VS 葛西第二 シングルス2 熊原 対 今村 1 "終わらせたくない!"
「決勝戦シングルス2、熊原 対 今村の試合を開始します」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
しっかりと握手をする。
あたしみたいな選手こそ挨拶や態度はちゃんとしとけって、よくマムに言われたっけ。
(しかしでけーな、こいつ)
相手選手と握手する時、並んで驚いた。
目線を少し上にしなきゃならないほどデカイ。"熊"原って、名は体を表すの標本みたいな奴だ。
でも。
(相手がデカかろうがなんだろうが、関係ねえ)
あたしはあたしのテニスをするだけだ。
葛西第二が1勝2敗のビハインドだから、あたしのサービスゲームから。
ここでもし、あたしが負けたら三枝子の出番なく、最後の夏が終わる。
(そんなの―――)
思い切り腕を振ってサーブをカチ飛ばした。
―――味気なさすぎんだろ!!
相手はすました顔でレシーブしてくる。
しかし。
「うおりゃあ!!」
思い切り前陣に向かって走って、ジャンピングボレーのような要領で相手コートにボールを打ち込んだ。
「15-0」
「へへ、どうだ!」
大丈夫。調子自体は悪くねえ。足も軽い。
「出た、紗希の速攻」
「サーブも決まってるし、ショットに力もある!」
ほとんどが白桜の応援団と選手の中、みんなの声だけが聞こえてくる。
―――これが、あたしのテニス
「アンタは典型的なアスリートだね」
ある日、マムに投げかけられたのはそんな言葉。
「どういうこったよ?」
「瞬間的なパワーと瞬発力さ。身体がバネみたいだからそれだけの力が出せる」
「・・・なあ、マムはすげー人なんだろ?」
「ん?」
恥も、外聞もない。
「どうやったら久我まりかに勝てるようになる?」
そんな方法無いなら無いと笑い飛ばして欲しい。
「あたしは勝ちたい。このチームで勝ちたいんだ。そのためにはあいつを倒す必要があるだろ。教えてくれよ、あたしはどうしたら強くなれるんだ」
この人が本当に凄いのなら、聞きたい。
手っ取り早く、最強になれる方法を。
「ふん。バカだね」
「う゛っ・・・」
「大のテニスバカだ。あたしゃ嫌いじゃない」
「それじゃあ!」
「やってみるかい、"1年で白桜を負かす練習"を」
確かにそっからは辛いことしかなかった。
ひたすら終わりも設定しないまま走らされたし、サーブとショットの精度を極めるために毎日ラケットを振った。
それでも。
―――充実してんだ
生きている感覚がする。喜びを感じる。
毎日へとへとになるまで練習して、家族と笑いあう。
こんなの、楽しすぎる。
(終わらせたくねえ)
サーブを打つ、走る、点を取る。
「30-0」
みんなが拳を握って応援してくれる。
この後また学校に帰ってミーティングして、次の都大会に備えていろいろ考えて、練習して。
(こんな楽しい時間を、終わらせてたまるかよ―――)
ずっと、ずっとこんな時間を過ごせることを夢見てきた。
やっと掴んだ大切な家族と、夢を追いかけられる環境。絶対に手放したくない。
―――だから
「負けねえ!!」
また、全力でボールに向かって駆けていく。
―あれはいつの事だっただろう。
友達とも言えないような薄い関係の知り合いと一緒にカラオケ言って、ジュース飲んでお菓子食べたりして。大して好きでもない歌を仕方なく歌って。
みんな笑ってたけど、あれは本心からの笑顔だったんだろうか。
そんな事を考えてると、自分でも楽しいのか楽しくないのかよく分かんなくなって。
(あたし、何やってんだっけ・・・)
歌を熱唱してる時に、ふと我に帰るんだ。
今、こうしていることに何か意味があるのかって。
意味が無いことを自覚するのが怖かった。あたしがやってることには意味があるって自分に言い聞かせて。
よく分かんないまま、笑って。よく分かんないまま1日が終わるんだ。
(こうして実際にプレーしてみると分かる)
あたしは確かに1回逃げた。
無駄な時間を過ごしてたかもしれない。でも、逃げたことそのものを無意味なことにしたくない。
(あたしには、これしかねえんだ!)
スマッシュが相手コートで跳ね、あたしは大きくガッツポーズをした。
「ゲーム、今村! 1-0」
コート外の、白桜応援団以外のギャラリーがにわかに湧いている。
さっき柚希が勝ってから・・・明らかに雰囲気が変わりつつあった。
―――強いサーブ、強いショットを打てるってのはそれだけで大きな才能さ
―――それに加えて瞬発力、初速のスピード
―――アンタがどうしても久我に勝ちたいなら、長所を伸ばすことを極めてみな
あの日、マムに言われたことが何度も頭を駆け巡る。
(あの人はすげえよ)
今まで会ったどの大人より信頼できる。
あの人に着いていけば大丈夫だって思える。だから、あたしは二度と迷うことなくこうやってコートに戻ってこられたんだ。
そして、何より。
「紗希!」
今のあたしには。
「あと5ゲームだよ」
「へへ。任せとけよ、柚希」
柚希を日本一の部長にしたい―――
その想いがあるから。
あたしは絶対に、誰にも負けねえ。
◆
それはテニス部に戻ってから2週間が経ったときのことだった。
厳しい練習をこなすことに、身体が悲鳴を上げ始めていたんだ。元々半年のブランクがある。
しかし、それを抜きにしても・・・。
「紗希? 大丈夫? 顔色悪いけど」
「柚希・・・」
ふらふらと着替えを済ませて部室を出ると、そこには柚希の姿があった。
「悪ぃ。実は、最近給食しか飯食ってなくて」
「ええ!? どうして!?」
「なかなか言い出せなかったんだけど、ウチさ。3か月前に両親が離婚したんだわ」
これ以上は隠し通せない。
あたしは今の家庭のことを柚希に話した。
今まで誰にも言えなかったけど・・・こいつなら、信用できる。
「母親に引き取られたんだけど、あの人帰り遅くて朝も遅いから。食うもんなくて・・・。今まではそれでも平気だったんだけどこの猛練習じゃさすがに」
「紗希、あのね」
あたしの言葉を半ば遮るように。
「朝ごはんと夕ごはん、ウチで食べて行かない?」
「えっ」
すぐにその言葉を出してくれた。
最初は遠慮したけど、柚希の熱心な説得で、迷惑にならないならと家にお邪魔することになったんだ。
「おばさん、すんません」
「いいよいいよ。紗希ちゃん昔は結構ウチで夕飯食べてたじゃない?」
おばさんは何でもないような笑顔ですぐにあたしを迎え入れてくれた。
柚希は完全に母親似だ、と一発で分かるような人当たりの良いおばさん。
昔は分からなかったけど、今なら分かる。
この志水家の"温かさ"が。
「あ、あの」
居間で柚希とテレビ画面をぼうっと見ながら話をしていると。
「紗希ちゃん・・・だよね?」
柚希を一回り小さくさせたような女の子が、居間の扉の向こうから、身体を半分隠しておっかなびっくりと言った様子で話しかけてくる。
「そうだけど・・・。お前、桃華か?」
「うん」
桃華はこくんと頷く。
しかし、半開きにした扉の向こうからこちらに寄ってくる気配が無い。
「久しぶりだなー。どうしたんだよ、こっち来いよ」
「・・・」
おかしいな。
手招きしてもまったく微動だにしないんだ。
昔会った時は、もっとグイグイ来る感じの積極的な性格だったはず。
「桃華。大丈夫だから」
そこに、柚希が入ってくれる。
「紗希は不良、やめたから。そんなに怖がらないで」
ようやく合点がいった。
そうか。桃華はこの髪を見て脅えてたんだ、と。
「はは、やっぱこの金髪怖ぇか。この間、後輩にもおんなじこと言われたんだ」
「愛依に?」
「ああ。あいつも大概ビビりってか」
柚希と一緒に、その話を広げようとした瞬間。
「愛依って、緒方愛依さまのこと!?」
ものすごい勢いで、桃華が居間の中へ駆けてくると、あたしの両肩を鷲掴みにした。
「緒方愛依、"さま"・・・?」
「私の小学校で、憧れの先輩だった人なの! 今はもう中学校に進学しちゃったけど! それはもうすっごい美少女だったんだから!!」
桃華はがくがくとあたしの肩を前後に大きく揺さぶりながら熱弁をふるう。
さっきまで脅えていたとは思えない傍若無人っぷりだ。
「憧れの先輩って。あいつそんな感じ全然しな」
「ウチの学年でも愛依さま好きな子いっぱいいるもん!」
「で、お前もその1人だと」
あたしが言った途端。
「わ、私は別にそういうんじゃないし!!」
と、顔を真っ赤にしながらまた肩をがくがくと前後に揺すられた。
なんて分かりやすい反応だ。
「こら、桃華。紗希ちゃん困ってるでしょ。そろそろご飯にしよっか。今日は紗希ちゃん居るからいつもより腕によりをかけて作っちゃった」
「あ、ありがとうございます。あたし、いっぱい食べるんで」
「ねえ分かった!? 私は違うからね!?」
一向にやめようとしない桃華に揺すられながら、返事をする。
―――ああ、なんて幸せなんだ
楽しい学校。温かい家庭。あたしが夢にまで見た理想が、今こうしてここにある。
こうまでしてくれたのは、全部。
「もう、桃華ったら」
隣で微笑んでくれている柚希のお陰だ。
柚希が居なかったら、あたしはずっとこの幸せに触れることなく、違う道に進んでいた。
どれだけ感謝してもしきれない。
逃げたあたしを、掴んで引っ張り戻してくれた柚希には。
だから、あたしの目標は―――
◆
家族で全国へ行くことと。
(―――柚希を、日本一の女にしてやることだ!!)




