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恋と魔法は蜜柑色

作者: 古里キラ

初めての投稿です。

南ミカは、幼稚園の時、イジメラレッコだった。3月生まれなので、他の園児より発育や発達が遅れていたせいでもある。おっとりとして口数が少なく背の低いミカは、園児達から「ノロマ」「グズ」「アホ」「チビ」と、言われた。

それをイジメと呼ぶのは大袈裟かもしれない。けど、親しみをこめた冗談とは言い難い暴言の数々。明らかに見下され、バカにされていた。


ミカは、小学生になっても、相変わらず、イジメラレッコのままだった。

無表情で笑顔が乏しく、反応が鈍い。髪型もダサい。

学校の授業も、ついていけなかった。100点満点のテストで40点位しか、とれなかった。

「よくできる」「できる」「もう少し」という3段階評価の通知表で、殆どの教科が、最も評価の低い「もう少し」だらけだった。

クラスメートからは「アホ」「ブス」「キモイ」と言われていた。


ミカが中傷と嘲笑を浴びせられるのは、学校にいる時だけではなかった。

家では、母のアケミから、事あるごとに、ミカは、年子の兄のリキと比較され、「リキは賢くてテキパキして、喋るのも上手なのに、ミカはアホでボケーッとして口下手」と言われていた。

アケミは近所の人や学校の教師との会話にも、

「この子は、大人しくて、のんびりしてて、困りますわ。リキはテキパキしてるんですけどね」と、リキを引き合いに出して、ミカを貶めるのであった。

ミカは(私はアホなんだ。頭が悪いんだ。)と、自己否定の気持ちが強く、(みんな意地悪だ。みんな嫌いだ)と、他者を信じる気持ちは弱く、学校でも自宅でも居場所がなく、1人ポツンとしている事が多かった。


が、小学5年生の、ある日の出来事を境にミカは変わる。

それは、大阪市立S小学校での放課後、5年2組の教室での出来事だった。

机と椅子を全部、後ろへ運んで掃除するミカ。掃除当番は他にも、いるのに、ミカ一人に掃除させて、へらへらと嘲笑するクラスメイト達。

男子生徒10人、女子生徒10人の計20人がミカ1人を取り囲み、真面目に無言で掃除するミカに暴言を放つ。

「アホ」「ブス」「キモイ」「ダサい」「お前なんか死んでしまえ」

その時だった。教室の窓が開き、風が入っていた。冬なのに冷たくない暖かな風。金色の光り輝くオーラ。その風と光と共に、赤いマントをひるがえし、紫の仮面をつけた身長145センチ位の少年が窓から教室の中へ入ってきたのだ。

「僕は正義の味方、紫仮面だ‼︎弱い者イジメをするな‼︎大勢で1人をいじめるのは卑怯だ‼︎僕が相手になってやるぜ‼︎」

少年は紫仮面だと名乗った。

「なに、生意気な奴め。みんなで、やっつけようぜ」と男子達が束になって紫仮面に襲いかかっていったが、紫仮面は、スッと消え、別の場所からスッと姿を現わした。男子達と女子達が束になって紫仮面に近寄ろうとすると、紫仮面は「影分身の術」と唱える。すると、今度は紫仮面が30人出現した。

また、20人の生徒達は、ギョッとしながらも紫仮面と闘おうとしたが、紫仮面は「影縫いの術」と唱える。今度は、生徒達の身体が動かなくなってしまった。

顔面蒼白で悲壮な表情を浮かべる生徒達に、紫仮面はジリジリと歩み寄って行く。

そして紫仮面は、自分より5センチ以上背が高く、体重も重そうな20人のイジメっ子達を次々に背負い投げした。

「もう2度とイジメるなよ‼︎もし、またイジメたら、もっと痛い目にあわせてやるぜ。もう2度とイジメないと誓え‼︎」

紫仮面は、小さいが強く迫力があり威圧感があった。

「もう2度とイジメません。すみません」

と言うイジメっ子に、紫仮面はキツく言い放つ。

「この女の子に、土下座して、謝れ‼︎」

「は、はい。南ミカさん、すみませんでした。もうイジメません」

イジメっ子達は、土下座して謝った。

「お前ら全員で、ちゃんと掃除しろよ」

「は、はい」

イジメっ子達は立ち上がり、各々、雑巾や箒を手に持ち、掃除し始めた。

「今日だけでなく、明日からも、ちゃんと掃除するんやぞ。良いな?」

「は、はい!」

「よし」

紫仮面は満足そうに微笑んで、その場を去っていった。

(紫仮面、かっこいい♡)

ミカは、紫仮面に見とれ、うっとりとした。胸がキュンとなり、トキメキを覚える。ミカは紫仮面に恋をしてしまったのである。


それ以来、ミカは、学校で、おもてだっては、いじめられなくなった。

が、授業中、教師からあてられて、答えられなかったりすると、コソコソ、ヒソヒソ声が聞こえてきた。

「やっぱり、ミカってアホ」と、バカにするヒソヒソ声。

(やっぱり、私はアホだから、陰口たたかれても、しょうがない)

1人、落ち込みながらの帰り道、涙がポタポタこぼれる。

その時、またもや、風を感じた。暖かな風。金色のオーラ。

(紫仮面⁉︎)

果たして、紫仮面であった。紫仮面は言う。

「ミカンちゃん」

「私、蜜柑じゃなくて、ミカです」

「僕が君につけたニックネームやで。ミカンちゃん」

「はい。紫仮面がつけてくれたニックネームなら、それで良いです」

「よし。ミカンちゃん。落ち込まないで。自信を持って。ミカンちゃんが自信を持てるように、プレゼントをあげよう」

紫仮面は、胸ポケットから小箱を、取り出して、ミカに手渡した。

ミカが、その小箱を開けると、万年筆が出てきた。ペン先は14金、光沢のある黒地にピンクの桜の図柄、高級感溢れる綺麗な万年筆。

「きれい、高そう。こんなの、貰って、本当に良いの?」

「良いんだよ。だって、僕は、ミカンちゃんが好きだから」

「え?嘘。私なんてアホなのに」

「アホじゃないよ。他人からの陰口は気にするな。そして努力してごらん。そうすれば、きっと夢は叶う。なりたい自分になれる。自信を持って、自分を好きになって。それから、イジメっ子は、大人しくて言い返せない子を、ストレス解消の為にターゲットにしがちだ。もちろん、イジメっ子が悪いんだけど、ミカンちゃん、もう少し、喋ってみた方が良いかもしれないな。嫌な事は嫌という勇気や毅然とした態度も、大人になるまでには身につけた方が良いかもしれない。努力して自信を持って自己主張も出来るようになって欲しい。そうなれたなら、そんな、ミカンちゃんを、ますます、僕は大好きになる。僕は、大人になって、魅力的になったミカンちゃんに結婚を申し込みにやってくる」

「ありがとうございます。嬉しいです。頑張ります」

「よし。頑張れ」

紫仮面はキラリと光る白い歯を見せて、去っていった。


ミカは、紫仮面から万年筆を貰った日から変わった。

今まで、虐められる、と言う恐怖と緊張感で、授業中、気もそぞろだったのだが、紫仮面の励ましの声を思い出し、ゆったりとした気分で、授業に集中できるようになってきた。

「今までの所で、わからない所は、ありませんか?」という教師の問いかけに、ミカは、真っ先に手をあげて、「先生。さっきの〇〇が、わかりません」と質問できるようになってきた。今までは、どこがわからないかも、わからなかったのだ。わかる箇所と、わからない箇所が自分で明確になれば、弱点を補う努力も出来る。

最初は恐怖心で震えながら、羞恥心で顔を真っ赤にしながら、教師に質問していたのだが、誠意を持って穏やかに質問に答えたくれる教師の姿に、安堵し、何度か質問を繰り返すうちに、だんだん、震えずに、真っ赤にならずに、言葉を発する事が出来るようになってきた。引っ込み思案で口下手で暗い表情をしていたミカだったが、紫仮面からの優しい台詞を胸で反芻させて常に思い出し、教師からの優しい反応を常に見ているうちに、だんだん、人前で発言する事が苦ではなくなり、明るい表情で自己主張も出来るように前進していった。

ミカは、家で予習と復習をするようになった。紫仮面から貰った万年筆で、教科書にアンダーラインを引き、ノートに重要語句を書くと、不思議な事に、スイスイと、頭に入っていき、どんどん記憶できるのである。今までは、家で勉強した事など、無かったのだ。テレビ、ゲーム、漫画、それらの趣味の時間を削って、勉強の時間に費やす事にした。

そうすると、ミカの成績は、みるみる上がっていった。


ミカは小学6年生になっていた。学校では虐められなくなったミカだったが、家に帰ると、相変わらず、アケミはリキを、えこひいきしていた。

リキには惜しげもなく、色々と買い与え、様々な習い事をさせるのに、ミカには何も買ってくれず、何の習い事もさせてくれなかった。

「リキは南家の跡取り息子だから」というのがアケミの言い分であった。

「もともとリキは頭が良いから習い事をさせただけ成果が出る。ミカは頭が悪いから習い事をさせた所で金をドブに捨てるようなもんだ」とも言われた。

けど、ミカは学習塾に行ってみたいと思った。

年子の兄のリキは、今、中学一年生だ。

リキは小学校4年生からH学園という学習塾に通っていた。そこは能力別クラス編成で、AクラスからEクラスまである。その中で、一番成績の良いAクラスに所属し、講師からも、超難関中高一貫校5校の受験を勧められたリキ。講師の勧めと両親からの後押しがあり、私立中学を5校.受験し、4校に合格したのだ。その合格した中学の中で、一番偏差値の高いN中学に、今、通っている。

(兄に対抗してみたい‼︎)という気持ちがフツフツと湧き起こってきているミカ。

(兄が落ちた1校はW中学。そのW中学に合格して、家族を見返してやりたい)と思うミカなのであった。


「私、塾に行きたい。そして中学受験したい」

ミカは父のタカヒロと母のアケミに言った。しかし父母はミカを塾には通わせてくれなかった。

「ミカは女の子なんだから、そんな塾にまで行って必死で勉強しなくてもええんや。結婚して専業主婦になればええんや」と言われてしまった。

「私はW中学に行きたい。塾に行かなくてもW中学を受けるから。合格したらW中学に行かせて」と、ミカは必死で言った。

アケミは、それさえも嫌そうだったが、タカヒロは、それにはオッケーしてくれた。

「わかった。合格したら、行かせてやる」と、タカヒロは確かにハッキリと言ったのだ。

(お金を稼いでくれてるのはお父さん。お父さんのオッケーが出たんだから、もし合格したなら、きっとW中学の学費を払ってくれるはず。よし、塾に行かなくてもW中学に合格してみせる)とミカは、意気込み、やる気を出すのだった。

そして、学校の全教科の教科書に、紫仮面から貰った万年筆でマーカーを引き、みるみる内容を暗記していった。

100点満点のテストで、ほぼ90点以上をとれるようになり、「よくできる」「できる」「もう少し」の通知表が全教科「よくできる」に変化した。


ミカはW中学を受験した。そして、合格発表の時が来たのである。

校舎の壁に大きな紙が貼られている。ミカは受験票を手にしている。受験番号369番。

367、373....

ない?ない。ない!ない‼︎

何度も見た。なかった。369は無かった。

「ミカちゃん」

声をかけられ、振り向くと、幼稚園と小学校で一緒だった森クルミがニコニコ笑っていた。クルミはロングヘアでスラリと背が高い。運動神経がいいし、頭の回転が速い。

「私、合格したよ」

「クルミちゃんなら合格すると思ってたよ。クルミちゃん、賢いもん。おめでとう」

「ありがとう。ミカちゃんは?合格した?」

「ううん。落ちちゃった」

「え?うそ。あ...ごめん」

クルミの表情が笑顔から蒼ざめた顔へと変わる。

「私、先に帰るね」

目を逸らし、下を向き、足早に、逃げるように、去って行くミカ。


行きついた先は、叔母宅だった。

W中学から徒歩10分の賃貸マンションに、叔母は一人で住んでいる。

叔母は、父のタカヒロの妹で、マリという。マリはタカヒロより10歳年下で、ミカより15歳年上。いま37歳。化粧品の営業の仕事をしている。仕事の休日は水曜日と日曜日。今日は水曜日だから、おそらく家に居るだろう。

インターフォンを押すと、扉が開いた。

「あら、ミカちゃん。いらっしゃい。中にお入りよ」

咲き誇るような華やかな笑顔。いつも叔母はミカに優しい。

「マリ姉ちゃん、お邪魔します」

叔母ではあるが『オバさん』と呼ぶには、若くて綺麗なので、『マリ姉ちゃん』と呼んでいる。ミカは、マリ姉ちゃんが大好きだ。何かにつけてリキをえこひいきする父母とは違って、マリ姉ちゃんは、昔からリキよりも、むしろミカに笑顔を向けてくれたし、口下手で鈍臭いミカに対して、決してイライラした素振りを見せず、いつも、ミカの言動を肯定してくれていた。

リビングダイニングに通され、ケーキとダージリンティーが出された。

ベランダには、鉢植えが複数、置かれていた。チューリップ、パンジー、マーガレット等々、色とりどりの花。

「マリ姉ちゃん。私、W中、落ちちゃった」

「そう。残念だったね。頑張ってたのにね」

マリはミカの肩を、そっと抱き、頭を撫でる。

「ミカちゃん。辛い想いをしたんやね。けどW中は超難関やから。受かる方が奇跡かもしれへん」

「小学校で習ってへん問題が出た。小学校の教科書は、ほぼ暗記してんけど。算数の応用問題は、教科書を暗記しただけではアカンかった。お父さん、お母さんが進学塾に行かせてくれへんかったから。塾に行かせてくれてたら、解けたかもしれへんのに」

「確かに塾に行ってたら合格したかもしれへん。けど、塾に行っても合格せえへんかったかもしれへん。塾行って私立中学に行くって、すごい高いお金が、かかるんやで。そもそも中学は義務教育や。地元の公立中学で、ええやんか」

「リキ兄ちゃんは塾に行かせてもらったし、今、私学の中学に行かせてもらってるねん。お兄ちゃんばっかり、えこひいきされてるねん。差別されるのが嫌やねん」

ミカの目から悔し涙が、零れ落ちる。

「そっか。じゃ、今日は、ウチでゆっくりしていき。晩御飯、作るわ」

食卓にはお赤飯、天麩羅、アボガドサラダ、南瓜の味噌汁が並んでいた。

ミカの好物ばかりだ。傷心のミカを元気付ける為に、マリが腕をふるってくれたのだ。マリは化粧品会社の正社員で多忙なのに、花を育て、料理を作り、常にニコニコ笑顔で、前向きな生き方をしている。それに引きかえ、母のアケミは、専業主婦なのに、趣味は無く、料理は手作りよりも出来合いのお惣菜を買う事が多く、常にイライラと不満そうな表情をしている。マリは、時間配分が上手で、気持ちの切り替えが得意なのだと思う。本当に、マリは素晴らしい女性だと思う。だからこそ、ミカはマリが大好きなのだ。

「美味しい。マリ姉ちゃん、良いお嫁さんになれるよ」

「良いお嫁さん、笑っちゃう」

「冗談ちゃうで。ほんまやで。マリ姉ちゃん、綺麗やし。料理上手やし」

「そんなん言うてくれるん、ミカちゃんだけやで」

「なんで独身なんかが不思議やねん。絶対にモテるはずや。モテるやろ?」


その時だ!着信音が聞こえたのは...!鳴っているのはミカの携帯電話だった。

「 はい、南です」

『私、W中学の事務局の吉田と申します。南ミカさん、いらっしゃいますか?』

「ミカは私です」

『あ、ご本人様でしたか。実は、合格を辞退した方がおられまして、一人欠員が出たのです。ミカさんが補欠合格になりました。突然ですが、当校に入学なさるお気持ちは、おありですか?』

「え?あ、はい。W中学に通いたいです」

ミカの台詞にビックリしたマリは、ミカの携帯電話を、ひったくるようにして、電話の相手に話しかける。

「もしもし。お電話、変わりました。私、保護者です。失礼ですが、W中学の関係者の方ですか?」

『保護者様ですか。W中学の事務局の吉田です。ミカさんの補欠合格のご連絡をさせていただいております。御入学の御意志という事で間違いございませんか?』

「はい。合格したのでしたら、勿論、入学いたします」

『かしこまりました。では入学手続きに必要な書類を願書にご記入なさっていたご住所まで速達で郵送させていただきます。その郵便物の中に入学金や授業料の振込用紙も同封させて頂きます。恐れ入りますが、入学金25万円は1週間以内に銀行振込してくださいませ。入金確認が出来ない場合は、誠に失礼ながら、入学を辞退されたものと見做しますので、よろしくお願い致します』

通話が終了し、マリは携帯電話をミカに返しながら

「ミカちゃん、合格おめでとう‼︎すごいやん‼︎」と言い、家の電話の受話器を手にとり、

「お兄さんとお義姉さんに電話するわ」と言い、プッシュホンの数字を素早く押した。

『はい、南でございます』

「もしもし、お兄さん。私よ。マリよ」

『あ、マリ。ミカが家に帰ってこないんやけど、そっちに寄ってるのか?』

「うん。こっちに来てる」

『W中学の合格発表、1人で見に行ったきり、帰ってこないから、心配してたんや。不合格がショックで、マリの家に寄ったんやろな』

「いや、それが...、ミカちゃん、合格したのよ」

『え⁉︎まさか...⁉︎』

「本当やよ。入学手続き書類は、速達で、そちらに届くはず。で、とりあえず、入学金25万円は、早めに銀行振込してあげてね」

『いや、うちはリキが私学に通ってるし、ミカまで私学に通うとなると、経済的にキツい』

「ちょっと、何言ってるのよ。W中学に合格したんやよ。それを辞退するとでも言うの?」

『う..,うん』

「お兄さん、O大学を出てM電機の正社員として働いてるよね。一流大卒で大企業勤めやん。高収入でしょ?」

『いや、高収入なんて、とんでもない。M電機で半導体の研究開発をしてきたが、半導体部門は赤字で、大幅な人員削減が行われている。今月末に退職して、来月からはT銀行の警備員として働く。収入は3分の1になる。家のローンもあるし、リキの教育費もある。ミカまで手が回らない』

「そんな...。兄妹で差別したらアカンのとちゃうの?リキ君とミカちゃん、平等に育てなくっちゃアカンのとちゃうの?」

『まさか合格するとは思わなかった。不合格になると思い込んでいた。受験さえすれば、ミカの気はおさまると思ってたんや』

「質問からズレた台詞、言わんといてよ。リキ君にだけ学費をかけて、ミカちゃんを蔑ろにしようとしてるんやね。よう、わかったわ。お兄さんが、そのつもりなら、私がミカちゃんの学費を出すわ。これからは私がミカちゃんを育てます‼︎」

普段、穏やかなマリが電話口で怒っているのを、ミカは目を丸くして見つめるのであった。私の為に、こんなにも真剣になってくれている、それは驚きと感動であった。


翌日、ミカはマリと近所の大型ショッピングセンターに来ていた。

「W中学の合格祝い。何か気に入った物があれば買ってあげる。服でもアクセサリーでも、何でも希望を言ってよ。遠慮しないで、ええで」とマリは言うのだが、ミカは高価な物を買ってもらうのは申し訳ないと思っている。

そこへ『ウェストポーチ1000円均一』のコーナーが目についた。

1000円なら遠慮しなくても良いかもしれないと思った。

「マリ姉ちゃん、私、ウェストポーチが欲しい。ほら、あそこのコーナー」

「どれどれ」

ミカはピンクのウェストポーチを手にして

「これ」と言った。

「えらい安上がりやね」とマリは笑いながら、それをレジで精算してくれた。

その時、背中に視線を感じた。振り向くと、そこには一条ハヤトの姿があった。S小学校の同級生である。彼もW中学を受験していた。

「あ、一条くん」

「おお、南さん」

「一条くん。私、W中学に行くよ」

「え?南さん、そんなに成績良かったっけ?」

その会話を聞いていたマリが口を挟む。

「あら、ミカちゃんの同級生?私は、この子の叔母です。ミカは、アホに見えたかもしれへんけど、ホンマは賢いんよ。昔は頑張りが足りひんかったかもしれへんけど、最近は、すごく頑張ってるんやよ。合格したのはミカの実力。この子には実力があるんやよ」

「あ、すみません。失礼しました。叔母さんとは思えないくらい、お綺麗で、お若いですね。俺、南さんの同級生の一条ハヤトと言います。俺、自慢みたいですが、S小学校でトップクラスの成績でした。で、僕もW中学に合格しました。よろしくお願いします」

ハヤトは、早口で、そう喋ったかと思うと、何故か真っ赤になって、足早に駆け出し、逃げるように去って行ってしまった。


マリは「ミカちゃん、W中に合格したんだから、ダサい髪型とはオサラバしなあかんよ。一緒に美容院に行こう」とミカを自分の行きつけの美容院に連れて行った。そして

「後ろは襟足まで切って、横は顎より少し長めまで切って前下がりボブにして、前髪は眉のラインでシャギー入れてちょうだい」と注文をつけた。

その注文通りに仕上がった髪型は、ミカに、よく似合っていた。垢抜けてお洒落に見える。急に美人度がアップしたようだ。


その後、マリはミカ専用のドライヤー、化粧水、日焼け止め、リップクリームも買ってくれて、使用方法も懇切丁寧に教えてくれた。

マリからの美容指導のお陰で、ミカは、日に日に綺麗になっていく。

もう、誰にも「ブス」「ダサい」なんて言わせない。


W中学に入学したミカは、幼稚園と小学校で一緒だったクルミとハヤトと同じクラスになった。

なんだか、楽しい中学校生活が送れそうな予感がする。

そう思ったのも束の間、担任教師の永井が、

「入学早々やけど、明日、校内実力テストを実施する。中高一貫教育で一流大合格者数を誇る我が校やから、テストや宿題、いっぱいあるで。みんな、この6年間、頑張って勉強するようにしろよ。目指せ、東大!目指せ、京大!やで」と言った。


校内実力テストは実施され、そして、その結果は、すぐに掲示板に貼り出された。一クラス40人✖️8クラス=一学年320人。一学年320名中、上位50名までの順位と名前が記されていた。

成績上位者の1位は、一条ハヤト。50位に森クルミが入っていた。

貼り紙を見てるミカは、頬に視線を感じて、横を向く。するとハヤトがいた。

「一条くん、1位、おめでとう」

「ま、俺が実力だせば、こんなもんや」

「流石、実力に裏打ちされた自信やね」

「南さんも1位を目指したら、ええやん。あの綺麗な叔母さんに『ミカは実力がある』とか言ってもらって、誉めてもらってたやん」

「私なんて、無理やよ。だって、補欠合格やもん。私なんて、べったくそや」

「え⁉︎補欠⁉︎知らなかった。南さんって、補欠なのか⁉︎」

よほど驚嘆したのか、ハヤトの声は、想いもかけぬような大声だった。『補欠』という単語が響きわたり、こちらを見つめる大勢の視線を感じ、コソコソ声が聞こえてくる。

おもしろおかしく噂を流す声が聞こえてくる。針のむしろ、だった。


放課後、クルミはミカの席に来た。

「ちょっと、話したい。良いかな?」

「うん」

2人は中庭のベンチに腰掛けた。

「私が『補欠』って、みんなにバレてしまった」と項垂れるミカ。

「うん。一条くん、聞こえよがしの大声で感じ悪かった。あいつ、勉強だけしか取り柄のないガリ勉。けど、うちのW中は、進学校やから、その勉強だけしか出来ない奴が評価される。先生にチヤホヤされるし、生徒からも一目置かれる。とはいえ、勉強だけしか取り柄のない奴は、社会では通用しない。ミカちゃんは、きっと社会で通用する。だから自信を持って。補欠なんて、気にしないで。堂々と胸を張って、頑張って」とクルミ。

「クルミちゃん、なんか、元気でてきたよ。有難う」

頑張らなくっちゃ。見返してやる‼︎一条ハヤトを...。見返してやる‼︎補欠とバカにした連中を...とミカは手をギュッと握り締めるのであった。


晩御飯を食べながら、ミカはマリに喋った。自分が補欠だと知れ渡ってしまった、コソコソ噂されて、噂が広まっている、辛いけど頑張る、という内容を喋ったのだ。

「もし、無視されたり、陰口たたかれたり、精神的に辛いようなら、今からでも、W中を辞めて、地元の公立のK中に行く?」とマリが聞いてきた。

「K中に行ったら行ったで、『なんでW中を辞めたんや』と噂されるやろうし。K中にはS小の時に、私をアホ扱いしてた子達が通ってるし。窓ガラスを割ったり、万引きしたりするような子もいるようやし。K中には行きたくない。やっぱり、W中で頑張るわ。K中は公立やから学費が安いのに、ごめんね」

「いや、かまへんよ。K中は、K中でアカン面があるみたいやし。ミカちゃんが、W中が、ええんやったら、W中のままで頑張るのが一番やと思う。逃げるよりも立ち向かう事を選んだんやね。強くなったんやね。ミカちゃんに、やる気あるのが嬉しいよ」

「ありがとう、マリ姉ちゃん」


ミカは今までにも増して勉強した。

そして7月。1学期の期末テスト。なんと、ミカは全教科全て100点満点をとったのである。

が、ここで、一悶着おきる。

補欠合格のミカが、満点をとるなんてありえない、不正があったに違いない、という意見が出たのだ。

事務局の吉田、担任教師の永井に、ミカは職員室に呼び出された。スマホを器用に操り、カンニングしたのではないかと詰問された。キラは、強く否定した。


そこで、放課後、ミカ一人が、教室に居残りを命じられ、吉田と永井の痛い程の視線を浴びる中で、追試を受ける事になった。スマホは、取り上げられた。机には鉛筆と消しゴムしかない。カンニングなど出来るはずが無いという状況の中で、一人、問題をスラスラと解いていくミカ。

追試の結果は、100点満点だった。


そして、期末テストの成績上位者が校内掲示板に貼り出された。

1位 南ミカ

2位 一条ハヤト

47位 森リカ


この結果が出てから、ミカの周辺にいる人々のキラに対する態度に変化があった。

教職員やクラスメイト達が、手のひらを返したように、ミカをチヤホヤするようになったのだ。

それと反比例するかのように、クルミのミカに対する態度が、よそよそしく他人行儀になってしまった。

いつも一緒に登下校していたクルミが、

「部活があるから」とミカとの登下校を避けるようになった。クルミはテニス部に所属しているので、部活の朝練や特訓などがあるのは事実なのだろうが、どうも嫌われているような気がする。ミカが成績トップになったという事が、腑に落ちないのだろうし、どこか嫌悪感を抱かれているのだろう、それ故に、避けられているのだろう、とミカは思う。

確かに、これは万年筆のなせる技、まるで魔法のような力によって得たもの、ミカ本来の実力では無い、なので、実力も無いくせに大きな顔をしていると見破られ、幻滅されたとしても致し方無い、ともミカは思う。


授業が終了し、(今日も一人で帰るとするか)と思いつつ、下駄箱で上靴を運動靴に履き替えていたミカ。

「南さん」と声をかけられ、振り向くと、ハヤトだった。

「一条くん」

「南さん、一緒に帰ろう」

「え?」

一瞬、ビックリしたミカだったが、従う事にした。校門から駅までの道を歩く。

「南さん、一位だったよな。おめでとう。俺、負けちゃったな」

「あ...ごめん」

「いや、嫌味で言ってるわけじゃないんだ。本心から、おめでとう、って思ってる」

「ありがとう」

「南さん、幼稚園や小学校の時は大人しくて目立たなかったし、失礼ながら、アホでブスのイメージがあったんやけど、今は美人で賢いやん。だんだん、すごいパワーを身につけてきたよな。補欠だったのに、1位になるなんて、すごい努力したんやろな。吉田と永井からカンニングの濡れ衣かけられそうになったけど、ちゃんと実力があるとこ、見せつけたんやろ。南さんって、弱そうに見えて強いんやな」

「自分では強いとは思えへんけど..,ほめてくれて、おおきに」

「実は、好き、なんだ」

「え?」

「俺は南ミカさん、貴女が好きです」

「...」

「それだけ言いたかってん。それと森クルミの事だけど...、最近、南さんへの態度が悪いやんな?」

「クルミちゃんの事...う...うん、最近、避けられてるみたい」

「それ、俺が原因かもしれへん」

「一条くんが原因?なんで?」

「実は、告白されてん。森から『好きです。付き合って下さい』って。けど『ごめんやけど、好きな子がおるから、森とは付き合われへん』と言った。『好きな人って誰?』って聞かれて『南ミカ』と言ってしもうてん」

「え〜⁉︎クルミは、私には一条くんの事を『勉強しか出来ない奴』『ミカが補欠だと言いふらした奴』と言ってたんやよ」

「森は...、こんな事いうと、悪口みたいやし、信じてもらわれへんかもしれへんけど...、森は、口が達者で裏表がある奴やから。あいつの表の顔に騙されたらアカンで。あいつの言う事は、鵜呑みにしない方が、ええで。あいつ、ホンマは、南さんに嫉妬してるのかもしれへん。そやけど、嫉妬されたとしても、南さんが悪いわけちゃうから。南さんは、自分を責めたらアカンで。南さんは、大器晩成や。どんどん賢くなる人やと思う。森の事は気にせんと、どんどん賢くなっていって欲しい。それと、俺が南さんの事を好きって事は、覚えといて。俺、本心で言ってるから。俺の言葉は信じて欲しいねん」

ハヤトは真っ赤な顔をして汗をかいていた。冗談では無さそうだ。信憑性がありそうだ。おそらく、真実の言葉なのだろう。ハヤトは良い人だったんだな、と改めて思った。こんな私を好きになってくれて有り難いと思う。けど、紫仮面に感じたようなトキメキをハヤトには感じる事が出来なかった。やはり、私はハヤトよりも紫仮面が好きなのだ、とミカは思うのであった。


予期せぬ出来事が起こったのは、その一ヶ月後だった。それは不運で不幸な、まさかの出来事であった。

T銀行梅田支店に強盗が入り、ミカの父、南タカヒロが被害に遭ったのだ‼︎

タカヒロはM電機のLSI研究所で半導体の研究開発をしていたのだが、リストラにあい、T銀行の警備員に転職したばかりであった。

日本の家電製品が世界一だと言われ、日本の半導体産業も強かった時代は衰えを見せている。研究施設で働いていたならば、強盗の被害に遭う事などなかったのに。銀行に転職したばっかりに...

T銀行の警備員として、15時にシャッターを閉めていたタカヒロ。

そこへ強盗犯が、降りかけたシャッターの隙間を潜り抜け、中へ入ろうとした。

「閉店です。シャッターが閉まっております。お気をつけ下さいませ」

そう声をかけたタカヒロの後頭部を金属バットで殴りつけ、無理やり閉店間際の店内に押し入った犯人。

「1000万円を用意しろ。用意出来ないなら、皆殺しにしてやる」と書いたメモを窓口の行員に見せ、金属バットを振り回して見せた。

窓口の行員は、怯えながら、震える手で、犯人の要求に応じた。

犯人の動きは俊敏だった。1000万円を黒のスポーツバッグに入れ、素早く逃走した。どうやったのか不明だが、何故か煙を発生させながら走っていく。俊足だ。走り去る犯人に向かい、窓口の行員がカラーボールを投げつけたが、コントロールが悪く、命中しなかった。モクモクと煙が漂い、銀行員達の目の前は真っ暗になり、何も見えなくなった。ようやく煙がおさまり、目が慣れてきて、窓口の行員がカウンター下の非常ボタンを押し、警察に通報したが、警察が到着した時は時既に遅し、犯人は逃げ去った後で、見つからなかった。

犯人は、目撃者の証言及び防犯カメラ映像から成人男性だと判断された。身長165センチ位、黒のフルフェイスのヘルメット、黒いジャージの上下、黒のスニーカー、と黒ずくめの出で立ち。金目当ての犯行であろうと推測された。サラ金に借金がある者、競馬.競輪などギャンブル依存症の者が犯人だと憶測された。


タカヒロは救命救急センターに救急搬送された。知らせを受け、マリとミカはアケミとリキと共にタクシーを飛ばして駆けつけた。4人は慌てて手術室へと向かった。

『手術中』のランプが点くドアの外の長椅子には、パリッとしたスーツを着こなした品の良い男性が腰掛けていた。その男性はマリを見て目を見開き、頬を少し赤らめたようだった。綺麗な顔立ちの男性だ。年齢は40歳位だろうか。サッと立ち上がる。

「奥様とお子様でいらっしゃいますか。支店長の緑川カズヤでございます。この度は、申し訳ございません」と名刺を差し出し、45度のお辞儀をした。

「家内でございます。夫がいつも、お世話になっております。手術が成功する事を信じております」と気丈にアケミは言った。

『手術中』のランプが消えた。

ドアが開き、執刀医が出てきた。

アケミが医師に駆け寄り、腕に、すがりつき、救いを求める目を向ける。

「先生、夫は助かったんですよね?」

が、医師は目を逸らし、首を横にふる。

「最善は尽くしましたが、残念ながら、御臨終です」との医師の言葉。


それからショックな出来事が、立て続けに起こった。

アケミが重度の鬱病になり、A大学附属病院.精神科に入院。そして、リキが家出したのである。

(誰か嘘だと言って。誰か悪い夢だと言って欲しい)

ミカの心は折れそうだった。が、マリは、いつもと変わらず、明るく優しくミカに接してくれた。マリと一緒に住んでいる事で、ミカの精神の安定は、なんとか保たれていた。

そして、もう一人、救いの手を差し伸べてくれた人物がいた。支店長の緑川カズヤだった。

カズヤは、南家の経済的負担の軽減に尽力を尽くしてくれた。

警察からの事情聴取やマスコミ取材に対して矢面に立ってくれた。

事件の日から、毎日のように、マリとミカが住むマンションを訪れてくれ、悲しく苦しい心を和らげてくれた。

「南タカヒロさんは、立派にお仕事をなさっていました。朝8時に出勤し、掃除をし、9時から15時はロビーに立ち、ATM操作や事前記入や商品案内や窓口案内などの接客をする。15時にシャッターを閉める。掃除、社内メールの種分け、メール便の警備、郵便局へのおつかい等、真摯に、お仕事なさっていました。M電機の技術者としてエリートの道を進んでらっしゃったのに、180度違う仕事に転職なさって、プライドが傷つけられる事もあったかと思いますが、不貞腐れた様な態度や、卑屈な表情をなさる事はなく、いつも明るくお元気でした。本当に惜しい人を亡くしました」

カズヤのマリを見つめる表情は、慈愛に満ちている、とミカは思った。

支店長としての責任感があるのだろうが、仕事だけで、こんなに親身にしてくれるものなのだろうか。やはりカズヤはマリに女としての魅力を感じているのではあるまいか。 もしもカズヤとマリが結婚したなら、私の居場所はないかもしれない、漠然と、ミカは予想してしまう。

ミカは、いたたまれない想いだったが、そんな辛い気持ちを、日記に書いた。紫仮面から貰った万年筆を使って...。すると、不思議と気持ちが前向きになれた。

紫仮面からもらった万年筆で教科書にアンダーラインを引くと即座に暗記できる事から、ミカは教科書以外の本にアンダーラインを引いても暗記できるのではないか、と思った。試しに参考書にアンダーラインを引いてみた。やはり即座に暗記できた。紫仮面から貰った万年筆には、まるで魔法が、かかっているかのようだ。

あの世へ逝った父が、この世では想像を絶するような力を持ち、その力が、紫仮面の万年筆に乗り移り、ミカが光り輝く未来を手に出来るように、惜しげない愛を注いでくれているかのようだ。


緑川カズヤは、銀行の業務終了後、梅田から北新地まで歩いた。そして、日本料理店の暖簾を潜った。

「いらっしゃいませ」

藍染めの和服姿の店員の華やかな笑顔に歓迎感が伝わる。

「予約していた緑川ですが」

「お待ちしておりました。お連れ様、お越しですよ。ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」

個室の座敷に通された。マリは既に来ていた。

「やっと会えた」

カズヤは座布団に座り、マリを見つめる。

「13年ぶりだね」


ー13年前...

大学一年生のカズヤは、中学二年生のマリの家庭教師だったのだ。

5歳の年齢差がある。けれども、カズヤは大学一年生にしては童顔で幼く見え、逆にマリは中学二年生にしては目鼻立ちがハッキリして大人っぽく、あまり年の差は感じなかった。

二人は互いに惹かれあっていった。

ある日、カズヤがマリの家に家庭教師に来た時、マリだけしか家にいない日があった。夏の日だった。

「この問題、わからないの」と数学の問題集を指差すマリ。

「どれどれ、あ、ここは、この公式をあてはめて...」と問題集を覗き込み、ノートに素早く計算式を書くカズヤ。

思いがけず2人の顔が接近した。

2人は顔を見合わせ、見つめあった。その時、マリが目を瞑り唇を閉じた。カズヤは、マリの唇に、そっと自分の唇を重ねた。

ピンクのタンクトップとデニムのミニスカートという夏ならではの服装のマリは、中学二年生とは思えないくらい女っぽかった。

膨らんだ胸、細く長い脚。白い肌。

カズヤは、おずおずとマリに触れた。ドキドキと互いの心臓の鼓動が聞こえる。互いに気分が高揚していく。恥ずかしい。こわい。嬉しい。様々な感情で揺れながらも、カズヤは行為に及び、マリは受け入れた。

そう、あれから13年もの月日が流れたのだー


天麩羅、お刺身、蛤のお味噌汁、ひじき、金時豆、金平牛蒡、冷奴、五穀米御飯、そして日本酒。料理に手をつけながら、カズヤがマリの目をじっと覗き込む。

「マリ。まさか、警備員の南タカヒロさんが、君のお兄さんだとは知らなかった。君の家に家庭教師に行ってた時は、お兄さんに出会わなかったし、お兄さんの話も出なかったし、君にお兄さんがいる事すら知らなかった」

「兄とは10歳、年が離れてるので、一緒に遊んだ記憶も無いんです。私が14歳の時は、兄は24歳。既に結婚して、家を出てましたから。あなたが兄と出くわす事が無くて当然ですわ」

「そうか。13年前、僕は、とにかくショックだった。君と結ばれて夢心地だったのに。君も同じ気持ちでいてくれてると信じてたのに。君と一つになれたあの日から約一ヶ月たった、ある日、いつものように家庭教師に行くと、君のお母さんから『もう家庭教師は、けっこうです。今までのお金はお支払い致します』と言われ、『マリさんの意思ですか?マリさんが僕ではダメだと言ったんですか?』と聞くと『そうです』と言われたんだ。そして、その翌日、君の家は引っ越してしまった。どうして僕の前から、何も言わずに、居なくなってしまったんだ?僕が嫌いになった?僕は、本気で君の事を愛してたのに...」

「本当に本気で愛してくれてたのですか?」と聞くマリ。

「本当に本気だった」

「過去形ですね」

「いや、今も。現在進行形だ。ずっと愛してる。マリは綺麗で魅力的だ。昔も今も変わらない。むしろ今の方が色っぽくて綺麗になったかもしれない」

「カズヤさん。ご結婚はなさってる?」

「結婚はしていない。独身だ。結婚するなら、その相手は君しか居ない。マリ、君だけだ」

「嘘じゃない?」

「嘘じゃないよ。で、13年前、どうして姿をくらませたのか教えてくれよ。何かあったのかい?」

「驚かないで聞いてくれますか?」

「うん、驚かない。教えてくれ」

「あの時、私、身ごもったのです」

「え〜⁉︎妊娠したのかい?」

「驚かない、って言ったのに、驚いてるじゃありませんか」

「だって、そりゃあ、驚かない方がオカシイよ。想像を絶する台詞だったから...。僕の子...なんだろ?僕と君の、あの時の...なんだね?」

「はい、そうです」

「それなら、そうと、その時、僕に言って欲しかった」

「言えば、どうなさいましたか?」

「言ってくれたら結婚した。法律で18歳と16歳なら結婚できる。僕は19歳だった」

「私は、まだ14でしたよ」

「とりあえず同棲して、2年後に籍を入れれば良かったんだ」

「学生で収入も無いのに、生活できるわけありませんよ。無理だったんですよ」

「僕は君と子供を養う為なら、大学中退してでも働いたと思う。あ、仮定の話ばかりしても前に進まないよな。どうやって妊娠したって判明したの?お母さんには相談したの?」

「いつもキチンとくる生理がこなくて、薬局で『妊娠検査薬』を買って、調べてみると、妊娠してたのです。で、その『妊娠検査薬』を勉強部屋のゴミ箱に捨てたのですが、母に見つかってしまいました。母に『相手は誰?』と聞かれたけど、『知らない人』と、突っぱねました」

「僕だと言ってくれたら良かったのに。どうして、お母さんに僕の名前を言わなかったんだい?」

「あなたに迷惑が、かかると思って...」

「迷惑なんかじゃ無かったのに...」

「母は『中絶しなさい』と言ったけど、私は『赤ちゃんを殺したくない。中絶したら自殺する』と、突っぱねました。仕方なく母は父に相談し、父と母は、私を父方の祖母に預けたの」

「おばあちゃんの家は、どこにあるの?」

「祖母の家は、三重県の田舎です」

「田舎って?」

「伊賀です」

「伊賀と言えば、忍者で有名だね」

「ええ。忍者で有名な所で、赤ちゃんを産みました」

「え?産んだのか?堕ろさなかったんだね?」

「堕ろした方が良かったですか?」

「いや。産んでくれて良かったよ。せっかく授かった命を大切にしてくれて嬉しい。で、今、その子は、どこにいるんだい?」

「私達の子供は、兄夫婦の子供として育ててもらったのです。今、13歳、中1です」

「まさか..,ミカちゃん?ミカちゃんが、マリと僕の子供なのか?」

「はい、そうです」


ミカが学校からマリのマンションへと帰ると、テーブルの上に千円札とメモが置かれてあった。

『ミカちゃんへ。友人と晩御飯を食べに行きます。帰りは遅くなると思います。何か買って食べておいて下さい。先に寝ていて下さい。マリより』

ミカは、(友人?誰だろう?緑川さんかな)と思いながら、千円札を自分の財布へ入れ、再び、外出した。


ミカは、近所のスーパーまで歩き、お惣菜売り場をウロウロし、ハンバーグ弁当とペットボトルのお茶を買った。

そして、スーパーを出て、細い夜道を歩く。ふと、誰かに尾行されてるような気がして、振り返る。

すると、身長165センチ位、黒のフルフェイスのヘルメット、黒いジャージの上下、黒のスニーカー、と黒ずくめの出で立ちの者がいた。手には金属バットを握っていた。

父タカヒロを殺害した強盗犯の容姿と一致している。

襲われる‼︎

殺気を感じたミカは再び、前を向き、一目散に駆け出した。

その時、背後でドスンという大きな音が響いた。

何事か?と、振り向くと、黒ずくめの怪しい奴が「痛い」とうめき声をあげ、倒れていた。金属バットは奴の手から離れ、地面をコロコロ転がる。そして、スックと立っているのは、なんと紫仮面であった。身長は170センチ位に伸びていたが、赤いマントに紫の仮面という、紫仮面のコスチュームだ。

紫仮面は、右の胸ポケットから紐を取り出し、素早く、黒ずくめの奴の両手、両足を紐で縛った。そして、さらに左の胸ポケットから携帯電話を取り出し、110番通報した。

その後、紫仮面は、黒ずくめの奴のフルフェイスのヘルメットを取った。

露わになった顔‼︎それは、よく知ってる顔だった。なんと森クルミだった‼︎

ピーポー、ピーポーとパトカーの音が近づいてくる。


「T銀行梅田支店強盗及び警備員の南タカヒロさん殺人の疑いが強まったとして13歳の少女を児童相談所に送致しました。事件に至った経緯や犯行動機などに関する詳細なことは分かっていませんが、今後は児童相談所の調査・判断により、児童自立支援施設等への施設へ入所させることになるものとみられます」

テレビ、新聞、週刊誌、この驚くようなニュースは、各マスコミで報道され、瞬く間に世間へ広まっていった。

クルミの家は家宅捜査を受け、クルミの部屋の押入れから、黒のスポーツバッグが見つかった。その中には、手付かずのままの状態の1000万円が入っていた。

犯人は成人男性だと思い込んでた世間は、容疑者が中1女子だと言うニュースに騒然となった。

事件当時、T銀行梅田支店で現場に遭遇し目撃した人々も成人男性だと思い込んでいた。165㎝で男性としては小柄だが、中1には見えない背の高さ。まだ胸や尻にふっくらとした厚みはないせいか女性には見えなかった。ロングヘアだが、髪はヘルメットの中にスッポリ隠れていて、わからなかった。

動機は、金目当てではなく、恨みだった。それは、一方的な嫉妬心が歪んで憎しみとなり恨みへと変形したものだった。

森クルミが、アホでブスとして見下していた南ミカの成績が上がり、綺麗になり、人気者となり、クルミが好きな男子である一条ハヤトさえもがミカに好意を持ってしまった事への嫉妬心。

また、クルミの父は、クルミが小学一年生の時に交通事故に遭い他界してしまった。それ以来、母はクラブのホステスをして生計をたててくれている。が、家事は疎かになりがちで、掃除はしてくれないし、料理も作ってくれない。汚い部屋で、カップ麺や冷凍食品を食べる日々。参観日や運動会にも来てくれない。母からの愛情を感じられない。クルミは、ほったらかしにされてると感じていた。ミカの家はお父さんが健在で、お母さんは専業主婦。その事も、嫉ましかった。

「南ミカを、不幸にさせたかった。ミカを苦しめてやりたかった。お父さんを痛めつければ、ミカが悲しむと思った。けど、まさか死ぬとは思わなかった。殺すつもりはなかった」とクルミは供述した。


クルミの動機が、ミカへの羨望と嫉妬心だと知ったミカは、心の底から驚いた。

マリのマンションのリビングでソファーに座り、ため息をつくミカ。

「私から見たら、クルミちゃんの方こそスラリと背が高くてモデルさんみたいに綺麗で、頭も良くて、羨ましい存在だったのに。私なんて背が低いし、もともと頭も良くないし、家庭だって、家族だって、もう滅茶苦茶なのに...。それに、まさかクルミちゃんが犯人だなんて...。優しくて良い子だと思ってたのに...」と項垂れるミカ。

そんなミカを見て、紅茶をカップに注ぐマリ。

「人には表の顔と裏の顔があるのよ。それから『隣の芝生は青い』という諺があるでしょ。他人は良く見えるものなのよ。本当は、みんな、それぞれ悩みがあるし、誰しも劣等感

があるものなんだけど、自分だけが不幸だと思い込んでしまうんやと思う」とマリは穏やかに言ったあと、一呼吸おいて、

「けど、あの銀行強盗。どうも、引っかかるわ。まるで『火遁の術』を使ったみたいやん」と言った。

「かとんのじゅつ?」

「煙を発生させて逃げる忍術やよ」

「え?クルミが忍術を使ったの?」

「そうやね。その可能性も考えられる。確かめてみる必要があるわ。ミカちゃん、一緒に伊賀上野に行ってみいひん?」

「忍者の発祥の地?」

「うん。ひいおばあちゃんが住んでるの。一緒に会いに行こう」


伊賀上野の曽祖母の家は、立派な日本家屋であった。曽祖母の名はフミという。

「そろそろ来る頃やろうと思っていたわ」とフミは、マリとミカを迎えた。82歳という高齢だが、背筋はピンと伸び、声は凛と響き、若々しく元気そうだ。

ちゃぶ台の上に栗羊羹と緑茶が出された。ふっくらと厚みのある座布団に座り、一息つく。

「ミカンちゃん、大きくなったなぁ」とフミは目を細めてミカを見た。

『ミカンちゃん』と呼びかけられて、ミカはビックリする。それは、紫仮面がミカにつけたニックネームではなかったか。

「マリとは仲良く一緒に暮らしてるんかい?緑川カズヤがマリを好きそうなのが不安かい?」

「あ...は、はい」とミカは、いぶかしげな顔をフミに向ける。初対面で何も喋ってないのに、何故、わかるのだろうか。

「ミカンちゃん。『初対面で何も喋ってないのに、何故わかる』のか、それはね、私が読心術の達人やから」

「読心術?おばあちゃん、心が読めるん?」

「せやで」

「すごい。どうして、そんな力があるん?」

「私は忍者の末裔や。ご先祖様の特別な力が遺伝してる。この力は、全ての子孫には遺伝せず、限られた者だけが受け継ぐ。ミカンちゃん、左手を見せてごらん」

ミカが左手を差し出すと、フミはミカの左手の甲を見た。

「うん、やはり、な」

「何なの?」

「私の手と見比べてごらん。ほら、ここ」

よく見ると、ミカの左手の甲にも、フミの左手の甲にも、ハート形の黒子があった。

「忍者の末裔で、ハート形の黒子がある者には、心を読める力が備わっているんやわ。その力を開花させるのは、ご先祖様から受け継いだ首飾りをつけて、同じ力を持つ血縁者から念を受ける事なんや」

フミは、そう言うと、自分の首から、ヒスイで出来た勾玉の首飾りを外し、ミカの首にかけた。

「この勾玉は、先祖代々の品で、願いが叶う特別な宝物や。ミカンちゃん、目を閉じてごらん」

ミカは言われた通り、目を閉じた。フミはミカの左手を自分の両手で包み込んだ。

すると、ミカの脳裏に、鮮やかな光景が広がってくる。

ミカは目を開いてフミを見つめる。フミは深く頷いた。

ミカは隣に座っているマリの手に自分の手を重ねてみた。そして、そっと目を閉じる。またもや鮮やかな光景が広がってくる。映画を観ているかのように...


ー13年前...

中学2年で妊娠してしまったマリは、母に連れられて祖母の家までやって来た。祖母の家、そう、この南フミの家だ。

「大丈夫や。マリと赤ちゃんの事は私が引き受ける。安心して赤ちゃんを産めば、ええがや」とフミ。マリはにっこり微笑んだ。

それから数ヶ月して、マリに陣痛が起こった。産婆の経験のあるフミは、マリの腰をさすり、呼吸法を穏やかに説明し、初産にしては珍しい安産で、赤ちゃんは誕生した。

母子共に健康な出産に喜び立つ中、訪問者があった。 訪問者は、 フミの兄のクマゴロウだった。

「ごめんなして」

クマゴロウは蜜柑箱を抱えて、やって来た。クマゴロウの後ろから、ヨチヨチ歩きの男の子が付いて来ていた。

クマゴロウは言う。

「この蜜柑箱は手土産や。先日、息子のテツと嫁さんのサユリが亡くなった。この子は、息子夫婦の忘れ形見だ。名はリキという。1歳だ」

リキは箱を器用に開け、蜜柑を1個取り出し、産まれたばかりの赤ちゃんへ近づいて行った。

「かわいい。みかんちゃん。あかちゃん」とリキは言った。

「ふふふ、蜜柑ちゃん、か。赤ちゃんの名前はミカにしようかな」と床に伏せったままのマリが言った。

「ミカ、それは良いね。リキとミカ『みいとこ』で仲良しになりそうやね」とフミ。

「私とテツさんは『はとこ』やよね。その子供は『みいとこ』っていうんやね」とマリ。

「亡くなった息子のテツと嫁のサユリは『いとこ』やった」とクマゴロウが言った。

「交通事故やったんやろ」とフミ。

「そうや」とクマゴロウ。

「不審を感じてるんやろ」とフミ。

「うん。テツの運転技術は折り紙付きや。テツが交通事故で亡くなるなんて、あり得へん。テツが運転席、サユリさんが助手席、後部座席でチャイルドシートに乗っかっていたリキだけは奇跡的に助かった。山道を走行中、タイヤが外れて、車はスリップして、崖に激突。整備不良やと思うやろ。そやけどな、車は新車やってん。メーカーは、ちゃんとした大手企業や」とクマゴロウ。

「伊賀忍者の末裔を狙うとは、犯人は甲賀忍者の末裔かもしれへんな」とフミ。

「フミも、そう思うか?」

「思う。伊賀忍者の末裔の『いとこ』から生まれた子供は、力を持つ。その力を亡き者にしようとしたと考えられる。おそらく甲賀忍者の子孫が、大きな力を持つ可能性のある『リキ』を排除しようとしたんやろ。しかし、リキは生き残った。それを知れば、奴らは、またリキを殺そうとするやろう。リキは死んだと奴らに思わせないとあかんな。そして奴らの目に届かぬ所で、リキを守り育てねばならないな」とフミ。

「そやど、そやど。さすが、フミ。お見通しやな〜」とクマゴロウ。

「クマゴロウ兄ちゃん。リキは、ここで育てるわ。この人里離れた家には、邪悪な者の侵入を阻害すべく、私が呪文を唱えて、結界を張ってある。ミカとリキは私が育てる」とフミ。

こうして、ミカを産んだ母であるマリ、リキを連れてきた祖父であるクマゴロウも、このフミの家に同居する事になった。

フミ、クマゴロウ、マリが共同でリキとミカを育てた。

リキは「ミカンちゃん」とミカを呼び、ミカを可愛がった。

フミとクマゴロウは、リキに忍術を少しずつ教えていった。リキは覚えが早かった。

影分身を作る分身の術、影に手裏剣を当てる事で相手の動きを止める影縫いの術、動物の鳴き声を真似る物真似の術、敵の殺気を察知する殺気術etc、様々な忍術を、リキは、1歳から5歳までの4年間で修得していった。


リキが5歳、ミカが4歳になった時のある日の事だ。フミの家に訪問者が来た。その訪問者とは、フミにとって孫であり、ミカにとって兄である南タカヒロ。そしてタカヒロの妻のアケミ。その時、マリは19歳、タカヒロは29歳、アケミも29歳だった。

「ごめんください」とタカヒロとアケミはフミの家の扉を開け、居間まで入って来た。

フミ、クマゴロウ、マリ、リキ、ミカは、いきなり入って来たタカヒロとアケミを見つめる。

「僕たち、22の時に大学卒業と同時に結婚して、結婚7年目になるけど、子宝に恵まれへん。僕は今、M電機の課長代理になり、収入も、そこそこ、貰ってる。そやけど、子供が出来へんのが辛いんやわさ」とタカヒロ。

「産婦人科のお医者様に診てもろうたら、不妊症と診断されたんです」とアケミ。

「子供を産み育てるのが女やと、アケミの親戚や近所の連中や知人友人が、ヤイヤイと言うてくるんや。もう、かなんわ。ほんで、医者で調べたら、子供を産めない身体やと言うし、もう、わやや」とタカヒロ。

「リキ君とミカちゃんを、私達に、預からせて下さいませんか?お願いします。私達の子供として育てたいのです」とアケミ。

「結界の張っている、この家から離れるのは、危険を伴う事やで」とフミ。

「テツとサユリが不審な亡くなり方をしてる。事故死に見せかけた他殺の可能性があるんや。リキが狙われる可能性があるんや。リキを守れるんか?」とクマゴロウ。

「守ります‼︎」とタカヒロとアケミが声を合わせて言った。

「リキとミカを愛せるか?」とクマゴロウ。

「愛します‼︎」とタカヒロとアケミが声を合わせた。

「ち、ちょっと待ってよ。子供を育てたいのならリキ君だけで、ええんちゃう?なんでミカまで引き取ろうとするん?」とマリ。

「それは『リキとミカは引き離さないで欲しい。アケミさん、君とタカヒロさんの子供として、二人を一緒に育てて欲しい』と、テツさんに、昨夜、頼まれたからなんです」とアケミ。

「昨夜って...、テツは死んだんやわさ」とクマゴロウ。

「テツさんが枕元に立って、私に言ったんです」とアケミ。

「あんた、テツを知ってるのかえ?」とクマゴロウ。

「テツさんは大学のサークルの先輩でした。『忍者研究会』の部長をなさっていました。リーダーシップがあって優しくて、とてもモテる人だったんです。大勢の女の子達がキャーキャー黄色い声を出して、テツさんの周りを追いかけ回していました。けど、テツさんは、いとこのサユリさんと幼い時に婚約を交わしたとかで、僕には許嫁がいるからと、公言なさっていて、誰の誘いにも乗る事は、ありませんでした。私も、密かにテツさんに憧れていたのです。なので、憧れのテツさんの頼みとあっては無視するわけにはいかないのです。テツさんの忘れ形見、私が育てたい。枕元に立ってくれたテツさんの言葉に従いたいのです。リキちゃんもミカちゃんも一緒に育てたいのです」とアケミ。

「アケミの望みを叶えてやりたいんや。お願いします。リキ君とミカちゃんを僕達に下さい」とタカヒロ。

「嘘はないようやな」とフミ。

「はい、本気です。僕たちが、ちゃんと育てます。お願いします」とタカヒロ。

「よし、わかった。リキとミカは、タカヒロとアケミに預けよう。タカヒロ、アケミ、今晩は、ここに泊まりなさい。そして明日の朝、この子達を連れて帰りなさい」とフミ。

それから8年の年月が流れたのだー


12歳のミカは、そっと目を開けた。

13年前〜8年前の、今までは全く知らなかった様々な出来事が、ついさっき、ミカの脳裏に雪崩れ込み、新たな記憶として追加されていた。

「マリ姉ちゃん。マリ姉ちゃんが私の本当のお母さんなの?」と、ミカがマリに聞く。

「そうやよ。ミカを手離すのは辛かった。だから、私も、この家を出て、タカヒロ兄さんの家の近くの賃貸物件を探した。化粧品会社に契約社員として採用されて、営業に配属され、セールスレディとして必死で頑張って、売り上げを増やして、正社員にしてもらった。いずれ、私の手にミカを取り戻す為に私は頑張ってきたんやよ」とマリ。

マリの言葉に嘘が無い事は、今のミカには、判る。本当に愛してくれている。私は愛されている。

「マリ姉ちゃん、おおきに」

ミカがマリに抱きつきた。マリはミカを、強く抱きしめた。


背後から光が射し込んできた。敵の殺気は感じない。暖かな光。温かい心。私の味方。

「後ろにいるのは、紫仮面?」

ミカが背後の気配に問いかけた。

「ご名答」

ミカは、その声に振り向く。果たして、紫仮面であった。

「ミカンちゃん」

紫仮面は、ミカに近づき、ミカの頭を、そっと撫でた。

「リキ兄ちゃんなの?紫仮面は、リキ兄ちゃんなの?」とミカが尋ねた。

「うん」

紫仮面が仮面を取ると、リキの顔が出現した。

「ああ‼︎全然、気づかなかった‼︎まさか紫仮面がリキ兄ちゃんだったなんて...!この伊賀上野の家での事は全て忘れてた。リキ兄ちゃんに可愛がってもらった事、全然、覚えてなかった。リキ兄ちゃんが私を好きでいてくれてるなんて全く、わからなかった。むしろ、私はリキ兄ちゃんが嫌いだった。リキ兄ちゃんをライバル視してた。私、ひねくれてた。ごめんなさい」とミカが、項垂れた。


「ここでの記憶が無いのは、私が消したからや」とフミ。

「おばあちゃん」とミカ。

「ミカの4歳までの記憶は私が消した。この伊賀上野の家を出ていく日の朝、ミカの記憶を消した。マリが母であるという記憶が残っていては、タカヒロとアケミに懐かないと思った。リキと本当の兄妹ではないという記憶が残っていては、大阪で兄妹として暮らす事に支障が出ると思った。伊賀忍者と甲賀忍者の闘いに巻き込む事なく、平和に暮らして欲しかった」とフミ。

「僕の記憶は残っていますよ。僕は0歳からの記憶があるのです。勿論、1歳から5歳まで、ここでミカンちゃんと暮らした記憶もあるし、フミ婆さんとクマゴロウ爺さんから忍法を教えてもらった記憶もありますよ」とリキ。

「そう。リキの記憶は、敢えて消さなかった。ミカを守って欲しかったし、伊賀忍者の末裔として活躍して欲しいとも思ったんや」とフミ。

「リキ兄ちゃん、お父さんが亡くなって、お母さんが入院したあと、行方不明になって、いったいどこに行ったのかと心配してたけど、この家で暮らしていたの?」

「うん、そうだよ」とリキ。

「リキには、幼い頃から、大阪の自宅と、この伊賀の家を往き来してもらって大阪での様子を報せてもらってた。タカヒロが死に、アケミが入院し、独り暮らしさせるのは危険だと察した私が、リキを、ここに呼び寄せたんやわ」とフミ。

「リキ兄ちゃんが紫仮面に扮して万年筆をくれたけど、あの万年筆は、おばあちゃんの持ち物だったの?」とミカ。

「あの万年筆は私がリキに、あげたものだった。あれは、もともとは、明治生まれの祖父が私にプレゼントしてくれた万年筆や。祖父の手の甲にも、ハート形の黒子があった。祖父が子孫が勉学に励めるように念を入れてくれた。小学校の時、勉強ができなくて自信を無くしていたミカに自信を取り戻す方法はないか、とリキが私に相談してきたんや。それで、私は、あの万年筆をミカにプレゼントするように、リキに手渡した。リキはミカを救いたかったんやね。リキはミカを守ったんやね」とフミ。

「リキ兄ちゃん、有難う。おばあちゃん、有難う。勉強は出来るようになった。けど、お父さんが亡くなった事は辛いよ。その犯人がクルミちゃんだと言う事も辛いよ」とミカ。

「そのクルミだけど、『火遁の術』を使ってるみたいなんよ」とマリ。

「クルミは、どうやら甲賀忍者の末裔みたいやな。多分、伊賀忍者の末裔を滅ぼそうと企んでいるんやろう」とリキ。

「リキ兄ちゃんの本当のお父さんとお母さんを殺した犯人も甲賀忍者の末裔かもしれへんね。リキ兄ちゃん、一緒に調べてみよう。私も一緒に力になるよ」とミカ。

「よし。ミカンちゃん」とリキ。


リキとミカは、森クルミの家まで来た。古い木造アパートだ。裕福そうには見えないが、クルミを私立の中学に通わせる財力があるのだから、貧乏でもないのだろうと思われる。クルミの母のナツコは、クラブのホステスをしているらしい。

リキは「よし。この家の中へ入ろう。ミカンちゃん、僕につかまって」と言い、「潜入の術」と唱える。リキとミカは、ナツコの家の中へと潜入した。

家の壁には、テツとサユリとタカヒロの写真が貼ってあった。その写真には赤マジックで大きな✖️印と「任務遂行」という文字が書かれていた。

「やはり計画的に殺害されたのだな。タカヒロ父さん殺害の犯人は、クルミ。そしてテツ父さんとサユリ母さん殺害の犯人は、クルミの母のナツコか」とリキ。

リキの言葉に、ミカの心が燃えた。大きな怒りと復讐心と正義感。その燃える心が、ミカの中にある力を大きくさせていく。

その時、襖が開き、パジャマ姿で、寝ぼけまなこのナツコと目が合った。

ミカは、勾玉の首飾りを右手でギュッと握りしめ、

「ご先祖様。私に、もっと力を与えて下さい」と祈り、

「催眠の術‼︎」と叫んだ。

ナツコの目はトロンとなった。

「そこに正座しなさい」とミカが言うと、ナツコは、その場に正座し、目を閉じた。

「本音を正直に話しなさい」とミカが言うと、ナツコは、コクンと頷いた。

「あなたは、テツさんとサユリさんを殺しましたか?」とミカが聞く。

「はい。私が殺しました」とナツコが答える。

「どんな方法で殺しましたか?」とミカ。

「タイヤのネジをゆるめ、走行中にタイヤが外れるように細工しました。ブレーキが効かないようにも細工しました」とナツコ。

「あなたはタカヒロを殺すように、クルミに指示したのですか?」

「はい。私が指示しました」

「何故、あなたは、テツとサユリとタカヒロを亡き者にしようとしたのですか?」

「私は甲賀忍者の末裔です。伊賀忍者の末裔を滅ぼしたいと思っています。伊賀の子孫を全滅させて、伊賀の子孫が持っていると言い伝えられている『魔法の勾玉』を、私が奪いたい。そして、私が大きな力を持ち、甲賀忍法の子孫が世界を制覇するようにしたい。世界制覇したいのです」

「世界制覇なんて夢、諦めなさい。自分が甲賀忍法の末裔だと言う記憶も、なくしなさい」

ミカは、勾玉に手を触れ、念を込めた。

「ナツコの記憶を失くしたまえ〜‼︎」

すると、ナツコはバタッと倒れた。息はしている。再び、眠りに入ったようだ。

リキは壁に貼ってある写真を、壁から外し、自分の鞄の中に入れた。

「他に証拠の品となるような物はないかな?」とリキ。

「透視の術‼︎」とミカが叫んで、目を閉じる。そして目を開け、

「机の引き出しに日記帳がある。本棚に忍者の本がある」と言った。

「よし、それも持ち帰ろう」とリキは、それらも鞄の中に入れた。

リキとミカは、眠り続けるナツコを尻目に、森家から出て行った。


次にリキとミカが向かったのは、クルミが居る児童自立支援施設だった。

「潜入の術」とリキが唱え、ミカも一緒に潜入した。夜中で、みんな寝静まっていた。中庭に人影があった。中庭にいたのはクルミだった。クルミだけが起きていたのだ。

「やはり、あなた達、来たんやね。私を殺しに来たんでしょ。強い殺気を感じた。おちおち寝てられなかったわ。けど、私は殺されはしない。殺される位なら、私が、あなた達を殺してやる」とクルミは言い、さっと影分身を作り、クルミは二人になった。

月明かりで、クルミの影が見える方と、影が見えない方が出来ている。リキは素早く、影が見える方の、クルミの影に向かって手裏剣を当てた。影縫いの術だ。クルミの分身は消え、ホンモノのクルミだけになった。

そのクルミに向かい、ミカが、

「催眠の術」と唱え、「座りなさい」と言った。

クルミは、地べたに座り、目がトロンとなった。

「あなたはタカヒロさん殺害目的で銀行強盗をしたのですね?」とミカ。

「はい。ミカが憎かった。そして伊賀忍者が憎かった。母から『魔法の勾玉』の話を聞いていた。私がミカの家族を皆殺しにし、『魔法の勾玉』を手に入れるつもりだった。そして、私が世界制覇するつもりでいる」とクルミ。

「世界制覇の夢、諦めなさい。自分が甲賀忍者の末裔だと言う事、伊賀忍者を憎んでいると言う事、魔法の万年筆があると言う事、全て忘れなさい」とミカは言い、勾玉を握り、再び念を込めて、

「クルミの記憶を失くしたまえ〜‼︎」と言い、さらに、

「中庭から室内に戻りなさい。自分の寝室で寝なさい。あなたの記憶は、もう消えています」と静かに言った。

クルミは夢遊病者のように、うつろな目をしたまま、ミカに言われた通り、自分の布団の中へ体を横たえ、寝息を立て、深い眠りへと入っていった。


リキとミカが、その次に向かったのは、アケミが入院する病院であった。A大学付属病院、精神科。アケミは、リキとミカの育ての親だ。タカヒロが亡くなった事が引き金になり、重度の鬱病になっている。個室に入院しているので、面会時間に制限は無い。

アケミは起きていた。

「催眠の術」とミカが唱え、アケミに質問を投げかける。

「本音を正直に話しなさい。どうしてリキ兄ちゃんを、えこひいきしたのか?どうしてミカを、ないがしろにしたのか?」とミカが問う。

アケミの目がトロンとなった。が、口調は、しっかりしていた。

アケミは、ペラペラと喋りだす。

「私は、テツさんを愛していました。テツさんは大学のサークルの先輩でした。テツさんと交際したかった。結婚したかった。彼と、そっくりの男の子を育てたかった。テツさんに手作りのクッキーをプレゼントしたり、毎日のように電話したり、ラブレターを書いたり、バレンタインにチョコレートをあげたり、私が彼を好きだという気持ちをアピールしました。けれど、彼は、振り向いてくれませんでした。『僕にはフィアンセがいるんだ。幼い時からお互いに好き同士で、結婚を誓いあった、いとこの女の子だ』と、キッパリ言われました。彼の言葉は本当でした。テツさんは、いとこのサユリさんと結婚してしまいました。私はショックで、登校拒否になりました。大学へは行かず、バイトにも行かず、独り暮らしのアパートで、引きこもりになりました。食べ物が喉を通らず、みるみる痩せていきました。そんな私を救ってくれたのが、タカヒロさんだったのです。タカヒロさんは、テツさんと『はとこ』つまり『またいとこ』です。タカヒロさんは、私と大学の同級生でした。タカヒロさんはテツさんから『アケミさんの心を傷つけてしまったかもしれない。どうか、アケミさんの相談相手になってあげて欲しい』と言われていたそうです。タカヒロさんは優しかった。テツさんにフラれ傷心の私を慰めてくれました。『僕は大学の入学式に、君に一目惚れしました。ずっと好きでした。テツさんの事は忘れて、僕と、結婚を前提に付き合ってください』とプロポーズしてくれました。私は、テツさんを忘れる事は、できません。テツさんの事は、今でも愛しています。けれど、テツさんにフラれ、自暴自棄になり、自己嫌悪でいっぱいになっていた私にとって、タカヒロさんの存在は、一筋の光明となりました。大学4年生になっても、私は就職採用試験に落ちまくり、20社の企業から不採用となり、就職先が決まっていませんでした。未来に希望が持てなくて自殺しようとさえ思っいていたのです。そんな私を何故か愛してくれるタカヒロさん。私はタカヒロさんを愛したわけではありません。私の実家は貧乏で、無職の娘を養う財力はないから、親を頼りには出来ない。なので、タカヒロさんのプロポーズを受け入れたのは、結婚イコール永久就職だと、割り切ったからです。専業主婦として、タカヒロさんの収入で養ってもらえると思ったからです。私は卒業と同時にタカヒロさんと結婚しました。が、結婚2年後、24歳の時、テツさんが亡くなったそうです。タカヒロさんは、又従兄弟なので、テツさんが亡くなった連絡が来て知っていたそうですが、私がショックで精神を病んでしまう事を案じて、私には秘密にされていました。それを知ったのは、テツさんが、私の夢枕に立ってくれたからです。私はタカヒロさんとの間に子供を授かる事が出来ません。親戚、友人知人から『子供はまだ?』と聞かれます。それにも心は傷ついていました。そして、結婚7年目、私が29歳の時、夢枕にテツさんが立ったのです。『君とタカヒロさんの子供として、リキとミカを育てて欲しい。リキとミカを引き離さないで欲しい。リキとミカは伊賀上野にいる。連れ帰って欲しい』とテツさんに言われました。愛するテツさんの言葉だからこそ受け入れたのです。リキを初めて見た時、私の胸は高鳴りました。リキはテツさんにそっくりだったからです。リキを育てていると、胸がときめきました。リキは賢くて優しくて綺麗な顔をしていて、私はリキが大好きになりました。一方、ミカは、テツさんに全然、似ていません。私とは血が繋がっていないから当然の事ながら、私にも似ていません。そしてミカは、ノロマでした。めったに笑わないし、言葉も遅く、お座り、ハイハイ、つかまり立ち等の発達も一般の子より遅れていて、発育も悪く、育てていると、イライラしました。私はミカが嫌いだったのです。なので、確かに、私はリキを、えこひいきしました。ミカを、ないがしろにしました」

長い台詞だった。これだけの長い言葉を、一気にアケミは喋ったのだった。

「タカヒロさんが銀行強盗に殺されて、どう思いましたか?」とミカは聞く。

「一家の大黒柱を喪って、これから、どうやって食べてはいけば良いのだろうと思い、不安になりました。一度も働いた経験が無く、47歳の私を雇ってくれる所があるとは思えません。私には、何の能力もありません。タカヒロさんの収入に頼る他は、生きる術が見つかりません。もうダメだと思いました。大好きなテツさんの子供であるリキを食べさせていかなくてはいけない。リキを一流大学に入学させて、一流企業に就職させて、リキが家事も育児も得意な良妻賢母になりそうな女性と結婚して、そして私を食べさせてくれて、リキが私の老後の面倒もみてくれて、そういう未来を想像していたのに、私は、リキを食べさせてあげるお金もないし、私にはリキの学費を稼いであげる能力もないし、私はダメな人間だから。私は何もできないから。私は自分では何も出来なくて、他人に頼って、他人に依存してしか生きていけないアホな人間だから。お先真っ暗だと思いました。もう、私は生きていくのが辛いのです。私は生きている価値の無い人間なのです」とアケミが言った。

「リキの未来を語っていたが、ミカの未来は考えていないのですか?ミカは死んでも良いと思っているのですか?ミカの事は、どう思っているのですか?」とミカが聞く。

「はい。私が愛しているのはテツさんにそっくりのリキだけです。私はミカを愛してはいません。ミカの未来など、知ったこっちゃありません。ミカが死んでも悲しくはありません。ミカは、どことなくサユリさんに似ている。サユリさんはテツさんに愛された。テツさんは私ではなくサユリさんを選んだ。私はサユリさんが妬ましかった。そして憎かった。それからリキがミカを見る目が愛に溢れている事も、また妬ましかった。リキは私よりもミカを好きなようだった。私の好きな人からの愛を受けるミカが妬ましく憎らしく嫌いです。ミカなんか死んでしまえ、と思っています」とアケミは言った。

ミカの心は怒りと悲しみに震えた。そして、リキばかり、えこひいきしてきたアケミへの怒りの感情、タカヒロとミカを愛していないと言い切ったアケミへ、激しい怒りが沸々と煮えたぎった。

「アケミ、お前こそ、死んでしまえ。『私は生きている価値のない人間です。生きていくのが辛いので自殺します』と遺書を書け。そして、この病室の窓から飛び降りろ!」とミカは言った。

リキはミカの言葉に驚いて、『影縫いの術』で、アケミがミカの言いなりになろうとする動きを止めようとする。

しかし、そのリキの思考を一瞬にして読み取ったミカは、リキが忍法の呪文を唱えるよりも素早く、勾玉をギュッと握りしめながら

「リキ、何もするな!」と叫んだ。

リキは、動きを封じられてしまった。忍術がきかない。気持ちは焦るのだが、アケミがミカの言いなりになり、夢遊病者のようになりながら、ミカに操られて、遺書を書き、病室の窓から飛び降りていくのを、ただ黙って見ている事だけしか出来なかった。

病室の10階から飛び降りたアケミは即死した。

アケミが即死したのを悟ったミカは、ぐったりと疲れ、その場に、へたりこんだ。

「育ててくれたのに。育ての親を、私は殺した。私は人殺しだ」

先ほどまでの気の強い表情が消え、気の弱い表情へと一変し、うなだれるミカ。

「ミカンちゃん」とリキは、ミカを抱きかかえた。

「空飛びの術」とリキは唱える。そして、リキはミカを抱きかかえたまま、病室の窓から空を飛んだ。


リキはミカを抱えたまま空を飛び、伊賀上野のフミの家へと舞い降りた。

フミは玄関の扉を開け、リキとミカを見つめると、

「そろそろ来る頃やと思ってたんや。はよ、中に入りいな」と言った。

「ミカは寝かせた方がええな」とフミは、ミカを布団に寝かせた。そして、フミはミカの額に自分の手をあて、ミカの心を読み取り、

「かなり精神的に痛手を負っておるな。アケミの負の感情が、ミカの脳裏にワッと押し寄せて、精神汚染されておる。アケミを殺したのは自分だという後悔と自責の念もあり、心が壊れそうになっておる。さて、どうするべきやと思う?」と問うた。

フミに聞かれたリキは、

「アケミ母さんを殺したというミカの記憶を消す事は可能ですか?」と、フミに逆に問いかけた。

「もちろん、可能や」とフミ。

その時、襖が開いて、マリが顔を覗かせた。マリは、フミの家で、リキとミカの帰りを待っていたのだ。

「私は、緑川カズヤさんと結婚して、ミカを、ちゃんと自分達の子供として育てたい」とマリが言った。

「なるほどな。うん、わかった。ここへ緑川カズヤを連れて来いさ」とフミが言った。


「マリさん。僕と手を繋いでください」と言うリキの手を握るマリ。

「よし。飛びますよ」とマリに言い、「空飛びの術」と唱えるリキ。

リキとマリは空を飛んだ。


緑川カズヤの家へと舞い降りるリキとマリ。「潜入の術」とリキが唱え、二人は緑川カズヤの家の中へ入る。

カズヤは深夜テレビを見ながら、チーズをツマミにワインを飲んでいる所だった。いきなり出現したマリに気づいて、驚きの声を上げる。

「あれ?マリ?どうしたんだ?」

「カズヤさん。本当に私を愛してる?」

「本当に愛してるよ」

「私と本当に結婚したい?」

「うん。本当に結婚したいと思ってる」

そのマリとカズヤのやりとりを聞き、

「相思相愛ですね。では、二人とも僕の手を繋いでください」と言い、マリの後ろから顔を出すリキ。

「この男の子、誰?あ、なんか見覚えがあるな。確か、マリのお兄さんのタカヒロさんが救急搬送された病院の手術室の前で会った。タカヒロさんの息子さんだったっけ?」とカズヤ。

「そうよ。私達の娘のミカが一大事なの。良いから言う通りにして頂戴」とマリ。

カズヤは訳が分からないながらも、リキと手を繋ぐ。リキは右手にカズヤ、左手にマリと、両手をしっかり握り、「空飛びの術」と唱える。


再び、伊賀上野のフミの家に舞い降りたリキ。マリとカズヤも一緒だ。

リキ、マリ、カズヤは家の中へ入っていった。

「やってきたな。リキ、ご苦労やった」とフミ。

ミカは苦痛の表情を浮かべながら布団で寝ていた。その周りを、取り囲むフミ、リキ、マリ、カズヤ。

「カズヤさん。ミカの手を握りなさい」とフミが言う。

「はい」と、カズヤはフミの言葉に従う。

「マリ。カズヤさんの手を右手で握りなさい。そしてミカの手を左手で握りなさい」とフミ。マリもフミの言葉に従う。

フミは、ミカのつけている勾玉の首飾りをそっと外してリキに手渡した。

「さあ、リキ、この勾玉をしっかり握りなさい」リキもフミの言葉に従う。

「みんな目を閉じなさい」

リキ、マリ、カズヤが目を閉じた。

「記憶よ、消えよ!記憶よ、変われ!」

フミは念じた。


暗黒の世界に一筋の光明が差し込んできた。その光の扉を開けると、眩い太陽の光が、身体を照らし出す。

ミカは、まぶしそうに目を指でこすり、目を開けた。


ミカの目は、マリをとらえる。

「おはよう、お母さん」とミカは言った。

マリの事を、自分を産んで育ててくれて、この伊賀上野の家で、ずっと一緒に住んでいる母親だと認識している。

叔母であり、マリ姉ちゃんと呼んでいたという記憶は消えていた。

「おはよう、ミカ」とマリは喜びの涙を浮かべた。


次に、ミカはカズヤを見る。

「おはよう、お父さん」とミカ。

カズヤとマリは結婚しているという認識だ。赤ちゃんの時から、カズヤお父さんとマリお母さんと一緒に、この伊賀上野の家で暮らしているという記憶、自分は、お父さんとお母さんに愛情を注がれて育った幸せな子供だという記憶に変わっていた。

「おはよう、ミカ」とカズヤは、微笑んだ。カズヤの記憶も変わっていた。大学1年のカズヤと中学2年のマリ。家庭教師と、その教え子であり、2人は交わったという記憶は、そのまま。それからの記憶に変化があった。妊娠したマリが、カズヤに、それを打ち明け、2人は若いながらも結婚したという記憶に変わっていた。


その次に、ミカはリキを見つめる。

「おはよう、リキさん」とミカ。

リキは、島ヶ原駅近くにあるクマゴロウ爺さんの家に、暮らしていて、自分とは幼馴染だという認識。

兄として一緒に暮らしてたという記憶は消えていた。紫仮面という存在そのものの記憶も、消えていた。

「おはよう、ミカンちゃん」とリキは、満面の笑みを浮かべた。


最後にミカはフミの目を見つめた。

「おはよう、おばあちゃん」

「おはよう、ミカ」

フミはミカの目を、じっと覗き込む。そしてミカの心から、暗い記憶が消えて、ミカの心に明るい記憶が宿っている事を確信し、にっこり微笑むのであった。


ミカの記憶からは、タカヒロとアケミの事も、クルミの事も、綺麗さっぱり消えて、無くなっていた。いじめられっ子だったという記憶も消えていた。魔法の万年筆の事も、魔法の勾玉の事も、自分には特別な力が備わっているという事も、忘れてしまっていた。大阪に住んでいたという記憶も消えていた。


フミとマリとリキの記憶は消える事は無かった。3人は、過去に本当は何があったのか、鮮明に記憶していたが、それを決して口外する事は無かった。そして3人は、カズヤとミカに植え付けられた新しい記憶をも受け入れ、平和な暮らしが送れる事に喜びを感じるのであった。


1年の月日が流れた。

島ヶ原に住んでいるリキと、伊賀上野に住んでいるミカ。2人は、互いの家を頻繁に往き来している。

伊賀上野から島ヶ原まではJR関西本線で一駅、約10分で到着する。


ミカは島ヶ原駅で降り立った。改札口を出ると、リキが待っていた。

リキとミカは手を繋いで歩く。クマゴロウとリキが住む家へと歩く途中、5人の知り合いとすれ違い、すれ違う人全てが、

「こんにちは!」と元気に挨拶してくれた。


「おじいちゃん、ミカンちゃんを連れてきたで」とリキ。

「ミカンちゃん。こんにちは」とクマゴロウ。

「クマゴロウ爺さん。こんにちは」とミカ。

「ミカンちゃんは、僕の未来のお嫁さんや」とリキ。

「そうかえ。ミカンちゃんは、ええ子やからな。大人になったら結婚したら、ええがや」とクマゴロウ。

「おじいちゃんに、そう言ってもらえると、嬉しいな」とリキが微笑む。

「私も嬉しい」とミカも微笑む。


「二階に行こう」

リキがミカの手を引っ張り、階段を上る。

二階にはリキの部屋があった。部屋に入ると、リキはミカに、そっとキスをした。

「好きだよ」とリキ。

「私も好きよ」とミカ。

「結婚しような」とリキ。

「うん、結婚しようね」とミカ。


山と川と畑のある、のどかな島ヶ原の村の風景に癒される。

そして穏やかなクマゴロウと優しいリキに癒される。

伊賀上野の家には、これまた穏やかで優しいフミとマリとカズヤが居て、癒される。


私は愛されている、恵まれている、幸せだ、未来は明るく光り輝いている、早く大人になりたい、とミカは思うのであった。

空を見上げると雲ひとつない晴天であった。

いじめられっ子、劣等生、中学受験、出生の秘密、忍者の末裔、銀行強盗、魔法の力etc、様々な内容の詰まった小説となりました。


小説を書いているうちに、次々と色々なアイデアが浮かんできて、書きたい事が増えてしまったので、的が一つに絞られてなくて、雑多な出来栄えになってしまった気がします。


ただ、良く言えば、ジェットコースターのように、話の展開が素早く変化していく楽しい作品に仕上がったとも言えると思います。


読んでいただければ光栄です。


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