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5 遠くへ

死の表記があります。ご注意下さい。

 翌朝早々に迎えがみえて、満面の笑みをたたえた王妃様と大勢の侍女さんが待ち受けるお部屋に、お邪魔致しました。

「まあ、なんてやつれて」

 王妃様の言葉に用意されたのはお風呂、マッサージ、豪華なベッド、美味しいお菓子とお茶。目が回る位に大騒ぎになって、ああありがとうございます、歓待して下さって。

 そしておしゃべり。

 噂話とか恋の話とか女子会には欠かせませんよね。

 でもナナカの話題は、次にナナイになって。

 え。

 発覚したナナイの事実に青くなって…いえ忘れます。やってしまった事はもうどうにもなりませんし、あの人にはもう会う事もないでしょうから、ええ。

 何を意味するかは聞かないで。

 知らなかったとはいえ風習って、もうほんと。


 夜会の当日には朝から準備開始。

 ずらりと並んだ侍女さんに少し怯えてしまいましたが、好意だと理解していますから、されるがまま何度も試着しました。ごっそり気力は削られましたが。

 ふらふらになってたどり着いたソファには、すでに衣装も化粧も準備万端な王妃様が寛いでいらっしゃった。


「今日は出席したくないのだけど」

 ため息は艶を帯びて。

 朗らかでおおらかな王妃様。なのに、いつになくその美しいお顔を歪ませて。

「今夜はわたくしの大嫌いな男のための夜会なのよ。サディでの一件で功を成しただなんて、あの男が」


 王妃様の大嫌いな男、今宵の夜会の主役。

 その名前は、オーティス・ローク・イシュ。

 王様の、歳の離れた弟。


「わたくしは忘れもしないわ。お産で城を離れている間、旅の踊り子を何人も引き込んで、陛下とお楽しみになったことを」

「まあまあ、もう昔のことではありませんか」

「そうですわ、今では陛下の右腕としてお働きに」

「あの物言い、あの態度、あの顔、全てに腹が立つの」

「せっかくの御容姿ですのにね」

「あの男は今でもあの頃と同じ、若いまま。あの顔を見る度に悔しくて、本当に呪われたら良かったのに」

「西塔に蟄居を命じたではございませんか。今でも寄り付く人は少ないようですわ」

「甘すぎたと今でも後悔しているの」


「ニーファ姫」

 見苦しかったわねとお声をかけられて、はっと我に返った。

「その男がね、あなたを今回の夜会に出席させて欲しいと陛下に願い出たようよ」

 ばしりと手にした扇を肘置きに叩きつける王妃様は、あなたにまで目をつけるなんて、と、ひどく苦々し気。

「心配しなくても大丈夫、わたくしの影に隠れていらっしゃい。あんな男決して近づけませんから」

 

 そうおっしゃって下さった通りに、夜会の間中、私は王妃様の傍から離れなかった。


 華やかな王妃様の取り巻きに囲まれ、つつがなく夜会は進み、王様から途中退出を許された。

 何故か、壁際で休憩中、王妃様が屈んで靴を脱ぎ、手にしたそれを血相を変えて投げつけて、私の後方に飛んで行ったけれど。ええ一体、何事?


 遠くで。


 すらりとした姿の人が、囲まれた若い女性に青い瞳の笑顔を向けていて。

 そっと瞼を閉じれば、闇に消えた。


「さて、あれには何と言い訳するかな。ああ姫、道中、十分気を付けるように」

 王様と王妃様の協力を頂いて、会場を抜け出した私は、意を受けた侍女さんの案内で小型の馬車に乗り込んだ。夜半もかなり過ぎ、空にはオレンジ色のお月さま。

 がらがらと一定の振動にうとうとしながら、時には祈りの言葉を呟いて。

 ようやく姫様の馬車に追いついたのは、辺境の小さな町。

 腕を広げるゴダイさんの横をすり抜け、アンヌさんが控えた反対側に回りこんで、広がった姫様の髪に口づけた。

 上下する胸は不規則で、もう手首の脈は触れにくく。

 浅い吐息。

 ああ。

 それでも間に合った事を感謝致します、神様。


 そして、その時が。


 イシュ領を抜けると、そこは深い緑の山々に囲まれて、吹き抜ける風に花の香りが混じる国。ようやくニーファに。

 アンヌさんの静かな呼びかけに、私もゴダイさんもはっとして、手を握りしめた。覚悟した筈なのに胸は震え、粗末な薪小屋に馬車を寄せた時には、涙が滲んでしまい。

 それでも何とか干し草にシーツを広げ、ゴダイさんに抱きかかえられた姫様を迎える事ができた。

 壁の隙間から入り込む光、いくつも筋となって、柔らかに姫様を照らして。

「姫様、ニーファに帰ってきましたよ」

 そっとそう言って、私は左手を、アンヌさんは右手を握る。ゴダイさんは足元に膝をついて項垂れる。

「ありがとう」

 そう聞こえたのはただの幻聴?

 ひくりと息を吐いた姫様の息は二度と吸い込まれることなく、手は力を失い、はたりと落ちた。


 アンヌさんの微かな嗚咽。

 姫様の手の甲に頬を押し当てて、いくつもいくつも涙を滑らせる。


 ゴダイさんの震える睫毛。

 握りしめた指先は白くなるほどで、引き結んだ唇も色を失っている。


 私達は、姫様を永遠に喪ったのだった。



 それから余り覚えていない。

 アンヌさんもゴダイさんも無言のまま、ニーファの城を目指して。

 歯車の軋みだけ、耳に残っている。


 ニーファの城へと続く、緑の小道。

 けれども辿り着いた先は、色とりどりの小花が埋めつくす丘だった。

 優しく吹く風、揺れる木の枝、木陰をつくる緑の葉、眼下に広がる桃源郷の様なニーファを見下ろせる丘。

 姫様と過ごした小さなお城も見えて、風の神様の逸話を残す湖が、太陽の日差しに緑の水面をきらきらと光らせていた。


 ふと気が付くと、膝をついた幾人かの影。

 イシュへの旅路に同行してくれた護衛さん達だった。彼らは首を垂れて、それから丁寧に馬車に乗った棺を下ろしてくれる。

 ああシエルさん。柔和な顔なのに、今日は少し強張って。

 小さな棺はすぐに大地に抱かれて、私は、まるで夢の中での出来事みたいに、ただ見ていた。

 姫様の眠る大地は、ほんの先、なのにこんなにも遠く。


 とても遠くへ。


 全ての作業が終わると、ゴダイさんはすぐ隣にやって来て、大きな手を差し出す。

 その意味が分からなくて首を傾げると、私の手を取って歩き出す。ゆっくりとした歩調に、すぐに赤い煉瓦造りの家へ到着。

 軋む扉の向こうには、そう広くはないけれど、手入れの行き届いた家具に囲まれた穏やかな空間があって。

 小さなベッドで眠るのは、ふっくらした頬を幾分か減らしたアンヌさん。起こさぬよう静かに通り過ぎて、もっと狭い部屋へと通された。

 大きな椅子。

 あれ。

 硬い二つの腕が伸びて、私の体にくるりと巻き付いて、そのままどさりとゴダイさんは椅子に身を沈める。何故だか抱っこされたまま。

 いつもの芋虫にしないのかな、ぼんやりとそう思って。

 僅かな理性がここから抜け出せと命令するから、硬い胸と腕に身を捩ったけれど。

「お前の願いを叶えた」

 それに報いを、そう囁いた唇は瞼へ。だから目を閉じるしかなくて。

「大好きはまだ貰えないのか…」


 どくんどくんと規則的な鼓動は、誰のもの?

 温かい。

 胸に響くその音は、いつしか心をノックする音に。

 とんとんとん。はいどうぞ。開いた心に入ってくるのは、誰?

 姫様?

 それとも…?


次章は最終章になります。お読み頂きありがとうございました。

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