2 意味さえ
掛け違えてしまった日々は、糺すこともできず過ぎてゆく。
「じれったいわ、あなたたち」
いつものようにソファで寝ころんだ姫様の膨らませた頬。可愛い、ちょんって突いてもいいですか。
「ねえシータ教えて、あなたの好きな人は誰?」
好きな人?そんなの。
「姫様です」
華奢な手を握り、思いを込めて姫様の瞳を見つめて言うと、意表を突かれたかのような表情。じわじわと頬を染めてぷっと吹き出すなんて、ひどい、本気なのに。
「わたくしもよ」
両思いね天使様、と囁く姫様は可愛くて愛おしくて、優しく抱きしめずにはいられない。胸に当たる温かすぎる額に、どうしてと泣きそうになる。
ごほんと咳払いがした方に視線を向けると、ゴダイさんが立っていて、邪魔しないでと姫様の言葉にますます目を細めた。
「もう仕方ない人。わたくしの天使様を怯えさせる悪い護衛にはお仕置きよ。わたくしを運んで下さいな」
すっと天に伸ばされた腕は細く、息を飲む位に白い。
その手を大きなゴダイさんの手が包み、お姫様抱っこの体勢に。うわ素敵。本物のお姫様と護衛さんによる夢の様な場面にどきどき。
さらに顔を寄せ合う姿。
親密なその様子に、私の脳裏に、二人はもしかしてとひらめいた。
「いい事を教えてあげましょうか、護衛さん」
「…は?」
「ふふ、あの子の胸は思った以上に柔らかくてふかふかなのよ。どう、羨ましい?」
「……羨ましい」
「あら、珍しく素直ね。ではその素直さにご褒美を。王子は除外よ」
「王子じゃ…ない」
「ふふ、嫉妬して八つ当たりするよりも、優しくする方が効果的だと思うわよ」
ある日の午後、ブリード様から空っぽの手提げ籠が届けられた。
その飾り気のない籠には、いつもの通り伸びやかな文字で、今宵どうぞご一緒にと書かれたカードが入っている。
うん?
「今日は祝日前夜。この時期にしか咲かない花を摘みにいく行事よ」
ソファに身を沈める姫様の声は以前より弱弱しく顔色も白っぽい。姫様お気に入りのふわふわの肩掛けを広げると、ふふと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
動く唇の色はあまりに薄くて。
「ねえ、シータ。わたくしのためにその花を摘んできてくれる?」
「はい。たくさん摘んできますね」
「いいえ、白い花を一輪だけ。月花は様々な色があるの。わたくしが欲しいのは白、忘れないで」
時間になると部屋までブリード様の使いがやって来た。
ゴダイさんが表情もなくドアの前に控えていた。でも、姫様に話があると声が掛けられて、ゴダイさんを残し一人行くことに。
何か言いた気なゴダイさんの瞳が私を追っていたけれど。
「…転ぶなよ」
待ち合わせした場所ではブリード様だけでなくイシュ王や王妃様も籠を持って立っていて、わいわいとに賑やかに林に入っていく。
「参ったな、あなたと二人で行くつもりだったのに」
ブリード様の声は優しい響きで。
この行事には、太陽神と対になる月の女神の恩恵を頂く意味があるとか、花は丸い月のような形をしているとか、掠れた声での説明はとても楽しかった。
「また?」
つい本音が口から零れてしまう。
またしても私は迷ってしまったらしい。はっと気が付けば、辺りは木々のみで誰の姿も見えない。
なんでこんなに莫迦なの、私。
目当ての月花は咲いていたけれど薄い橙の花弁の物が多くて、姫様と約束した白を探す事につい夢中になってしまったみたい。
また怒られてしまうと焦って足を踏み出せば、下草に引っかかり、こてんと前のめりに転んだ。そのあまりな転びっぷり。
「コントなのって、誰かに笑ってほしい…」
声は暗闇に沈んで、一人さまよった日々を思い出してしまう。震えてしまわないよう自分の体を抱きしめたけれど、すでに手遅れだった。
一人は嫌。
「何している、転んだのか」
聞き覚えのある声の方に首を回すと、そこにいたのは兵士姿のあの人だった。
やっぱりこの人とは、夜に会う運命みたい。
夜空の下の誰かさん。
「ど、うして、ここに?」
「それは俺の台詞だろ、なんでお前が言うのか分からん」
ぽかんと見上げると、手首を持たれ強引に立ち上がらせてくれる。力が強くて手首は痛んだけれど。
でも、その熱は私を温めて。
「兵士さん、だったんですか?」
塔の上で会う彼は、実に一貫しない服装をしていて、時には今日の様な兵士さんだったり商人風だったり、やけに簡素な姿だったりしていた。
いつもナナイは略式で、金髪がはみ出して。
「いや便宜上。お前、俺の事聞くの初めてだな。そう言えば名前も聞いてこないし」
「そう、でしたか?」
「ふらふら奥に踏み入っていく女がいるなと見ていたら、お前だった。途中、名前を呼ぼうにも知らない事に気づいて、声を掛けるのが遅れてしまった」
「はぐれてしまったみたいで、心細かったんです。見つけて頂いてありがとう」
ぺこんと頭を下げた。
「なあ、お前の名前は?」
「…内緒、です」
互いに踏み込まない距離が丁度良くて、まだその関係を崩したくなくないなんて。
弱い自分を笑えば、まあいいかと彼は許してくれる。
出会った時にはひどく子ども臭く感じたのに、今はもう、彼がとても鋭く見抜く目を持っていると知っている。それだけ逢瀬を重ねたから。
私の本質に踏み込んだあの質問も。
だけど余裕を感じさせる許容もあって、なにもかも見透かされている気がする。もしかして私よりかなり年上なのかも。
「じゃあ、お前が俺の名前を聞いたら、秘密だと言うからな」
目を合わせくすりと笑い合うこの時が、もう少し。
「こんな処まで入り込むほど、お前も花を探していたのか。何色の花だ?」
「白です、約束したので」
「お前が白を約束?嘘だろ?」
音がしそうなほど力一杯に振り返られて、その余りの勢いにびっくりしてしまう。
大きく見開いた瞳。
「嘘じゃないです」
「お前に白を?」
「白ではいけませんか?」
「誰と約束した?」
どうしてだか不機嫌な声になった彼だけど、何を聞きたいのかちっとも分からない。
「内緒です」
「意味も分からんくせに。お前、そいつに騙されている。間違いない」
騙すなんて、と言いかけて姫様のにんまり顔を思い出して言いなおす。
「騙されても、いいんです」
頭一つと半分背の高い彼を見上げれば、青い瞳が鏡の様に私を映し出す。
「…前にも言ったが、お前に白は似合わん」
「前にも言いましたが、あなたは女性の対応を理解していません」
ばちばちと火花が散りそうな程睨みあえば、ちょっと来いと言って、私の手を引いたまま林の奥へと歩き出す。
斜面になった木々の間から、白い花弁が見えて、彼が指さした。
「見えるか?」
二人で花に近づけば、それは薄い青い色の花弁をしていた。ここでは見れなくなってしまった、懐かしい青い月のような。
「綺麗」
だけど、白じゃない。
「ちょっと待っていろ、取ってやるから」
いいですと断わったのに、彼は身を伸ばし、その茎をぱきりと折った。そしてその花を、私の左耳とナナカの間にそっと差し込む。
「えっ、あ、ありがとうございます?」
「この花の意味も分からん奴に、なにやっているんだかな俺」
お読み頂き、ありがとうございました。