制御不能
◆
「次の鷹野浦戦だけど、1回戦同様2,3年生はダブルスを担当してもらって、シングルスは1年生で突破したいと思います」
部室内のホワイトボードにオーダーを書く。
ダブルス2は3年生ペア。
ほとんどの3年生が辞めていった中で、最後まで部に残った2人が部長と副部長をやっている。
3年生に比べれば辞めた子が少なかった2年生の中でも優秀な2人でダブルス1を。
シングルスは全員、スポーツ推薦で入学してきた1年生に任せる。
―――これが最善にして、最もリスクから遠い戦法
「あたしシングルス1なんだ。丁度いいや、別に鷹野浦なんかに興味ないし」
宮本さんはいつものように手鏡を覗き込みながら、話半分くらいにしか聞いていない。
それでもいい。彼女の実力なら、あの真壁さんにも勝てる。私はそう踏んでいる。
実力を示し続ける限り・・・彼女に関するある程度の問題は無視しよう。
「でもさ、センセ」
そんな彼女が、珍しくミーティング中に話しかけてきた。
「準々決勝の白桜戦では、あたしをシングルス3に置いてよね」
「えっ・・・?」
一瞬、虚を突かれた。
「えじゃねぇよ。白桜戦でシングルス3にしてくんねぇなら、あたし大会出ないから」
「ま、待って。宮本さん、貴女は鷺山のエースよ。全試合でシングルス1を務めて、向こうのエースプレイヤーと戦ってもらわないと」
「もらわないと何? このチームとして困るってこと?」
私は黙って頷いた。
よかった、一応、わかってはくれているみたいで―――
次の瞬間。
がん、という重く鈍い音が部内に響き渡った。
見ると、宮本さんが握り拳にした右手を机に叩きつけていたのだ。
「関係ねえよ。いいから白桜戦はシングルス3にしろ」
「・・・理由は?」
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
さすがに大人として、教師としてみっともなさすぎる。
「あたしのテニスをやる理由が、白桜の水鳥文香と戦うことなんだよ!!」
思わずビクッと身体を縮ませる。
このタイミングで急に大声を出されるなんて、想定に無かった。
何が琴線に触れたのかは分からないが。
「ふみちゃんとヤることがあたしの全てなんだ。外したらこんな部やめてやんよ!」
この日はこれ以降、彼女とまともに会話することすらできなかったのを、よく覚えている。
◆
「宮本さん」
練習後、顧問に部室に残るように言われた。
バックレてもよかったけど、話を聞いてやってもいいと思ったんだ。
(センセ、最近態度いいもんね)
ふみちゃんと当てることも、簡単に了承してくれたし。
正直、今日は機嫌が良いからセンセの与太話に付き合ってあげる気にもなった。
「どうして昨日の試合、あの場面でジャンピングサーブを使ったの」
「は?」
何を言うかと思えば。
「あたしが自分の使える技を試合で使ったらお説教食らうの?」
「そういうことを言っているんじゃないの。あの場面、無理して必殺サーブを出す必要は無かったように思えたのだけれど・・・」
センセは落ちそうになった眼鏡を直しながら、続ける。
「あの試合、正直あの時点で完全に貴女の勝ちは決まっていたわ。ジャンピングサーブを使わなくても楽に勝てたはず。それなのに、どうして・・・」
ためらっていた言葉を。
「どうして、手の内を晒すようなことをしたの?」
吐き出した。
本当の事を言わないならまともに話を聞くつもりはなかったけど、気が変わった。
少し、おしゃべりしよっか。
「あのコート周辺には次、対戦する白桜も居た。虎の子の必殺技なのに、対策を練られる可能性も・・・」
「だからだよ」
あたしは真正面からそれを打ち返す。テニスと同じ要領で。
「あの場に白桜の選手団が居なかったら、ジャンピングサーブなんて使ってない」
「・・・?」
センセは訳が分からないと言った風に目を白黒させる。
コート上なら、センセの股下をボールが潜り抜けてって、あたしの勝ちだね。
「ふみちゃんに見てもらうためだよ。あたし、これだけ上手になったんだよって」
「水鳥選手に・・・?」
「そうだよ。あたしがテニス上手になったらふみちゃんは嬉しいはずだもん。よくできたねって褒めてくれるはず」
センセはますます意味が分からないような顔をしている。
ダメだね、アンタ。
頭が固すぎて話になんないよ。恋の1つもしたことないんじゃないの?
大好きな人の笑顔が見たいって気持ち、分かんない?
「それにさ」
こっからはセンセが分かるように話してやるよ。
「あのサーブを見せれば白桜はレシーブの強い選手をシングルスに入れざるを得なくなる」
あのチームには、お邪魔虫が何人も居るもんね。
「白桜でレシーブの抜きんでた選手はふみちゃんと、2年生の新倉。この2人だ。シングルス1の久我を外すなんて事はまずないから、これでシングルス3人が固定される」
あたしが最も危惧しているのは。
「白桜は地区予選決勝でこの3人以外の選手をシングルスで起用してる。それを防ぐためだよ」
"そいつ"とシングルス3でぶつかって、ふみちゃんと戦えない事だ。
「ふみちゃんは1,2回戦、連続で試合に出てるから準々決勝では温存してくる可能性あったでしょ?」
それだけは、なんとしても避けなければ。
まあこの打算的な考えを思いついたのはジャンピングサーブを打つのを決めた後だけどね。後付け。あれはあくまでふみちゃんに見てもらいたいから、やっただけだから。
「ん、うん・・・」
センセは半分納得したような、でも半分は絶対納得していない微妙な表情で口ごもると。
「まあ、理由がちゃんとあっての事なら、私から言うことは無いわ」
自分を納得させるようにそう言った。
また、その口調だ。
アンタはいつもそう。
結局は"自分が納得いくかどうか"なんだ。選手のことなんて考えてない。
この部のことだって、どこまで本気で考えているのやら。
(ま、どうでもいいけどね)
あたしはふみちゃんと戦いたい。
センセはあたしを利用して試合に勝ちたい。
ギブアンドテイク、ってヤツかな。難しい言葉知ってるなあ、あたし。
ふみちゃん、待っててね。
もうすぐ、迎えにいくからね―――
◆
「ジャンピングサーブの対策がしたいんです」
私は全体練習が始まった途端、そう監督に直訴した。
「葵は私との試合に全力を注いでくる・・・。だから、私も100%の力で迎え撃ちたい」
「・・・」
監督は数秒間、顎に手を当てて思考すると。
「この中でジャンピングサーブを打てるのは・・・」
シングルスの練習に参加している選手を見まわし。
「久我、か」
部長の名前を口にした。
この白桜という名門中学校の中でも、ジャンピングサーブなんて芸当が出来るのは、部長だけ。
その事実が、私に重くのしかかる。
「頼めるか」
「ええ、良いですよ」
部長は軽く承諾し。
「左からじゃないけど、OK?」
私に微笑みかけながら、指でOKマークを作って首を傾けた。
「はい、もちろんです!」
左右は関係ない。
あれの対策を打てるのなら、何でもいい。
無策で戦って力負けするのはイヤだ。何より、あの葵が相手なら、尚更。
葵は、倒すべき敵―――
"それ以外の何者でもない"
しかし、今まで中学で戦ってきたどの敵よりも強力な敵であることに、違いはなかった。
都大会準々決勝。
ここが私にとって1つの大きなヤマになりそうな、そんな予感がした。




