朝靄の中で
「んあ・・・」
目を覚ますと窓から朝陽が差し込んでいた。
入学式早々、自然な光で目が覚めるとは景気が良い・・・普通ならそう思う。気分よく目が覚めたと。
「さっきようやく寝たばっかなのにぃ」
時計の針が4時半を示している。
昨夜は目が冴えちゃって、2時過ぎまで明確に意識があった。つまり。
(2時間半しか寝てない)
しかもこの目の冴え方からいって、二度寝は出来そうにない。
とはいえ朝食までちょっと時間がある。
「・・・走るか」
こういう時はじっとしてても仕方がないんだ。走ろう。
身体を動かして疲れれば、今日の夜は眠れるかもしれないし。
ただでさえ学校が目と鼻の先にある。つまり、小学校時代に登校しがてらやっていたマラソンが出来なくなると言うことでもあるのだ。
思えば昨日は動き足りなかった。
長い間電車に揺られていたし、運動という運動は燐先輩と試合をした・・・しかもその最後の1セットくらいで。
「燐先輩、全然手加減してくれなかったなぁ」
新入生のサーブにあの超高速レシーブぶっ放すかね。
でも、ああいう一見容赦無さそうな人が意外に受けだったりするんだよね。
ツンの中にほんのだけ見えるデレが想像をかきたてるタイプ。っていうか、絶対にそう。間違いない。
「おはよう。藍原さん」
「おはようございます、先輩」
玄関を出た先に居た燐先輩に頭を下げ、そのまま―――
ん?
「わ、わわわあ、先輩!?」
何故こんなところに!
「い、今の聞いてました!?」
「・・・? 何の話かしら」
よし、この反応は大丈夫! 本当に聞こえてなかったパターンだ!
(昨日知り合ったばかりの後輩にネコ断定されてたら、いくら天使な燐先輩でも悪魔モード発動させちゃうよっ)
あの時の先輩、怖かったな・・・。
相手を凍て着かせるような威圧的な態度。氷姫の異名を少しだけ体験できた瞬間だった。
「あ。先輩、髪ポニーですね」
そういえば。
何かが違うと思ったら、長くて綺麗な黒髪を後ろで束ねている。
「朝のこの時間と体育の授業でだけは結んでるの」
「へー、どうしてですか?」
「本気じゃない印・・・かしら」
理屈はよく分かんないけど、先輩の中にそういうルールみたいな決まりがあるのだろう。
・・・と、ちょっと待てよ。
本気じゃないって言い方から察するに。
「これから軽く練習するんですか?」
「眠気覚ましの意味も込めてランニングだけね」
「あの! わたしも丁度走ろうと思って起きてきたんです!」
まさかそこに先輩がいるなんて思いもしなかったけど。
「練習、ご一緒して良いですか!?」
2人きりのプライベートレッスンじゃないですかこれー!
わたしはかなり強引にずいっと間合いを詰め、先輩の手を取って懇願する。
「・・・」
先輩はしばらく、目の前に居るわたしを見つめたまま、目をぱちくりさせていたけれど。
「あなた、随分とぐいぐい来るのね」
「押すことしか出来ませんから!」
「それ昨日も言っていたけれど」
「モットーなんで!」
先輩は観念したのか、軽いため息をつくと。
「それなりに辛いメニューになるから、ついて来られないようなら置いていくけれど、いいかしら?」
「オールオッケーです! わたし、走り慣れてますし!」
「自信あるのね」
「自信しかありません!」
そんなやり取りをしながら、軽くストレッチをして走り始める。
(朝から燐先輩と一緒に・・・なんて、今日はいいことありそう!)
るんるん気分のわたしは足取りも軽く、このままならいつまでもどこまでも走っていられそうだ。
・・・なんて考えがどうしようもなく甘かった。
「は゛ー、は゛ー、はあぁ・・・」
ぜーぜー膝に手をついてままならない呼吸をすると、寮の玄関前で大の字になって仰向けに倒れ込む。
「ダメれすっ・・・、も、もう一歩も動けまぜん・・・はぁぁー・・・」
死にそう・・・っ。
「辛いって前置きはしておいたはずだけれど」
「あい゛・・・」
「そんなになるくらいなら自分のペースで走ればよかったじゃない」
先輩は少しだけ肩で息をして、タオルで汗を拭いている。
・・・あ、ポニーにしてるからうなじが見える。
普段なら絶対に見られないものを見て少しだけ得をした気分になったけど。
(この苦しさと疲れじゃ割に合わないっ!)
正面からハグくらいしてもらわないと、ひよーたいこうかが・・・!
「でも、1年生が初日から軽くとはいえランニングで私に着いてきたのは褒めてあげる」
先輩はわたしの隣にしゃがみ、仰向けになっていた顔を覗き込む。
そして。
おでこに手を乗せて、よしよし・・・と褒めてくれた。
「元気出ました!」
ビシッと起き上がる。
少なくとも、今ので座っているだけの体力は補充できた!
「・・・あなた、賑やかね」
そんなわたしを、先輩は優しい目で見つめてくれる。
その表情はまさに"天使"―――そのものだった。穏やかで、とても温かい目。
「藍原さんは地方出身って聞いたけれど、スカウト組なの?」
「違いますよ。わたしは勝手に白桜を受験して、勝手に来ちゃった組です」
「普通入学というわけね」
ふむ、と先輩は口に手を添える。
「このテニス部に入学してくる子は大体があなたと同じ普通入学よ。そして知ってのとおり、白桜のスカウトが全国から見つけてきた逸材、スカウト組と呼ばれる子たちが居る」
「ええ。なんとなく知ってます」
誰に言われたわけじゃないけれど、昨日の万理や他の1年生の会話からそんなようなものが聞き取れた。
「でも、普通入学でもスカウト組でもない、最後の1つのグループがある。それが持ち上がり組」
「持ち上がり・・・?」
「白桜女子初等部から中等部に進学した生徒をそう呼ぶの」
「そっか。小中高大一貫なら、当然附属の小学校から進学した子が居ますもんね」
言われてみればそうだ。
そういう子たちも含めてスカウト組なのかと思ってたけど。
「私はその持ち上がり組。物心ついた頃から白桜の中で育ったわ」
「先輩は如何にも箱入りお嬢様ーって感じですもんね」
わたしは軽く笑いながら言う。
「ええ。その通りよ。中等部に上がった時、外の世界から来た子たちとの交流に少し戸惑ったわ」
そっか―――
外から来たわたし達にとってはここがお嬢様学校で気品が高そうな雰囲気でも、生まれてからずっとここで育った先輩にとっては、ここが普通なんだ。
あまり考えなかった発想にハッとさせられる。
「だからあなたのような人とは、あまり接する機会が無くて」
「あ・・・、もしかして、ウザかったですか・・・?」
ここが普通だとしたら、わたしなんて外からズカズカ入り込んできたよそ者に過ぎない。
先輩はわたしの行動に驚いてたけれど、それはやっぱり、うるさいだけの迷惑女だったのかな・・・。
そんな事を考え、しゅんとしてしまう。
「そんな事無いわ。とても興味深かった。あなたと話してると面白いし、飽きないもの」
「ホントですか!?」
自分でも表情が明るくなったのが分かった。
心の底から嬉しい!
「・・・少し、うるさかったかしら」
「ぜ、善処します・・・」
やっぱウザかったかー。
「あなたはそのままで良いと思うけれど」
「どっちなんですかー!」
うるさいって言われたり、このままでいいって言われたり!
「そういうところがあなたの魅力だもの。一言一言で喜んだり怒ったり・・・、それでいいと思うわ」
先輩は最後に、そういうのが持ち上がり組には1番無い部分だ、と言ってくれて会話を締めた。
なんだかよく分かんないけど、わたし、嫌われてはない・・・っぽい?
終始、先輩は天使モードのやわらか笑顔だったし。好感触だよね? うん、きっとそうに違いない。
最初に思った通り、朝から先輩と会えたなんて、やっぱりラッキーでハッピーだった。