2 手を
「では」
イシュ王のにこやかな笑顔。
頭を包む真っ白なナナイ、その下には私を見つめる青緑の瞳。
「あなたが気に入ったので、息子か若しくは王族の一人と結婚してここイシュに留まってくれるかな。愛らしい神の鳥よ」
はい?
ゴダイさんと部屋に戻った私に、姫様は労いの言葉をかけて下さる。熱は大丈夫ですか、姫様。
「ほら、ちっともばれなかったでしょ。あなたが身代わりしてくれて正解ね」
何故か企んだように見える笑顔の姫様に、私は着替える暇を惜しんでイシュ王の言葉を伝えた。
「元々王様は、ニーファに派遣する新領主と結婚をと考えていらしたみたいです。このお話に、私、何もお答えできなくて」
まあ、年頃の女性をいつまでもただで保護してはくれないよね。女性は政治の道具になり得るんだもの、利用しないなんて考えもしないのかも。
「はああっ?」
私の言葉が終わるまでもなく、ありえないと憤慨した姫様は、赤くなって青くなって、またもやひっくり返る。
姫様、お、落ち着いて。
「シータ、あなたって人は。誰がイシュ王までもを誑かせと言ったの。無自覚に人をおとすのはやめなさい」
ええ?
何を言っているのか分かりません。あ、後頭部を打ちましたが、姫様大丈夫ですか。
何かを懇願するかの様に目を潤ませ、私を見るアンヌさんに連れられて、姫様は私室へと退場。
ええ、なんで私、怒られたの?
なんだか嫌な予感がするけど、気のせい?
いや、身代わりでイシュ王に謁見した時点でアウトなの?
…やっぱり、いろいろと考えておかなきゃいけないみたい。
まさかとは思うけど、姫様の身代わりで結婚までさせられないよね?
さすがにそこまではないよね。
そんな私の不安は杞憂だったようで、姫様はちゃんとお茶会や簡単な食事会には出席してくれている。
ただ出席するのは、規模の小さな参加人数の少ないものだったり、行ったかと思ったらすぐに帰ってきたりと、ええっと、それでいいんでしょうか。
「いいのよ、それで。とりあえずあなたは、責任とってイシュ王の相手をしなさいね」
怒りが解けた姫様の勧めで、私は王様と文通したりお茶したりしています。
あれ、おかしい。結局、姫様の身代わりが続いているんだけど?
「こうなった以上、精一杯、王に取り込んでおかないとね」
今日はニーファから護衛してくれた皆が帰郷する日。
ゴダイさんは一人残ってくれるけれど、とても淋しい。
「ごめんなさい、姫様は今日お熱があってお見送りできないんです」
今日も姫様のドレスを借りて、相変わらず身代わりをしています。
でも、私自身が皆を見送りしたくてアンヌさんに頼み込んで城壁まで出させてもらった。見慣れた旅装をした皆は、優しくほほ笑んで。
「ああいいんだ、俺たちは分かっているから」
そう言って、一人一人が私の頭をぽんと撫でて騎乗する。
「シータ、ゴダイ隊長をよろしくな」
え、シエルさん。どういう意味ですか?
私がよろしくされるのは分かります、いつもご迷惑をおかけしていますからね。
ぱちくりと瞬きして首を傾げながらも、去っていく彼等の背中に深々と頭を下げた。
薄くにじむ涙を見られたくなくて、何度も何度も瞬きしていると、また頭をそっと撫でられる。
苦笑したゴダイさんの大きな手。
「戻るか」
時々は不機嫌になる時もあるけれど、ゴダイさんは少しずつ優しくなって、いつの間にか隣にいてくれている。あんなに怖く感じた琥珀も、不思議な程やわらかい。
もしかして。
やっと信じてもらえたのかな?
…ちょっと甘えても、いいのかな?
「あの、ゴダイさん。前に言った事、言ってみてもいいですか?」
私のずるを聞いてくれると言ってくれた事、忘れてしまったかな?少し甘えるように言うと、ゴダイさんは一瞬表情を固まらせて。
「お前、化粧すると雰囲気違うな」
目を逸らされてしまい、やっぱりまだ信じてもらえていないのかと悲しくなる。仕方ない、よね。
「姫様に似るようアンヌさんがしてくれてます。似合わないのはちゃんと分かってますから、美人じゃなくて残念です」
姫様は黙っていると美人だ。ただ、にやりと笑うと悪役顔なのが惜しい。
「お前は、まあ、か、可愛い方だろ」
可愛い?
そう言った?
この人が?
信じられない事を突然言われ、彼の顔を見上げると、口元に手を当ててわずかに皮膚を赤くしていて。
え、ちょっと待って。何で私まで顔、熱くなっちゃうの。
「えーっと、言われた事ありませんけど。あの、ありがとうございます?」
「そ、れより言いたい事はなんだ?」
慌てたように会話の方向を変えられて、私も乗っかる事にした。
「えと、ちょっと脱走するにはどういう経路がいいのかと。お城を把握したいなと思いまして」
「は?脱走?」
すぐ周囲に人影は見えないけれど、ここはイシュの王城。声が大きいと抗議のつもりで、彼の服の裾を引っ張った。
「もしも身代わりが露見したら、速やかにいなくなるべきだと思ったんです」
「はあ?何言っている?」
私が本物のニーファの姫でないと、イシュ国の皆さんを騙していると、もしもばれてしまったら。
そうしたら姫様やアンヌさん、ゴダイさんだけでなくニーファ国自体が責められるかもしれない。そんなの、いや。どうしても嫌。
「だから、私は私欲のために姫様に入れ替わったという事にして、姫様が誰からも怒られない様にしたいんです。なので、いざという時は一人逃げ出す道を確保しておきたくて」
「…どこまでお人よしだ、お前は」
呆れているようですが、違いますよ?
「まさか。お人よしじゃありません。王様を平気で騙しているのに」
そう重鎮の方々とか王族とかへの面会も、私が出席しています。
関われば関わるほどいい人達なので、身代わりだと騙している事がとても辛い。でも言えない。
「ゴダイさんが思うほど私、いい人じゃないですよ。前にも言ったようにずるいんです」
「…そうだな、お前はお人よしでなく、ただの莫迦だ」
莫迦という響きが余りにも優しい気がして、少しだけ弱音を吐きたくなってしまった。だって、他の誰にも言えないから。
身代わりを受けたのは私の責任。だからどうか、姫様は何も思い悩む事なくすごして欲しいの。
「どうしても辛くなったら、ゴダイさんにだけには言ってもいいですか?」
ふにゃりとした笑顔を向けると、なぜか怯んだように一歩後退する彼。
「お前、それ、わざとじゃないだろうな」
え?
「わざと?」
「っ、もう、いい」
なぜか怒ったような声色。だけど、私の前に伸ばされた腕もそっと優しくて。
「手を出せ、行くぞ」
大きな手に自分のそれは、あまりに小さくて白い。対比がおかしくて、笑いながら二人で歩き出した。
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