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月下のラビリンス  作者: わたしです
血染めの死門
10/22

挑戦者たち

 案内された部屋にあったベッドの上に寝転び新月は大きく息を吐いた。あの隊長と呼ばれていた大男との会話は酷く疲れてしまった、きっと新月の嘘は見抜かれている。アラムのお陰であの場での追求は免れたようだが、このまま話が終わりとは思えない。


《記憶喪失って言ったの間違いだったかな?》

《いえいえ、最良では無かったかもしれないけれど、架空の場所を出身だと偽るのは無理がありましたし》


 言うなれば運が悪かったのだ。嘘を吐いた、その相手にあの大男を選んでしまったのが、あの大男が出てきてしまったのが失敗。実際にアラムは深く考えずにコロリと信じ込んでしまっている。彼が特に騙されやすい人種という可能性は無きにしも非ずだが、普通の人であればあの時の表情の裏に隠された『嘘』に気付く事は出来ないだろう。それだけ浮かべた悲痛な表情は真に迫っていた。


 《今は様子を見るべきでしょう、どう行動にするにしても》


 アディアナの言葉に一つの頷く。あくまでも今は新月の嘘がばれているかもしれないという可能性の段階で、さらに言うならば彼らは悪人には見えなかった。

 ただ気になる点もある。

 アラムが禿頭の男を呼ぶときに使っていた『隊長』という言葉とあの鍛えられた体躯。大男は言わずもがな、アラムも細身ながらがっしりとした体格で新月とは比べるまでもなく、あれは『武人』の身体だった。


 この世界の事情が分からない以上、あの鍛え上げられた体躯の彼らが『普通』である可能性はある。しかし新月の目には、アラム達はそれこそ創作に出てくる冒険者や傭兵といった戦いに身をおく人種にしか見えず、否応なしに感じる嫌な予感に眉を顰める。

 杞憂であればいい、そう願う。だが不安は拭えない。この船は一体どこへ向かっているのか。彼らを乗せた船が、あの島を飛び出したばかりの新月と合流したのは果たして偶然だろうか?


《――――》


 新月の感情に触れながら、アディアナは無言を貫く。既に彼女の心は決まっている、あとは彼が答えを出すのを待つだけだ。


 眠る気にもなれず漠然と天井の木目を数えていた新月は、部屋に響くノック音に跳ねるように身を起こした。


「聞こえとるか、邪魔するぞう」


 返事をする間もなくドアノブを回し、身を屈める様にして先ほどの禿頭の大男が部屋の中を覗き込む。ベッドの上で身を起こした新月と視線を合わせ、小さく鼻を鳴らした。


「付いて来い、話がある。言わでんも分かるだろうが、拒否権はない」

「分かってる」


 のっしりと歩く大男の後ろに付いて船内を歩く。キョロキョロと周囲に興味を示す新月は、後を追ってばかりなここ最近の移動を思い出し苦笑を浮かべた。時折すれ違う船員は皆がアラムと同様に体格のいい青年ばかり。流石に大男レベルの猛者は居ないようだが、すれ違う度に、もしくは大男の背を追う新月へ向ける視線に気付く度に、肌がひり付くような錯覚に新月の目は鋭くなる。

 その感覚は初めてではない。明確に言葉で表現する事が難しい感覚に、新月は覚えがある。あのキャンプ場での夜の事、あの地獄のような門の中の世界を歩いていた時。二つに比べれば随分と優しいが、あの時、常に感じていたモノだ。

 毛を炙るような錯覚を覚える感覚を言葉にするとすれば、『敵意』。


《大丈夫》


 気付けば拳を握っていた新月に優しく語りかけたのはアディアナだ。


《彼らが敵意を向けているのは、貴方ではありません。けれど、このままでは何れ貴方に向く事になりますよ》


 言われて初めて気付く。

 拳を握るだけではなく、眉間に皺を寄せ威嚇するような気配を漂わせていた事に。

 慌てて握り拳を解いた手で頬を叩く新月は、前方へと戻した視線が大男の視線とぶつかり合い冷や汗をかいた。


「あっ、えっとその、すみません」

「……ふん。随分と鋭いモンを持っとるようだのう。大事にするといい、それは手に入れようとして手に入れれるものではない」


 無駄に敵意を買うこともなく、むしろ何故か褒められてしまった新月は何と言えば良いか分からずに、口をむにむにとさせて結局無言で後を追う。幾ら巨大といっても船は船だ、大して歩く事もなく目的地に着いたようで大男が足を止めた。


「行くぞ、くれぐれも失礼をせぬようにのう」


 毛のない頭部を撫でつける姿に、どうやらこの先にいるのが船の責任者であるらしい事は新月にも察せれた。隊長と呼ばれる筋骨隆々の姿にてっきり彼が船長だと思っていた新月は少しばかり驚きながらも、一つ頷き身を引き締める。


 大男はノックの後、数度言葉を交わして扉を開く。体格に比べて遥かに狭い扉につっかえながらも入室し、緊張で心臓の鼓動が早まり始めた新月も続くように部屋へ滑り込んだ。

 内装は新月が案内された部屋とは比べ物にならないほど豪華なもの。どうやら船尾に位置する場所にあるこの部屋は、奥にガラス張りの窓がありすっかり夜の帳が下りた暗い海が一望できる。部屋の中心に置かれた巨大な机の上には地図やコンパス、果ては剣などの武器に至るまで様々なものが乱雑に散らばっていた。


「――――」


 さらりと視線を巡らせた部屋の奥に二人の男が居た。


「お前は……」

「やあ、さっき振りだね」


 椅子に深く腰を下ろした金髪の青年は、入ってきた新月を歓迎するように両手を広げる。どうやら話があるのは彼のようだ。見覚えのある凛とした気品のある雰囲気を纏う青年は、新月がこの船で最初に出会った人間だ。彼にも礼を言いたいなどと考えていた新月だったが、今は流石に礼を口にする事は出来ない。アラムや他の船員たちの質素な服とは違い、仕立てのいい黒服を着込んだ青年の紅の双眸が探るように細められる。


「さて、話をしようか」


 広げていた手を肘掛の上で組んだ彼の後方には、薄い赤銅色の髪をオールバックにした男が片眼鏡越しに睨むような視線を寄越す。大男もまたつるりと光る禿頭をぺしぺしと撫でながら、片眼鏡の男の隣に腕を組んで並ぶ。

 金髪の青年は唇の上に舌を這わせた。

 そして言う。


「記憶喪失ってのは嘘だろう?」


 行き成り核心を付く言葉に対して、新月はするりと言葉を返す。既に心は決まっていた、そこに動揺の気配はない。


「酷いな、嘘なんて吐いちゃいない。何を根拠に言ってんだ?」


 否定して、嘘を重ねて。

 さもそれが真実であるような顔で、新月は偽りの怒気を口調に乗せる。

 禿頭の大男の眉が動き驚いたような気配が伝わる。だが会話を続ける金髪の青年は、疑問に対する答えをあっけなく言葉にした。


「僕は記憶喪失の人間にあった事があるから分かるんだ」


 笑みを乗せた表情に僅かながら影が差す。


「記憶喪失という症状に少なからず詳しくなってしまう程度には、僕はそう言う人間に関わる機会があってね。別に見れば記憶を失ったかどうか分かるとまでは言わないけど、少なくとも記憶を失ったばかりに見られる混乱が、君からは感じられない。記憶を失ったばかりにしては君は些か冷静すぎる」


 口を挟もうとした新月に構わず、青年はさらに言葉を重ねる。


「遭難中と言ったけど、食糧や水を失ったのはつい最近だろう。君の肌を見れば分かるよ」

「それが一体、記憶喪失とどういう関係がある」


 彼は今度は問いに答えなかった。

 自分の考えをそのまま口にするように、立て続けに言葉をぶつけていく。


「君が記憶喪失だというのが真実かどうかの確信には繋がらないが、少なくとも最近じゃない。そして例えば記憶を失っていると仮定しても、その後に遭難した筈だ」

「そうだな」


 悩まずに、首を振って肯定しながら新月は言う。


「だけど俺の言葉に嘘はないぞ、気付いたらあの小船に乗ってたんだ。船の上には食糧が少しだけあったけど、それも天候が荒れたときに流されちまった。記憶を失ったと気付いてから結構時間は経ってるからな、冷静にもなるさ。生きるか死ぬかだったんだ」


 一拍、沈黙が部屋の中に降りた。

 視線を交わし、口火を切るのは金髪の青年。


「君が乗っていた小船は、木でできていたね。作ったのかな? あんな木が生えているのは世界中に一箇所だけだ」

「知らないな」


 青年は目を伏せながら、自分の言いたいことだけを突きつけていく。


「――死島リングビー。人類の敵、『迷宮』が存在する無人島にしか生えていない木で作られた小船に乗った、記憶喪失を自称する身元不明の怪しい男。それが君だ」


 組んだ手を机について立ち上がった青年は勢い良く視線を新月とかち合わせた。


「別に君を捕らえようなんて思っちゃ居ない。ただ質問に答えてもらいたいだけだ」


 その声にどこか縋る様な色が乗っていると感じたのは、果たして新月の思い過ごしか。


「君は一体何処から来た?」


 燃えるような真紅の双眸が机を挟んで立ち竦む新月を写していた。

 

「アンタは、俺がそのリングビーとやらから来たと疑ってるわけか?」

「疑ってるというより、期待している。もっと言うなれば、リングビーにある『迷宮』の情報を持っているんじゃないかとね」


 追い討ちを駆けるように、沈黙を守ってきた禿頭の大男の声を聞く。


「言っとくがそれだけじゃあないぞ小僧、血の臭いだ。かなり薄まっとるが、間違いないのう」


 沈黙を破ったのは彼だけではない。

 直後に、新月の脳内でアディアナはこう告げた。


《駄目ですね、彼らは確信してしまっている。貴方がリングビーから来た事を》

《そうだな。俺もそう思うよ》


 だけど。

 表情を変えずに彼は素早く返した。


《あくまで俺の嘘は、『気付いたら小船に乗っていた』、だ。海に出る前にどこに居たのかは関係ない。こいつ等は俺が何時記憶を失ったかなんて分からない》

《ええそう。けれど、こよみ、貴方も本当に記憶を失っているのか証明できない》


 それに加えて今の新月は助けてもらっている側で、ここは彼らの船だ。考えたくはないが放り出される事もあるかもしれない。

 何と答えるか一瞬詰まる。詰まってしまった、それが答えだった。


「……。記憶が無いってのは、本当だ」


 新月は慎重に答える。


「だけど、気付いた場所は違う。ああそうだ、小船の上じゃない。リングビーの、多分お前らの言う『迷宮』の中で目を覚ました」

「――信じられないな」


 しかし言葉を両断するように片眼鏡の男が鋭く吐く。

 眉間に皺を寄せレンズ越しに睨み付ける。


「だとすると貴様は『迷宮』から単身生還したように聞こえるぞ」

「そうだって言ってんだよ。なんだよ、お前ら。この答えを期待してたんだろ? そうだよ嘘付いてたよ、でも今度は本当だっ」

「信じられない、到底信じられる話じゃあない。あそこは、記憶を失ったただの男が単身生還出来るような場所か? 違うな。そんな生易しい場所じゃない……ッ」


 今まで沈黙していた男の、叩きつけるような怒気に息が詰まる。

 理不尽な言葉に驚いたのではない。彼の言葉は百パーセント正しいからこそ言葉を無くした。あの地獄を経験した新月自身、諸手を挙げて賛同したい言葉だ。きっとたった一人であったら、とうに新月は屍の仲間入りを果たしているだろう。今生きて世界を拝めるのも、全てはアディアナのお陰。新月は言葉を見つけることが出来ず、逃げるように目を反らす。


「落ちつけフィトー」


 有無を言わさぬ静かな声で。

 真紅の両眼で背後を振り向きながら、金髪の青年は背後で憤る片眼鏡の男へ声を投げた。

 むすっと納得がいっていない表情で口を横に引き結ぶのを確認し、再び彼は新月へと向き直る。


「まあ、僕も彼と同意権だ。記憶の有無はこの際どうでもいい。知りたいのはそんな状態でどうやって生き延びれたかだ」


 何か理由がある筈だと言って。

 彼はゆるりと椅子に腰を下ろす。

 その目は片時も新月を逃す事はない。


「教えて欲しい、僕らにはそれが必要だ」

「……なんで、そんなに『迷宮』の情報を求める?」


 反らした目を真正面へ向ける。二つの真紅を見つめて新月は疑問を挟んだ。


「あそこは地獄だぞ」

「だからこそ」


 苦しそうに。

 万感の思いを込めて吐き出した新月の言葉を、正しく理解して尚青年はそう返す。


「僕らは地獄を消し去る為に、ここに居る」


 命を懸けて。

 挑戦者はそういって、薄らと微笑みすら浮かべて見せた。


「『迷宮』を消し去る? そんな事が」

「可能だ」


 断言する。笑みを浮かべて、自信に溢れた表情で胸も張って。

 あの地獄を終わらせられると彼は言う。


「どうやって? いや、そんな終わらせられるモノなのか?」


 あの場所は最早もう一つの世界として完結していた。

 世界そのものを破壊するなんて事が、神ですら成し得ぬ偉業を達成する事が可能なのか。

 半信半疑で目を丸くする。


「ふむ」


 青年は新月の様子に片目を瞑り、少し悩む様子を見せた。


「『イヴァン=ウォーカー』は知ってるだろう? なんて言っても今最も話題の、最新の英雄だ」

「知らねえよ、知るわけ無いだろ。人名か?」


 今でも新月は記憶喪失であると偽っているのだ。そもそも別世界の英雄の情報など持ち得る筈がない。


「悪かった。今のは少し意地悪だったね」


 新月の記憶がないという主張を忘れた訳ではないだろう。言葉通り、嘘を吐かれた事に対するちょっとした意趣返しだろうか。一つ咳払いをして、彼は簡潔に告げる。

 『迷宮』に関する、最新の英雄伝とやらを。


「今から僅か四ヶ月前の事だ。イヴァン率いる冒険者ギルドが『迷宮』を一つ潰す事に成功している」

「潰すってのは……」

「文字通り、跡形もなく消失したらしい。話では『迷宮』があった場所はそれはそれは綺麗な一面の花畑へと変化したらしいよ」


 あの地獄を人の手で消し去る事が出来とは、俄かには信じがたい話だ。

 脳裏でアディアナの息を呑む驚きの雰囲気が伝わる。


「前例はある。不可能ではない、勝算もある。だが万全を期したい」 


 だから教えて欲しいと彼は言う。

 三人の視線を真正面から受け止めて、新月は言葉無く立ち竦む。何が正解だろうか。本当にあの地獄を終わらせる事が出来るであれば、彼らに協力するのは嫌ではない。それはきっと『仇』に繋がるだろうから。

 しかし。

 決定的な一言を口にする事が出来ない。

 果たしてここで、彼らにアディアナの存在を暴露するのは正しいのか。

 それだけではない。漸く、あの地獄を生きて抜けれた。こんなにも早く関わらないといけないのかと弱い心が叫んだ。

 新月は暫く口を開く事も出来ずに黙っていた。分からないでいた。答えは出ない。

 

 そして。

 揺れ動く新月の心に触れた彼女は。

 静かに一つの決断を下す。


「はじめまして」


 突如部屋に滑り込んだ新たな声は、全員に驚愕を齎し目を丸くさせる。

 僅かに腰を浮かした金髪の青年は、背後で身構える二人を片手で宥め、興味深そうに視線を前方へと投げた。

 俯き頭を悩ましていた新月は、勢い良く振り上げた視界の中で真っ黒な人型を見た。

 人型は綺麗な所作で一礼をし、ゆるりと顔を正面の三人へと向ける。

 彼女は鈴がなるような声で、こう告げた。


「私はアディアナ。記憶喪失の彼が『迷宮』を単身生還できた、『理由』です」




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