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3 心臓が

 左耳の上に差し込まれた月花。

 薄青色の花弁は幾重にも重なり満月のよう、その香りはかすかに甘く。

 男の人からこんな風に花を贈られるなんて初めてで、よく考えたらすごく恥ずかしくないですか。うう耳が熱い。

 だって何かの主人公みたい。

 花をくれた彼をこっそりと見上げると、自嘲めいた言葉とため息を吐いたその表情は苦々し気で。はい、一気に現実に引き戻されました。

 ちょっとだけ、心臓がどきりとしたなんて。

 何を夢見て。本当に莫迦だな、私って。

「その顔は分かっていない」

 そんな不機嫌そうに言わなくても、特別な何かなんてないとちゃんと分かっています。

「何でこんな鈍い女に、俺は」

 不機嫌はうつるって知らないんでしょうか。


 手首を捕らわれたままに再び歩き出せば、月明りと木の葉の影に彼の金髪がぼんやりと輝いていて。綺麗。

 口を開かなければ、ずっと見ていたい位なのに。

 つい見つめてしまって、なのに急に振り向くから驚いて視線を逸らしてしまった。やだ、なんで。

「あ、あれ」

 逸らした視線の先、葉陰の隙間に浮かび上がる白。

 近づくと確かに白い花弁の月花。やった見つけた、と嬉しくなってぴょんと飛び上がってしまった。あ、手が邪魔です。放して下さい。

「…お前、そんなに嬉しいのか」

 隣の誰かさんの、それはそれは低い声に鋭い舌打ち。

 ええと聞こえません。

 結局手は解放されず、ますます力が込められた気がしますが、無事姫様の白い月花を手に入れました。ああよかった。


「サディの街に行くことになった」

 籠に摘んだ花を見れば姫様の笑顔が浮かんで、にまにましていたらつい彼の言葉を聞き逃してしまった。

 はい?

「お前があんまり来ないから」

 約束を守れなくてごめんなさいと謝るけれど、彼は不機嫌なまま。

「次の日も、その次も、ずっとお前に会えなくていらいらした。本気で城中探すつもりでいた」

 え、本気で?

 たらりと背筋に冷や汗。

「そんな時にサディに出向しろと言われ、自棄になった。行くつもりなんぞなかったのに。お前、責任とってくれるだろうな」

「え、私のせいですか?」

「じゃなければ、なんであんな処まで行って仕事しなきゃならん」

「えっと、お仕事を頑張ることはいい事ですよ?」

 喰いつくのはそこか、って他にどこに喰いつけば?

「仕事が好きなのか」

「好きです」

 きっぱりと言うと、目を眇めた彼がふぅんと呟く。

「仕事ができる奴が好きなのか」

「えっと、私の周りにはできる方がたくさんいて、とても尊敬しています」

 アンヌさんもゴダイさん、私の周りの人達、そして姫様の顔が浮かんで。

 言葉にできない位に。

「大好きです」

 その言葉と一緒に、顔はふんにゃりとして。

 ああ、私すごく自然に笑っている。

 あんなに笑えなかったのに。


「お前、笑うと可愛い…」

「はい?何ですか?」

 掴まれていた手が急に引っ張られて、あっと声を上げる間もなく、足はもつれてしまい、ああぶつかる。反射的に目をぎゅっとつむると、ぶつかったのは地面ではなくて何か温かい物。

 え?

 見上げれば、すぐ近くに青い瞳があって。

 何で、あの、抱きしめられて?

「あ、あの?」

「…本気にさせやがって」

 耳元にかかる吐息は甘く、なのに背筋がぞくりとする程の声音で囁かれて、全身の皮膚が粟立った。ひう。

「や、はな、し、て」

「ああ」

 肯定の返事が聞こえたのに、ひあっ、首筋に何か柔らかいものが押し当てられて。な、なに。

 暖かく潤いのある、それ、は…く。

 っ、だめ、何かなんて考えては。絶対に、だめ。

「ち、時間切れ、か」

 木々の合間から漏れ出した幾人かの話し声。

 それが合図だったかのように硬い腕から解放されて、ほっとした私の背中をとんと喧騒に向けて押し出す。

 うう、し、心臓が。

「お前、その白を渡す時そいつに言え。その髪に飾った花は男に貰ったのだと」

「は、なぜ?」

「意味は、帰ったら教えてやる。それまで誰にも聞いたりするな」

 じゃあな、そう言って彼は木々の間に身を滑り込ませて消えた。


 やはり一人迷い込んでいた私は、イシュ王や王妃様や他の方々を心配させてしまったみたい。本当にごめんなさい。

 真っ赤な顔で現れた私を、一人心細かっただろうと慰めて下さって。

 いえ、違う意味で、本当に泣きそうですけれど。

 なんで、あの人、あんな事。

 ほんの数分前を思い出せば、全身の血が頭に集まってしまったように感じてくらくらする。

 ああ落ち着け、考えるな、私。

 ブリード様が荒い息で駆けつけてくれて、私の耳を飾る花に目をとめ何度か瞬きをする。

「ご自身で見つけたのですか?」

 ええと、誰かさんの言う通りに男に貰ったのだと、口にしていいとは、とても思えない。

 なんでこんなに嫌な予感が。そう思い悩んでいる内に、ブリード様も腕を組んで思案顔に。

「この色の月花をこんな風に飾ると、ある人を思い出します。まさか。いえ、まさか、ね」

 一人で会話を完結するブリード様の眉間には皺が寄せられて、その思い浮かんだ人物には良い印象を抱いていないとありありと伝わるのですが。

 あの、まさか、私と同じ人の顔を思い浮かべていませんよね。

「色の意味はご存知、ない、ですよね。やはり」

 ふるふると首を振りながら思うは、何も考えない方がいいという事。

「それに白い月花を見つけられたのですね。それ、私にいただけますか?」

 ええと。

 返事を言い渋っていると、明らかに肩を落とした様子になったブリード様。この白色にしても何かしら意味があるなんて、聞きたいような聞きたくないような。

 彼が帰って来た時に、その意味を教えてくれるらしいけれど、聞かない方がいいのかも…。


 とにかく、月花摘みの行事は無事に終了。

 え、無事?


 各々目当ての花を籠に摘んで、待ち合わせした場所まで戻り、にこやかに就寝の御挨拶。そして、それぞれの部屋がある棟へと別れ、途中までブリード様が紳士的に送って下さったけれど。

 でも、早く帰りたくてうずうずしてしまいました。


 姫様、喜んでくれるかな。

 早く早くと急いで足を進めて、回廊を歩けば厚い絨毯に足音は吸い込まれ。響くは私の息使いだけ。

 夜の密やかさ。

 部屋へと続く最後の角を曲がると、見慣れたドアの前に人影。


 どくり。


 ドアに背を預けたゴダイさん。

 どうして口元が歪むほど、歯を噛みしめているの。

 どうして日に焼けた肌が青ざめて見えるの。


 どくどく。


 何故だか、私の心臓は大きな音を立て動きが速まって。


「シータ」


 どうして彼が呼ぶ私の名は、震えているの。

 どうして。


 手足の血液が逆流していく。

 震えてしまう。


 耳元の月花が滑り落ち、軽い音を立てる。

 ぱさり、と。


「シータ、落ち着いて聞いてくれ。姫様が」


お読み頂きありがとうございました。次章より暗い展開となります。

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