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1 あなただけ

 時間ですよ。

 胸に抱く、その天秤。私を乗せた片方、反対には大切なもの。

 時間です。

 天秤の傾きは?

 はかって。見定めて。

 さあ答えを。

 

 夢から覚めた筈なのに朝靄に沈む世界は、ミルクの中に溶け込んだかのよう、まるで夢の続き。丘を埋める小さな花たちも、風に吹かれて、まだ眠りの途中。


 姫様はもういない、なのに、世界はこんなにも美しくて。


 強く土の香りがするその場所に、花を。

 白濁した世界の中で見つけた一輪。薄茶の斑点があるユリに似たそれは、凛とした姿が姫様に似ていて。

「このそばかす、大嫌いよ」

 胸に響く姫様の声。にやりと悪役のような笑顔と共に、ほんのりと温度が高まって。

 でも、私、姫様のそばかすが大好きです。

 慎重に掘り出した根を、まだ柔らかい土に戻して。根元をぱんぱんと固めて、ふう、やっと移植できました。泥だらけの手にエプロン、子どもみたいだけど満足。

 姫様、いい香りですね。


 とんとんとん。はいどうぞ。

 ああ姫様、これからもあなたと一緒に。


「植え終わりましたか、そろそろ許しを。限界みたいですよ」

 アンヌさんの視線の先には、ゴダイさんがこちらを食い入るように見つめていて。うう、結構ここと離れているのに目が合ってしまった。こ、これは逸らすしか。

「あなたに、傍に来ないで、と言われた時の顔もひどかったけれど、今も相当ですね」

 だって。

「ゴダイは、あれでも血族の中で出来がいい方です。どうぞ許してあげて下さい」

 声を上げて笑っていますが、アンヌさん、ゴダイさんとは血縁者だったんですか。じゃあ、むやみやたらに女性を抱っこしないと、きちんと教えてあげて下さい。

 朝、何故だかゴダイさんの腕の中で目覚めて、その密着した体勢に、赤くなって青くなって飛び出した。いつもはかっちりと留められた襟、寛げられてのぞく日に焼けた素肌。その胸に頬を当て、ぐうぐう寝ていたなんて。

 莫迦、私の莫迦。

「このところゴダイに同じようにされていたから、そうなったのかと思いました」

 そうなった、って何?

 アンヌさんの言う、あの芋虫抱っこは緊急避難。姫様の死を前にして、不安に溺れてしまったから、互いにしがみついていただけだもの。

 けれど今日はシーツがない状態で。肌が触れ合う抱っこは親密すぎて緊急避難と言えなくて、あの、これはだめでしょう?

 特別な人とする事でしょう?

「だって、私、姫様の代わりにはなれません」

 確かに私は身代わりだけれど、特別な関係までは、身代わりできない。

 お互いに悲しいだけだから。

「姫様の言う通り、じれったい二人ね」

 ため息つくアンヌさんに、あの、と話を切り出したけれど、ふっくらした指を唇に当てて。

「あなたの決意は、私より先にゴダイに話して下さい。もうずっと、彼は待っていますよ」

 アンヌさんの微笑みは、姫様に向けられたものと同じ慈愛に満ちていて、ずいぶん長く会っていない人を思い出すものだった。

 

 あなただけを見ているのにね。

 

「シータ」

 アンヌさんと入れ違うように走ってきた彼は、ミルクティ色の髪は寝癖がついたままだし、襟元も開いていて、その腕から逃げ出した時と同じ姿。

 思い出すと恥ずかしくて冷静にいられなくて、だから、それ以上傍に来ないで。

「ごめんなさい、あの、その位置で聞いてもらいたい事があるんです」

 あの、そんなに見つめられると胸が苦しくなるのですが。うう。

「…決めたのか」

 

 はい。 


 さあ、答えの時間です。

 決意がきちんと伝わるよう、頑張れ、私。


 顔を上げて、視線を合わせ、いつもみたいに笑って。ふにゃりとほほ笑むと、眩し気に目を細めるゴダイさん。

「姫の意志を、お前は選んだんだな」


 私はルーシェルシィタに。


 胸の天秤をはかり、見定めた結果は。

 姫様、あなたに。


「一緒にいらっしゃい」

 そう笑顔で手を差し伸べてくれた姫様。

 何の価値もない私を、生かしてくれた。

 あの時から、あなたは私の神様。

 誰よりも大事。何より愛しい。

 あなただけ。

 だから私の天秤は、揺るぎなく、姫様に傾くの。


 あなたの望みを叶えることこそ、私の喜び。 


「何故お前はいつも、自ら面倒な事を選ぶのか」

 ため息をついてゴダイさんは糸が切れた人形のようにがくりと片膝をついてしまい。ええ、急にどうしましたか、病気?

 慌てて開いた距離を埋めて、傍に駆け寄り、俯いて隠れた顔色を確認しようとして、え。

 莫迦だな、そう言って、二つの腕を大きく広げ。え、え。

「捕まえた」

 えええ、な、何で抱きしめるんですか。は、放して。

「あ、あ、あの私、姫様じゃないです」

「姫になるんだろう、お前」

 あの、そんな耳元で話さなくてもちゃんと聞こえますから。

「もうちょっと、は、離れて。あの、私、身代わりとはいえゴダイさんとそんな関係」

「姫はお仕えするべき主だ。家臣が主人に敬愛を抱くのは当然だろう。何度も言ったが、俺が見ているのはお前だ。お前は俺が嫌なのか」

 は?

「言っておくが、お前が姫になったとして諦める気はない」

 はい?

「莫迦は俺も、か。誰も知らない遠くへとあの時攫っておけば、今頃」

 は、はい?

 

 何これ、抱きしめられて耳元で囁く甘い言葉。あの、もしかして?

 え?


 急激な動悸、服の上からでも鼓動の早さが分かるほど。

 めまい、ふわふわして雲の上で寝返りしているみたいに。

 息切れ、胸が苦しくて空気が入っていかない。私きっと心臓発作を起こしているに違いなくて。

 あの、ゴダイさん、本当に?


「お前が好きな奴とは誰の事なんだ」

「ひ、姫様です。大好きです」

「…お前は姫を贔屓しすぎる。それで、俺の事は?」

「ゴダイさん、あの、か、勘違いでは。ゴダイさんみたいに何でもできる人が、私を、なんて」

「何でもできる…嫉妬して八つ当たりして、姫にたしなめられて、弱っている隙に付け込んで手を出すような男が、何でも?」

 えっと、一体誰の話ですか。

「では夜に部屋を抜け出していたのは」

 あのそろそろ放して、広い胸に手をついて距離を取ろうとするけれどちっとも動かない。ああ、私泥だらけだったのに。

「こ、子どもみたいな大人の人に出会って、課題を出されましたので、答えに。とても難しかったです」

「はあ、この意地っ張り。莫迦か、何でそれが男の手管だと気が付かない」

 え、手管って。そんな事ありえません、難しくて不思議な人でしたが、いい人です。

 お前は、とゴダイさんのうめきに似たため息が、私の髪にからんで。

「で、俺は?」

「い、い人です」

「そんなのは欲しくない。好きだと、その言葉を俺はもうずっと待っている」


 その言葉は、お前だけから。


 その瞬間。

 動悸にめまいに息切れは、発汗を伴う顔面紅潮と胸痛を追加して。

 この心臓は、いつ止まってもおかしくない。

 

 だって。

 見知らぬ場所にたった一人、ただもう慣れていくのに精一杯で。

 そんな、恋とか好きとか、考えている余裕なんてちっともなくて。姫様以外。

 だけど。

 そんな切なそうに見つめられるとつい頷きそうに、うう、ずるい。私なんかよりずっとずるいです。


「き、嫌いじゃ、ない、ですけど」

 聞こえないといいな。

 え、ちょっ、ち、近っ、ぶつかりますよ。


 この台詞、前にも言ったような。

 あれ?


お読み頂きありがとうございました。あと僅かです。

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