるで荒れ狂う感情の答えを探るように伸ばした指先が、ほんの僅かに火花に触れる。


「――――あ」


 その瞬間に、新月は全てを理解できた。

 ここがどこであるとか、この炎は『誰』であるとか。

 

 ここは狭間。生者と死者が交わる、最後の境界線。現実というよりも、ひと時の夢に近い朧げな世界。

 きっとこの世界を作ったのは神様だろう。例え破片であっても、最早力はないと語っても、先ほど言葉を交わした彼は間違いなく神だったのだ。


(そうだ、俺は……)


 どうして新月は迷宮へとやって来たのか。

 もう遠い昔のようにも感じる船でのアディアナと交わした会話を、新月は思い出していた。


(だから来たんだ。俺は、お前に会うために)


 何を言っていいか分からない、時間がないのは分かっているのに言葉が出てこない。

 そんな彼を笑うように、元気付けるように、炎は明るく弾けた。


「ああ、そうだな……。いっつもお前には元気付けられてばっかりだ」


 震える口を動かしてどうにか笑みを形作り、新月は心に浮んだ言葉をそのまま口にした。

 あの時は言えなかった言葉を。


「頑張るよ、見ててくれ。約束する、この世界で俺は、みんなの分までしっかり生き抜く」


 言葉を聴いて炎は震えた。笑うように、喜ぶように。

 白が迫る。視界の端から、全てを拭い去っていく。

 崩れ飲み込まれる白の中で、新月は精一杯の笑顔を浮かべた。

 泣き顔はきっとふさわしくない。


「さよなら、親友」


 ―――――。



 最期に声が、聞こえた気がした。

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