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月下のラビリンス  作者: わたしです
血染めの死門
15/22

迷宮攻略――③

 刃を振るい血を切り払う。足元には死屍累々と言っていいものか、ともかく魔獣たちの骸が転がっていた。

 小さく息を吐き出して、ぺろりと唇を湿らせた。


(まだ、余裕があるな)


 クラウスは剣を鞘へと戻しながら周囲を見渡す。負傷者の手当てもそろそろ一段落着きそうだ。

 今のところ犠牲者は出ていない。この調子で行けば楽々と攻略できそうな所だ。

 しかし、そんな甘えそうな思考に活を入れる。


(この程度の訳がない。八年前の悪夢を忘れるな、主力が居ないとは言え当時の精鋭が全滅した悪夢の場所。このまま終わる訳がないんだ)


 静かに息を整えて片手を上げる。


「行くぞ」


 短くはっきりと告げ、真っ直ぐ前へと歩を踏み出した。

 血染めの死門。攻略はまだ、始まったばかり。



◆ ◆ ◆



《また来ますよ》

《無限に沸いてくるな、ゴキブリかよ》


 そんな軽口が叩ける程度には、現在の状況に余裕を見出せていた。呆れたようにそう零す新月の視線の先には、奇声を上げて飛び掛る下半身の無い魔獣の群れ。しかし奴らは瞬く間に騎士や魔術師の手によって殲滅されていく。この城に入ってから、何度と無く目にした光景だ。


 ちなみにゴキブリという単語に首を傾げたアディアナは、新月の記憶に触れてその正体を探った結果声無き悲鳴を上げてカチコチと固まってしまっていた。


 そうこうしてる間に再び戦闘は騎士たちの勝利で幕を閉じる。時折負傷者は出ているものの、未だに犠牲者はゼロ名。暫しの休息をはさみ、行進を再開した。

 気分良さげに前を行くアラムの後にくっついて移動する新月の傍に、騎士たちの間を縫って近付く影が一つ。


「やあコヨミ、怪我はないかな?」

「クラウスっ、お前こんな所居ていいのかよ?」

「別に構わないよ、そんな大所帯じゃないんだし」


 どこからでも指示は出せると彼は笑って言った。


「この城はそろそろ終りが近い。道案内についてそろそろ頼めるかな?」

「任せろ、その為に付いてきたんだしな」


 この先は血の霧が立ちこめ、一歩先すら見通せない湿地帯が広がっている。案内なしに目的の場所に行く事はまず不可能だろう。


 彼らの目的の場所は、最奥。何をもって迷宮攻略が成功だとみなすか。それが最奥への到達、そしてそこに居る『迷宮の主』の討伐である。嘗ての迷宮攻略に置いて、イヴァン率いる冒険者たちは最奥へ辿り着き、『主』を撃破すると同時に迷宮は姿を消したという。


「よし、それじゃあこれを」

「なんだこりゃ」


 手渡されたのは魔術の図形が刻まれた木札。それを二枚懐から取り出して、片方を新月へと手渡す。


「さっき一方通行で僕の声を届けてたろう? それの会話できる奴さ、今後必要になってくると思うから渡しておく」

「そりゃ便利だな、ありがたく使わせてもらうわ」


 受け取った片手サイズの木札は図形が描かれている事以外、本当にただの木の札に見える。これが所謂、通信機のような役割を果たすというのだから驚きだ。

 くるくると木札を回して遊ぶ新月は、ふと思いついたように目を瞬かせた。


《これさ、アディアナが持った方が良くないか?》

《いえいえ。こよみがしっかり持っていて下さい。私では恐らく、使えませんから》

《えっ、なんで?》

《この『黒い人型』は力の集合体のようなもの。人と構造が違うなんてレベルじゃないんですよ。現に先ほど、湖でのクラウスさんの声は『人型』の方には届いていませんでした。船でのフィトーさんの魔力チェックもしかり。私はこよみの中に居たから、ついでに恩恵を受けただけです》


 人差し指をピンと立てて語るアディアナに、ふむふむと顎を引いて相槌を打つ。話を聞いて自分の中で纏めてみるに、どうやら一つ勘違いしていたらしい事に気付いた新月は、「つまりなんだ」と前置きを置いて。


《黒い人型として外に居る間も、アナは俺の中に居るのか?》

《ええそう。私の本体、つまり魂は変わらず精神世界にずっと居ます。黒い人型はそこから私が操作する、人形のようなものです》


 新たに発覚した事実に驚きの感情を込めた息を吐き出しながら視線を目の前へと固定させると、にこにこと笑みを浮かべたクラウスと目が合った。

 てっきり話は終わりだと思ったのだが、どうやら終わりではなかったという事だろう。そういえばクラウスが立ち去る気配が感じなかった気もする。


《気付いてなかったのですか……。気を抜きすぎでは?》

《うるさい、教えてくれたっていいだろう》

《私はコヨミと話せればそれで満足ですし》


 言外にどうでもいい存在としてクラウスを扱うアディアナに、何と返して良いか分からず口をモゴモゴさせた。


「ん? 話が終わったみたいだね」

「あれっ、聞こえるのか?」

「まさか。でも君と彼女の繋がりのような物は感じられるし、僕は人の顔色を読むのが中々上手いんだ。まあ、コヨミは少し分かり易すぎるとも思うけどね」


 茶化すようにそう言って片目を瞑ってみせて、彼は手の上で遊ばせていた木の札を左右に振った。


「ともかく、使い方を説明しておこうと思ってね」


 木の札に向かって声を投げかけるだけでは通信機として役割を果たさないらしい。見た目は完全に木製の札に視線を落とし、唯一異質を放つ魔術の図式へと向ける。ここまで情報が揃えば新月にも察しが着くというものだ。木札が通信機として扱われるのは間違いなく魔術がかかわっているのだろう。

 だがここで問題が浮上する。本人が非常にがっかりしている事なのだが、彼には魔力というものが存在しない。


「魔力とか使うのか?」

「その通り魔力を使うのだ。そして君が魔力を持たない事も知っている、だからこうして説明しようと待ってたわけだね」

「……、ごめん」

「気にしてないさ」


 クラウスとの話の途中でついアディアナとの会話に意識を向けてしまった。反省する。


「リーベ、こっち来てくれ」

「ん。了解、クラウスさま」


 自分を呼ぶ声に反応して、ぴょこんと跳ねるようにこちらへ向かってくる幼い魔術師。ウサギを思わせる可愛らしい動作だが、新月が反応したのは彼女の言葉。


《やっぱクラウスは偉いのか》

《当然でしょう、彼らを率いているのですから》

《だよなあ》


 なんとも今更な話だが、もしかするとタメ口は不味かったかもしれない。


「あー、クラウス? 俺もやっぱり敬語使ったほうがいいかな?」

「? 突然どうしたんだい? 別に構わないさ。コヨミの好きに呼んでくれ」


 目をぱちくりとさせて首を傾げるクラウスは、続けて「寧ろそのままの方が嬉しいかな」と笑った。

 一体彼がどういう立場なのか新月には分からないが、この若さで一軍を任せられているのだ。もしかすると、対等な口調で会話できる同年代というのは珍しいのかもしれない。

 そう言う事ならと新月は頷いて、とてとてとこちらへ近付いてきたリーベへと視線を向けた。


「ごようですか?」

「ああ、少しね。この念話札なんだが、起動をリーベに頼みたいんだ」


 念話札と呼ばれた木札と新月の間を視線を行き来させ、彼女はぽんと小さな拳を手の平に打ち付けた。


「思い出した。魔力がない、珍しい体質。私が変わりにやればいいですか?」

「ああ、頼むよ」

「了解」


 新月から受け取った念話札をリーベが人差し指でなぞる。ほたるのようなふわりとした小さな光が灯り、次第に拡大していく光が札を包み込んだ。


「これで使用可能だ。片方が起動すればもう片方も自動で起動する。ただ起動中は常に魔力を消費するから、必要な時だけリーベに頼んで起動させてくれ」

「分かった、ありがとよ」

「それじゃあ僕はいくよ。何かあったら遠慮せずにいってくれ」


 光が収まった念話札を受け取りポケットへと突っ込む。サイズ的にも携帯のようなもの、馴染み深い膨らみがすっぽりと収まった。

 キャンプ場に居た時は持っていた携帯も、とうの昔に行方不明。乾燥した血で汚れ黒ずんだ服や靴を何時までも着ていたいと思えず、フィトーに渡された服に着替えている。今ではもう地球にいた証拠と呼べるものは記憶だけとなってしまった。


 少しだけ過去に思いを馳せていると、見覚えのある場所が見えてきた。

 つまり、この城も終わりが間近に迫っているという事だ。


「さてと、ここからだな」


 次第に周囲を真紅の霧が薄らと漂い始めた。逃げるときは無我夢中で気にしてはいなかったが、余裕がある今は吸い込むのはかなり躊躇いが残る。

 布でも口に巻くべきだろうか。つらつらと考える新月の周囲を不意に半透明で緑色のベールがすっぽりと包み込んだ。


「これは?」


 つい、と視線を横に向けると黒い人型を除き皆にこのベールが行き渡っているのが分かる。となるとこのベールは魔術によるものなのだろう。


「フィトーさんの魔術だな。コヨミが大丈夫だから害はねーだろうけど、やっぱいやじゃん? 汚れんの」

「凄いなこれ。霧だけを完全に遮断してんのか」


 大きく吸い込んだ空気はまるで淀みを感じさせない新鮮なもので、指先まで綺麗に包み込むベールが血の霧を拒否しているのが目に見えて分かる。

 何でもありの魔術の便利さに思わず舌を巻いた。


 対策は万全。幾たびの襲撃を乗り越えて、不気味な城を後にした一行は真紅の層へと突入した。

 ずぶりと僅かに沈む足が見る見る血の赤に汚れていく。あくまでもベールが防いでくれるのは血の霧だけのようだ。


 真っ黒な木が点々と並ぶ湿地帯にかかる霧はまだ差ほど濃くなく、視界状況は幾らか先を見通すことが出来、最悪とまではいかない。だが、だからこそ目に入る蠢く暗い影。霧の向こう側で活動を続ける魔獣(ナニカ)に、騎士団は痺れるような緊張を孕んだ静けさを保ち進んでいく。


 一体どれほどの魔獣が居るか分からない以上、態々こちらから攻撃を仕掛ける事はしない。次第に濃さを増していく霧は暗い影を覆い隠していくが、同時に視界を奪っていく。恐怖は変わらず、ただベクトルを変えてそこに存在する。気付かれないよう息を殺す集団の中、時折上がる声といえば、新月が念話札に告げる道案内ぐらいだ。


「……ああ。このまま真っ直ぐで間違いない。もう直ぐしたら谷見たいな場所があって、そこは要注意だ」

《要注意? 何かいるのかな?》

「確か『ロア』だったかな? 聞いたら動けなくなるような、恐怖を煽るような声が聞こえんだよ」

《ふむ。恐らく【スケアリー・ボイス】の事だろうね。分かった、注意しておこう。他には何か――》


 念話札から帰ってくるクラウスの声を遮るように、ぴくり、と反応を示したアディアナが霧の向こう側に鋭い視線を投げつけた。


《来ます。敵です、数はそう多くないですが、気をつけて》

「――クラウス、敵だ。アディアナがそういってる」

《了解だ。一度接続を切るよ》


 声にあわせて明滅を繰り返していた念話札が完全に沈黙する。直後に新月個人ではなく全員に届き駆け巡るクラウスの警戒を促す言葉に、騎士たちは行軍を止めジリジリとした緊張感の中周囲の警戒が霧へと向いた。

 騎士は腰の剣を抜き放ち、魔術師は片手に開いた本を持って。

 剣呑な空気の中、皆一様に神経を研ぎ澄まし見えざる襲撃者を待ち構えた。


「――――?」


 しかし。

 満ちる静寂は戦闘の予感を感じさせず、至って平穏と言っていいのか分からないが、流れる霧は乱れる事無くただ時間だけが刻々と過ぎていった。

 襲撃者の影も形も見つけることが出来ず、次第に困惑といった空気が広がっていく。

 その時だった。


「……あれっ?」


 襲撃を微塵も感じさせない静寂に、気のせいだったのではと僅かな疑いが毒のように侵食して肩の力を抜く、そんな時だった。少しばかり拍子抜けしたような顔で見渡す新月の耳に素っ頓狂な声が届いた。

 声を上げたのは一人の魔術師だった。さも驚きましたというような、まるでとても簡単なクイズの答えをド忘れしてしまったというような、何とも肩の力が抜ける声が静寂の中で嫌に耳に残る。

 そして後に続いた声は、動揺を隠せない硬い声で。


「クラウス様、一人……。一人、居ません……ッ」


 一瞬で、空気が引き締まる音がした。

 迷宮を見くびっていた訳ではない。だがあまりに順調すぎる旅路に、僅かとはいえ油断が生まれていた事も否定することは出来ない。

 そんな侮りは瞬く間に凍りつき、心臓を鷲掴みにされるような息苦しさに言葉にならない空気が漏れる。


「こっちもです! 魔術師が一人足りませんッ」


 襲撃は起きていた、誰一人気付くことなく二人の人間が浚われていた。

 ざわめきが動揺と共に波のようにうねり広がる。その場に居る誰もが既に悟っていた。浚われた二人の生存は絶望的だろう。誰もが同じ結論を出し、直後に、答えあわせをするかのように上空からの落下物が一つ。


 こつん、とヘルムにぶつかり甲高い音を響かせた小さな球体は、一度跳ね上がり血に抜かるんだ地面を転がった。


「ッんだよ――」


 気を張り詰めて警戒している中、突然の落下物を頭部に受けた騎士は跳ね上がった肩を誤魔化すように押さえつけ、苛立ち吐き捨てながら転がる球体へを目呻ける。

 

「――ぁ?」


 向けた先で、(、、、、、、)血まみれの(、、、、、)球体と目が合った(、、、、、、、、)

 塗りたくられたような滴る血液は、転がった時についただけではない。

 抉り取られたばかりの人間の新鮮な眼球が、じっと見下ろす騎士を見つめていた。


「うッ、ぉおお!?」


 ――――血の雨が降り注ぐ。



◆ ◆ ◆



 ぽたりと一滴滴る血液を皮切りに、人間二人分の血液を纏めてぶちまける真紅の俄雨。

 骨粉や臓物が混じる血に全身を染め上げられる騎士たちが、それでも武器を手放さず悲鳴を漏らすことも無く警戒を怠らなかったのは賞賛に値する精神力だ。

 ただ、決して恐怖を感じず冷静だった訳ではなかった。一瞬で打ち込まれた恐怖の杭は深く深く心臓へと届き、かみ殺した歯は今にも震えだしそうな弱々しいもの。


 故にその追い討ちを回避する事は出来なかった。


【カァッアッア―――――ッ! あっあっあっあ――っ!】


 不気味に反響する魔獣の嘲笑。【スケアリーボイス(ロア)】を深く知るアディアナやクラウスを筆頭にした数名は直後に敵の狙いを悟る。

 迷宮攻略組に名を連ねた精鋭に、本来であれば【ボイス】は通用しない。

 だが直前に凶悪な仕込があった。消えた二人とその末路、心を落ち着かせる間もなく直前の恐怖を最大限に煽る嘲笑に、幾人もの騎士や魔術師たちが膝を屈した。


「ひぃっ――!?」

「―――ぁぅあ」


 バタバタとドミノのように倒れ伏す。小刻みに震える身体を抱きしめて泣き喚く騎士が居た。甲高い悲鳴を上げて髪を掻き毟る魔術師が居た。反応は様々、一つとして同じものは無く、しかし根底には同じ恐怖があった。誰も彼もが戦闘不能に陥ったと一目で分かる。


《アディアナッ、すまん助かったッ!》

《お安い御用ですよ、こよみ》


 膝を付く新月は荒い息をつきながら周囲を見渡す。彼が恐怖に飲み込まれなかったのは、守るように全身を包み込む黒い靄のお陰。状況判断は一瞬、咄嗟のアディアナの加護は新月の精神を守り抜いた。


《戦えぬ者をフィトーの下に連れて来い! 多少乱暴でも構わない!》


 切り裂くようなクラウスの声が届き、あちこちから応じる声が幾つか上がる。壊滅状態といっても過言ではない惨状で、精神汚染を免れた者は僅か。蹲る恐怖に屈した者たちを強引に引き摺って一目散に目的地(フィトー)を目指す。


 ただ奴らが追撃の手を緩める事はない。止めを刺さんと魔獣が一斉に迫る。

 続こうと立ち上がった新月の耳元でアディアナが叫んだ。


「上ッ! こよみ、避けてッ!」

【かぁっあっあっあっ!】


 血霧を破き奇声を上げて急降下してきた魔獣に、新月は見覚えがあった。空を飛ぶ異形の怪物。上半身と下半身を腰の辺りで真っ二つにした二人の人間を、上半身同士で無理やりくっ付けたような不気味な見た目。上の両腕は蝙蝠を思わせる骨ばった翼、下の両腕は鋭利な鉤爪に変化した魔獣の上下の口が同時にニタリと三日月を描く。青白い唇から覗く歯は今にも滴りそうな血で真っ赤に染まり、破れた布のようなものが引っかかっていた。


「テメェが……ッ!」

【アァ――――――ッ!】


 見えざる襲撃者が正体を現し、更なる犠牲者に狙いを定めて襲い来る。

 ケタケタと嗤う魔獣を前に、身構える新月の肩を力強い手が掴んだ。


「おう、ぶっ殺してやるぜゴラァッ!」


 新月と位置を入れ替えるように前に出たアラムの、片手で振るうには大きすぎる剣が轟風を撒き散らした。ゴッ!!、と凶悪な一振りが破壊を生み出す。真っ二つなんて生易しいものじゃない。脳天に斬り込んだ刃は滑らかに直下に進み、魔獣が乱暴に扱った人形のようにぐしゃぐしゃに拉げ、木っ端微塵に吹き飛ばされた。


「無事みたいじゃん、コヨミ。やるな。オレはやる事があるからよォー、負傷者をフィトーさんのトコまで運んでくれっか?」

「分かった、無茶すんなよ!」

「こんなモン、余裕だぜ」


 気合を入れるようにヘルムの位置を調整したアラムは右手に大剣を、左手に盾を備え霧の向こう側で嘲笑を続ける鳥型の魔獣へ向けて返すように獰猛に嗤う。辺りを見ればアラム同様に魔獣たちから仲間を守る者と、負傷者を運ぶ者に別れて行動を始めていた。


 今は数少ない動ける者として精一杯役目を果たすべきだ。アディアナとの合体中は著しく体力を消耗するが、短期間であれば特段それはデメリットにならない。各腕に一人ずつ倒れ込む棋士や魔術師の手足を引っつかんだ。両腕は勿論、纏う黒い靄が腕の形を取って追加でさらに二本の腕を得た新月は、合計四人を引き摺りながら他の救援者の後に続く。


 中々の重量ではあるが、幸いにも力だけはある。

 ずりずりと血塗れた湿地の上を引き摺る事に申し訳なさはあるものの、クラウス(彼らのボス)から「多少乱暴でも構わない」という言葉を頂いたのだ。言質はばっちり、もし小言を言われたら笑顔でクラウスに擦り付けよう。


「シンツキ君っ、無事だったのか!?」

「アディアナのお陰ですよ」


 目的の人物の下へは直ぐに辿り着く事が出来た。慌しく運び込まれた負傷者たちはフィトーを中心に展開される、薄緑色のドームの中に続々と寝かされていく。半透明のドームは血霧から守ってくれている靄に良く似ている。中心に立つフィトーの両手には魔術の図形が刻まれ、ドームと同じ色に発光していた。


「結界の中に並べてくれ、直ぐに元に戻して見せる」


 結界とはこのドームの事なのだろう。見れば最初から近くにいたのか、既にふらふらと頭を振って起き上がろうとしている者が居る事に気付く。

 ともかく、負傷者はここまで運べば大丈夫のようだ。

 問題は、このフィールドを展開しているフィトー自身が襲われないかという点だが、視線をずらした新月はその心配も杞憂である事を悟った。


「がっはははッ! この程度かッ!」

「――――疾ッ!」


 丸太を思わせる豪腕に物を言わせ身の丈を超える大剣軽々と振るうゴウトが、次々と襲い来る魔獣をまるで冗談のように弾けさせる。並ぶクラウスの双刃の剣は、アラムやゴウトの獲物に比べれば随分と標準的な大きさだろう。ただしその殺傷能力は劣る事無く、目のも留まらぬ速さで振りぬかれる剣線は一つにつき一体の魔獣の屍を積み上げていた。


 たかが二人、されど二人だ。

 彼らが守る限り、フィトーを含め負傷者たちは安全だろう。目の辺りにする人智を超える神業に舌を巻く。


 だが、疑問もあった。


「なんでクラウスは、一掃しないんだ……?」


 血の湖で見た一撃。クラウスにはあれがある、光の剣で全てを無慈悲に斬り払う必殺。

 あの技を使えば極めて迅速かつ安全に、この状況を乗り切れるはずだ。それに気付いていない訳がない。

 何か理由がある筈だと首を傾げる新月の疑問に答えたのはフィトーだった。


「アレは何度も使えるような技じゃあないんだ。それにこうもバラバラに、四方八方から攻められては一撃で全てを殺しきるのは無理だろう」


 フィトーの説明に一言礼を言ってクラウスへと視線を戻す。確かにあれだけの攻撃を何度も連発出来る訳がないのだ、強力な力にデメリットは常に付きまとうと言うもの。


《でもそれならそれで初っ端からぶちかますか? まだ初めの一歩の場面で》

《切り札は温存すべしというコヨミの意見も分かるけれど、初めの一歩だからこそ、躓きたくなかったのでは? あの場面、彼が一掃しなければ少なからず死者が出ていたのは間違いないでしょうし》

《それもそっか……、深いなっ》

《コヨミが浅いんですよ》


 地味に鋭い毒を吐くアディアナに頬を引き攣らせながら、運んだ負傷者を適当に並べていく。動けるものは少なく、少しでも早くフィトーに直してもらわねば命が危ない。


「すまない、シンツキ君。無茶だけはしないでくれ」

「頼まれたってしませんよっ」


 道案内だけで良いと言った約束を守れなかった事に対する謝罪を、新月は笑って受け取った。もとよりこの迷宮に挑むに当たって、それなりの覚悟はしていたのだ。何も命を掛けて戦うわけではなく、負傷者の回収というだけならお安い御用というもの。


 負傷者を探して血の泥濘の上を駆け足で進む。ばしゃりと跳ねる血を拭いつつ見渡す限り、視界内に負傷者は居ない。

 無事だった者の数は少なくとも、魔術や驚異的な腕力で行う回収速度は非常に高い。この調子でいけばこの一往復で事が終わりそうだ。


 我武者羅に負傷者を探すのはあまり宜しく無いと、さらりと金の双眸で周囲を眺めると、少し離れた所を確かな足取りで進む救援者を見つけ、足早に駆け寄った。広い両肩にそれぞれ二人ずつ乗せて、計四人の救助を行う巨体の騎士へ。


「他に負傷者は居ないか?」

「向こう側に一人倒れているのを見たッ! すまんが頼む!」

「了解っ」


 指で示された方角へと足を向ける。魔獣が奏でる不協和音の中を負傷者を探して真っ直ぐに駆けぬけた先で、蹲りか細い呻き声を上げる一人の魔術師を見つけた。

 だけど倒れ伏した魔術師は、きっと巨体の騎士の言う『負傷者』ではない。特徴を聞いていた訳ではないが、状況から確信を得る。


 彼女は横合いからの魔獣の一撃を受け、ボールのように勢い良く吹き飛び血の泥濘を転がった。今、新月の目の前で。


 小さく丸まった少女は全身を血で汚し力なく呻く。魔獣の一撃は不意をついたというものではなく、大した速度も無い簡単に避けてしまえそうなものだった。ただ、謡う【スケアリーボイス(恐怖の曲)】に身を竦めるのがはっきりと見えた。


 戦闘とは恐ろしいものだ。例え一度の【ボイス(仕込み)】では折れなかった精神も、絶えず死の恐怖に晒されていれば何れ折れてしまう可能性は高い。

 それが本来であれば迷宮などとは縁が無いであろう年齢の、幼い少女であれば尚更。


「リーベッ!」


 声は確かに届く距離にも関わらず、黒髪の魔術師はぴくりとも反応を示さない。

 魔獣の攻撃で重症を負ってしまったのか、声すら聞こえないほどの恐怖に震えているのか。

 少なくとも、彼女は最早戦闘を続行できる状態ではないのは火を見るより明らかだ。


 だがそんな事はお構いなく、むしろ絶好のチャンスだと言わんばかりに、ケラケラと複数の不気味な笑い声が木霊する。

 魔獣たちが手を緩める理由は存在しない。幼子の生き血を啜ろうと期待に歯をかたつかせ、我先にと羽ばたく魔獣が霧の中から何時襲い掛かってきても可笑しくはない。


 何とかしなければ、リーベは死ぬ。


 このままだと必ず来る惨劇の結末に、ゾッと背筋を凍らせて助けを求めるかのように新月は首を振った。


(駄目だ、霧が濃い……)


 周囲に視線を巡らせても頼りになる人影は見つける事が出来ない。この霧の濃さだ、この状況に果たして気付いている人が居るのかも定かではない。例え気付いていたとしても、きっともう間に合わない。


 間に合うのは。

 今この場で、救えるとするならば――。


《危険です》


 ぼんやりと移ろう思考に伴って拳を握った少年へ、月は断固とした制止を言い放つ。


《危険です、こよみ。魔獣が複数体居るであろう場所に単身飛び込むなど》

《見捨てろってのか》

《そうです》


 冷静に、冷酷に。


《彼女と貴方。命の価値など、考えるまでもない》


 アディアナは常に新月だけを考え、守ろうとしている。その守護対象に、当然リーベは含まれて居ない。

 制止の言葉にゆっくりと拳を解く新月は少しだけ目を閉じて。


《……悪いな、アディアナ》


 ――新月こよみは弱い。そんな事は分かっている。

 だけど。


「劣化版とは言え神の力持ってんだ、女の子一人救えねー訳がないだろうが!」


 気合を入れろと、自分自身に叩きつける。

 今更誰が駆け寄ろうと救えない、救えるのは新月だけだ。

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