鷹野浦 vs 鷺山 シングルス1 真壁 対 宮本 1 "不満と不安と"
「3-0で、白桜女子の勝利。礼!」
―――白桜女子中等部、都大会2回戦を突破
審判の人に促されて、挨拶をする。
試合後の握手を済ませた後、もう一度自分の左手のひらを見つめた。
(・・・まだまだ、やれた気がする)
試合内容は6-2での勝利だった。
最後の方にちょっとコントロールが乱れて、立て続けに2ゲーム取られちゃったけど、"そこまでは""ほとんど"完璧。
・・・でも、もっと出来た気がする。
6-0での勝利が完璧なら、それを達成するチャンスはいくらでもあったような。
そんなモヤモヤとした感覚が、少しだけ頭の中に残った。
「勝ったのに、なに冴えない顔してんですか」
このみ先輩に話しかけられて、ハッと顔を上げる。
「内容が気に入らないとか、ですか?」
「い、いえ! そんな滅相もないっ!」
勝ってなお不満があるとか、そんなんじゃない。それだけは決してないんだ。
ただ、この頭に残るしこりのようなものは何なのだろう。
「私はちょっと不満がありましたけどね」
「えっ」
意外過ぎる言葉に、思わず驚く。
「終盤、お前が崩れた時にもう少し良いフォローをしてやるべきでした。最後の2ゲーム、私が上手く立ち回れば奪われずに済んだかも」
「違います! それは私が決めようと力んじゃっただけで!」
「そこをカバーするのも私の仕事ですよ」
「わたしの実力不足はこのみ先輩のせいなんかじゃない!」
大声でそう言ったところで、先輩は笑いを噴き出した。
「笑うことないじゃないですかっ」
驚くことに。そのことに対して、少しだけ怒っているわたしが居たのだ。
わかってる。
こんなの、上手くいかなかったイライラをこのみ先輩にぶつけてるだけだって。
「いや、ごめんごめん。別にそういう馬鹿にした笑いじゃないんですよ」
「じゃあ・・・」
どういう笑いなんですか。
「お前が勝った試合に対して反省するようになるなんて」
このみ先輩はもう一度、屈託なく笑いながら。
「成長しましたね・・・正直、ビックリしました」
そう、息を吐くように自然に言った。
・・・どくん。
それを聞いて、不思議な胸の高鳴りを感じる。
でも、なんだろう。
今までに感じたどのドキドキとも、違う気がするんだ。
「試合に勝つことは勿論、最優先事項です。でも、それだけが全てじゃない」
「勝つこと以外に、必要なこと・・・」
「一緒に考えましょう、相棒」
先輩はそう言って、ぽんと軽く背中を押してくれた。
―――一緒に考えましょう
その言葉が・・・堪らなく、嬉しかったんだ。
わたしは、1人じゃない。それをもう一度、ここに来て噛み締めることが出来たような気がして。
◆
(藍原さん・・・戦いの中で、変わりつつあるわね)
それをサポートする菊池さんも含めて、良い変化が生まれつつある。
私はそれを遠巻きに見て、彼女の可能性について考えていた。
つい数か月前までサーブもロクに決められなかった藍原さんが、勝った試合に対する違和感を考えるようになるなんて。
この成長スピードは驚くべきものだ。
(中学生って、本当に良いわね)
改めてそう実感する。
選手の成長・・・それを見ることが本懐とも言える指導者として、こんなに嬉しいことは無い。
「小椋コーチ」
そこで、篠岡監督に呼び止められた。
「鷹野浦の試合がまだ終わっていないらしい」
「確か、向こうのコートでやってるんですよね?」
「ああ。私が引率するから、最後尾の確認をお願いしたい」
監督の言葉に、黙って頷く。
「今から第6コートより向こうで行われている鷹野浦の試合を見に行くぞ。勝者は次の準々決勝の対戦相手だ。盗めるものがあるなら盗んでおけ!」
彼女が大声で伝えると、選手たちは一瞬でこちらに顔を向ける。
リーダーシップと言うのはこういう事だ。
一言で、この一団をまとめる力のある声。誰にでも出来ることじゃない。
「コーチ、鷹野浦って強いんですか?」
そう聞いてきたのは、他でもない藍原さんだった。
私はゆっくりとした速度ではぐれる選手を見逃さないよう、周囲に注視しながら。
「去年の夏の都大会ベスト4の強豪よ。今年はエースで部長の真壁さんを中心としたチームね」
「ダブルスもシングルスも手堅いテニスをやってくるチームですよ」
「うえー。苦手なタイプです・・・」
腕を前でぷらんとさせながら、げんなりする藍原さん。
確かに、ラリーの運動量が多いチームではあるから、藍原さんと菊池さんのペアは苦労しそう。
「その鷹野浦がどこと対戦してるんですか?」
「鷺山・・・じゃなかったかしら」
「聞いたことない学校ですね」
菊池さんが言いながら、手のひらを上に向けると。
「進学校で有名な中学なんだけど・・・」
「う゛っ」
完全に、墓穴を掘ってしまった形になる。
「あれー? 先輩、今なんて言いました? 『聞いたことない』~?」
「お前だって聞いたことないでしょうが!」
「だってわたしは地方から上京してきたわけですしー」
珍しく後手にまわる菊池さんを見ながら、思わず笑ってしまう。
この2人のやり取りは見てて飽きないと言うか。
(お互い、本当に信頼しあってるからこその関係性なんだろうなあ)
何を言っても大丈夫、という空気を作るのが何より難しかったりする。
相手を本気で怒らせてしまう、なんて考えが頭に無い状態だからだ。
特に先輩後輩の関係だと本当に難しい。この2人はまさにレアケース中のレアケース。
「あ、見えてきましたよ」
ゆっくり歩いていたものだから、最初に駆けて行った子たちとは結構な時間差で辿りつく。
そこで感じた。
何とも言えない、どよめきにも似た何かに包まれた雰囲気を。
◆
鷹野浦の大応援団が、息を呑んでいる。
逆に、ほとんどが観客の、"鷺山を応援する声"の方が大きくなっているほど。
「シングルス1までもつれ込んだ・・・」
私は生唾を飲みこんだ。
正直、これは想定外。
鷺山は進学校・・・いわば、本命ではないダークホース的存在。
そこに、優勝候補の一角である鷹野浦が追い詰められている。
「ただいまより、シングルス1、真壁 対 宮本の試合を開始します」
シングルス1のコートに立つのは、真壁さん。
見知った顔だ。見知り過ぎているほど、見知った顔。
白桜とも、何度も対戦経験がある。
ダブルス専門の私は直接戦ったことは無いけれど、同学年という事もあり、まりかと対戦していたシーンが象徴的に頭の中に残っていた。
東京四天王ほど抜きんでてはいないものの、彼女の実力は東京都の中でも屈指だということに間違いはない。
強豪鷹野浦の、エースで部長でシングルス1。
ある意味、まりかに似ているポジションを担っているプレイヤーだ。
「・・・」
まりかは珍しく難しい顔をして戦況を見守っていた。
私たちが来たのは、シングルス2の試合途中。
鷺山のプレイヤーは1年生だった。聞けば、シングルス3も1年生だったらしい。
その1年生たちが・・・鷹野浦の3年生シングルスに連勝したのだから、異様な雰囲気にもなるだろう。
そして、その1年生シングルスのラストを飾るのが・・・。
「宮本葵」
まりかの言葉が妙に大きく聞こえてくる。
「雑誌で特集されてるの、見たよ。曰く、実力は水鳥ちゃんと大差ないらしいね」
「水鳥さん級って、そんな選手が進学校の鷺山に?」
「前の2人だって1年生で鷹野浦の3年生に勝ってるんだ。そういうプレイヤーが居ても不思議じゃない」
確かに。
理由はどうあれ、高いレベルの選手がそろっていることは疑いようが無かった。
宮本さんの表情を見る。
清々しいほどの笑顔を浮かべていた。あの笑顔・・・どこかで見たことがあるような。
「似てるね」
でも。
その答えは、まりかが言ってくれた。
「あの笑い方、五十鈴にそっくりだ」
それを聞いて、驚くほどしっくりきた。
確かにそうだ。あの表情は・・・綾野さんの笑い方の系統に入る。
自分が楽しんでいるというより、"自分が笑っていることを誰かにアピールする"ような笑顔。
私は少しだけ、嫌な予感がした。




