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月下のラビリンス  作者: わたしです
デッドエンドのその向こう
2/22

月明かりの下で

「……はっ」


 ぼんやりとした感覚から一気に浮上するように新月は目を覚ます。

 寝起きは良い方とは言えないが、気が付いて直ぐ様何かしらの行動に移せなかったのは、寝起きの悪さとは関係がないだろう。


「――――」


 カッと目を見開いて微動だにせず、五分か、十分か、もしくはそれ以上か。正確にはわからない時間を経て、漸く意識に架かった霧が晴れ、正常な思考を取り戻す。


 しかしそれでも前後の記憶が曖昧で自分が何処にいるのか理解出来ない。


 どうやらうつ伏せに寝ているようだが、頬に当たる感触はベッドの柔らかさなど微塵も感じられない。

 地べたに寝ている不可解な現状に眉を秘めた。


(ここどこだろ……、何で俺外で寝てんだ?)


 答えの出ない疑問に頭を捻る。ともかく、何時までもこのままうつ伏せの状態ではいられない。


 両腕を地面に付いて身体を起こそうとした新月は、足から這い上がってくる激痛に眉間に皺を寄せて呻き声を上げた。


「いって、なんだ?」


 痛みを我慢しながら上半身を起こし、自分の足へと視線を向けた新月の目が驚愕で大きく開かれた。

 靴を片方しか履いておらず、裸足の方は爪が数枚はがれ、切り傷が無数に刻まれ血に塗れている。


 痛みから察するに、靴を履いている方の足も見えないだけで中々に酷い事になっているようだ。

 あまりの惨状に言葉もなく口を開閉させる。一体何があったらこんな事になるのかさっぱり理解できないでいた。


「どうなってんだよ……」


 一先ず落ち着くべきだと、脳裏の隅で冷静に状況を分析しようとする声が聞こえる。


(落ち着け、覚えていないけど何か厄介事に巻き込まれたのは間違いない。誘拐かもしれない。パニックになるのは絶対に不味い)


 大きく深呼吸を繰り返す。今はとにかく落ち着いて、何があったのかを少しでも思い出す事が先決。

 額に手を当て深く考え込もうとした直後、ピリッ、と焼け付くような痛みが額を走り抜けた。


「いぎっ!」


 血だらけの脚から昇ってくる痛みとは、まるで違う異質な痛み。

 針を直接頭蓋に突き立てられたかのような激痛に、脳みそが悲鳴を上げた。


「――――ッ⁉」


 まるで濁流。自分を守るために忘れようとした記憶が、それに伴う激情が、止め処なく溢れでた。

 荒れ狂う嵐に一人放り出され、新月は記憶の海に溺れた。


 思い出したくなかった、思い出すべきではなかった、でも決して忘れてはならない、間違いなく現実に起きた悲劇の記憶。


「うぇ、ゲェホッ! ゴッホ、ぅわあああ。ああああ。あああッ、ああああああッッ⁉」


 喉を熱くこみ上げる吐き気を我慢する事が出来ず盛大にえずく。胃の中の物がぶちまけたいのに、えずくばかりで吐しゃ物が出てくる事は無い。当然だ、胃の中身は既に全てまき散らされた後なのだから。


 がたがたと震える身体を抱いて、胎児のように丸く縮む。

 体からは力が抜け、ばたりと横倒しに倒れこんだ事にも気づかない。足の指先までも握り締めて、ただ小さく丸まって赤子のように泣き喚く。


 思い出した、全てを思い出した。悪夢のような惨劇。親友は死に、助けを求める友人を見捨て、一人逃げ出した。生きる為に、死にたくないと。


(だけど、俺はあの後……)


 彼は足が特別速いなどと言った特技があった訳ではない。実に平凡な身体能力しか持ち合わせていない。

 その上ただでさえキャンプ場の夜道という走りづらい環境で、化物を相手に逃げ切れる筈がなかった。


 あまりにも呆気なく捕まった。新月を捉えたのは空を飛ぶ異形の怪物だった。


 二人の人間の腰から下を切断し、それぞれ上半身だけを断面で繋ぎ合わせたような姿。下を向く両腕は鉤爪に、上を向く両腕は翼にそれぞれ変化した怪物は、上下どちらの顔でもケタケタと哀れな獲物を見据えて嗤っていた。


(覚えてる……)


 あの時の気持ちは今でも思い出せる。

 『絶望』。

 過去に一度、交通事故に会った事がある新月だが、その時の非ではない『死』を実感した。


 我武者羅に逃げる新月を鉤爪で鷲掴みにして、両腕を羽ばたかせ闇夜に飛び立つ。

 化け物のギョロリと血走った視線が自身を射抜くのを感じた。

 涎と舌が毀れた口からは耳障りで恐怖を煽る声。

 化物の一挙手一投足全てが、新月を絶望へと攻め立てた。


 恥も外聞も放り捨てて赤子の様に泣いた。

 言葉が通じないのは明らかなのに、それでも見っとも無く助けを願った。

 手足を必死にバタつかせ、少しでも生にしがみ付こうと努力した。


 ――――それでもどうにも成らなかった。

 その筈なのに。


「なんで……俺は、生きてるんだ?」


 彼は生きていた。

 両腕を伸ばして涙でぼやけた視界に晒す。

 手はまるで幽霊のように透けているなんて事はない。全身に走る痛みは本物で、これ以上ない『生』の実感を齎す。


「なんで、生きてるんだ?」


 確かめる為に問いを繰り返す。一度は開けた両目を閉じて、再び自分の記憶を探る。何かがあったのだ。まだ全てを思い出した訳では無い。新月の忘れている何かがある。


「――――ぅう」


 鮮明と浮ぶのは悲劇と恐怖の記憶ばかりで、化物に捕まった後の事を詳しく思い出す事が出来ない。

 ただ逃げなければという焦燥感と、只管歩き続けたようなあやふやな記憶があるだけ。


 思い出したいのはそれではない。新月は首を振ってきつく眉間に皺を寄せる。

 この記憶は既に助かった後の記憶だ。それよりも前に何かがあった筈なのだ。

 探して、懸命に考えて、それでも求める『ナニカ』は見付かりそうにない。

 ただし。


「……月」


 記憶が混濁する前の最後の光景。

 夜空高くに連れて行かれ食われると絶望の中で死を感じた直後に見た。

 暗闇に浮ぶ大きく綺麗な満月が、いっそう幻想的で怪しげな光を放っていた気がした。



◆ ◆ ◆



 それは単なる現実逃避だった。


 新月は疲れた身体に鞭を打ち、再び立って歩き始めた。

 足が訴えかける激痛に涙を零しながら、今にも崩れ落ちそうになる身体に力を込めながら、一歩ずつ歩を進める。


 動いていないと気が狂いそうだった。今にもあの甲高い怪音と一緒に化け物が顔を出すのではないかと気が気ではなかった。


 痛みもある意味では癒しだ。少なくとも、この痛みは生の実感を生む。

 だから動く。少しでも動いて気を紛らわせようとしていた。


 ただの現実逃避から始まった行動だったが、それなりに効果はあった。

 徐々に混乱や恐怖と言った感情が影を潜める。


 自分が居る場所を特定しようとする程度には冷静さを取り戻した新月は、同時に頭が冷えれば冷えるほどに浮き彫りになるこの場所の異常さに寒気を覚えていた。


「どこなんだよここ」


 上を見上げる。

 曇天、晴天、雨天、夜天。どれにせよ、外で顔を上げれば空は見えた。


 しかし今目に入るのは、相当な高さに枝や葉と言った植物で作られた分厚い天井だ。

 隙間は一切見当たらず、がっちりと視界は閉ざされとても陽光や月光なんてものは拝めそうにない。


 空からの光は遮られているものの、周囲は真っ暗という訳でもなかった。

 幸いにも樹や根っこ、枝などに所々付着している光る苔のようなものが視界をほの暗く照らしていた。


 太陽の光程強い訳ではないが、薄暗さに目が慣れてきた事もあり、十分に視界は確保できる。


 周囲を見渡せば目に入るのは太さ、長さに種類はあるものの一様に樹ばかり。

 生き物は勿論、草むらなども見当たらない。


 どころか、新月はしばらくの間大地すら見ていなかった。

 下を向いて目に映るのは根っこ。太く、波打つように絡まりあう根っこが地面を覆い隠している。

 地を這い土を覆い隠す根は道具なしに千切ったりなんて真似は出来そうにない。


「クソ……。誰か、誰か居ないのかッ!」


 悲鳴にも似た叫びを上げるのももう何度目だろうか。結果はやはり今度も変わる事は無い。

 返って来るのは静寂ばかり。新月は唇を強くかみ締めた。


 もう嫌だった。一度は沈んだ絶望が、再び顔を出す。

 絶望(そいつ)が言う。声が聞こえる。頭でも狂ったのか幻聴が聞こえる。


「お前は、友を、親友を見捨てた」

「そんなお前にお似合いの最期だ」


(違うッ)


 彼ははっきりと吐き捨てた。

 菊池は既に死に、あれだけの化け物相手に友人を助ける力など持ってはいない。逃げる他なかった。


 それでも声は構わず言い続ける。幻聴だと言い聞かせても効果はない。


「見捨てた」そして、「どうせもう、無理だ」


 心がひび割れる音が聞こえた。

 声を否定しようとする気力すら削られていく。


 何もかもを放り捨てて胎児のように蹲る事が出来るのならばどんなに楽か。

 全てを諦め、投げやって、折れてしまえば。

 胸中で吐き出される弱音に、暴いていく心の弱さに、新月は鼻を啜って首を振る。


(……嫌だ)


 そんな事出来る筈も無かった。ギリギリの所で心を繋ぎ止める。

 何もかもを放り捨てて、諦めて、折れてしまいそうでも、心の底に転がっている純粋な欲求は消す事が出来ない。


 ――――生きたい。死にたくない。


 生物として当然の欲望は、気付いてしまえば簡単に、絶望を跳ねのけんばかりに大きく膨らむ。

 もう駄目かもしれない。無理かもしれない。


 それでも生きる為に足掻く。


「友を見捨てたお前が?」


 嘲笑する声に、開き直るように答えた。


(ああ、そうだよ。死にたくなくて、俺は逃げたんだ)


 新月こよみは、友を、何を捨てても生きたいとそう願ったのだ。

 だからこんな所で折れるわけにはいかない。最後まで、最期まで、生きる為に足掻く。


(ごめん……ごめんッ)


 新月は歯を食い縛って顔を上げる。なけなしの気力を振り絞る。

 いつの間にか声は聞こえなくなっていた。


「ここを出る、絶対生き残るッ!」


 叫ぶように宣言して強く前方を見据えた。道は乱立する樹の隙間しかなく、まるで迷路のようだ。

 時間を計る事も出来ず、水も食糧もない。

 悪い要素なら幾らでも並べられるが、今は少しでもプラスになる要素が欲しい。


 少し思案して、すぐに見付かった。

 この樹海とも言うべき場所に、あの怪物は見当たらない。


 新月を捕まえた奴、巨人や六腕の鎧、ナメクジは勿論その他のおぞましい人食いの怪物は、現在に至るまで影も形も見えない。


 そもそもこうして生きている以上、何があったかは思い出せないが、新月は怪物たちから逃げ延びているのだ。


(ここが安全とは思えないけど、少なくともあの怪物に怯える心配はない。……のかもしれない)


 こんな場所はキャンプ場の傍にあったとは思えない。

 記憶が飛び飛びで定かではないが、もしかするとあの鳥人に随分運ばれた可能性がある。


(……あいつらの巣だったり?)


 一瞬浮んだ、嫌な想像を頭を振って振り払う。

 何度も言うように奴らの姿は見えず、天井が塞がれ、木々が乱立するこの場所で鳥人は羽ばたいて飛ぶ事など出来ないだろう。


(あいつにどっかキャンプ場の外に運ばれて、その後奇跡的に逃げ延びたのか? 逃げてる途中でここに迷い込んだとか?)


 自分で言って随分と都合の良い想像だ。妄想と言って良い。だが悪いほうに考えるよりも、一ミリでも希望を見出す事が今は重要なのだ。


 来た道を引き返すなんて真似事は到底出来そうもない。

 どこを見ても同じような風景に新月は疲れた息を吐き出す。


(だけど出口は絶対にある筈っ)


 手探りで歩を進めながら、めげずに何とか外に出ようと苦心して、ふと目の端で瞬く光を見た気がした。


「ッ!」


 顔を跳ね上げさせる。光が見えた方角を睨み付ける様にして凝視する。

 今見えた光は、そこら辺に生えている苔の光とは全く違うものだ。


 ここに来て始めて見つけた『違い』に高鳴る胸を押さえて祈るように見つめ続ける。祈りが通じたのか、今度は間違いなく瞬く星のような強い光が一瞬だけ輝いて見えた。


「――――」


 息を呑み光に向かって慎重に進んでいく。

 出来る事なら走りたい、声を上げて走り寄って、光の正体を見極めたい。


 しかしそれは絶対に出来ない。歩くだけで激痛が走るもう既にボロボロの両足で走るなんて到底無理な話で、何よりあの光が安全な代物かどうかさえ分かっていない。


 恐る恐る、痛々しい足を半ば引きずるように進み、新月は光の下へと辿り着いた。


 今まで所狭しと天に向かって乱立していた木々が、まるで避けるようにその場所だけ生えて居ない。

 樹海の中にぽっかりと空いた、円状の空間。


 広々とした空間に生えている樹は中央にあるたった一本だけ。

 他の木々とは比べ物にならない巨大さの樹は、まるで夜を思わせるように真っ黒で、時々星々のように点々とした強い光を発する。


「うわぁ……」


 あまりの巨大さに圧倒されため息を漏らした新月はつられるようにして上を向き、さらに目を丸くした。


 見えたのは満天の星空。

 ここは樹海の中にぽっかりと開いた空間。樹は目の前の巨大な一本しかなく、故にきっと枝を伸ばして絡ませて、天井を作る事は出来なかったのだ。


「今、夜だったんだ」


 都会ではお目にする事の出来ないであろう鮮やかな夜空には、記憶に残る幻想的な満月が輝いていた。


 漸く見つけた変わらない星空に心が休まる気がした。

 言葉も忘れ、状況も忘れて僅かな安堵に浸たる。

 その時だった。


【――――】


 耳元を吹き抜ける儚い囁き声を耳にし、一瞬で現実に引き戻される。

 心臓が痛みを感じる程に高鳴っていた。


(今のは、聞き間違いじゃなければ人の声だった)


 恐怖か期待か、震える喉を動かして言葉を紡ごうとした。

 だが言葉は先に、向こうから投げかけられた。


【ああ、待っていました】


 掠れる様な、擦り切れるような声だった。

 声の持ち主は樹の根元に居る。何時そこに表れたのか、それとも新月が気付いていなかっただけなのか。

 ともかく待ち望んだ自分以外の人間との邂逅に新月は息を呑み、間もなく絶句した。


「な……」


 声の持ち主は女性だった。少女と呼ぶには少しばかり遅すぎて、かと言って老女には程遠い。

 成人を迎えて少々過ぎた程度。そこに居たのは儚い色気を纏った妙齢の女性だった。

 少年が言葉を奪われたのは、彼女が美しかったからなどという理由ではない。


 彼女はまるで罪人だった。


 折れた膝で体を支え、両腕は鎖で縛られ吊り上げられている。

 すっかり艶を失った伸びきった白髪は乱れ、髪の隙間から望く眼球は真っ赤に血走り瞳孔が開いていた。

 身を包む真っ白なワンピース赤く汚れ、破けた隙間から除く素肌には幾つもの切り傷が見える。


 激しい拷問を受けた後を思わせる姿に言葉を失い、新月は恐怖を覚え思わず一歩を後退る。


【待って、お願い。話を聞いてください……ッ!】


 そのまま背を向け逃げ出さなかったのは、どこか慌てた様子で彼女が呼び止めたからだ。

 二人の距離はそれなりに開いている。

 だが囁き声はまるで耳元で話しているようにしっかりと聞こえていた。


【私は今、とても酷い状態です。恐ろしいと思う気持ちも分るけれど、どうかお願いします。話を聞いて下さい。……私は貴方を待っていた】


 口の端から新たに血を零しながら紡いだ言葉に、新月の脚が止まった。


(怖い……けど、逃げてどうなる?)


 漸く、漸く見つけたのだ。話がしたかった、情報が欲しかった。

 彼女は何かを知っている。自分を待っていたと語る彼女なら、何かこの絶望的な状況の打開策を講じてくれるかもしれない。


 僅かばかりの躊躇を経て、新月は恐る恐る前へと一歩を踏み出す。

 彼女は安心した表情で微笑んで、静かな口調に感謝を込めて呟いた。


【ありがとう】


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