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月下のラビリンス  作者: わたしです
血染めの死門
14/22

迷宮攻略――②

 暖かな陽光降り注ぐ光の世界に背を向けて、死臭漂う門を潜り抜ける。

 世界は余りに簡単に、一瞬でその姿を変えた。外との明かりの落差にぼんやりとしか視界を取れない中、吐き気を催す血の臭いだけは鮮明に嗅ぎ取れた。

 ピリピリと背筋が痺れるよう鋭い緊張が騎士団の中を走り抜る。一言も発する事の無い押し黙った沈黙の中、足を止める事無く門を潜り抜けた先。

 淀んだ臭気を撒き散らす大きな血の湖が姿を見せた。


「魔術師は各自一隻ずつ小船の用意を。四人一組になって湖を渡るぞ。フィトーは別に明かりも出してくれ」

「了解」『応ッ』


 フィトーが短く応じ、続いて同じく了承の声が何人も重なって響く。

 既に迷宮内である事を考慮した控えめな声だったが、それでも新月の胸を占める緊張を解すには十分だった。ほぅ、と一息吐いて何時もの調子を取り戻す新月の肩を軽めの拳がノックする。


「うん?」

「よーっすコヨミ、覚えてるか? アラムだ、お前と組む事になってるから宜しくな」


 ゴウトの拳が叩き込まれた後から姿が見えなかった茶髪の青年は、迷宮内であっても変わらぬ気さくな態度だ。

 緊張など微塵も感じさせない様子に、思わず拍手の賞賛を送る。


「お? お? いやー照れるなっ」


 拍手の意味は分からずとも褒められている事は分かるのだろう。がははっ、と豪快に笑うアラムの隣で控えめに片手を上げたアディアナは。


《ふふふ、私も緊張なんてしてませんよ。褒めてもいいのだけれど?》

《張り合うなよ》

《もーっ!》


 今にも地団駄を踏みそうな声に、少しだけ新月は驚いて首を傾げる。なんだか二人で居た時とアディアナの様子が違う、あの頼れる感じは一体何処へ行ってしまわれたのだろう。


「準備出来た」

「よっしゃ、早速乗り込めっ」

「ああ、分かった。……あれっ、お前って」


 特に実害はないので一先ずアディアナの事は放っておき、甲冑をガチャガチャと鳴らしながら魔術で作られた即席の小船に乗り込むアラムの後を追う。小船の先頭で既に腰を下ろして待っていたのは、『ウィズ』と呼ばれていた少女だった。眠たげな瞳はそのままで、分厚いローブに身を包み胸に本を一冊抱いている。


「『ウィズ』さんだっけ、宜しくな」

「ん。リーベって呼んで」

「いやー、オレも居るし『ウィズ』も居る! 完璧な布陣! オレらは湖渡った後も傍にいるから、コヨミは安心して道案内に専念してくれい」

「ああ、ありがとな」


 『ウィズ』は最強の魔導師に送られる称号。そんな称号を冠する少女を護衛として近くに置いてくれるとは思っておらず、クラウスの厚意に感謝の念を捧げる。

 これで三人。最後の一人は、どすん、と大きく足を踏み鳴らしてやって来た。船がひっくり返るんじゃないかと心配に成る程の揺れ。遅れてやってきた大男はフルフェイスの下でにやりと口角をゆがめた。


「それに儂も居るしのう」

「げえっ、団長!?」

「アぁラムぅ、文句でもあるのか?」

「滅相もございませんっ」


 鮮やかな敬礼は服従の証。揺れる小船の上でバランスを崩す事無く立ち上がるアラムの腰は引けており、密かに頭部を庇っているように見える。あの拳骨はどうやらしっかりと記憶に刻まれているらしかった。あの拳骨とは思えない轟音を思い出し、新月は思わず浮んだ苦笑を隠す為に首を振って、


「でもゴウトさんまで。いいんですか?」


 主力に上げられていた四人の内二人が一箇所に固まっている。守られる新月としてはありがたいが、その結果部隊が壊滅なんて事になったら目も当てられない。


「気にする事はないだろうて。他の者と完全にばらけとる訳ではない。まあ儂は常に傍に着いて置くという訳にはいかんかもしれんがの」

「いえ、ありがとうございます」


 安心度という意味でゴウトの存在は大きい。彼の筋肉で覆われた鍛え上げられた見るからに戦士と言った風貌は、この迷宮に挑むに当たって非常に心強い。

 魔術によって無から生み出される小船が血の湖へ浮んで行き、甲冑に身を包む騎士たちが続々と乗り込んでいく。最後の一人が乗り込んだ事を確認して、虚空に浮ぶ光球の下で先頭に立つクラウスが右手を振り上げた。


《前進ッ!》


 小船が薄く輝き波を立てて湖を滑る。鼓舞するような熱い掛け声は耳からではなく直接脳裏に響き渡った。クラウスを注視すればぼんやりと見える魔法陣から察するに、魔術的なもので声を届かせているのだろう。


《むむ、これ私の声とごっちゃになりませんか?》

《向こうからの一方通行みたいだし、大丈夫だろう》

《ならいいですけれ、――――ッ!!》


 ひゅっ、と鋭く息を呑む声にどうしたと、新月が疑問を問うよりも早く、アディアナは短い言葉に最大限の危機感を詰めて言い放つ。


「不味いです」


 今までの念話とは異なり、全員に聞こえるように声に出した。その意味は態々問う必要も無い。

 直後にアラムとゴウトが警戒態勢を取り、リーベも遅れる事無く一つの魔術を発動する。恐らく連絡用の物なのだろう、警戒は瞬く間に全ての小船へと伝わっていった。


「魔術でクラウス様に伝える。状況を教えて」


 眠たげな目に光を灯して真剣な表情を浮かべたリーベに、アディアナは額を上げて短い言葉を並べていく。


「敵が来ます。下、湖から」

《――了解。照らせ、フィトーッ!》


 切り裂くような指示に、魔術師は直後に対応する。花火を思わせる軌跡を描き、同時に放たれた光球は二つ。

 一つは空中へ。初めに使ったものとはまるで違う、爆発的に広がる光がまるで小さな太陽のように暗い世界を照らし出す。

 一つは水中へ。飛沫を上げて沈み行く青白い光球が、淀んだ血に隠された忍び寄る敵の正体を白日の下に曝け出す。


「嘘だろ、何だよこれ」


 思わず零れた呟きにも気付かず、新月の視線は水中の悪夢に釘付けになった。


「げえっ! ひっでぇな」

「ぅっ。夢に出てきそう」

「ふん、流石は『血染めの死門(悪夢の代名詞)』と言った所かのう」


 口々に感想を漏らす同伴者たちの視線も同じく水中へ向けられ、進む小船の群れは次第にざわめきを増していく。


《これはこれは。しょっぱなから飛ばしてくるねッ》


 苦々しい口調で吐き捨てるように言い放つクラウスの視線の先。光に照らされた血の湖の中を、水面へと向かって泳ぐ『化け物』。

 ソレを名指しするさい、オブラートに何十にも包み込み、優しい優しい言い方をするならばきっと『人魚』だろう。上半身は人間そのもので、腰から下に伸びる魚の尾ひれが左右に揺れて水を掻く。ただそれだけであれば、『人魚』で終われた。『化け物』だと、寸分の迷い無く意見を一致させたのには訳がある。


 人間と同じ上半身、その後頭部。髪は無く、どころか皮膚も、骨すらも存在せず、ごっそりと抉れた頭部からウゾウゾとした脳みそが零れ落ちていた。確かに落ちているにもかかわらず、終わり無く、止め処なく流れ続ける脳みそと鮮血こそがこの湖を形作っている。


 ――その数、百を超える。


 一目で致命傷と呼べる欠損を負った、『化け物人魚(魔獣)』の群れが、光を追い求める虫のように光球を、そしてその先の小船の群れを付狙い、皮と骨で出来た細い腕で臓物の湖を遊泳していた。






 侵入者を前に容赦なく、湖の門番が迫り来る。


《船の速度を上げろッ! 来るぞ、戦闘準備ッ》


 緊迫した声が警鐘のように脳裏で鳴り響き、直後に水面から顔を出した魔獣が悪夢の産声を上げた。


【きぃアッアッアッアッ!】


 血飛沫を振りまいて跳ね上がった魔獣の、液状化した臓物にまみれた両腕が蛇を思わせる動きでくねり獲物に食い付く。


「があッ!」

「くそッ、離――――ッ!?」


 一瞬だった。飢えた肉食獣が新鮮な肉に食いつくような、吐き気を催す臭気を纏った魔獣が一隻の小船を襲い、全てを水面下へ引きずり込む。バシャリと荒れる飛沫に混じって脳みその欠片が虚空を踊り、何度と無く振り下ろされる細い薄気味悪い腕が垣間見えた。


「アイツ等、一隻ずつ沈めていく気かよッ」


 百を超えるであろう魔獣が生きた証の、その破片すら飲み込まんと殺到する様子に背筋を冷たい汗が流れ落ちた。

 あれはもう駄目だ。迷宮攻略開始から余りにも早い惨劇。命は呆気なく散っていた――――かと、思われた。


「【世界を巡る祝福の光よ、鋼を打ちて器と成す。巡り巡りて器に宿れ】」


 それは頭に直接ではなく、力強い声が鼓膜を揺らす。


「【起源は偉大なる神の御言葉】」


 導かれるように動かした視線の先に、天高く掲げた一振りの剣。


「――【光あれ】」


 白光が闇を払い全てを染め上げた。視覚が光で支配され、一瞬の浮遊感に襲われる。どこか遠くにも思える場所から聞こえた、断末魔のような絶叫の大合唱に肩を震わせる。


「安心せい、こんな所で早々に犠牲者は出さんよ」

「えっ、あれ?」


 光が収まる。再び訪れた暗闇に成らす為に目をぱちぱちと開閉し、襲われていた小船の方を注視する。

 そこには既に魔獣の存在は影も形も無く、寄せるように集まった幾隻かの小船が水面に落ちた騎士たちを引き摺り上げていた。


《負傷者の手当てを。行くぞ、油断はするな》


 再び水面を滑り始めた小船の数は一隻減ったものの、その上に乗る騎士たちの数は誰一人として欠けては居ない。


「嘘だろ、あれで誰も死んでないのかよ」

「同伴して居った魔術師が結界術式を使ったのだろうて。迷宮に挑む以上当然だが、精鋭揃いじゃ」


 あれだけの襲撃を受けて尚、犠牲者を零に抑えた事実に驚嘆したのは新月だけではなかった。


《驚きました。一体いか程の時が流れたかはわからないけれど、ここまで人は進化できるものなのですね》

《眩しくて見えなかったけど、一体何があったか分かるか?》

《光、ですね。私にも詳しくは分からないけれど、光の剣が魔獣を一掃したように見えました》


 百を超える魔獣を一掃。それも恐らく一振りで。

 恐ろしいと思うよりも先に、頼もしいと安堵する。迷宮攻略に勝算があると語った言葉に嘘偽りは無かったのだ。


《しっかし、心臓に悪いな。何で俺たちが逃げるときには来なかったんだ? この事はクラウス達の情報にも載ってなかったし》

《迷宮は中から外へ行くのは意外に簡単な構造になっているといったでしょう? そして迷宮は進化する。新たに出来た門番を知らないのも無理はありません》

《流石によくしってんな》

《全てではないけれど。この敵の話を突入前にしなかったのはいじわるで黙っていた訳ではありませんよ?》

《分かってるさ、そんな事》


 心配そうにこちらをちらちらと見つめるアディアナに、新月は思わず笑顔を浮かべて対応する。

 そんの様子を見ていたアラムが、少しばかり勘違いしたらしくにやにやと唇を曲げた。


「おほう、今の見て笑顔とはコヨミも全然余裕じゃんか」

「余裕じゃねーよ。心臓ばくばくで破裂しそうだ。あの様子じゃ、マジで俺は何も出来そうに無い、悪いな」

「おいおい何を言い出すかと思えばよー、気にすんなって。あれだ、適材適所」


 バシバシと背中を遠慮なく叩いてがははと笑うアラムに賛同するように、ゴウトも禿頭を撫でながら口を開く。


「そうだのう、今回の襲撃で被害を零に抑えれたのは間違いなくお主達のお陰じゃ。胸をはれい」

「ん、私もそう思う。早くに気付けたから、結界術式が間に合った。不意打ちされてたら、間違いなく犠牲者が出てた」


 ぐっと握りこぶしを胸の前で作るリーベにまでそう言われるとここで反論するのもおかしいと思えてくる。彼女の見た目はあくまで小学生ほど、そんな少女の慰めとも取れる励ましに「それは違うよ」と否定意見を弾丸のように飛ばすわけには行かないのだ。


《あったけえ。でもそれって俺じゃなくてアナの手柄だよな》

《私とコヨミは二人で一人という奴です。だから私の手柄はコヨミの手柄でもあるのですよっ》


 仕舞いにはアディアナにまでこう言われる始末。

 嬉しくないといえば嘘になるが、新月の根底に燻っている自分が弱いという自覚に足を引っ張られて全てを肯定する事は出来ない。曖昧に笑って言葉を濁した。






 警戒する彼らを他所に湖の襲撃者はその後現れる事も無く、湖を渡りきった騎士たちが続々と小船を降りて対岸の不気味な城の門前へと集まっていく。

 全員が集まった事を確認し、門へと手をかけたクラウスは何かに気付いたように瞳を丸く開かせた。


「おっとっと。全隊戦闘準備、どうやら手荒い歓迎を受けそうだ」


 軽い口調だがそこに込められた戦意を敏感に感じ取り、緊張が走り抜ける。後生大事に胸に抱いていた本をぺらぺらと捲るリーベがすすす、とそれとなく新月の隣へ移動し、アラムは腰の剣を引き抜き二人を守るように正面に位置取った。前方には騎士、隣には最強の魔術師。そしてその周囲には精鋭たちが揃い踏み。完全に守られるお姫様ポジションと化した新月は、僅かに拳を開閉させる。


 ここまで厳重に守られれば万が一というのはまず無いのかもしれない。だが念には念を。

 彼は決して戦えない無力な一般人ではないのだから。

 静かに、呼吸を整えた。


「ゴウト、頼む」

「任せい」


 新月の傍を離れたゴウトの立ち位置は先頭。壊れかけ今にも崩れそうな城門に両手をかける。大きく息を吸い、怒号と共に豪腕の筋肉をこれ以上ないほど膨らませた。


「ぬぅりゃ!」


 ズンッ、と地響きの如き衝撃がゴウトの足元を僅かに陥没させ、身を守る全身甲冑に光る赤い線が走る。

 新月にはそれが相撲の張り手のように見えた。但し威力は桁外れなもの。気合と共に突っ張った両腕に押され、轟音が鳴り響き城門が呆気なく崩壊した。

 直後に崩壊した扉の置くから飛び出してくる影があった。


【あああ―――――ッ! ぁぁあああア゛ア゛ア゛――――――ッ!!】


 下半身を失った這いずる亡者どもが、どこにそんな力があるのか、腕を器用に扱い空中へと身を躍らせながら襲い来る。

 まるで雪崩だ。死臭を纏う魔獣たちが、自らの仲間すら足場にして狂気に染まった強襲を仕掛ける。だらだらと穢れた涎を振りまいて、喰らいつかんと歯を剥き出しに口を大きく開けた。


――【ライン・ボルト】


 その雪崩の中心部へ、深く深く雷鳴が突き刺さる。一人の魔術師が幾何学模様が刻まれた右手を前に突き出して声高々に叫んだと同時に、その手から雷が迸った。それが皮切り、続々と右手を掲げる魔術師たちの声が高らかと響き、魔術が魔獣どもに牙を剥く。

 煌々と燃え上がる炎の槍が、無造作に魔獣を焼き貫く。続けて振るわれた水の刃が上半身しか存在しない亡者の身体を、さらに上下に斬り分けた。


【ああッ! ア゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――――ッ】


 雨あられと降り注ぐ雷や炎を掻い潜り、尚生き血を啜ろうと奮闘した先に待っていたのは鍛え抜かれた鋼の刃。

 先頭でゴウトが全身を守れる巨大な盾で飛び掛る魔獣を殴りつけ、同時に掲げる身の丈ほどもある大剣を軽々と片手で振るいなぎ払う。続くクラウスも負けじと片刃を二つ繋ぎ合わせて、無理やり両刃にしたような不思議な剣で斬り倒す。


 騎士たちも負けては居ない。二人に後れを取るまいと刃を振るい敵を屠って行く。


「よっしゃ! やったるぜえッ!」

「ちょっとアラム。貴方の役目は……ああもう」


 ガンガンと胸を叩き雄たけびを上げて突っ込むアラムを、ため息交じりにリーベが見送った。

 済まなそうに目尻と頭を下げてくる少女に慌てて新月は大丈夫だと首を振る。

 迷宮は恐ろしい場所だ。だから、念には念を、だったのだが。


《入れる必要、あったかな?》

《この様子だと、無いのでは?》


 腕を組んで冷静に状況を見つめる。

 どう考えても新月の出番はなさそうだ。


 騎士たちの猛攻は留まる所を知らず、城門跡地に静けさと暗闇が戻った時。

 そこに動く魔獣の姿は一体たりとも確認できなかった。

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