VS 鷺山 シングルス3 水鳥 対 宮本 1 "世界でただ1人の天敵"
「0-0」
来るッ。
審判のコールと共に、コート内は戦場に変わった。
いつ、どのタイミングで、どこに向かって。葵はあのジャンピングサーブを打ってくるか分からない。
葵は右手で握っていたそのボールを、何のタイミングをとる動作もせず、すっと上に放り投げた。
放り投げたという表現を使いたくなるほど高く。
そしてボールが丁度落ちてくるタイミングで、彼女はコートを蹴り上げる。
葵の身長からは考えられないほどの高い打点で、ボールがインパクトされた。
まるで高台からこちらに突き進んでくる1本の矢。
私を串刺しにせんばかりに鋭く速いそのサーブが、サービスコート内で跳ねる。
(―――でも!)
"それ"の対策は十分してきた。
葵のより強力なジャンピングサーブを、この5日間で私は数百本打ち返してきたのだ。
冷静にボールの軌道を目で追える。
高さにも、角度にも、スピードにも。私が驚くことは無かった。
スライスするサーブへと回り込み、両手でしっかり握ったラケットを振り抜く。
力いっぱい、そのサーブをレシーブ。
「ッ!」
良い感触がした。
真芯に当たった、気持ちのいい感触だ。
振り抜いたレシーブは鋭い軌道で敵のコートへと返っていく。
しかし。
(―――まだ、取れない!)
それが直感的にわかった。
普通の相手なら、今まで戦ってきた相手なら。間違いなく点を奪えていたほどの快心のレシーブだ。
しかし、葵はそのレシーブの速度にも、威力にもひるむことなく。
それを丁寧な短いストロークで返してきたのだ。
少し前に出て、それを打ち返す。
―――そこで、狂いが生じた
葵は前陣に上がってきていたのだ。
(速攻!?)
今からロブショットに切り替えるのは無理だ。
両手でラケットを握り、出来る限り強いショットを放つ。
「迷ったね、ふみちゃん!」
葵はそれをまるで羽虫でも叩き落すかのように、ボールをネット前に思い切り叩きつけた。
「15-0」
―――なんて瞬発力
―――いや、それ以上に中学生離れしたパワー
レシーブを返されたのもそうだけど、速攻を仕掛けられて少し、迷いが出てしまった。
そして何より驚いたのが、"私の次のプレー"を葵に見透かされている事だ。
(ジャンピングサーブを返されることを前提としたレシーブ対策、そして私のラリーに対する強さを見越しての速攻・・・)
相手に対する研究をし尽してきたのは、私だけではなかった。
いや、もしかしたら私の対策なんかとは全然違うレベルで、葵は私への対策を完璧にしてきていたのだ。
そこで。
葵はすっとその金色の長髪を手で梳いた。
―――その仕草は、紛れもなく
「ふみちゃん」
私が癖でやっている動作、そのものだった。
「ふみちゃんに対する想いなら、誰にも負けないよ」
彼女の表情には。
「愛の為せる業、だから」
その自信から来ているであろう、無邪気な笑顔が浮かんでいた。
◆
「・・・強い」
宮本葵のプレーを間近で見て、改めて確信した。
彼女は強い。
その強気は態度やプレーにも現れている。
「文香姐さんを天才と表現するのなら、あの葵サンは怪物ッス」
「どう違うの?」
隣で一緒に試合を観戦している海老名先輩が聞き返してくれた。
「一言でいうなら荒々しさッスね。そして何よりパワー。文香姐さんが持ってない要素を、葵サンは持っている」
「運が悪いの・・・。水鳥さんが、1番苦手なタイプなの」
「いや。その言い方は正確じゃないッスね」
ウチの目測が正しいのなら。
「"目的"と"結果"がそもそも通常の考え方と大きく逸脱してる・・・。あれは文香姐さんに勝つためだけに自分のプレースタイルを変えた可能性があるッス」
「ええっ。たった1人のプレイヤーに勝つためだけに?」
「・・・価値観の問題ッスよね」
目の前で展開されている試合を見ていて思う。
「大勢のプレイヤーに勝つことより、"そのたった1人に勝つことだけ"が、彼女のすべてだとしたら?」
言うなれば文香姐さんにとって、世界でたった1人の天敵。
対自分に特化された、『水鳥文香殺し』のプレースタイルだったとしたら?
「う・・・。こ、怖いの」
海老名先輩はその豊満なお胸を抱えるようにして、身体を震わせる。
適切な反応だと思う。
そう、怖い。
自分の為だけにテニスをやっている相手。そんなものが敵コートに立っていたら、恐怖以外の何者でもないだろう。
(あんま対戦相手を中傷するような事は考えたくないんスが)
この宮本葵にだけは、言いたい。
(イカレてるッス・・・!)
考え方やプレースタイルだけではない。
1人の人間に対する私怨だけでテニスを続けてきたにしては、強すぎる。
そこまでずば抜けた才能があったのに・・・。
彼女をそこまで文香姐さんに執着させるものは一体何なのか。その得体の知れなさ、そして恐らく、それを理解することは不可能であろうという事も含めて。
宮本葵は、イカレている。
◆
(ジャンピングサーブが対策されてるなんて事は、想定済み)
目の前のコートで躍動する宮本さんを、ベンチから見守る。
ここは特等席だ。試合を見るにあたって、こんなに良い席は無い。審判席が1番の絶景だとよく聞くけれど、その次にあたるくらいには良い環境。
私自信も、興味はあった。
宮本さんがそこまで執着する、水鳥さんとの決戦に。
相手は名門で1年生レギュラーを取った天才。
宮本葵というプレイヤーはそれに匹敵するほどの才能を持っている。
そして、あの2人の最も違うポイント。
それは宮本さんのテニスの最終目的が、"水鳥さんに勝利すること"であるという点。
(一方、水鳥さんの最終目的は"宮本さんに勝利すること"では無いと、言い切れる・・・!)
この差は大きい。
モチベーションや戦意と言う意味だけではない。
宮本さんのプレイスタイルは水鳥さんに勝つことに特化している。考え方、そして練習してきた時間。それは全て、この試合で勝つため。
ジャンピングサーブを対策されるだとか、水鳥さんも相当の意志を持ってこの戦いに挑んでくるだとか。
そんな事、分かっていた。
だけど、それがどうしたと言うのか。
対策をしてきたからなんだと言うのか。
(もし宮本さんがその程度で不利になるような、中途半端な実力の選手だったら・・・)
一瞬、目を瞑ってこの数か月間の出来事を思い出す。
(―――彼女のあそこまでの横暴を、黙認するわけがない!)
宮本葵の横暴を、部を乗っ取るような真似を、学校側で取り立てて問題にしてこなかったのは、"彼女があまりにも強すぎるから"だ。
その才能が遥かに傑出していたから、特別待遇で見過ごしてきただけのこと。
そして宮本さんが強くなる最大の要因が、水鳥さんと戦うことだとしたら。
その下準備をすることが、監督権顧問である私の為すべきことだったんだ。
無事に準備が全て完了して、この戦いを迎えた。
―――その時点で
(この戦い、宮本さんの圧倒的優位は決まったも同然!)
"勝った"に等しいとさえ言って良いと思う。
そして、その目論見通り。
「ゲーム、宮本。1-0!」
ガチガチに対策の施されたジャンピングサーブを使用したサービスゲームを。
死守することに、成功したのだ。




