二つの戦い
快心の当たり。
打った瞬間にとったと思ったサーブは、案の定相手選手が対応できずサービスコートに突き刺さった。
「ゲーム、菊池・藍原ペア。1-0」
「ぅおっしゃああ!」
ぐっと右手の拳を胸の前で握りしめる。
4球連続で良いサーブが打てた。最初のゲームを全部サービスエースで取れたのは大きい。
―――これで、自分のプレーができる
少しだけホッとしているわたしが居た。
「うおおお! すっげーッス姉御!! 頑張れ姉御! 藍原最高おおぉぉ!!」
エンドチェンジの際、ベンチに引き揚げていく時だっただろうか。
観客席からとんでもない大音量の応援をしているギャラリーが約1名ほど居ることに気づいたのは。
「・・・」
あえて無視するというのはどうだろう。
「あ、姉御いま無視しましたよね!? もしかしてウチのこと忘れちゃったとか!? 酷いッスよいくら久しぶりの出番だからって! ウチッスよウチ、万理ちゃんッス!」
久しぶりって。別に昨日も寮で会ったのに何を言っているんだ。
「藍原、あいつうるさいからどうにかしろです」
「ダメです先輩。万理は構うともっとうるさくなりますよ! そういう子なんです!」
何を言い返してもそれを嬉しがっちゃうのが目に見えている。
それなら、ここはぐっと我慢・・・!
「・・・お前にそっくりですね」
「え、ウソ!?」
「類友とはまさにこのことですか・・・」
「先輩~~っ」
あんま核心つくような事言わないでくださいっ。
◆
「ゲームアンドマッチ」
最後の1球、相手選手の放ったショットがネットに直撃して、相手コートにぽとりと落ちる。
「鈴江・緒方ペア。6-3」
そのコールを聞いた瞬間。
「やったぁあ!!」
嬉しくて思わず飛び跳ねてしまう。
「やりましたよ先輩っ!!」
「もう、愛依ったら。しょうがない子ね」
ぴょんぴょんと跳ねていると、そのうち先輩がよしよしと頭を撫でてくれた。
「あと、私たちの事は"お姉ちゃん"、でしょ。家族なんだから」
「そ、そんなっ。尊敬する先輩たちに馴れ馴れしく・・・」
たびたび言われることだけど、私はまだその一線を越えられないでいた。
先輩たちはすごい人ばかりだ。私からしてみたら雲の上のような存在・・・、そんな人たちを馴れ馴れしく"お姉ちゃん"と呼ぶのは、やはり少し憚れる。
それは、あの人たちを1番近くで見てきた私だから。
誰よりもあの人たちを知っているから、踏み込めないんだ。
「どうだった?」
試合開始の挨拶をした中央コートに戻ると、もう先輩たちは皆、その外苑に集まっていた。
私達が最後・・・か。
「勝ったわ。みんなは・・・」
鈴江先輩はそこに集まった他の先輩5人の顔をずらりと見渡して。
「その様子なら、心配ないわね」
安心した様子で、一言つぶやいた。
「5-0で、葛西第二中学の勝利。礼!」
「「ありがとうございました」」
すごい。準決勝で1試合も落とさなかったなんて。
(やっぱり先輩たち、普通に試合をやれば実力のある人ばかりだ)
―――これだけの力を持った人たちが、この最後の夏まで大会に出られなかったなんて
ううん。やめよう、こんなことを考えるのは。
「おらっ、何ぽかんとしてんだこの末っ子は!」
私が頭をぶんぶんと振った瞬間、肩に手をかけられてぐっと顔を引き寄せられる。
「い、今村先輩っ」
脱色した茶髪が印象的な今村先輩。
でも、これでも大分戻ってきた方だ。一時期は完全に金髪だったし。
「もっと素直に喜べねーのか?」
「そ、そんなこと」
「さっきは飛び跳ねて喜んでたのにねえ」
「鈴江先輩っ!」
顔がかあっと熱くなって赤くなるのが分かる。
それを聞いて私の髪をくしゃくしゃと掻き撫でる今村先輩。
先輩たち曰く、私の髪の毛は本当にくしゃり甲斐があるらしい。くしゃり甲斐って。
「向こうの準決勝はどうなってる?」
そこでみんなの気持ちを引き締めるように、部長である志水先輩の凛とした声が通る。
「見るまでもねー。どうせ白桜だろ」
今村先輩がそんな軽口を返すと。
「紗希」
そこで中学生のものとは明らかに違う、しゃがれた声が先輩を叱る。
「マ、マム・・・」
「あんたの悪い癖だよ。才能はあるのに詰めが甘い。そんなことじゃ」
声のした方に視線を向けると。
「白桜には勝てないよ」
そこに居たのは学校指定のジャージを着た小さなおばあちゃん。
この人がマム・・・。私たち、葛西第二テニス部の"お母さん"だ。
―――"そんなことじゃ白桜には勝てない"
その言葉の意味。それはつまり。
(マムは、本気で白桜に勝つ気なんだ・・・!)
そうじゃなきゃ、あんな言葉は出てこない。
「百聞は一見に如かず、相手の実力を自分の目で見ておくのも悪くないだろ。いくよ、向こうの第5コートで連中は試合をやってる」
言って、マムはさっさと歩いて行ってしまう。
「あ、おいちょっと待てよマム!」
それを1番先に追いかけたのは今村先輩。
「マム、だなんてこそばゆくなるね。こんなばばあに対して」
「マムはマムだろ、母ちゃんって意味なんだよ」
先輩とマムの会話を聞きながら、他の先輩たちも2人を追いかけていく。
そして残った私を。
「いこっか、愛依」
最後に1番後ろから志水先輩・・・部長が遅れないように連れて行ってくれる。
「・・・、はい」
私は感動していた。
この家族と一緒に大会に出てテニスができるなんて・・・本当に。
夢のようだったから。
◆
それは準決勝の試合を終えた時のことだった。
最後の挨拶をして、コートから出てきた時。
「燐?」
そんな部長の心配そうな声が、妙に大きく聞こえたんだ。
すぐに燐先輩を木陰に運んで身体を横にし、食塩水を飲ませたり氷で頭を冷やさせたり、慌ただしい時間が続いた。
監督曰く。
「軽度の熱中症だな」
無理もない。
今日の暑さは異常だ。雲がなく日光が常に降り注いでいるし、更に悪いことに風が全然吹かないから熱がこもっていた。
梅雨時のじめじめした湿度も相まって、かなりの暑さを感じる。
しかも、今は午後2時前―――1日で最も暑い時間なのだ。
「新倉、次の試合、出られそうか?」
監督がその言葉を投げかけた瞬間、場に緊張が走る。
そして。
「・・・すみません。欠場させてください」
重い言葉が、蒸し暑い昼下がりのテニス場に落ちてきた。




