VS 葛西第二 シングルス3 水鳥 対 志水 1 "見送った背中"
「ゲーム、水鳥。0-1」
やられた―――
完全に決まったと思ったサーブを、絶対に打ち返せないところにレシーブされた。
「相手のサービスゲームをブレイクした!」
「かなり時間はかかったけど」
「頑張ってー。文香ちゃーん!」
相手の1年生・・・水鳥さんは何食わぬ顔でベンチへと引き上げていく。
天才―――
彼女が世間でそう呼ばれているのは知っている。
マムに聞くまでもなく、水鳥文香の噂くらいは葛西第二にも聞こえてきていた。
「志水柚希、あそこからよくデュースまで持ち込んだね」
ペットボトルを手に水を飲むと、マムが話しかけてきてくれる。
「でも、落としちゃった。折角のサービスゲームを・・・」
「構わないさ。アンタの持ち味は諦めの悪さだ。それが発揮されてるのは確認できた」
「諦めの悪さ・・・か」
うん。心当たりはあるね。
「アンタはそうやってこの家族を作ったんだろ、"長女"」
「そうだね・・・。よし、行ってくるよ」
「絶対に焦るんじゃないよ。泥臭く、1つずつ取ってみな。1年生にアンタの想いは殺せないはずさね」
私の想いは殺せない―――
マムの強い言葉が、私を奮い立たせてくれる。
そうだ。私は今、あの白桜と試合をしているんだ。
夢にまで見た仲間たちと、最高の指揮官の下で―――
今、この瞬間を噛み締めなきゃ。
私にとっては。
どんなに強く望んでも、もがいても。
たどり着けなかった、晴れ舞台だから―――
◆
「えっ。三枝子、白桜を受験するの?」
まさに寝耳に水だった。
比較的新設校の白桜だけど、この街での存在感は年々大きくなるばかり。
とんでもなく大きな敷地があるし、部活動は毎年全国の常連。駅前のビルには『頑張れ白桜○○部』という垂れ幕がいつもかかっている。
「うん。自分の力がどこまで通用するか、白桜に入って確かめたいんだ」
「確かに私たちの中じゃ加賀三枝子が1番上手だけど・・・」
それでも白桜の推薦入試を受けようなんて、並大抵の覚悟じゃない。
「ウチのスクールにも白桜のスカウト来てたぜ」
「今村紗希はスカウトされたの?」
「ぜーんぜん。スクールの奴なんか誰も声かけられなかったって」
紗希はそう言って両手を広げた。
私から見れば、紗希だって才能がある選手だ。三枝子と実力は五分五分くらい・・・、唯一三枝子との差はテニスに対する本気度。そこだけだと思うけどなあ。
「みんなすごいなぁ、大きな目標があって」
「鈴江千鶴には無いの?」
「私は・・・みんなと一緒にテニスできたら、それでいいかなって」
「なんだあ? お前はもうちょっと欲を持てよ」
なんて言って、みんなで笑う。
三枝子が白桜に行くなら・・・この関係も、もうあと半年もしないうちに終わりなんだ。
そんな事が頭の中から消えきらないうちの、1月のことだった。
「そっか。白桜、落ちたんだ」
「うん・・・。ごめんねこんな話されても困っちゃうよね」
こんなに落ち込んだ三枝子の姿は初めて見た。
でも、こんなになってるのに・・・。三枝子は、私にそんな辛い話をしてくれたんだ。
「でもね。柚希になら話せるかなって、そう思って」
「三枝子・・・」
私はぎゅっと三枝子の肩を抱いた。
今はなんて声をかけたら良いかは分からなかったけど、抱きしめるくらいなら・・・私にでもできる。そう、思ったから。
「白桜はずるい!」
しばらく経って紗希たちに話をすると、彼女は開口一番そう言った。
「全国から良い選手スカウトして連れてきてさ・・・それでこの街の代表なんておかしい!」
今、考えればそれはただの屁理屈だったのかもしれない。
でも、紗希のまっすぐな言葉は小学生の私たちには十分すぎるものだった。
「・・・じゃ、じゃあさ」
普段はそんな事言わない私が。
「私たちが白桜を倒そう。他所から来た人達じゃなくて・・・この街で生まれ育った私たちが、この街の代表になるんだ!」
大きな目標・・・夢を掲げるまでには。
「柚希がそんな事言ってるの、初めて見た」
「おかしい、かな?」
「おかしいもんかよ!」
「うん・・・夢はおっきい方が楽しいもんね」
後ろを振り向けば、みんなが私を後押ししてくれた。
この仲間となら・・・本気で全国を目指せるかもしれない。
私たちはそんな大きな希望と夢を持って、地元の公立校である葛西第二へと進学した。
そこで待っていたのは。
「ウチ、1年は全員球拾いだから」
完全な年功序列制度を敷く部と。
「夏のメンバーは以上。3年生の引退試合だし、パーッと派手にやりましょう」
やる気のない顧問だった。
私たち1年生は完全に蚊帳の外。
中で何が行われているのかも全く知らず、知る方法すらなく・・・
最初の夏は終わった。
「こっから、頑張ろ? ね?」
私は明らかに不満顔の紗希や意気消沈する千鶴に必死で声をかけながら、3年生が引退する日を待った。
「これで少しでも1年生が試合に出られるようになるから」
3年生が居なくなった部で待っていたのは―――
2年生の天下だった。
試合に出場するのは全員2年生。例外なく1年生は選ばれない。
それどころか私たち1年生は2年生の練習相手程度にしか思われておらず。
「白桜、秋季大会でも都大会決勝行ったって・・・」
私たちが打倒しようとした相手は、その活躍の場を大きく広げていった。
特に白桜の1年生エース、久我まりかの噂は東京中に響き渡り・・・。
この街全体にも、久我まりかと白桜が"この街の代表だ"という機運は日に日に高まりつつあった。
そんなある日の事。
ふとしたキッカケで、1年生の不満が爆発した。
2年生、1年生、顧問。すべての部員の間で話し合いが行われたものの・・・。
(全然まとまらない)
1年生の代表的存在だった私は先頭に立って1年生の意見を伝えたけれど、2年生は聞く耳を持たない。
顧問はもとよりやる気が無い人で、この人に頼ることは出来ないなんてことはみんなが分かっていた。
でも、私たちは勘違いしていたんだ。
「え・・・」
彼女はやる気が無いのではなく。
「先生が、顧問をやめる・・・?」
とんでもない臆病者だったのだと。
聞かされたのは顧問が精神的に疲弊して入院してしまったということ。
腐っても顧問だ。彼女が部をある程度はまとめていたし、大人の言うことは2年生でも聞いていた。
その大人が居なくなったことで、話し合いは破談。
顧問の居ないテニス部は大会に出場できなくなり、学校側は人員不足を理由に誰も代わりの顧問をつけることすらしてくれなかった。
もともと弱いテニス部だ。このまま潰れてくれれば問題が文字通り消滅する―――学校からしてみれば渡りに船だったんだ。
「くっだらねえ」
それは部員全員でどうするかを話し合いしている途中。
「あたし、いち抜ーけた。この部やめるわ。あとはアンタら好きにすれば」
紗希がそんな事を言い出して話し合いの会場である教室から出て行った時にはさすがに青ざめた。
「紗希っ! どうして!?」
私はすぐに席を立ちあがり、紗希を追いかける。
ここで紗希が居なくなったら。私たちは本当にバラバラになってしまう。
「こんな腐った部に居られるかよ、めんどくせえ。別にテニスやらなきゃ死ぬわけじゃねぇんだ。他の運動部行ってそこでてっぺん目指すわ」
「待ってっ。紗希っ!」
何度手を振りほどかれても、私は紗希の背中を追った。
冬の寒さが痛さに変わるくらいの寒い中庭、その渡り廊下で。
私は先に向かって思いっきり頭を下げた。
「お願い、行かないで。私が・・・私がなんとか」
「なんとかできんのかよ!?」
その叫び声に、出かけた言葉が止まる。
「出来なかった結果がこれだろ。もう11月だぞ・・・! 6月に3年生が引退して、あたしは半年近くも無駄な時間を過ごしたんだ!」
・・・無理だ。
「このままここに居たらあたしはダメになる。それだけは分かるんだよ。柚には悪いけど・・・もう我慢の限界だ」
紗希は私を突き放して、早歩きで冷たい渡り廊下を歩いて行った。
・・・私じゃ、何もできない。紗希のために何もしてあげられない。
紗希の不満を、何一つ解決してあげられない。
だから。
私は紗希を止められなかった。
夢を誓い合った幼馴染を・・・見送る事しか、出来なかったんだ。




