鈍色の世界、虹色の世界
「あの、何なんですか?」
夕暮れの河原で途方に暮れていると、散歩中なのか動きやすいようなジャージを着たおばあさんに声をかけられた。
意味が分からない。それが率直な感想だ。
全く知らない人から急に声をかけられたのだから。
「最近の大人は子供がこんなになるまで放っておくのかい」
「すみません、私、いま・・・」
サブバッグを持ち上げてその場を去ろうとすると。
「気遣いと避けることは全然違う」
その言葉を聞いて、私は振り返る。
「一見すると同じように見えるんだ。最近の世の中は余計にその境目が見えなくなってるのさ。面倒ごとから目を背けて触らなきゃ自分には責任が無いって考え方、あたしゃ嫌いだね」
「貴女は、誰なんですか・・・?」
どうしてだろう。この人の言葉は、その1つ1つが―――
「口うるさい通りすがりのばばあさね」
―――すごく、強いんだ。
◆
「ねえ柚希。あのおばあちゃん誰?」
最初はそんな風に懐疑的だった三枝子や千鶴も。
「三枝子。お前は小手先の技術ばっかりにこだわり過ぎだよ。変化球覚えるのも良いけどね、基礎体力が貧弱すぎんだ。白桜もそれで落とされたんじゃないのかい?」
それを聞いた三枝子は目の色を変えて走り始めた。
この2年間、白桜の受験を失敗したことなんて誰も触れられなかったのに・・・。内田さんは、そんな事お構いなしに三枝子からその話を聞き出して、必要ならそれを使ってハッパをかけてきたのだ。
「礼、朋美。アンタらは天性のダブルスプレイヤーだ。ロクに試合にも出られなかったのにそれだけの連携が出来るってのは才能さ。このチーム最強のダブルスになってみな。そうすりゃ外様のイメージも消える」
「はい・・・」
「アンタら元気が無いね! 返事は大きく!」
「「はいっ!!」」
外様だなんて思った事はなかったけど、確かにその意識みたいなものはあった。
あの2人は小学校も違ったけれど、最後まで私を信じて着いてきてくれた、中学生で出来た唯一の友達。私ももっと、踏み込んで話しなきゃなと痛感させられた。
「千鶴、愛依。アンタたちは他の連中より才能が無い」
「・・・」
「だから、2人で一人前になりな。ダブルスってのはそういうのが出来るから奥が深い。こっから積み上げたものだけがアンタたちの力になるよ」
今まで気が弱かった千鶴はそこから見違えるように強い意志を持つようになっていった。
元々、部の内部分裂で1番堪えていたのは千鶴だった。最初に部を辞めたいと言い始めたのも彼女。でも、千鶴は逃げなかった。
その強さが、愛依と言う後輩を預けられたことで開花したんだと思う。
そして。
「柚希。アンタはこの部の"長女"だ」
「"長女"・・・?」
「勿論、アンタが部長をやるんだろう?」
その言葉を聞いた途端、どくんと心臓が嫌な音を上げたのが分かった。
"部長"・・・、その響きに良いイメージなんて何一つ無い。
確かに今まで先頭を切って先輩たちと交渉してきたのは私だったけど、それは部長としてではなくて―――
「アンタ以外に居ないよ。覚悟を決めな」
「でも・・・」
「でもも行進もあるかい。この6人の部をまとめあげたのはアンタだろう」
「違う。それは内田さんですよ。私はただ」
「こんなばばあのいう事を誰が信じるかい。"アンタが連れてきた"私だから、みんな最初の言葉を聞く気になったんだよ」
「!」
その言葉が。
「・・・分かりました」
私の心から大きなトゲを抜いてくれた気がした。
「私はっ、ずっと、無力な自分が嫌だった。何の力もない私の言葉だから、誰も耳を貸してくれないんだって」
今までトゲが刺さっていた穴から、何かがあふれ出てくるのを感じる。
「強くなりたい・・・。みんなが認めてくれるくらい、強く」
何かのタカが外れたように、涙が目から零れ落ちた。
「だから、私は部長になります・・・!」
泣きながら、しゃくりあげながら、必死でそれを口に出した。
この決意が鈍らないうちに、言っておかないとダメなんだ。
「本当に良いのかい?」
「はい・・・! 私が部長になって、作ります。強いチームを、胸を張ってテニス部だって言える部を、みんなが同じ目標に向かって努力できる環境を・・・!!」
今までずっと我慢してきた感情が溢れてきて、止まらない。
思えば私の今までは他人に頼ってばかりだった。
自分に力があれば・・・そういう考えに至らず、なんとか今の自分のままでどうにかしようとしていた。
でも、それじゃダメなんだ。私が変わらなきゃ・・・何も変わらない。
それを率先して行うことが部長なら、私はその役目をやりたい。
「よく言ったね」
内田さんはぽん、と私の肩に手を置くと。
「アンタの気持ちはよく分かった。任せておきな」
◆
この内田みどりというおばあさんがアマチュアテニス界のものすごい権威だと知ったのはその後になってからだった。
内田さんは直接学校側と交渉し、テニス部の存続と自らが顧問になることを認めさせたのだ。
でも。
「えっ、内田さんってもう還暦過ぎてるんですか!?」
彼女の話だと、とある中学の総監督を定年で勇退した後、暇で時間を持て余して運動をしている時に落ち込んでいた私を見つけたと言う。
「ああ。非常勤でも良いから10月から雇ってくれと言っても予算やら人員なんやらで募集はしてないんだと」
「そんな・・・!」
「でも来年の4月から1年で良いなら非常勤講師として雇ってくれるそうだ。そのままテニス部の顧問になって公式戦にも出られるそうだよ。ただ」
そう。来年の4月まで公式戦には出られない。
それはつまり。
「3年最後の夏の大会が、私たちが出られる最初で最後の公式戦・・・」
重い。今から1年近くの練習期間があるとしても重すぎる。
何故なら私たちは予選の段階で"あの白桜"と必ず戦わなくてはならない。
つまり、白桜に負けたらその時点で中学テニスは終わり・・・。
「たった一発の弾丸、それに全てを込めてみな」
「・・・」
さすがに部員全員、声が出なかった。
その覚悟は簡単には出来ない。
―――厳しすぎる"現実"を受け入れるには、時間が必要だった。




