2人だけの・・・
「厳しい組み合わせですね」
久我さんと山雲さんが持ち帰った都大会のトーナメント表。
もう穴が空くんじゃないかと言うくらい見たそれを、もう一度見て眉間にしわを寄せる。
「元から都大会を簡単に勝ち進めるなどと思っていない」
監督はそう言って、手元のタブレットを操作していたけれど。
「つくづく、久我はクジ運が悪いな」
自嘲気味に呟いて、少しだけ息を吐いた。
この人がこの反応をするのだ。
どうしようもないこととはいえ、久我さんの運の悪さは筋金入り。
春の大会でも決勝で黒永と当たるまで、都大会の強豪と3連戦をしている。ほとんどの強豪がトーナメントでいう白桜と同じ山に入って、黒永はすいすいと決勝まで勝ち上がってきた。
・・・言い訳はしたくないけど、激戦の疲れでへとへとだった白桜が明らかに不利なのは、戦う前から分かっていたことだ。
(固定シードだから、久我さんが直接クジを引いたわけじゃないんだけれど)
それにしても、運が悪すぎではないだろうか・・・。
別に監督も久我さんを糾弾しようなんて意図はない。ただ、"やっぱりか"と、呆れてしまっただけだ。
「連戦への対策をしておきたい」
監督は顔を切り替え、凛とした表情でタブレットをテーブルの上に置く。
向かいのソファに座っていた私は、その瞬間にびくんと背筋を伸ばした。
さっきまで不運を嘆いていた人とは思えない、声の鋭さ。
「ダブルスを3ペア用意しようと思う」
「そうですね。強豪と連戦になった場合、最も疲弊するのはダブルスでしょうし・・・」
東京都大会は3勝先取の試合形式で行われる。
つまり、ストレート勝ちすればシングルス2、1は試合をしなくても良い。
逆にいえばダブルスの試合は必ず行わなければならない、ということ。
「山雲と河内には何の心配もしていない」
「あの2人は大丈夫でしょう。地区予選でも普段通りでしたし、今日も練習で良い動きをしてました」
喩えるなら河内・山雲ペアは白桜という城にとっての外壁。
そう簡単には崩れないし、崩れられてもらっては困るんだ。
地区予選で1ゲーム落としたのには少し驚いたけれど、それさえも糧にして上を目指そうという気概が、今日の練習から感じられた。
「菊池、藍原もよくやってくれている」
監督のその言葉に。
「・・・そう、ですかね」
少しだけ、異論があった。
「決勝戦のダブルス2、映像を後から見てみたんですけど、何か綱渡りというか・・・危うさみたいなものを感じました」
「・・・」
「私の杞憂で終わればいいのですが、あの試合だって藍原さんが立ち直らなかったら危なかった。あそこを落としていたらと思うとゾッとします」
もし、2敗の状態でシングルス2を迎えていたのなら。
熊原さんがあそこまで圧倒的な試合を出来たかどうかは定かではないところだ。
「だが、菊池と藍原は実戦を積むにつれて確実に強くなっている」
しかし監督は眉ひとつ動かさず、ピシャリと言い放った。
「初めてあの2人の試合を見た1軍昇格テストの時と今とでは雲泥の差だ」
「実戦の中で強くなっていくタイプのペアだと、いうことですか?」
それでも不安を払しょくしきれず、私は返す返す言葉を出してしまう。
「私にはそう見えるよ。負けたら終わり、絶対に負けられない・・・そういう極限に追い詰められた状況で、時に通常では考えられないような力が出せるのが学生スポーツの特権だ」
そこで私は、地区予選で見た1人の選手の姿を思い出していた。
「葛西第二の志水選手・・・」
彼女があの試合で見せた粘り強さと、執念。
あれこそが"極限まで追い詰められた状況で引き出された有り得ない力"を具現化したものだろう。
「もしあの試合に"特別な意味"が込められていなかったら・・・勝負事で"たられば"など有り得ないが、恐らく最初のマッチポイントを容易にとって水鳥は勝っていただろう」
"特別な意味"・・・それは、負けたら中学テニスを引退する試合だったということ。
つまりあの試合がただの練習試合だったなら。恐らく、監督が言うような道筋の試合になっていた。
そして、この話にはもう1つの側面がある。
「あの時の水鳥さん、志水選手に呑まれていましたからね」
そういう、極限の力を引き出したプレイヤーを敵にまわした場合のことだ。
「水鳥には良い経験になっただろう。これから3年生と戦う機会はいくらでもある」
確かに、地区予選でああいう凡例と戦えたのは運がよかったのかもしれない。
「ただ、彼女、あれ以降元気が無いように見えるんです。明日、藍原さんに掛け合ってみます」
「直接本人には言わないのか?」
「私なんかが言うより、藍原さんの方がよっぽど上手にやってくれるはずですよ」
少し、笑いながら答える。
「・・・すまない。どうも誰と誰が仲が良いだとか、そういう事に疎くて」
彼女は右手で目頭を抑えながら頭を抱えてしまう。
「そこは私がやりますから、大丈夫です」
それを私が窘める。もう結構、慣れた光景だ。
(さすがのこの人も、選手の内面や交友関係までは頭が回らない・・・か)
無理な話と言えば無理な話だけれど。
ウチは部員数80人以上、それを1人でまとめているだけでもすごい。
だって監督、私と歳も5つくらいしか離れていないのに。
私に5年後、彼女と同じことをやれと言われても絶対に無理だろう。
閑話休題。
「派手に暴れまわっている藍原に目が行きがちだが、私は菊池の成長も目が見張るものだと考えている」
「・・・私も同意見です」
やっぱり、選手を見る目はすごい人だ。
「菊池さん、以前は全部を自分だけでどうにかしようという焦りや、独善的な面が目立っていましたけど、今は出来ない事は藍原さんに任せて。その結果彼女の個性が伸びているように思えます」
「藍原を任せたことで、菊池自身も思ってもみなかった才能が開花したな」
「はい。菊池さんがあんなに面倒見のいい子だとは思ってもみませんでした」
身長はあの通り小さいし、基本的に誰にでもですます口調だから、先輩っぽさの無い子だと思っていた。
でも、今の彼女は完全に藍原さんの保護者になって、初めて出来た後輩らしい後輩を上手に引っ張っている。
藍原さんがあそこまで伸びたのは紛れもなく菊池さんの功績が大きい。
監督曰く、変則フォームもブレ球も、すべて菊池さんが発案したことらしいのだ。
そして菊池さんが変われたのも・・・また、藍原さんのお陰なのだろう。
「お互いがお互いを成長させている。あいつらは良いペアになった」
監督の言葉に、私は黙って頷いた。
そして。
監督との2者会議は佳境へ突入する。
「問題は・・・」
「第3のペア、ですね」
地区予選では1度も試す機会すらなかったペア。
監督は軽く頷くと、一拍の静寂を置いて。
「熊原と仁科をそこに据えようと思っている」
そう、自信を持って言い切った。
「やはりその2人ですよね・・・」
実戦経験の無さは藍原さんと菊池さん以上だ。
でも。
「練習を見ていて、明らかに動きが違う」
そうなのだ。
練習なのに、彼女たちの強さは他のダブルス候補を圧倒しているように思えた。
「早ければ2回戦にでも、あの2人を1度実戦で試してみたい」
「緑ヶ原と戦う前に、使える確証が欲しいんですね」
監督はまたも黙って頷いた。
彼女が何を危惧しているのか、さすがに今は分かる。
緑ヶ原のダブルスの強さは―――恐らく他校の比ではない、ということ。




