1 少しくらい
隣国イシュに着いた。
ニーファとはあまりにも規模の違いに唖然とする。
視界の端から端まで見渡す限りの街並み。赤い屋根瓦に白壁。幅広の道は煉瓦に覆われて、その上をひっきりなしに馬車や人が行き来をしている。
まるで外国に来たかのよう。
そして隙間なく石を組み合わせられた城壁、中にはこんもりとした林を有する優美で広大なお城。
山に囲まれたニーファよりも広く感じる空。
ああ、やっと着いた。
「…こんなの、圧倒的すぎるわ」
馬車の窓から外を覗いていた姫様が、真っ赤になって倒れた。
ひ、姫様?
大慌てで城内部に入ると、礼儀正しい臣下さんが、速やかに城内の一角に用意された部屋へ案内してくれる。
花が彫刻された扉の向こうは、柔らかな色彩の家具に可愛い小物が取り揃えられていた。
ゴダイさんに抱っこされた姫様の顔は、赤くなったり青くなったり。天蓋付きのベッドに寝かせた時には、熱が出ていて。
募った疲労が、到着の安心と共に吹き出したのかもしれない。
イシュ王への、到着の挨拶は2日後に延期。
それまでに良くなってね、姫様。
「シータ、なあにこれ?冷たい…」
「熱のある時って頭を冷やしませんか?あ、冷たすぎますか?」
「ううん、気持ちいいわ」
「お水飲みますか?食欲があるなら、果物を切りますがどうですか?」
「うん…頂くわ」
姫様の体を起こしてクッションで背中を固定、柑橘を絞ったお水を渡すと、喉を潤す姿にほっとする。
「シータのいた処ではこうしていたのね、私、今まで病気の時はただベッドで休んでいればいいと思っていたわ」
ぽつんと漏らした姫様の言葉に、首を傾げる。
「休んでいればいつか治る、なんて。ニーファはどれだけ保守的なのかしら…」
考え込む姫様の横顔は、不思議なほど大人びて。
姫様?
そして挨拶の日を迎えてしまったのだった。
「今日も無理そう、ね。シータ、代わりに挨拶してくれるわよね?」
えっと姫様、もう身代わりはお終いだと思っていましたが。
失礼しますと言って手を姫様の額に当てる。
「もう熱はないと思いますよ。ほら、熱くない」
「あら、体は熱っぽいのよ。こんな事ではきっと、出席しても途中で倒れてしまうわ」
体調が優れないと主張する姫様だけど、顔色は良く、以前よりも瞳に力が戻っている。ように、見えるんだけどなあ。
「そんな、姫様が途中でお倒れになったら謁見は台無しです。ニーファの姫はなんとだらしのないと笑われる事があってはなりません」
きっとアンヌさんが強い目で振り返り、私を茶色の双眸に映す。
ああ嫌な予感。
なんとなく察しはつくでしょうけど、そうです、またしても身代わり。
「今日は本当に駄目ですって、姫様。今後お世話になる方々を騙せるわけありません」
「あら大丈夫よ。今まで一度だってばれなかったじゃない」
「今までは今までです。今日の相手は王様ですよ、私が出席していい場所じゃないです」
「体調さえ良ければわたくしが出席します…多分」
多分って姫様。
涙目になって拒否したけど、侍女のアンヌさんの強引な手腕から逃れる術はない。
ちょっと誰か、姫様を止めて下さい。
それとも私が莫迦なだけですか。
イシュ国が信奉する神様は、ニーファと違い、太陽を崇めるもの。なので、太陽に近い頭には男性はナナイと呼ばれるターバンに似た布を巻き、女性はナナカと呼ぶベールを被る。
前身頃を左右で掛け合わせて幅の広い帯を巻く衣服が、なんとなく和服を思い出してしまう。
今まではニーファの衣装だったけれど、今日からはイシュ国の装いに改める。イシュ王が手配して下さった物は部屋だけでなく、生活に必要な様々な品々。
この綺麗な衣装もそう。
「イシュ王が親切?あなたって本当に…」
アンヌさんがきゅきゅと絞めた帯は後ろで結ばれて、うぐ、内臓が口から出るかと思いました。
「ニーファには塩湖も金山もあり資源豊かよ。排他的で面倒な一面も持つけれど、手に入るならイシュとしては万々歳でしょうよ」
だからよ、と忌々し気に言う姫様の顔はいつもより大人な気がする。
それでも、気遣いをして下さるイシュ王にお礼が言えるといいな。
背丈をカバーするためのヒールの高い靴は、いつもより華奢で注意が必要。アンヌさんが結ってくれた髪は複雑に編み込まれて、ナナカに押し込められた。
ああ、どうかばれたりしませんように。
ふらふらした足取りでドアを開けると、ゴダイさんが立っていて、私を見て大きく目を見開いた。
「何やってるんだ、お前は」
何やっているんでしょうね、私。
たっぷりと見つめ合って、二人で大きくため息ついて、迎えに来たイシュの従者さんの後に続いた。
ゴダイさんもイシュ風に頭をナナイで覆っていて、見慣れない姿をちらちら眺めながら、ゆっくりと謁見の間に向かう。
身代わりってもしもばれてしまったら私はどうするべきなんだろう、なんて少し位の不安を胸に抱きながら。
イシュ王は、大国の王様と思えない程柔らかな雰囲気のおじ様で、目元の皺を深めて笑顔を向けて下さった。真っ白のナナイがとても良く似合う。
「ニーファより参りました。この度、後見致してくださるご恩情に厚く感謝いたします」
冷汗かきながらなんとか膝を折ってご挨拶。
頭を上げたら、姫様愛用ふわふわ扇を使って、できる限り顔を死守。化粧で姫様に似せているけれど、ああ、全然似ていないんですよね。
お願い、あんまり見ないで下さい。見てもすぐに忘れて下さい。
王族の関係者、国の重鎮や貴族と思しき方々に、膝を折ってご挨拶。
割と好意的に受け入れられているようで、かけられた声には労りや友愛が滲んでいて、ほっとする。体が弱いという情報も伝わっていたようで、すぐに椅子も用意された。
とにかく笑顔で、そう心がけた。
なんとか謁見は乗り切りって退出の許可にほっと息をつくと、あれ、足が震えて立ち上がれない。
どうしよう。
そんな私に、そっと差し伸べられた手があって、見れば持ち主はゴダイさん。
摑まらせてもらっても、いいのかな。おずおずと手を出すと、大きな手でしっかり握られて。
「良くやった」
え、褒められた?ゴダイさんに?
ぽかんとして彼を見つめると、口角が上がり白い歯が覗く。
初めての笑顔に、そして今度こそ褒めてもらって、じわじわと嬉しさが込み上げたのだった。
その後は、イシュ王のプライベートな部屋に招待され、驚きつつもどうしても言いたい事があったので、どきどきしながらお茶を頂く。
「あの、王様、細々とした配慮を頂き本当にありがとうございました」
ゆったりした話し方や気遣うような笑顔に助けられて、私はいかに用意された品々が気に入ったかを話し出した。だって、嬉しかったんだもの。
姫様だけではなくて、お付きの私達の部屋もあって。
「さすがは白き鳥の名を冠する姫だな、大変愛らしい」
いえ愛らしいなんて、そう言う王様の方が素敵です。
ふにゃりと笑うと王様は、では、と続けた。ええと、でもそれにはどうお答えしたらいいのか私分かりません…。
曖昧な笑顔で部屋を辞して、待っていてくれたゴダイさんと一緒に部屋に戻った。
「もう手は必要ないのか?」
「え?」
ぱちぱち瞬きする私には、また彼の眉間の皺が深くなっている様に見えて。
「いや、何でもない」
少しくらい、信用してもらえたと思ったのは間違いだったのかな…。
お読み頂き、ありがとうございました。