VS 葛西第二 シングルス3 水鳥 対 志水 4 "通過点 / 到達点"
「ゲーム、志水。4-5」
その瞬間、コートの周囲をぐるりと覆う白桜の応援団が気圧されたように静まり返った。
「良いぞ柚希! その調子だ、あと1ゲームで追いつく!」
あたしはコートの外から思い切り声を出して応援をする。
葛西第二に応援団は居ない。他の部が応援に来てくれることもない。
この試合会場に柚希の味方は、コートの中でベンチに座っている顧問のマムと、あたしと三枝子しか居ないんだ。
柚希は汗だくになった額をぎゅっと左手で拭うと。
一瞬だけあたしの方を見て、にっこりとほほ笑んだ。
あたしはそれで勘付く。
(声を出す気力もねぇのかよ・・・)
試合時間は相当長くなっている。
毎ゲームの様にデュースが続いている上にこの蒸し暑さと日光だ。
疲れていないわけがない。
「紗希、柚のこと心配してるの?」
隣で黙って戦況を見ていた三枝子が呟く。
「ったりめーだろ。どんだけ走ってると思ってんだ。いつ足が止まっても不思議じゃ・・・」
「大丈夫だよ」
あたしが焦ってしゃべっていると、三枝子は冷静にそれを制してきた。
「柚は止まらない」
「なんでそんな事が・・・」
「柚はこの試合までに、3年間準備してきたんだよ」
三枝子はまっすぐに柚希を見つめて。
「3年間、先輩たちとの関係がこじれた時も1番練習してたのは柚だった。私たちの矢面に立って、色んな人から色んなことを言われたのに、練習になると人が変わったみたいに没頭するんだ」
三枝子は目を凝らしていた。まるで食い入るように。
「雨の日も風の日も雪の日も、ずっと走って・・・それに比べたら」
そして言うんだ。
「この試合はまだたったの2時間も走ってない」
彼女こそが私たちの"長女"だと。
「柚はこの試合、これから2時間だろうと3時間だろうとやるつもりだよ。たとえタイブレークに突入しても、絶対に自分から止めることはない」
そっか―――
あたしが居ない半年間、1番辛い時を。
三枝子は柚希と一緒に過ごしたんだ―――
「あの1年生がどれほどの天才でも、"その覚悟"に勝てるかな」
ずっと隣で柚希を見てきたから、分かるんだろう。
あいつがどれほど諦めの悪い奴なのかを。
◆
―――遡ること数十分。
「6-1で、白桜女子中等部の勝利」
「「ありがとうございました」」
「思ってたより全然強い相手だったね」
無名の公立校、そして今は地区予選。
この3年間、地区予選で戦った相手の中では最強だったかもしれない。
驚いたのは連携プレーのソツの無さ、息の合い方だ。
実戦経験もほとんどない中であのプレー・・・もし、彼女たちが強豪校の高いレベルで揉まれていたのなら、あるいは―――
「あたしも正直、1ゲーム落とすとは思いませんでした」
驚いた。
瑞稀がこんな事を言うのは本当に珍しいことだ。
「地区予選レベルの相手じゃなかったのは認めますけど」
「・・・もっと練習、しなきゃね」
それに瑞稀は黙って頷く。
そして。
「もう負けた敵の話なんていいですから!」
私の目をその吸い込まれそうな大きな瞳でまっすぐに見つめる。
「あたしのこと褒めてくださいっ!」
"いつもの"が始まった。
「これが3試合目なのに今日の瑞稀は疲れが見えなかったね」
「先輩と一緒にプレーできるのが楽しいからですっ」
「ショットも正確だったし、サーブもいいとこ決まってた」
「他にはっ!?」
「葛西第二のペアより、私たちの連携の方が上手だった」
「あたしと先輩以上に息があったペアなんて居ません!」
私の左腕をがっしりと掴んで、まるで何かをねだる猫のようにぐいぐいと頭をこすり付けてくる。
そう、瑞稀は言うならば猫だ。わがままで、気まぐれで。
かまってあげないと不機嫌になっちゃうし、かと言ってご主人様以外の人間には一切懐かない。
「すごかったよ、今日も」
「きゃっ☆ 咲来先輩に褒められちゃった。先輩ったら、そんなに言われたら、あたしもっと燃え上がっちゃいますよー」
瑞稀は真っ赤になりながらその赤い頬を両手で抑えて腰をくねくねさせる。
「私のことは褒めてくれないの?」
「咲来先輩は全部すごいです!」
「あはは。随分シンプルにまとめられたなぁ・・・」
試合後はいつもこんな調子。
まるでコート上での疲れが全部色情になったんじゃないかってくらい、瑞稀は甘えん坊になる。
褒めたり撫でたりしてあげないと済まない子。放っておいたら一体どうなるんだろう。
(それはそれで興味あるけど・・・)
なんだかそうしたら瑞稀は壊れてしまいそうで。
「瑞稀」
「はい」
「私は瑞稀が可愛いから頑張れるんだからね」
それは私にとって何よりも耐え難い恐怖だ。
瑞稀を傷つけるくらいなら、死んだ方が明らかにマシ。
この子にだけは、悲しい顔をして欲しくない。泣いて欲しくない。
(どれだけキツイ練習にも耐えられるのは、きっとそのおかげだ)
人によってテニスをする理由なんて言うのは千差万別だ。
これは私としてではなく白桜の副部長としての意見だけれど。
瑞稀と私がこれほどまでにダブルスペアとして優秀なのは―――
テニスをする理由が究極的に"同じ"だからなんだと思う。
◆
「ん・・・」
頭の下に柔らかい感触がする。
「寝ちゃってたのね」
ぼやける視界。まだ1/4も動いていない頭。そして今の今まで無かった意識。
全部を総合すると、そういうことになる。
目を開けたそこにあったのは。
(寝顔・・・?)
すやすやと気持ちよさそうに眠っている女の子。
「海老名さん?」
「はっ」
私が呼びかけると、彼女はびくんと反応して目を開けた。
「あ、あれ。私いま・・・」
何が何だか分からない様子で辺りをきょろきょろと見渡す。
「おはよう」
「お、おはようなの新倉さん・・・って」
膝の上に頭を乗せている私が話しかけたところで。
「も、もしかして、私・・・うたた寝しちゃってたの?」
「そのようね」
ようやくその事に気付いたらしい彼女は少しだけがくっと項垂れた。
海老名さん。私とは同級生にあたる2年生。
今まで2軍に居ることが多かった彼女とはあまり話したこともなかったけれど。
(こうして近くで顔を見ると、かわいい子ね)
いつものんびりした、ぽわぽわ系というイメージだったけれど、まさにその通りだ。
そして膝枕という位置から彼女の顔を見ると、その間にある随分大きな胸のおかげで顔が半分くらい見えないことに気づいた。
(河内さんといい、海老名さんといい)
2人が同い年だと思うと、私は随分貧乳だという気分になってくる。
そんな事が顔に出てしまったのか。
「新倉さん大丈夫? 顔色悪いの。まだ頭痛い?」
「いえ、平気よ。もう起き上がれると思うわ」
「それはダメ!」
海老名さんは私に覆いかぶさるように顔を近づける。
彼女の髪が私の顔にかかるくらいになったところで。
「熱中症は治りかけが1番危ないの。ぶり返しちゃうの」
「それは風邪じゃ・・・」
「体調不良という面では一緒なの」
なんだろう。このどうしようもない感じは。
彼女は本気だ。無理に起き上がろうものなら無理矢理押さえつけられそうな感すらある。
「・・・分かったわ。もう少し、膝にお邪魔してもいいかしら」
「それなら大歓迎なの~」
嬉しそうに言って、顔を遠ざける彼女は無邪気で可愛らしかった。
1軍の2年生と言えば、私、河内さん、仁科さんと、なかなか素直になれない面々が多いだけに、彼女みたいに全てを包み込むようなタイプは珍しい。
3年生でいう、山雲先輩と同じタイプの性格をしていると思う。
「決勝戦はどうなってるのかしら?」
「まだ分からないの。野木先輩もどっかいっちゃうし、みんなは応援行っちゃって、教えてくれる人が誰も居ないのー!」
彼女はむず痒そうに眼を瞑りながら両手をばたつかせる。
「でも」
海老名さんは私の頭にそっと手を添えて。
「きっと大丈夫なの。ウチは先輩も同級生も後輩も、頼りになる子ばかりだから」
ゆっくりと私の頭を撫でてくれる。
「こんなところで負けるはずがないって、そう信じてるの」
そんな動作と、優しい声色に安心したのか。
「そうね」
気づくと私は再び、瞳を閉じて心地よい木陰の涼しさに身を委ねていた。
◆
「ゲームアンドマッチ」
その刹那、コートを覆うすべての者が息をのんだ。
一瞬の静寂の後、待っていたのは。
「志水柚希! 7-6」
言いようのないどよめきと、白桜応援団の小さな悲鳴だった。
地区予選 決勝戦 "白桜女子中等部 vs 葛西第二"
『ダブルス1』
○山雲・河内 6-1 外見・中野●
『シングルス3』
●水鳥文香 6-7 志水柚希○




