6 不思議なほど
翌日の姫様はご機嫌な様子。
あの、でも何故私をご覧に?
そしてにこやかというよりも、にやにやした感じなんですが。どこの悪役ですか、姫様。
「どうしました?」
「あら、なんでもなくてよ。ちょっと気になるだけ、ゴダイとか、王子とか、その手首とか」
手首には握られた指の形でくっきりと赤くなっており、こっそり隠していたのに、姫さまったら目敏くていらっしゃる。
手首の赤味はともかく、ゴダイさんや王子?
「前は好きな異性を聞いたけれど、ねえシータ、あなた好きな人はいるのかしら」
急に話題が変わりきょとんとしていると、がたんと大きな音がしたので、姫様と一緒にふり向くと、アンヌさんと打ち合わせしていたゴダイさんの椅子が揺れていた。
ゴダイさん?
「動揺が激しい誰かのために、わたくしだけにそっと教えて。シータ」
気にする事ないわと内緒話をするかのように囁かれて、私もそっと耳元に囁いた。
「います」
「あら、それが誰だかすごく気になるわ。でもわたくし、秘密は少しずつ味わう事にしているの。この次教えてくれるかしら」
満足顔の姫様に、はいと返事をして私はお仕事開始。緩くうねる姫様の髪をゆっくりと梳り、さて、今日はどんな髪型にしようかな。
「シータ、あなたが悩んだり楽しんだりすると、それは、まるでわたくしが体験しているみたいに感じるの。わたくし、こんなに生きていると実感した事なかったわ」
鏡の向こう側の姫様は、鮮やかな笑顔。
「あなたはわたくしの天使様。けれど落ち込むのだけは、ほどほどにしてね」
慈しむような悲しむようなそんな瞳をした姫様に、何も言えなくなった。
一日の終わりには当然日が暮れて、そして夜になって、空は青から群青になり星が瞬く。
オレンジ色をした月明りに照らされると、胸がざわざわと撫でていられるようで、ベッドに横になっていられなくて身を起こした。
声にならない息で空気が揺らぐ。
仕方なしに手早く支度を終えると、廊下へと抜け出した。前より大き目の音を立ててドアが閉めたのに、誰も起きては来なかった。
以前と同じ様に、小さな光石で足元を照らし、渡り廊下を通って階段を上る。軋んだ扉の向こうには泣きたくなる位見事な星空。
そして、外套に身を包んだ、彼が。
「遅かったな、もう少しで城中探しに行くところだった」
あ、危なかった。
「あの、もう夜も遅いですよ。早く休んだ方が」
「俺を子ども扱いするな。こんな顔なのは呪われているからだ」
呪いなんて不穏な言葉を忌々し気に口にして、ちっと舌打ちする。
「昔、ちょっとした事で女を怒らせて、呪われろと言われた。以来、この顔のままだ。便利なこともあるが、女には年相応の顔が良いと言われてどれだけ振られたか」
えっとそれは思い込みで、単なる童顔なだけではないでしょうか。
でも表情は真剣そのもので、きっと彼はその素敵な容姿に劣等感を抱いているのかもしれない。
「いつか呪いが解けるといいですね」
「普通はここで、私が呪いを解いてみせますと言う処だろ」
「人に解いてもらわなくても、ご自分で解くと思いますよ。きっと。人の世はそういう理になっていますから」
劣等感はいつか受け入れるまで、足掻くしかなくて。
でも、その時はきっと来ると、私は信じている。
「お前、つくづく変な女だな。ほら、手を出せ」
「あの、代わりなんて本当に結構です」
「うるさい、女の扱いもできないと言われて引き下がれるか」
そう言われて、三度手首を捕まれてしまった私はとろいのかな。避ける隙が見つからない。
「何ですか、この金の腕輪。これも高価なんですよね」
手に乗せられた細い金を編み上げた腕輪の価値がいくらか、本当は分からないけれど。すぐに彼の手に戻した。
「じゃあこっち」
「この銀の指輪も、私の髪ゴムなんていくつも買えてしまいます」
繊細な彫りの小さな指輪もそのままお返しする。
「宝石も金も銀も駄目とは、なんて面倒な女だ。ちょっと待っていろ」
ひくりと目元を歪ませて身を翻すと、城壁の向こうから大きな何かを取り出して、それを手にしてすぐに戻ってくる。
「何ですか、これ」
「見ての通りだ。女は花が好きだろう?」
両手に抱える位の花束を渡されて、ふんわりとした香りに張り詰めた肩の力が抜けて。だけど。
「えっと、大きすぎて困ります」
再び彼の手に返すと、それはそれは嫌そうに眉がしかめられる。いやお花は好きですが、こんなに大きな花束は処分に困ります。姫様にも何て言い訳したらいいのでしょう。
「あのもう十分です。ちゃんと諦めましたから」
「そんなひどい顔をして諦めたと言われてもな。お前の方が割れてしまったみたいな、硬い顔だ」
ひくっと喉が張り付いた。
「私はガラス玉じゃありません」
自分に言い聞かせるように呟いて、そう、私はガラス玉じゃない。そんな事分かっている。なのに。
「そうだな。だがそう見える」
鋭い青い瞳が私を切り込むようにして覗きこむ。
とても居心地が悪い。
「なあ、壊れてしまった物を取り戻すにはどうしたらいいと思う?」
「え?」
突然の質問。どうしたら?
その答えは…思いつかない。
「風が強くなってきたな、もう戻るといい。質問の答えは明日聞かせてくれ。じゃあな」
一方的な態度と言葉に戸惑いながらも、放された手首をさすりながら私は階段へと向かう。後ろを振り返ると黒い影がひらひらと舞うように手を振っていた。
それ以来、時々、塔の上で彼と顔を合わせることに。
約束と言われると、断れない。
私は彼の質問の答えを、彼は私を喜ばす物を、それぞれに持参して。
「壊れたら元には戻りません」
「そんな事は誰だって理解できる、それで?これはどうだ?」
「水晶玉をどうしろと、占いなんてできません。諦める以外ないんじゃないですか」
「諦められないならどうするんだ。これは?」
「お酒飲めないので結構です。割り切って他の物を代用するのはどうですか」
「他の何も代用できないとしたら。これは?」
「下着って、どこから手に入れたんですか。どうぞご自分でお使いください」
私も彼もなかなか納得できなくて、むうと唇を尖らせて、そしてちらりと視線を合わせてくすくすと笑い合う。
深まる夜の空気。
身代わりの秘密を抱えた私、個人的に親しくなるのはいけないと分かっていたけれど、それでも名を問われる事のない関係は、心地よくて。
「なあ、次はいつ会える?」
不思議なほどに。
お読み頂き、ありがとうございました。