地区予選 決勝 『白桜女子中等部 対 葛西第二中学』
随分と、懐かしい顔を見た。
「お久しぶりです、先生」
黒のスーツを着こなし長めの黒髪をゴムでまとめ、私に向かって深々とお辞儀をする女性。
今、この目の前に居る彼女と、私の記憶にある"彼女"とは途轍もなく印象がかけ離れている。
これが時間の経過か。
「大将が敵将に向かって頭を下げるもんじゃないよ」
「先生は特別です」
「ふ・・・」
最近、若い者に交じっていたから自分もまだまだ老いぼれてはいないと思ったが・・・なかなかどうして。
こうしてかつての教え子が大人になって現れると、自分はばばあになったのだと改めて思い知らされた。
「もうプロへの未練はないのかい、シノ」
「はい。今はその想いを未来へ受け継いでくれる若者の育成をしています」
それに続けて"私が選手を引退したのは10年ほど前ですよ"と言われてしまった。
「こりゃ驚いた。これがあの"じゃじゃ馬"かね。学生時代のお前に見せてやりたいよ」
「先生に認めていただけるとは、私も大人になれました」
彼女は少し表情を緩めながら、それでもしっかりした口調で呟く。
東京都最強レベルを誇る名門白桜の監督―――
その責任を一身に背負っている教え子を、もはや誰も子供呼ばわりしないことなど想像に難くない。
しかし。
「それでは、失礼します」
自分の教え子は例外なく"娘"だという心情のもとやってきた身としては、子供はいつまで経っても子供なのだ。
たとえ社会的に立派な大人になり一人立ちしたとしても、何らそれは変わらない。
「マムー、ちょっとベンチ座ってないでここ教えてよー」
「はいはい。今いくから待ってな」
先ほどの落ち着いた声とは程遠い、若くて力のある声が耳に入り、昔に比べればだいぶ重くなった腰に力を入れベンチから立ち上がる。
自立した子供が親に勝負を挑んでくるのなら。
本気で相手をしてやるというのが親心というものだ。
◆
「これより女子団体戦 決勝 白桜女子中等部 対 葛西第二中学の試合を始めます」
「「よろしくお願いします」」
出場選手14人が中央コートで試合開始の挨拶をする。
実を言うとわたしは、今回ばかりは葛西第二の選手から視線を逸らしていた。
明後日の方向を見ながら、なんとか挨拶をやり過ごす。
・・・が。
「!」
思いがけず、1番端に居た"彼女"と目が会ってしまった。
緒方さん・・・だっけ。
朝、道案内をしてくれた葛西第二の2年生。
彼女はわたしと目が合ったことに気が付くと。
「がるる」
思いっきり目を吊り上げて、こちらを睨みつけてきた。
「有紀、あなた相当嫌われてるわよ・・・」
「ウソついたからですね」
「うわーん、ごめんなさい悪気はなかったんですー」
葛西第二と正反対の出入り口からコートを出た後、相手側に聞こえるわけがない謝罪をする。
「決勝戦はダブルス1、2とシングルス3の3試合を同時に行いますからね。藍原さんと菊池さんは向こうの第1コートへ。水鳥さんは第3コートへ向かってください」
コーチに促されて歩くスピードを駆け足にすると文香とアイコンタクトでお別れをし、このみ先輩と2人で第1コートへ向かう道すがら。
ふと手前にある第2コートの出入り口付近が視界に入った。
そこに居たのは勿論、白桜のダブルス1である咲来先輩と瑞稀先輩。
2人は何気なく顔を近づけると。
咲来先輩が瑞稀先輩のほっぺに顔を寄せて―――
(こ、このみ先輩!)
「なんですか試合直前に騒々しい」
(あの2人、い、今き、キキキ・・・)
「はあ?」
壊れたスピーカーみたいに同じ音を繰り返すわたしに、このみ先輩は訳がわからないと言ったようなハテナマークを浮かべる。
(で、で、ですから先輩方ほっぺに・・・!)
落ち着いて、なんとか説明をする。
「ああ。あれはおまじないですよ」
「おまじない・・・?」
普通、おまじないでキスしますかね・・・?
「私たちもやるでしょ、ハグ。あれと同じですよ。やると落ち着くでしょ?」
「それはそうですけど・・・」
「今、やります?」
「いいえ。なんか今は逆に落ち着いているので大丈夫です」
おかしな感覚。
気分が思いっきり高揚したから、逆に今は試合に対する不安や緊張はない。
「そんだけ落ち着いてるなら大丈夫ですね、行きましょう」
先輩の後に続いて、コートに入る。
さっきまでと同じハードコート。硬いコートの感覚に、足が馴染んだその時。
「頑張れー!」
「白桜ー」
「菊池先輩、藍原ー」
「いけー!!」
四方から来る応援の声に、少し面食らってしまった。
準決勝までとは声援の量が明らかに違う。
それも、ほとんどは自分たちを応援してくれる声だ。
「姉御ぉー、姉御の親衛隊長こと万理ちゃんッスよー!」
そんな中、どこからかすごく聞きなじみのある声が聞こえた。
「応援に気ぃとられちゃダメッスよー! 姉御は頭空っぽの方が上手くいくんスからー!」
「誰が頭空っぽじゃい!!」
後ろを振り向いて叫ぶ。
・・・万理がどこから応援してくれてるのか知らないけど。
「オッケー、その調子ッスー!」
ぐぬぬ。なんか万理に乗せられたみたいで悔しい・・・。
でも、今の一言で少し気が楽になったのは事実だった。
(わたしは、目の前の試合にだけ、集中―――)
監督にかけられた言葉を思い出す。
ネットを挟んで相手選手と向かい合わせになり、握手をするが。
「・・・」
相変わらず、緒方さんはわたしの事をジト目でにらんでいた。
「あなた、水鳥さんじゃなかったんですね」
握手の瞬間に、不意に言葉をかけられる。
そして。
「このニセ水鳥さんめー!!」
ビシッと人差し指で指を差された。
「あなたには負けませんよ! 私はウソつきが嫌いなんですっ!」
「あ、ちょ・・・」
「行きましょう、先輩!」
「愛依? この人、お知り合いなんじゃ・・・」
「知りませんこんな人!」
文字通り怒涛のようなやり取りが行われ、彼女たちは立ち位置へドタドタと歩いていく。
「な・・・」
わたしは一瞬呆気にとられてしまったけど。
「なんだこりゃー! そっちがその気ならやってやるぁー!!」
ここでも"逆に"、なんか変なスイッチが入ってしまった自分が居た。




